「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

少年の償い 厳罰か更生か (2) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (9)

2012年02月28日 04時39分41秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 被告が少年の場合、 成人の場合と比べて 量刑をどうするかという問に、

 市民と裁判官では 意見が大きく異なっています。

 重くすると答えたのは、 市民が25%、 裁判官は0%。

 軽くすると答えたのは、 市民25%、 裁判官91%。

 どちらでもないは、 同じく50%、 9%です。

〔参考資料 : 朝日新聞〕

 以前から こういう傾向が報道されていましたが、

 この “市民感覚” に 僕は非常に疑問を持ち、 理解できないでいます。

 少年は未熟であり、 変わる可能性が 成人よりもずっと高いので、

 刑罰の対象よりも 教育の対象となるはずです。

 日常生活でも、 小さい子に 何か悪いことをされても、

 「子供のすることだから」  「相手は子供だから」 と言って

 おおらかになるのが普通ですし、

 むきになって怒るのは  「大人げない」 とされます。

 小さい子供は まだ善悪の判断が付かないので、

 責任が大人より軽いのは 当然のことです。

 何故 上記のような結果になるのか 教えてください。

 生育歴などによって 精神的な発達が 遅れてしまっている場合にも、

 そのこと自体は 本人の責任ではなく、 むしろ被害者なので、

 その事情を 充分に考慮すべきだと思います。

 もし やったこと (事件の態様など) 自体が重大で、

 生育歴など他の要件で 罰を大きく変えるべきでない と言うとしたら、

 被害者 (遺族) 感情も あまり考慮すべきでないということになります。

 同じ罪を犯しても、

 被害者 (遺族) によって 怒りや憎しみの大きさは 違いますから、

 被害者 (遺族) がどんな人かによって 罰が変わるのは、

 加害者にとっては  “運不運” みたいなもので、

 僕は昔から 疑問を感じていました。

 もちろん日常生活でも、 相手の怒りが大きければ より深く謝らなければいけないし、

 相手が許してくれたら 幸いだったということにはなるのですが。
 

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