終活みたいなので、やって欲しくないけれど、昔の写真の整理をしている両親から、いろいろな昔話を聞かせてもらっています。戦後、大阪に出て来た頃に大都会をカメラに収め、田舎の人たちに写真を送っていたそうです。
この写真は昭和43年頃(1968年)の梅田のど真ん中、阪急百貨店前です。市電が廃止された後の景色で、自動車がどんどん増えている時だったそうです。左は富国生命ビル。右は曽根崎警察署。もう少し右に行けば、僕らが学生の頃馴染み深かった旭屋書店。
僕が初めて知って驚いたことは・・・
「東洋一の警察署」と、曽根崎警察署が呼ばれていたことです
東京の警視庁を差し置いて、そんな凄い呼ばれ方をしていたことに驚きました。今まで聞いたことがありませんでした。
その理由は、鉄筋コンクリート5階建ての「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造が、当時としては珍しかったので「東洋一の警察署」と言われ、見物人が後を絶たなかったそうです。しかし、地盤地下で庁舎が傾き、現在に至るまでに何度か建て替えられています。
親父がこの写真を見ると、思い出すのはこの先の「天六」で起きた、「天六ガス爆発」だそうです。辺り一帯が吹き飛んで、それは凄かったそうです。事件後暫くして、まだアスファルトの地面がめくれている時にそこを車で通り、焼け焦げた建物や工事中の道路を見たことを、僕も覚えています。