青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

「カーペンターズ LIVE IN JAPAN」~海外に目を向ける“きっかけ”

2018-09-10 | 青春の音盤

中学1年のホームルームで、「クラスの歌」を作ろうという課題がありました。何の為にかも思い出せないのですが。替え歌を作り、クラスのテーマ曲にしようということで、その元歌を何にするかを、班ごとに話し合ったのです。出てくる元歌は歌謡曲ばかり。どうせならビートルズの曲で替え歌を作ろうと、僕は提案しました。その時のクラスの反応が、今でも忘れられません。


「どうやって英語の曲に、日本語の歌詞をつけるの?」
「英語の歌に、歌詞をつけられるハズが無いやろ!」
「日本語とリズムが合うわけない!」



僕がクラスで嫌われていたせいか(笑)、轟々たる非難を浴びたのです。当たり前のことですが、僕は日本語による洋楽カバーをしたかったのです。古くは「黒猫のタンゴ」もそうでしたし、最も有名なものは西城秀樹の“YMCA”をカバーした「ヤングマン」や麻倉未稀の「ヒーロー」、郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」も洋楽のカバー。それをしたかっただけなのですが、「そんなことは無理!」と相手にされませんでした。

却下されたのは仕方が無いにしても、先生までが「洋楽を日本語の歌詞で歌うのは無理」と言うのを聞いて、「この教師は頭が悪いのか?」と思ったことを忘れられません。

その翌日でした。ある女の子がレコードを、「うちのお父さんが、これを君にあげるようにって」と、僕に渡してくれたのです。昨日の話を家でしたところ、通訳を仕事にしているお父さんが、そのレコードを僕にプレゼントするように、その子に話したそうです。

そのレコードは、カーペンターズの「ライヴ・イン・ジャパン」でした。

 

 

これはカーペンターズにとって初のライヴ・アルバム。日本限定の企画盤で、1974年の5月から6月にかけて行われた日本ツアーのうち、大阪での3日間公演の音源を使用したものでした。大阪フェスティバルホールでの録音は、今聴いても臨場感溢れるものです。

その中の「シング」(Sing)を、カレン・カーペンターが京都少年少女合唱団と、日本語で歌っていたのです!

中にはレコードをくれたお父さんからの手紙が入っていて、「これからはもっと海外から音楽や映画が入って来る。流行は海の向こうからやって来るようになります。海外にどんどん目を向けて下さい。英語は大きくなった時の、君のパスポートになります」と書いていました。

人の半歩くらい先を歩くのは問題ないのですが、人よりも何歩も先を歩くと、時々問題というか摩擦が起きます。これは子供時代だけではなく、会社に通う大人も同じ事です。その時に、しょんぼりするのではなく前を向いて歩くというエールを、この方は子供の僕に送ってくれました。嬉しかった思い出です。



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