大阪・梅田には今やいろんな百貨店が進出し、覇権を争っていますが、行くのは昔からあった阪急・阪神百貨店に、大丸くらいです。
1976年前後までは、阪急百貨店の5階には書籍のコーナーや、レコード売り場があり、文具もガリ版や謄写版の印刷機まで売っていたので大好きでした。書籍も紀伊国屋とは違い、マイナーな専門書もありましたし、グランドビルにタイガレコードが出来る前は、レコードも阪急百貨店の売り場は充実していました。ところが、ある日を境に書籍・レコードのコーナーが姿を消し、文具もランドセルや地球儀などの子供用品に力を置いてしまったので、阪急百貨店に魅力を感じなくなりました。
そこで浮上したのが阪神百貨店です。阪神百貨店の8階の文具コーナーがとても充実しており、僕はこちらにシフトしました。書道の筆だけでも多くの種類を置いていましたし、高級万年筆は垂涎の的でした。レコードはグランドビルや阪急東通りにある輸入盤店「LPコーナー」や「DUN」を知ってしまい、百貨店では買うことがなくなりました。
阪神百貨店は昭和8年に「阪神マート」として開業。昭和26年に「阪神百貨店」と、その名を改めました。親父によると、梅田阪神ビルは増床工事を進め、「大阪神ビル」と改称し、昭和38年(1963年)6月には当時西日本最大のビルとして完成したのです。その当時の雄姿、昭和39年(1964年)10月の阪神百貨店がこの写真です。
東京五輪も開催されたこの年の大阪の秋は、阪神タイガースがセ・リーグ優勝を果たし、パ・リーグを制した同じ大阪の球団・南海ホークスと日本一を争います。(日本一は南海ホークスに)阪神タイガースのセ・リーグ優勝パレードもありました。
僕もこの頃は子供でしたが、野球をきちんと楽しめるようになり、阪神タイガースのセ・リーグ優勝を目に出来たのは何とこの21年後の1985年後。1番・真弓、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線が爆発するまで待ちました。それ以前にも田淵・江夏・藤田平が活躍する時代もありましたが、とにかく毎年球団が揉める!有力選手はチームを出る。江本には「ベンチがアホやから野球ができへん」とまで言われました。田淵も江夏もバースも阪神を去り、江川はジャイアンツと疑惑のトレードと、とにかく優勝以外の話題には事欠きませんでしたね。