蝉しぐれ 梅雨の晴れ間に 重ねたり
中村 梅士 Baishi
今日も高原の朝のような心地よい天気である。
湿度は81%あるが、気温は23℃、さらさらとしている。
クマゼミの蝉しぐれが定時に聞こえるようになった。
これも心地よい季節感である。
さて、今日も炭鉱夫の日の丸弁当のように、仕事がぎゅう
ぎゅう詰めである。
もともと電電公社の技術者だった亡父が家族のためとはい
え、過酷な炭鉱の採炭夫としてよく働いてきたことだと思う。
父手作りの5球スーパーラジオを思い出す。
今でいえば手作りPCのようなものだろうが、ラジオを手
作りするなんてと子ども心にも驚いたものだった。
シベリア抑留で、これも九死に一生を得て引き揚げてきた
のだった。
何度も大けがをし、落盤事故や炭塵爆発事故をすり抜け、
閉山まで勤め上げた。
特別供養をしているわけではないが、今頃は霊界にも慣れ
て、霊界の旅を楽しんでいるのかもしれない。
日の丸弁当は、四角いアルマイトの、父の弁当箱を思い出
させるのだ。
持ち帰った弁当箱は炭で汚れていたんだった。
せめて、仕事くらい詰め込んでかき込まないとなあ。
・・・かくして、夕暮れ時を迎えた。
昨日食べなかった茶碗一杯のご飯を雀さんたちに提供した
ら、昼過ぎには食べてしまった。
そのあと、雀たちの賑やかなおしゃべりを聞かなかった。
満腹で、早々に雀のお宿で昼寝していたのだろうか。
ジャズタイムナンバーは、キースジャレットの『THE・
カネーギーホール・コンサート』である。
ブランディ―はVSOPだが、至極のリラックスタイムで
ある。
平等主義は競争を否定する自由喪失社会の理念である。
しかし、公平はフェアネスとして競争社会に保障されなけ
ればならないと考えられている。
しかし、公平な競争条件はない。
さまざまな格差を前提に戦うのである。
逆境にあっても、それを乗り越えようとする自由はある。
自由とは、そういうものだ。
ところが、チャイナ共産党ウィルスのパンデミック騒動は、
競争の自由自体が奪われ、短期の間に経済活動がクラッシュ
した。
スポーツも事実上禁止され、運動施設は閉鎖され、公園を
走ることさえ、マスクをしろと言われるありさまである。
その理由は開示されていない。
まさに、弾圧である。
間もなく、パンデミック第二波が強烈に始まる。
すると、人に会うな、スポーツはするな、外には出るなと
いう自由に対する弾圧が再開するのだろうか。
あそこなら開いているかなあと思っていた久山温泉は営業
をあきらめて廃業に追い込まれていた。
粛清、弾圧は、習近平を頂点としつつも、日本の権力によ
っても無批判に行われているのである。
この自由意識の喪失はどうしたことだろうか。
「日本国植民地憲法」を護持すると言いながら、今回の非
常事態宣言は事実上の行動規制であり、経済を崩壊させるも
のだったのだから、経済活動の自由、宗教活動の自由、教育
活動の自由など、基本的人権への重大は侵害行為に他ならな
い。
なぜ、違憲であることを主張しない。
ならば、憲法無効宣言に同意するべきである。
存在意義がないのだから。
安部総理よ、アベノマスクで恥をさらして終わりそうでは
あるが、憲法無効宣言を口にして解散総選挙に持ち込んでは
いかがか。
野党に憲法護持を口にする資格はない。
ナンチャイナ支持を問えばよい。
野党連合は、悪魔に加担したいと思いますと。
バイデン候補はチャイナ支持派である。
全く逆のコマーシャルを流しているらしいが、嘘つきはい
けませんよ。
南沙諸島侵略を手引きした人物だからである。
たんまり、チャイナマネーをいただいたという。
売国奴でなければ、武士道精神に戻るべきである。
潔く、正々堂々と戦い、為世為人の仕事をするべきである。
正義なき政治は悪魔の業である。
アベノマスクで潔く感染してほしいものだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party