久方の 出雲に参り 彼岸入り
梅士 Baishi
急の所用で出雲大社を参拝することになった。
およそ、25年ぶりのことである。
かつて、幸福の科学の初期のころ、九州の大黒天の会
だったか、経営者のクラブに入れてもらって、出雲大社
を参拝したのだった。
経営者ではなかったが、経営者を目指す者もよいとい
うことだったと思う。
八代の中堅建設会社の創業社長に霊示が降りたのでは
なかったかと思う。
出雲大社までは車で随分とかかった気がする。
出雲大社では、内宮に通され、幸福の科学ということ
で特別の作法を賜って、二礼、四拍手、三礼だったか、
かなり違った作法だった。
形は自営業になったが、いまだに起業に至っていない
ので、遺憾ながらの中間参拝ということだったか。
参拝をして、大鳥居をくぐったところまでしか記憶は
残っていなかったが、とりあえず、二度目の参拝ができ
てよかった。
博多から出雲までは秘境の旅という印象だったが、7時
53分発、新幹線のぞみ152号で新山口まで出て、そこで特
急スーパーおき2号に乗り換えたら 3時間16分で出雲市駅
に着くのである。
特急とはいっても二両編成のディーゼルカーである。
さらに一時間に1,2本程度の電車かバスで、出雲大社
前駅まで20分程度で大社の参道に着いた。
すなわち、およそ、5時間くらいかかるが、一直線に着
くという印象で、博多の隣の隣が出雲のなのだった。
因みに、往復運賃は2万4千円ほど、駅前の東急インホ
テルが予約できれば6000円だから、3万円で移動できる
計算である。
途中の車窓からは、咲き始めた彼岸花が見えた。
もっとも、彼岸花が全く咲いていない田も少なくなか
った。
佐賀の田んぼにも咲いていないが、かつては非常食と
して世話になった季節の彼岸花をむしり取ってしまうと
は、せちがらくなったのだろう。
やっと確保した初日の宿は日御碕近くの民宿だった。
民宿は料理がうまいと期待したが、外便所のカビ臭い
古い下宿の二階に足音をきしませて投宿という、「男お
いどん」を彷彿とする一晩だった。
鼻風邪に発熱して苦しい旅になったが、それでも、参
拝して、仕事も終えて、台風16号より先に帰れたのだか
ら、神のご加護あったればこそと感謝した。
お土産は、出雲大社の開運守りだけだったが、まだま
だ、開運いたしますように!
出雲大社は縁結びも売りらしく、手をつないだカップ
ルが多かった。
まあ、吾輩所望の縁結びは、繁栄発展のご縁である。
しかあるべし。
さて、旅の宿でパラリンピックも閉幕となった。
障害者スポーツと言っても、見るスポーツとして十分
に白熱観戦できる新しいスポーツだと思える。
金メダルは一つも取れなかったのは残念であり、国際
レベルには遠い日本の障害者スポーツの現実が見えてく
る。
日本でももっともっと障害者国際大会を開催して、障
害者アスリートを育てるべきである。
障害者スポーツは、健常者スポーツに劣るハンディー
スポーツなのではない。
いずれは、健常者スポーツ以上に迫力とスピードに満
ちた競技に発展するはずである。
そのためには、補助具の開発と、ルールの改定が必要
である。
障害者アスリートの育成に最大の投資を怠るべきでは
ない。
日本経済のためには、知恵のたりないアベノミクスで
は届かない。
宇宙軍事産業、交通インフラ整備、スポーツ立国投資
など、それぞれ十兆円規模の投資をすればよいのだ。
ばら撒き福祉など、合法的票の買収であろう。
新しい公共投資のステージである。
軍事、交通、スポーツ、これがキーワードである。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党