灯篭の イヴの神社に 手を合わせ
馬糞 Bafun
世間がクリスマス・イヴだと思っているその日、福間
のプールで一泳ぎして、海岸から宮地嶽神社の参道を貫
いた。
しめなわが新しくなっていた。
青々とした太縄が新春を薫らせていた。
めでたい!
おしむらくは、神式のクリスマスをやっていなかった
ことだ。
クリスマスにあわせて、冬至の祭りをやってはいかが
か。
大国主命はたしかサンタに負けない大袋をもっていら
っしゃる。
そこから、冬至餅を取り出して、さあさあさあと餅ま
きのプレゼントをするのである。
爺婆にとっては、巷のクリスマスなんて縁遠い話であ
る。
公平に爺婆向けのクリスマスをやってくれたら良いの
に・・・。
禰宜さんのイノベーションに期待する。
【教会のクリスチャンだった頃】
子供時代、学生時代は教会に通うクリスチャンだった。
クリスマスは一年で一番の楽しみだった。
賛美歌のクリスマスソングは名曲ぞろいである。
暗くなるとろうそくを掲げて信者の家々を回り、賛美
歌を歌うのである。
これをキャロリングという。
缶詰の空き缶をくりぬいてロウソク入れを作り、それ
をもって、ロウソクの灯の賛美歌を歌う。
家々では、沢山のお菓子をいただいた。
お菓子をもって教会に帰ると、蜀火賛美礼拝がある。
礼拝は日曜の朝と相場が決まっているが、クリスマス
には夜に礼拝があるのだ。
しかし、信仰について自問自答するようになると、キ
リスト教の教義に納得が行かない部分が許せなくなった。
神と人間の関係、死と生きる意味の関係。
なぜ、共産主義と結びつくのかという疑問。
明快な回答はなかった。
神は愛なりという教えはすばらしかったが、神の実在
性については説得力がなかった。
死んでどうなるのか・・・ という合理的説明もない。
死んだら天国に行き、そこで、永遠に楽しく暮らすの
だという。
悪いことをした人間も天国に行くというのか。
お世話になったかつての開拓伝道の牧師に数十年ぶり
に再会してお酒を酌み交わしたことがあった。
しかし、転生輪廻を否定する頑なさに愕然とした。
キリスト教はもはや新しい時代の入れ物ではありえな
い。
聖書にあるように、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入
れなければならないということである。
アジアの時代であるならば、新しい仏教が新しい教え
を説いていることであろう。
それはもちろん、犯罪や政治的野望に関わっている宗
教団体であろうはずはないのであるが。
しっかりとした宗教教育がないと、邪教に引っかかる。
伝統仏教もキリスト教も風化してしまったが、東西の
世界宗教を統合してさらに新しい文明を説くようなスケ
ールの大きな教えが説かれてリーダーを指導するように
なれば、「文明の衝突」の時代であっても、新しい繁栄
へと導くことができるはずである。
宗教なき繁栄などはありえない。
「王といえども神と法の下にあり」というマグナカル
タは現代に生きている。
「民主主義といえども、神と法の下にあり」と言い換え
てもよい。
神なき人の政治は独裁か衆愚政治に陥るものである。
われわれは謙虚に知恵を磨き、心を研ぎ澄まして新し
い文明の光を見出さなければならない時期に来ているの
である。
J.D.Subunroco.