昨夜は小説の学校の授業がイレギュラーで他のクラスと合同の合評会でした。テキストは先日出た学校の雑誌に載っていた2作品。
1作品は前期にクラスで読んだものだったので批評しやすいや、と思ってもう1作品を読み始めたらのめりこみ、読んでる時以外も作品のこと考えるまではまりました。
合同合評は人数が多いので、言いたいことを短い言葉で的確に言えるようにと感じたこと(批評じゃない)を書き出して台本まで用意したのに作者は見えられませんでした。残念。しかも、私は司会者、チューター以外の最後の発言者だったため、台本をさらにはしょったものの、喋ってるうちに乗ってきて言葉が増えるのもいつものことで結局思い込れの激しいだけの発言になってしまっていたかも…知れません。
作品はダニに寄生されたパラサイトシングルの女性の話でしたが、私はその痒さの感覚表現よりも互いに自立できていないねっとりとした親子関係(ちょっとしたセリフや描写にそれをにおわせているのがすごい)のほうが胸に迫る怖さでした。
自分の境遇に近いというのがはまった一因ですが、いろんなところに意味を見つけて(思い込んで?)納得させられる快感が。
一番驚くのが作者が男性だということ。この親子関係は明らかに娘と親の関係なんですが、なんでこんなことを書けるのか…。自分の体験以外のことをこんなに綿密に書けるのは本当に脱帽でございました。かえすがえすも作者に会えなかったのが残念。いろいろ考えたことを作者に確かめられず。自己満足にて終了。
臨床の立場から悪しき親子関係が書かれています。アメリカのケースを扱ったこの本ですが、個が重視されるお国柄でも依存的な親子関係の事例ってあるんですね。このような親子関係を扱った本を学生時代から何冊か読んでいるのですが、自分の悪い思考や自己評価の低さの原因などが分かるような気がして安心します。原因が分かるだけでその先は自分で考えていかないといけないのですが。
労働環境や人間関係、つまづくこともあるけれど自分をもっと認めていけば気持ちひとつで強くなれるものかも。
今日NHKのニュースで「自分にとって一番大切なもの」というレポートを見ました。それは、関西のある大学の「死生学」という授業の内容。いま自分にとって大切なものを10個紙に書き出します。先生が胃がんで余命わずかの人の架空の日記を読み上げ、容態が悪くなる度、紙を一枚づつ破っていきます。大切なものを選択していくのです。
そして、最後の時。
学生たちは最後の1枚を破ります。とてもつらそうに。すすり泣いている人の姿も映っていました。
擬似的な死、それを体験することにより自分にとって大切なものについて考える授業。疑似体験をすることで得るもの。創作もそうなんだ・・・、と改めて思いました。
1作品は前期にクラスで読んだものだったので批評しやすいや、と思ってもう1作品を読み始めたらのめりこみ、読んでる時以外も作品のこと考えるまではまりました。
合同合評は人数が多いので、言いたいことを短い言葉で的確に言えるようにと感じたこと(批評じゃない)を書き出して台本まで用意したのに作者は見えられませんでした。残念。しかも、私は司会者、チューター以外の最後の発言者だったため、台本をさらにはしょったものの、喋ってるうちに乗ってきて言葉が増えるのもいつものことで結局思い込れの激しいだけの発言になってしまっていたかも…知れません。
作品はダニに寄生されたパラサイトシングルの女性の話でしたが、私はその痒さの感覚表現よりも互いに自立できていないねっとりとした親子関係(ちょっとしたセリフや描写にそれをにおわせているのがすごい)のほうが胸に迫る怖さでした。
自分の境遇に近いというのがはまった一因ですが、いろんなところに意味を見つけて(思い込んで?)納得させられる快感が。
一番驚くのが作者が男性だということ。この親子関係は明らかに娘と親の関係なんですが、なんでこんなことを書けるのか…。自分の体験以外のことをこんなに綿密に書けるのは本当に脱帽でございました。かえすがえすも作者に会えなかったのが残念。いろいろ考えたことを作者に確かめられず。自己満足にて終了。
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臨床の立場から悪しき親子関係が書かれています。アメリカのケースを扱ったこの本ですが、個が重視されるお国柄でも依存的な親子関係の事例ってあるんですね。このような親子関係を扱った本を学生時代から何冊か読んでいるのですが、自分の悪い思考や自己評価の低さの原因などが分かるような気がして安心します。原因が分かるだけでその先は自分で考えていかないといけないのですが。
労働環境や人間関係、つまづくこともあるけれど自分をもっと認めていけば気持ちひとつで強くなれるものかも。
今日NHKのニュースで「自分にとって一番大切なもの」というレポートを見ました。それは、関西のある大学の「死生学」という授業の内容。いま自分にとって大切なものを10個紙に書き出します。先生が胃がんで余命わずかの人の架空の日記を読み上げ、容態が悪くなる度、紙を一枚づつ破っていきます。大切なものを選択していくのです。
そして、最後の時。
学生たちは最後の1枚を破ります。とてもつらそうに。すすり泣いている人の姿も映っていました。
擬似的な死、それを体験することにより自分にとって大切なものについて考える授業。疑似体験をすることで得るもの。創作もそうなんだ・・・、と改めて思いました。