京都観光バスツアー、ツアーでは第二番目になりますが、個人的には天龍寺、常寂光寺、二尊院、祇王寺に続く五番目のお寺になります。
この時まで、この寺の正式名が金閣寺、と信じていました。
でも金閣寺は通称で、鹿苑寺が正式名なのだとか。
鹿苑寺という名称を知らなかったわけではありませんが、鹿苑寺が通称名と思っていた、と言うことです。
全く逆に考えていたわけです、困ったことですが、この時以後鹿苑寺と憶えておきます。
さて、鹿苑寺へ向かうバスの車中でガイドさんが、今日のような天気の日は、金閣寺は非常に綺麗ですよ、と教えて呉れました。
この説明は、実情をよく言い表している、と実感させられました。
鹿苑寺では、修学旅行とおぼしき生徒達に、沢山出会いました。
元はこの地は西園寺家の別荘だったものを、一千三百九十七年に足利三代将軍「義満」公が譲り受け、設営したのだそうです。
そのためでしょうか、所謂お寺さんのように広大な寺域ではありません。
それでも、狭いと謂うには憚られる,十分広大な寺域でした。
鹿苑寺は、昭和二十五年に放火により焼失、昭和三十年に再建され、昭和六十二年に漆の塗り替え、金箔の張り替えが行われました。
最初の再建時の金箔の使用量は2kgで、昭和六十二年の金箔使用料は、20kgだったそうです。
そのため、現在の鹿苑寺の外観が、一層鮮やかになっているそうです。
この日のごとき日本晴れの陽光に、キンキラに輝く鹿苑寺、ご覧下さい。
方丈の側に植えられているこの松は、陸舟の松と名づけられている松です。
足利義満公ご愛顧の盆栽を、帆掛け船の形に仕立てて移植されたと伝えられる、五葉の松だとか。
樹齢は、約六百年だそうです。
この鹿苑寺の後ろ側で、女子高校生達が集まっています。
何をしているのでしょうか。
鹿苑寺境内にある不動堂です。
お寺の境内に、お不動さん、これも不思議、何故なのでしょうか。
振り返ってみると、この鹿苑寺内の写真、随分少ないことに気が付きました。
何故?分かりません
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