青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ナビオ阪急 の誕生

2021-03-01 | 昭和・懐かしい大阪の風景

「梅田・北野劇場」。僕が70年代に、よく足を運んだ思い出の映画館でした。

東宝系の北野劇場・梅田劇場・梅田スカラ座の入る梅田東宝会館として、昭和12年にスタートしましたが、昭和53年(1978年)老朽化による解体工事が始まり、歴史に幕を閉じました。



この後1980年秋、ナビオ阪急が完成、最上階に1000席ある3つの大劇場(北野劇場・梅田劇場・梅田スカラ座)をそこに配置し、建物はHEP NAVIOと名称を変え、映画館も今日では「TOHOシネマズ梅田」と名前を変えました。

僕の心の中での北野劇場は、大劇場だった梅田東宝会館を指し、ナビオ時代のいわゆるシネコンの走り時代は、北野劇場の認識はありません。ナビオの映画館の1つという認識で、北野劇場・梅田劇場・梅田スカラ座を、勝手に「ナビオの上の映画館」という、勝手な俗称で呼んでいました。(笑)

だから80年代以降の映画を、「それはナビオで観た」と言うことはあっても、「北野劇場で、あるいは梅田劇場で観た」という言い方をすることは滅多にありません。そう言う時は、70年代の映画を指します。

1980年(昭和55年)10月24日、ナビオのこけら落としの際の新聞広告がこれです!



僕はこの内3本を観ました。「テス」で見たナスターシャ・キンスキー、綺麗でした。「アーバンカウボーイ」はサントラが良かった。(笑)ジョン・トラボルタは、この頃は俳優としてはまだまだでした。「レイズ・ザ・タイタニック」は今いち。「将軍」はアメリカで大ヒットしましたが、テレビの日曜洋画劇場で見ました。主演のリチャード・チェンバレンは悪役が多くて嫌いな俳優でしたし、島田陽子に魅力を感じなかったので(所詮、仮面ライダーのお姉さん)映画館には行かなかったのです。

この劇場では先輩がバイトで「もぎり」をしていたので、実は全部タダでした。(笑)そうそう、「レイズ・ザ・タイタニック」は、劇場のこけら落としという事で、全国より早く先行上映されていました。