小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

まずは知ることから~小笠原でガザの映画上映会!!

2024年02月11日 | 戦争と貧困
■ガザ上映会(母島)が終了しました。
「こんなにも理不尽に人の尊厳を、
 子供の命までも失っている、
 現在進行形の状況をリアルに知って、
 溢れる想い、辛い気持ちで胸がいっぱいでした。
 ぜひ多くの人に知ってもらいたい。」
島の若きホープ、宮澤かれんが企画して実現した小笠原でのガザ映画の上映会。
冒頭が僕の感想です。
この映画を観るまでガザの現実の厳しさをよく理解していませんでした。
どんな機会からでもいいので、まずは知ることから始めなければと思いました。

主催の宮澤かれんの報告はこちら

住民の5%を集めた父島の翌日は母島での開催でした。
1/27(土)父島 3本立て 動員111人。
1/28(日)母島 2本立て 動員74人。
なんと人口比でいうなら父島を超える多くの島人が映画を観に来てくれました!

僕は大したことはできないけれど、準備や運営に関わらせてもらい、
涙が出る程嬉しい島の若者のアクションで素晴らしい学びの機会を頂きました。

かれんの呼びかけで、学校や島の中学生、卒業生なども準備や運営に関わってくれて、かれんの人徳をヒシヒシと感じました。
本当にお疲れ様でした☆

昼の部、夜の部と2回映画を観て、
ガザにも行き、今も支援、伝える活動をしてきている並木麻衣さん、
ガザに行った経験で平和実現を目標に様々な映画事業をしている関根健次さんのお話を聞いて、
本当に知らない事ばかりで、
このイベントに関わらせてもらって本当に有難かったと思いました。

12月の議会でも停戦を訴える決議に関わったし、
前々からうっすらと知ってはいましたが、
こんなにも丁寧にガザの現状とこれまでを知る機会はありませんでした。

去年11月にかれんが「ガザの事を知りたい!」を思って観た映画なのです。
映画を観て島での上映会を決意し動いた事に本当に感謝です。どうもありがとう!

■映画を観終わり、並木さんの講演を聞いて、
あまりの現実に言葉を失い、気持ちが重くなりました。

ガザが名古屋市程度の大きさと人口であること、
2007年から封鎖され、物資も人も自由に外と行き来できないこと、
200万人の人が限られた土地と物資で暮らしているので、
飢餓、貧困、病気、精神的な重圧などに悩まされている事、
ガザにある大学はすべて破壊され、小中学校も避難所になていて、子供達が学ぶ機会も奪われている事、
若者が未来に絶望し、イスラエル側に投石をして撃たれて、亡くなったり、手足を失う日々が今も続いている事、
そんな中でも3年おき位に戦争が勃発し、特に去年の10月からのハマス討伐の為の攻撃があまりにむごい事、
この3か月で2万2千人が亡くなり、そのうち5千人を超す子供が亡くなっていること…

それに向けた歴史背景も少しだけ学ぶと、
同じ夢を持ち、当たり前の日常を夢見ている人々の暮らしが
こんなにも蹂躙されている事に言葉を失いました。


■現在進行形の
ロシア・ウクライナでも、
チベット、モンゴル、ウイグルでも、
東ティモールでも、
知れば知るほど、人の愚かさ、恐ろしさが伝わって来ます。

と同時に、
どこでも同じ人間の普通の営みがあって、
戦争、ジェノサイドに巻き込まれたりしているのは
一般の市民・子供達だという辛い現実を
どうにかしていけないものかと感じさせられました。

今、自分にできる事はお金の支援や、
こうして人に伝える事だけだけれど、
もっともっと人の根源に関わるこの問題に
向き合って動いていきたいと思いました。

■僕が所属している小笠原村議会は12月の小笠原村議会定例会で、
清水良一議員からとても大切な発議があり、
全会一致で可決されました。

平和都市宣言をしている小笠原村の村議会からの平和へのメッセージです。

●パレスチナ自治区ガザにおける平和の早期実現を求める決議

「平和都市宣言をしている小笠原村は、世界中の人々が、恒久平和を誓い、
 平和を分かち合えることを願っている。
 パレスチナ自治区ガザにおける戦闘において、
 多くの人々が傷つき亡くなり犠牲となっている現状は、決して看過できるものではない。
 小笠原村議会は、平和的解決による「人道的即時停戦」のための努力を強く求める。

 以上決議する。
                           令和5年12月14日
                             小笠原村議会」

僕は村議会議員としても、イチ個人としても、
清水議員のこの提案に賛同し、調整に関わらせて頂きました。

戦争はいつも罪のない一般市民や子供達が命を落とすことに深い憤りを感じています。
あまりに悲しいニュースが日々流れてきます。

小笠原は激戦の地、硫黄島があります。
今も1万のご遺骨が眠ったままです。

父島にも母島に戦跡が残り、
大砲跡はあるし、
今も畑からは弾薬が出てきます。

もう二度と戦争なんて馬鹿な真似は
起こさせたくないと思っています。

どうか、少しでも戦争が無くなることを祈っています。


■今回、次女もガザの事を自主的に学び、積極的に関わり、
家に帰ってからもガザの事を話していました。
学校でも先生がガザの事を教えてくれていたそうです。

長女も当日、色々準備や運営を手伝ってくれて、
未来にも微かな手応えを感じました。
本当にお疲れ様でした!!

チームで支えてくれた皆さん!
映画を作ってくれた皆さん、
並木さん、関根さん、
大金額を抱えても企画、主催してくれたかれん
どうもありがとうございました!!

そして大切なのはこれからどうするか!?だと思います!

参考URL ガザ地区とは?

映画『ガザ 素顔の日常』予告編

母島のPTA活動-ホエールウォッチング

2024年02月04日 | 母島 日常 日記
今日は母島小中学校PTA校外部によるイベント、ホエールウォッチングでした♪

普段は島の子供も保護者も、
日常的に丘からいっぱい見ているザトウクジラ達。
PTAの保護者の漁師さんが船を出してくれて、
子供達は勿論、先生や保護者をホエールウォッチングに連れて行ってくれました(^_-)-☆
小笠原ならではのPTA活動だと思います(#^.^#)
本当にありがとうございます♪

子供達もクジラのその存在感を間近で感じて、
その圧倒的な様を味わえる機会があるのが
とても大切な気がするのです。

漁船が走っていて、
小学生「ねえジャイアン、この下の白いの何?」
と指を指します。
僕が「お!これクジラだよ!!真下にクジラいる!!」
小学生「へぇ~こんなに白く見えるんだねぇ」
ザトウクジラの胸ビレの裏側の白い部分が見えたのです。
漁師さんが船を止めたら、
すぐ横で大きな2頭の潮吹き(ブロウ)が。

「おおお~~~!!」とみんなの歓声。

なんと船の上までザトウクジラの歌声が聞こえてきました!

船上での子供達の鋭くもトンチンカンな会話がたまらなく愛おしい♡

夏の北極海で採餌し、
冬は小笠原や沖縄、ハワイで繁殖をするザトウクジラ達。
何千キロも回遊をするクジラ達にとって、
この地球の大きさは僕たちの感覚と同じなのだろうか?
ふとそんな疑問が湧いてきます。

北極から南極までの渡りをするキョクアジサシやハシボソミズナギドリ、
ヨットやカヌーで地球を周ったり、
飛行機で地球上で一番の速さで移動するヒトの感覚。

子供の頃に近所の行動圏が世界のすべてと感じていたけど、
大人になるとなんて小さな空間を広大に思っていた感覚、
みんなはありませんか?


■僕にとって、普段はカヌーやSUPでクジラと対峙していることが多く、
接近に気を付けてはいますが
その圧倒的な存在感にいつも身震いをしています。

こちらは木の葉の様なものだと思っています。
大自然にお邪魔している感MAXです。

しかし、こちらがクジラより大きな漁船等に乗って対峙すると、
その存在感が少し違って感じられます。
言うなれば、少し恐怖感や畏敬の念が少し薄くなっている、そんな気がするのです。

SUPだと自分自身たった一人です。
カヌーだと舵取りをする事が多いのですが、
他メンバーの命を預かっているので、緊張感の種類が全然違います。

そして、エンジン付きと違って速さも、大きさも違うので、
クジラに対する印象もだいぶ違うなと感じました。
漁船だと安心して1眼カメラを持てる点も違います。

北海道で車の中と外でヒグマと対峙するのと、
自転車に乗ってヒグマと対峙する感覚に近いのかも知れません。

より安全な側に立つと、どこか麻痺してしまう部分がある気がするというのでしょうか。
僕は野生の存在が恐ろしく感じる経験が、
僕にとってはとても大切なのだと思っています。

わざわざ身を危険にさらす必要はないのですが、
時々、大自然を感じる場に身を置いて、
自分の小ささ、力のなさを味わう、
そんな時間がとても大事なのです。

そうすることで、僕は自然に対して謙虚になれる、
大事な感覚を再確認して、アップデートできる。
そんな気がしています。

暮らしの空間からすぐにこんな事を味わえる、
母島に暮らせていることにとても感謝です!


■そしてなんと2日前の2/2、久し振りのシャチの出現のニュースが届きました!!
大好きなオルカですよ♡キラーホエールです!!
小笠原ホエールウォッチング協会の報告によると、
聟島列島嫁島の西沖、水深2000mを越える地点での目撃との事です。
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子供の頃からずっと大好きだったシャチ。
数年前に初めて生の野生のシャチをカナダのジョンストン海峡で見ることが出来ました!
全世界の海に生息するシャチは、小笠原の海にも時々出現します。
僕はまだ小笠原の海でシャチを見たことが無いので、
いつかあの高さのあるオスの背びれを小笠原の海で見かけるのが夢の一つです(#^.^#)

2016年かもうちょい前(調べてすぐでてきませんでした)にも母島でセミクジラ出現というニュースもありました。
小笠原ではあとコビレゴンドウも生きたのを見てないですし、ニタリクジラもみたいですね~
世界で言うなら、イッカク、ホッキョククジラ、ヒモハクジラ、シロナガスクジラと、
まだまだ見てみたい鯨類は沢山います♪

夢は膨らむばかりです!




拝啓、20年前のクソガキへ

2024年01月22日 | 大切にしていること
■今回、3泊ほど父島に行って来て、
相変わらず素晴らしい出逢いと感動の連続だったのだけれど、
とびっきりの嬉しい言葉を頂きました。

それは24年前、僕が仙台の高校を卒業して、初めて19歳で小笠原で出逢った人からでした。
今回、本当に久しぶりに父島で話そう!となって、話す機会を作ることが出来ました。

僕自身は当時も今も大して変わった気がしていないのですが、
その人曰く、
「最初会った時はあなたは本当にクソガキで、
 うるさいし、人の話は聞かないし、
 そりゃすごいもんだったけど、
 20数年経って、今では尊敬できる人になってる。
 結婚して、子育てして、色々あったろうけど、
 本当にあなたは変わったよ~」
と言うのです。

おお!それはとても嬉しい!
わざわざ言葉にして言ってくれて、ありがとう!
しかし、自分で変わった自覚がまるでない(笑)。

今でもうるさいし、人の話を聞かない事もあると思います。
しかし、その言葉はじんわりと嬉しかったのです。

そして、母島に帰って、妻と話しても
「うん。今も変わらないクソガキだよねw」
とお互いで頷く状態(笑)。

■20年前のクソガキよ。
僕は今、あなたに逢いたい。

20年前と全く同じとは思わないけれど、
そんなに42歳になったクソガキを見て、
どう思うか聞いてみたい。

当時、仙台以外は知らなかったし、
結婚もしてないし妻も子供もいなかった。

それから大切な家族が出来て、
一緒に旅をしたり、
泣いたり笑ったり、
時には死にかけたりもした。

沢山の人に支えてもらっている。
何なら今この瞬間も沢山の人に支えてもらっている。

ああ、確かに19歳のあの頃は、
あまり感謝という気持ちはなかったかも知れない。

やりたいことが星の数ほどあって(今もだけど)、
新しい世界に飛び込みたくて(今も少しある)、
でも自分中心ばかりだったかも知れない。

家族が出来て、
小さな赤ちゃんが成長するのが奇跡で、
無事に育つなんて、親だけではとてもできないと思えてきた。

何でもできると思っていたけど、
それは色んな人、自然、世界に支えられている事に気付いた。
沢山の人と出来事が気付かせてくれた。
すると自然と感謝と尊敬の念が溢れてきた。


20年前のクソガキよ。
いっぱい人に迷惑をかけることもあるだろうけど、
感謝の気持ちは忘れず、
自分が助けてもらった事は忘れず、
自分に余裕がある時、
目の前に困った人がいたらフォローするんだよ。
それが恩送りってもんだ。

今日も、
昨日も
一昨日も、
なんか毎日色んな人に
嬉しい言葉を頂いて、
本当に生きていて良かったと思えます。

全然、議員らしい振舞いどころか、
大人らしいこともできちゃいないけど、
沢山の人に支えられて今があります。
どうもありがと~~!!

4年振りの島のどんど焼き復活!!

2024年01月15日 | 島のイベント
■昨日は母島青年会主催のどんど焼きでした☆
コロナ禍でやれてなくて、なんと4年振りの復活です♪
去年までは正月飾りを預かって、お焚き上げを行っていました。

なかなかゴミに捨てにくい正月飾りや破魔矢など、
こうした場があることで、しっかりと天に還せるのが大事な気がします。

今回からコロナ禍が明けて、ようやくみんなで美味しい芋煮を食べて、餅を焼きながらのどんど焼きが再開できてホッとしました。

みんなで火を囲んで色んな話をしながら、それぞれの過ごす時間。
コロナ禍でそんな当たり前と思っていた光景が3年も失われていました。

一心不乱に餅を焼く人もいれば、
ひたすら火を観察している人、
火には目もくれず、芋煮や餅のみにフォーカスする人、
おしゃべりが大好きな人、
みんなそれぞれ思い思いに過ごしている光景が戻ってきた事、本当に嬉しく思います♪


■気付けば台所もIHの人も増えてきて、
暮らしの中から火が無くなってきている昨今なのです。

焚火やキャンプすらなかなかできない島暮らしでは、
このどんど焼きという場が直火に触れる貴重な機会だと思うのです。

島の子供達も、「熱い!煙い!」とか言いながら、
火のそばを離れません(特に男子w)。
大人も子供もなかなか火の扱いは慣れない様子です(#^.^#)

母島伝統(?)の竹で挟んだ餅焼きも、
最初は黒焦げにしちゃうのが、
次第に上手になってくるから面白いです♡

途中から売店でマシュマロを買ってきて焼くことに気付いた人もいて、
気付けば餅からみんなマシュマロ焼きにシフトしていたり(笑)。


何故か大量の完熟シークワーサー(ヒラミレモン)が振舞ってあったり(#^.^#)


動物の中で唯一、火を扱い、進化したヒト。
焔の揺らめきを眺めていると、
どこか太古の気配を感じて、
ずっと飽きずに眺めていることが出来ます♪

きっと、石器時代の島の民も、
同じような景色で焔を眺めていたのでは?


青年会が前の日から仕込んでくれていた芋煮が温かく、とても美味しかったです(#^.^#)
どうもありがとうございました!


みんなお椀と箸を持参していて、
これが多様で実は面白かったりするのです(#^.^#)

日中は半袖で過ごせる1月の母島ですが、
日が落ちると途端に肌寒く感じます。

そんな時に火の暖というのは、とても心地良く感じます。
火の周りにも自然と人の輪ができるのです☆


元旦からの震災で寒さに凍えている地域の方も、
無事に暖を取れていることを願ってやみません。

母島青年会の皆さん、嬉しい行事の再会、
準備に片付けとどうもありがとうございました!!

小笠原消防団母島分団の出初式

2024年01月08日 | 島のイベント
■武道初めに父島へ行き、帰って来た6日はそのまま消防団の出初式に団員としての参加でした。

今回、僕は班長が不在なので班長役で参加。
慣れない掛け声もなんとかうまくいったと思います(#^.^#)

父島からも、母島からも沢山の来賓の皆さんが来てくださり、
地域の皆さん、子供達も見に来てくれて、
無事に終えれてホッとしています。
本当にありがとうございました!!

父島では14日に出初式が執り行われます。
コロナ禍が明けて戻って来た、
島の子供達向けの体験乗車。
来賓と団員での懇親会(カメ煮付!)。

少しずつ、大事な部分が戻って来て本当に嬉しいです。
懇親会の場で副団長が話していましたが、
小笠原には消防署がありません。
生業を持つ団員が集まる消防団。

今は定員を大きく割って、少ない状況です。

●現在の団員数
父島 32名
母島 18名
合計 50名
有事の際には招集がかかりますが、
全員が集まれるとは限りません。
それだけに分母が大きい事に意味があります。

消防団はボランティアではなく、
大きな金額ではありませんが、
報酬があります。

そして毎年訓練で、様々な知識を身に付けることが出来ます!
色んな方と交流する機会にもなります。
出動時、必ず出なければならないわけではなく、
団員が出れるタイミングの時だけで構わないのです。

ぜひ興味のある方は消防団に挑戦してみませんか?

●年報酬
団員 36500円
出勤手当(1回)5000円
点検整備 2000円
警戒 3500円
※福祉救済制度で補償あり

現在も被災して、救助が続いている能登半島震災。
報道を見るたびに、胸が締め付けられます。

現地でも地元の住民の暮らしと顔を知る消防団は、
とても大事な存在として活躍しているはずです。
若手議員の僕も、父島の平野議員も消防団に所属しています。

僕はもうすぐで15年くらいになりますが、
学びが本当に多くて、
所属していて本当に良かったと思っています。

火災も捜索も様々な事がありましたが、
どれも本当に大事な場面でした。

元々は沖縄で海難で救助されたことがあり、
その恩返しの為に入団しました。

小笠原に限らず、どの地域にも消防団は組織されています。
大変な事もありますが、とても自身の為にもなります。
どうか地域住民の生命、財産を守る為に、
活動してみませんか?

■今回の12月議会で防災の話がありました。
3人の議員が一般質問で防災面を質問していたのです。

年々、全国的に団員が減っていることが問題になっています。
地域の顔と土地を知っている団員がいざという時にとても重要と言われていますが、
離島にはそもそも消防署が無く、消防団だけという島が沢山あります。

せっかくの機会なので、小笠原に近い規模の新島や式根島と比較してみました。
各島の役場の担当者さん、ありがとうございました!

     人口  団員数  定員
父島   2153   38   67
母島   458    18    26

新島   1974  114  200
式根島  481   45   80
神津島  1775  163   -

そもそも人口比から考えると、小笠原に比べて定員数がそもそも多い!!
今日は新島と式根島の消防団の方とお話したのですが、
島の若い方はほとんど所属していて、
そうした風潮があるそうです。

地域の生命財産を支える消防団。
小笠原も定員を割っている現状ですので、
ぜひ団員が増えて行ってほしいと思います。

ボランティアではなく、報酬もあります!
ぜひあなたも自分の地域の消防団に入りませんか?


謹賀新年2024 ~2023年を振り返り新年を思ふ

2024年01月04日 | 母島 日常 日記
■改めまして、新年明けましておめでとうございます。
長女も無事に島で成人式を迎え、
母島では普通に平和な元旦、正月を迎えることが出来ました。

しかし、元旦から能登半島の大地震に津波、
1/2には羽田空港のJAL機と海保機の衝突事故など、
多くの人命と生活に関わる災害、事故が続いています。
余震もまだ続いているみたいで、本当に心配な状況が続いています。
被災された皆様、亡くなった方々へお見舞い申し上げます。


そんな元旦からの災害や事故の前になりますが、
母島の月ヶ岡神社で新年を迎えました。

年末格闘技RIZINの試合を観て、感動した後、
大晦日の夜に神社の境内の焔を眺めながら、
去年、この場所で厄年でもある2023年の挑戦を決める大きな出来事がありました。

ここでのおみくじで、人生であまり出た記憶のない大吉が出たら、
4月の小笠原村議会選挙に挑戦してみようという決意でした。
結果、僕にとってレアな大吉を引き、
1か月ちょい悩みに悩み、選挙に出る決意に至ったのです。
丁度去年の元旦の記事に書いていました。


■そんな訳で2023年の4月の地方総選挙で生まれて初めて、立候補しました。
結果、沢山の票を入れて頂き、初めて議員になるわけですが、
他の立候補者の皆さんに比べると、スタンスは少し違うと思っています。

スーツも着ず普段着で、街頭演説もしませんでした。
どうも選挙の時だけ良い事言って、
大音量で演説するのがいいとは思えなかったのです。

やったことは父島、母島で合同演説会をやって配信する事。
自分のマニフェストは動画で配信しました。
あとはポスターと葉書のみでした。

正直、僕は元々色んな地域活動をしていたので、
議員になろうがなるまいがあまり変わらないと思っていました。
(後で全然違うことがわかりました)

選挙の一番のメインは、受かる事よりも、
選挙公報がほとんどない小笠原において、
多くの人が立候補者の主張を知れて、
ちゃんと投票に行く事、興味を持ってもらう事の方が重要でした。

受かるかどうかは本当に二の次でした。
ただ、供託金15万円が戻って来る17票という投票数だけは超えたいと思っていました。

そもそも議員になるなんて自分の力でなく、
島の皆さんが選ぶことだと思っていたので、
素直に選挙中の演説ではなく、
20年間の僕の島の暮らしや主張で選ばれるかどうかだと思っていました。

蓋を開けてみれば、本当に沢山の島の皆さんの負託を受けて、
過去最高票で当選という、こんな自分でいいのか?と思うほどの票を頂きました。
当選の連絡を母島で受けた時は、その票数に心底驚き、気持ちが引き締まりました。
本当にありがとうございます!

今回の票は4年前の村議会選挙が無投票選挙で、
議会も高齢化も進んでいて、
40代という若手であること、
議会に新しい風を吹かせてほしいという願いと
色んなタイミングの意味もあったと思います。

これだけの負託を受けたということは、
しっかり議員としての役目を努めなければいけません。


■そんな訳で議員になって活動をしてみたら、
驚くほどただの個人による地域活動とは全然違うことが分かって来ました。

動けば動くほど、
今まで変わらなかった事がどんどん変わって行くのです。

議員として出向いてみれば、しっかりと対応してもらえて、
その後にリアルに活かせる場面が幾度となくあるのです。

元々は食わず嫌いをせずに、
まずはやってみて考えるの精神でやってみた部分は大きいのですが、
とてもとても手応えのある仕事ということが分かりました。

ぜひ4年後の選挙で色んな年齢、色んな性別、色んな人が選挙に出てほしいと思っています。
報酬はそれだけで暮らせる額ではありませんが、
すごく学びが大きく、やりがいのある仕事です!

有難い事に、沢山の方々の応援のお陰で、
想像よりも議員の仕事はずっと面白く、やりがいのある仕事だと思います。
議員に挑戦してみて、本当に良かったともいます。

もちろん、願った事がすべて叶うわけもないし、
力不足を感じる部分、至らない点、反省すべきところはありますが、
今のところはずっと前向きに活動出来ています。

この1年でも沢山新しい風を吹かせて、
変わってきた部分が幾つもあります!

色んな方々に迷惑をかけたりしながらも、
同時に沢山の応援や協力で支えてもらって、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうも有難うございます!
どうぞ今年もよろしくお願いします!


■月ヶ岡神社の初詣を娘たちと過ごしながら、
そんな事に想いを馳せていました。

長女が4年間のカナダ滞在を終えて、一時的に島に帰ってきた2023年。
長かったコロナ禍が明けて、色んな事が戻ってきた年。

そんな2023年は良い事ばかりではなく、
悲しい事も沢山ありました。

一番は大好きな人達の急逝が相次いだことです。
友人、知人、親族、憧れの人が天に召されていきました。
とても嘆き悲しいことです。

2023年はミュージシャンの訃報が多いと感じていたら、なんと31人も亡くなっていました。
去年までそんなまとめのデータが見つかりにくいので、
今年は顕著なのだろうと思います。

僕にとっては、
Hi-STANDARDのツネさん、
The Birthday(ミッシェルガンエレファント)のチバさん
BUCK-TICKの櫻井敦司さん、
X JAPANのHEATHさん、
BOWWOW(スラットバンクス)の新美さん、
デルジベットのISSAYさん、
坂本龍一さんの急逝がとても大きくショックです。
僕の青春に大きく影響を及ぼしています。

友人、知人親族もこの2年で、
若い癌の罹患や急逝が続いていて、
僕が40代になっただけなのだろうか?と疑問を持っています。

がんがこの10年ですごく増えたのも、
こうした急逝が増えているのも、
東日本大震災の原発事故、
新型コロナワクチンは無関係なのだろうか?と思ってしまいます。

自然発生的な急逝は素直に受け止めれますが、
やはり人為的な影響での急逝はなかなか受け止めきれません。

心よりご冥福を祈ります。


■気持ちが暗くなってしまいがちですが、
この年明けから島の新成人が集まって、成人式やこれからの未来を感じる嬉しい出来事は、
沢山の癒しと力を頂けました。

元旦の海開きで新成人による鏡開き。

島のみんなに「おかえり~」
「立派になったね!」
「綺麗になって!」
と言われる彼女たちを眺めては、
これからの未来への希望を感じています。

幾度となく、このブログでも書いていますが、
ハワイのことわざでもある「島はカヌー、カヌーは島」という言葉。

価値観が異なる人々が、
目的意識を持って、互いを尊重し合いながら、
共に活動していくという意味と僕は捉えています。


母島というカヌー、
小笠原というカヌー、
日本というカヌー、
地球というカヌー、
色んな事に例えて考えてみるととても大切な教えであることに気付かされます。

そして、僕にとってのクレアナ(責任、役目)が、
この1年でも明確に変わってきているのを感じています。

議員となってももちろん、
イチ親としても、
イチ個人としても、
自分に課せられた役目というのを感じて、
この2024年も活動していけたらと思います。

いきなり今日から父島へ行き、
武道初めに来賓として出席します(心は完全に母島柔道・剣道部の応援!)。
6日に母島に帰って来たらすぐに消防団出初式です。
こちらは議員としてではなく、団員として参加します。

すでにもう3月くらいまで予定が色々入りまくりですが、
どうぞ今年もよろしくお願いします!



祝!!20歳を祝う会 長女の成人式

2024年01月02日 | 母島 暮らし 子供
■新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!

元旦から能登方面で大きな災害が発生しています。
どうか1日も速い復旧と復興を祈ります。
亡くなった方、被災された方へのお見舞いを申し上げます。

そんな複雑な気持ちの元旦ですが、母島は特に何事もなく、
初詣に始まり、年賀状の配達、海開きと怒涛の様にイベントをこなしていました。
そして、長女がこの冬に帰島し、一番の目的だった成人式。
(今は18歳が成人になったので、正確には表題です)
無事に同級生4人全員が集合しました♪

元旦の海開きの後というスケジュールの中、
幼いころから知る4人の晴れ姿を見て、
ああ、ここまでよく無事に育ってくれたなぁと
しみじみと思いました☆
本当におめでとう!!

女子たちらしく、綺麗な晴れ着が揃うととても華やかです(#^.^#)

■一人一人の20歳のスピーチを聞いていて、
それぞれに想う事があって、目頭が熱くなりました。
この4人がここまで揃うのは卒業式でもなかったので、
それぞれのドラマを思い浮かべ、
本当にこの日を迎えれて良かったと思いました。

この4人は島の保育園から一緒ですが、
途中に抜けたり戻ったりと色々なドラマがありました。
※小学生時代は素敵な男子も1名仲間にいました(#^.^#)

島を離れて、内地で過ごしてみて、
初めて島の温かさ、優しさに気付かされたと話していました。

たった4人ですが、みんな個性豊かで、全然違う4人。
内地での何百人という学校であれば、
関わらない、話したこともない、名前も知らない同級生が沢山います。

しかし、母島は圧倒的少人数なので、
家族同士で知らない人はいないし、
人の子供も叱るし、
人の子供の成長を見守ります。

本土にはない環境で、ないものも多いですが、
ここでしかないものも沢山あります。

僕はここにしかないものに大好きな要素が幾つもあるので、
島で子育てを楽しんでやって来れましたが、
こうした島の子供達のスピーチを聞いていると、
本当に島で子育てできて良かったと感じました♪


■親ばかですが肝心の長女のスピーチもとても良かったです。
彼女の精神的成熟を感じさせてくれる内容でした♪

こうして生きて行きたいという部分は、
随分と僕と考えと似ているんだなぁと
不思議な気持ちになりました。

故郷の島に帰って来て、みんなに「おかえり~」と言われる喜び、
家族や関わってきた人への感謝、
人を大切にすると同じく、自分も大切にすること、
価値観の違う人を尊重できること、
どんな逆境でも楽しめるセンスを持つこと、
挑戦を恐れず、まずはやってみることなどを話していました。

人生のゴールなんて、
きっと死ぬまで分からなくて、
実はありはしないのだろうと思うけれど、
こうして自分らしく前を見て生きて行っている
成人した娘の姿と言葉はとても頼もしく感じました。

その頼もしい成人の娘を見て、親としてのゴールをひとつ感じたのです。

長女のスピーチを聞いていた島の友人が
「内面から出てる美しさを物凄く感じて、
 こちらまでなんだか素敵な気持ちにさせてもらいました。
 人間、内面の美しさって本当に滲み出るんだなぁと思いました!
 娘が、凪穂(長女です)みたいな女性になってくれたら嬉しい」
とコメントをくれて、とても嬉しかったです☆

他にも色んな島の方から嬉しい言葉を頂いています!
どうもありがとうございます


■そんな長女ですが、4年間のカナダ生活で、
前から弱かった日本語はさらに弱くなり(笑)、
英語でスピーチを作ってからわざわざ和訳し、
さらにその日本語のおかしさに悩むという前日夜でした(#^.^#)

親として、近くにいればそのツッコみ所が満載なのは相変わらずですが、
島でも別に暮らし、仕事をして、
経済的にも精神的にも自立できているので、
素直に今後が楽しみです♪

スピーチでも語っていましたが、
明確な将来の夢とかではなく、
生きたい場所、やりたいことは無数にあるので、
色々挑戦して、その時にホットな事をどんどん突き進んでいけばいいと思うのです。

そんな話をしたかどうかは覚えていないのですが、
そんな考えがとても柔軟で素敵だと思ったし、
間違いなく20歳の頃の僕には考えも及ぼないセンスと思いました☆

妻が作ってくれた色んな色のティーリーフローズが、
コンパクトだけど素敵に長女の頭を飾っていました♡


■そして、年末年始にも関わらず、
この式の為に準備、運営に動いてくれた関係者の皆さん、
元旦なのにわざわざ出向いてくれた
来賓の皆さん、島の皆さん、
みんなの着付けをしてくれた島の大先輩さん、
これまで娘たちに関わってくれたすべての皆さん、
本当に有難うございました!

子供の頃から、
小学生の頃の高遠、山村留学、
カナダでの留学に社会人生活、
コロナに帰国に今現在も、
ありとあらゆる人にほんと~~~~~にお世話になり、可愛がってもらっています。

この人のご縁が、彼女にとって本当に最高の財産と思います。
感謝してもし尽せません。

僕はこのご恩を、目の前の困った人をサポートする恩送りをしていこうと思っています。


■最後に
元旦から能登半島を中心に甚大な被害を及ぼした、大地震と津波がありました。

おめでたい元旦の時間だったのに、
被害に遭われた皆様は
余震が続く寒空の中、
家屋の損壊や津波、避難と大変な状況と思います。

亡くなった方々にご冥福の気持ち、
被災された皆様にお見舞いの気持ちでいっぱいです。
そして改めて、自分たちが住む小笠原の防災対策、
各家庭の災害時への見直しをしなければと思わされました。

少しでも速い復旧と復興を祈るばかりです。
どうかご無事でありますように。

大好きな母島クリスマス子供大会の復活!!

2023年12月29日 | 島のイベント
■先週は母島の大事なイベント、クリスマス子供大会が復活しました!!
ここ3年のコロナ禍では、屋外のクリスマススタンプラリーになっていましたが、
ようやく室内でのイベントに戻って来ました♪

コロナ禍でもできる事を模索して続けてきた事は本当に素晴らしいと思いました。
関係者の皆さま、本当にありがとうございます!

後ろにアヤシイ影が。うちの長女です(笑)

去年も同様に室内イベントとして、企画準備をしていたのですが、
なんと当日の大嵐の為に泣く泣く中止…(プレゼントは配りました)
あれは悔しかったなぁ~

今年はフルで実施できました☆
やった~!

学校の体育館という大きな舞台に、大人が1日限りの飾りを付けまくる日です♡

■母島では0歳から15歳まで、
一人一人名前を呼ばれて、
サンタさんからプレゼントを頂きます。

幼児は勿論、中学生も少し恥ずかしい顔をしながらも
嬉しそうに受け取っていました(^_-)-☆

今年のサンタさんは体格が大きくて、
気前が良くて、
ちょっと悪いポーズも取ってくれる気さくなサンタさんでした(#^.^#)

婦人会の手作りケーキや駐在、荘年会からのお菓子。

これが楽しみな子供達。
コロナ禍前まではショートケーキでしたが、
コロナ禍になってからは可愛いカップケーキになりました☆


中学生のぽかぽかクリスマスのフラ。
可愛らしい女子たちに、素敵な母島のクリスマスソング。
次女のフラがどんどん長女に似て来ていて、長女が自分で見ていてもそう思ったらしいです(笑)。


青年会のダンス!
大人が子供たちの為に一生懸命に練習するんです(#^.^#)

子供達は合唱を披露していました☆


駐在ピーポー君のじゃんけん大会、これも盛り上がりました♪

手話サークルの発表など、
沢山、島のみんなが子供達を楽しませようという精神に溢れていて、
準備~本番~片付けを通して、楽しくて幸せな雰囲気に包まれていました♡
さすが母島と感じる場面でした☆


■20歳になって、4年間のカナダ生活から帰国、帰島している長女はスタッフとして、
中2の次女はフラダンサーとして参加しておりました☆
すんごく楽しそうでした(#^.^#)

室内としては4年振り。
コロナ禍前までは村民会館の体育室で、
人でごった返していたのですが、
今回からは学校体育館で広々と開催。

社協を中心とした実行員会が前々から企画、準備をしてくれていました!
どうもありがとうございます☆

こうしたコロナ禍で失われてきたイベントが復活することで、
そのイベントだけでなく、
準備、練習、発表、片付けとあらゆる場面で島の人が相互間に関わり、色んなコミュニケーションに繋がっていたんだなぁと再確認させられました♪


■クリスマスって、人から頂くのも嬉しいのですが、
それ以上に人の為に時間を労力を使うって、
本当に幸せを感じさせてもらえるんだなぁと感じます♡

そんな幸せな気持ちを僕はクリスマスで頂いた気がします(^^♪
関係者の皆さん、島のご家族の皆さん、子供達、
本当にどうもありがとう!
メリークリスマス☆

餅つき~作業する手が美しい

2023年12月24日 | 母島 日常 日記
■昨日は4年振りの防犯餅つき大会がありました。

柔道剣道の保護者の皆さんが中心になって、
大人も子供も、
みんなでお餅を搗きながら、
美味しい搗きたて餅を頂く。

コロナ禍で中止だった行事がどんどん復活し、
本当に母島らしい光景が戻って来て本当に嬉しいです♡
関係者の皆さま、本当にありがとうございます!

■今回、色々写真を撮りながら思ったのは、
作業するみんなの手が美しいと思いました。
島のベテランが、若い人に技術を伝授していきます。
その手があまりに美しい所作で、
思わず見とれてしまいました♪

きっとYotubeやネットで学べることもあるでしょうが、
こうして色々話しながら技術を経験を伝えていく、
その場があることが、
それを伝える人、学ぶ人がいる事が、
本当に素晴らしいと思います。

些細なことと思っていましたが、
コロナ禍で当たり前と思っていた光景を失い、
こうして復活したことで、
本当に意味を深く気付かせもらいました。

■長女も次女も僕も搗かせてもらいました(^_-)-☆
みんなでぺったんぺったん。


戦前から母島にあるという石臼。
一体、いつから、どれだけの島の人が
この石臼に関わって通り過ぎてきたのだろうか。

心配だった天気も大丈夫で、
本当に美しい1日でした。
これで無事に年が越せる、
そんな気にさせてくれました。

美味しい納豆にきな粉、あんこ、大根おろしの4種のお餅。
帰り際に関係者に配られる柔らかい鏡餅。


ふと今回、気付いたのですが、
島の色んな場面で使われるこの婦人会の木箱、
僕より3歳年上でした(^_-)-☆


■僕も何度かやりましたが、
この最初の吹かしたもち米を杵(きね)で搗くのが、
地味に大変な作業なんです(#^.^#)


みんなでコネコネ。
これも美しい。



ああ、母島で暮らしていて良かったなぁと思える、
餅つきの日でした♡

帰りにぷにぷにの鏡餅も頂き、
早速柔らかいうちに食べて、感動でした♡


今年はなんと母島柔道部のTシャツが誕生しました!

駐在所の皆さん、柔道剣道のみなさん、
島のみなさん、
本当にありがとうございました☆

みんなでワイワイ片付けするのも楽しい光景でした♡

みみずんが久しぶりに母島にやってきた♡

2023年12月13日 | 母島 日常 日記
■みみずんが久しぶりに母島にやってきました♡
世界的なフリーダイバーの岡本美鈴(みみずん)がなんと20年ぶりに母島にやってきました☆
久々の再開に嬉しくて嬉しくて、ずっとソワソワしていました♪

みみずんとは僕が最初に働いていた母島の宿(アンナビーチ母島YH)か小笠原YHのどちらかで出逢っていています(どっちか曖昧w)。

当時のみみずんはなんと全然泳げなくて、
ライジャケを来ていたみみずんが、
島でウクレレと潜りにハマり、
どんどんと青い宇宙にハマって気付けば
素晴らしい記録を持つフリーダイバーになっていて、
遠方ながらずっと応援しておりました(^^♪

彼女は元々デザイナーなので、アンナビーチの有名なクジラのTシャツのデザインはみみずんなのです(#^.^#)

■今回は長女とも赤ちゃんの時以来の再会!!(本人は勿論覚えていないw)
0歳児の時に抱っこしてもらった当時の話から、
みみずんの潜り仲間の事にまで話は膨らみ、嬉しい再会でした。

今はミズナギドリ巣立ちで集落に不時着、保護するシーズンです。
ちょうど入港日の夜にアンナビーチ前で保護したオナガミズナギドリと翌朝放鳥までしてもらいました♪

同じく50m以上も海に潜る者同士、なんか通じるものがあったのでしょうか?
みんなで沖へ帰っていくミズナギドリを眺めながら、ホッとしていました。

今回、初めてお会いする旦那さんの岡本耕輔さんもなんとフリーダイバー!
今は真鶴に住んでいるそうで、話を聞くと、とても行ってみたい土地になりました(#^.^#)

■僕は議会定例会に出るために父島に向かい、
みみずん夫婦は内地へ帰るために同じ船でした☆
なんとこのはは丸でお互い、今シーズン初のザトウクジラを見ることが出来ました!


初クジラを見て、やった~!!の顔のみみずん☆

母島から父島の間に5群14頭くらいのザトウクジラが観察できました。

父島の二見港沖には親子クジラもいて、
本格的に冬のザトウクジラのシーズンになったことを感じました!

妻が作ってくれためっちゃ美味しいローゼル塩おにぎりを頬張りながら、
前田商店のレモンケーキも楽しみながら、
2時間ずっと色んな話をしまくりでした♡

お互いの人生、議員になったこと、これから、
地球環境、海洋プラスティックetc......
色んな話をしながら、お互いそれぞれに楽しんでいこうね!と話していきました。

久々の母島もすごく良かったらしく、
母島の海の素晴らしさに感動していました♪
母島に来てくれてありがとう!!
また会おうね~~~!

最後は父島でおが丸見送りもできて良かった!
いってらっしゃい!!

夢の都・京都②~伊根の舟屋編

2023年11月27日 | 旅行記
京都①綾部編の続き

■ついに舟屋で有名な伊根に来ました!
とは言っても、舟屋の風景は何かで見たことがあっても、
それが京都にあって、それが伊根という地名だというのを知ったのは、
今回の内地研修に出発する数日前でした(#^.^#)

母島のゴミ回収をしている同僚に教えてもらった、
京都で気になる場所「伊根」。

せっかく大人になって初めて京都に来たのだから、
友人にお願いして車を出してもらい、伊根まで足を延ばしました!
本当にありがとう☆

始めて舟屋というものを見て、
率直に日本海という場所で海が荒れてる時、家は大丈夫なのか?でした。

奇跡的に日本海なのに南向きという湾の特性なのか、
比較的海が穏やかな地域なようです。


■家のすぐ裏に船が停まっているという不思議な情景に、
友人と「母島の釣り好きのTさんとかGちゃんとか、絶対好きそうだよね~」
とか笑いながら、風情ある舟屋を眺めていました。

京都の果てに来ても、やっぱり島トークが炸裂しまくりです(#^.^#)

しかし、僕たちも僻地の母島を好むような変人です(笑)。
観光地の綺麗に整備されたものは白けてしまう傾向があり、
綺麗に作られ、整備された家よりも、
実際に暮らしをリアルに感じられる方を好むので、
奥の海側にみんなでワイワイしている舟屋とかにほっこりしていました。

しかし、うどん屋からそうですが、
いい天気だやった~~と思い、
外に出るといつも雨、雨、雨(泣)。

かなり僕は晴れ男な方なのですが、
彼女は話を聞くと大事な時はよく土砂降りとのこと(笑)。
僕もなんかこの秋位から属性が雨になってきている感があります(涙)

お互いバイク乗りなので、
バイクの時の悪天候の時の悲惨さ、
でも天気のいい時の最高さを語りたいながら、
「どうしてうちら外出るとこんなに雨なの~~」
と大笑いしながら巡っていました。
共通項があるというのは嬉しいもんです。

車中では母島で共に過ごした話をしまくり、
お互いの人生の話、時にはハイロウズや浜田省吾を合唱し、
聖飢魔Ⅱのギターにシビれて、
忌野清志郎について語り合うという状態でした(#^.^#)


■僕も去年バイクで東北旅をしていた時もそうでしたが、
やっぱり僕らは根底から海が好きなようです。

海に出ただけで「わ~~~海だ~~~!!」
「やっぱ海良いよね~~!」
と子供のようにはしゃいでいます(#^.^#)

僕はずっと太平洋側にいたので、
なんだか日本海の雰囲気が少し違ってて、
とても面白い違和感でした。

音楽もバイクの話も合うし、
仕事も人間関係もしっかりと話せる彼女ですが、
そういえば彼女はまだ20代前半(笑)。

今年20歳になる長女の方が年が遥かに近いくらいなのですが、
なぜか共に浜田省吾と忌野清志郎なんか大好きで、
気が合います。

母島に来た時は17歳だったのですが、
信じられないコミュ力と社会経験で、
普通に大人に馴染む彼女。

この1月に大好きな母島を離れて、地元付近に戻り、
今は大阪に住み、畑や田んぼに通いながら楽しく生きているそうです。
元気そうな顔が見れてホッとしました。


■彼女が母島を離れる時のエピソードや、
一緒にやった最後のライヴイベントの話など、
延々と車中でおしゃべりと合唱が止まりませんでした☆

近年、がんも急死も続いている現状にお互い憂いてもいます。
新型コロナのワクチンの問題…
どれだけこの3年で脳出血や心臓疾患で亡くなる人が増えているか、
震災から10年でがんが爆増していて、
共通の友人とかも急逝が続いているので、
この世の中についても良く語りました。

彼女は持続可能な自然農で田畑をやっているので、
そこから学ぶこと、食の安全ももちろん知っているナイスな女子です♪

これからのお互いの活躍にエールを送りながら、
伊根から京都駅まで車を走らせ、お別れをしました。

遠く離れていても、こうしてお互いがそれぞれの舞台で頑張っているのを知れると、
とても励みになります。
「どんなに遠くても、辿り着いてみせる。
石のような孤独を道連れに、空とこの道出会う場所へ」
お互いが大好きな浜田省吾の家路を胸に、お別れをしました。

元気でね~!どうもありがとう!

夢の都・京都①~憧れの綾部編

2023年11月20日 | 旅行記
琵琶湖・沖島編より

■さてさて、今度は京都編①です。

京都と言えば、日本でも有名な歴史ある観光地。
日本の歴史の教科書に絶対載っているし、
修学旅行などで誰しもが一度は来ることがある有名な場所です。

僕は高校の修学旅行以来、
つまり大人になって初めての京都旅でした(#^.^#)

島暮らしをして20年。
気付けばすっかり人混みが苦手になってしまいました(笑)。
そんな訳で、京都もメジャー所というよりは、
ご縁がある場所に限られた時間を駆使して行って来たのです。

まずは何と言っても綾部!
僕がこんな暮らし方をするようになった大きなきっかけとなる、
半農半Xという生き方」の著者、塩見直紀さんがいた場所が綾部なのです。
そして母島にも来たさすらいのうどん職人竹原さんのいる「竹松うどん」。
野草教室の若杉のばーちゃん。

その中で、友人や知人の紹介でそれぞれの土地の議員さんにも会ってきました♪
滋賀の議員研修で発生した隙間時間を存分に活用してきたわけです(#^.^#)


■議員視察で南相馬から東京に戻って来て、そのまま新幹線で京都入りしました。
まあ、なんて日本は狭いのだろうと思うほど、本土の交通網は発達しています。
東京から2時間半で約500km先の京都に行けてしまうのです。

これでも十分速いのに、さらにリニアモーターカーを作ろうとしている…
もう持続可能という意味で“足るを知る”を考えれば、僕には不要に思えます。

あっという間に花の都、京都に着きました。
想像通り、外国人に溢れていました(#^.^#)

駅から歩いて行ける範囲に宿を取り、
着いてすぐに父島の友人に紹介してもらった
京都市議会議員の井﨑敦子さんが迎えに来てくれました☆
紹介ありがとう♡

敦子さんは僕と同じこの4月の統一地方選挙で議員になった新人同士です(#^.^#)

井崎敦子さんは中央の方です☆

井﨑さんとその仲間の皆さんと、
美味しい京都の日本酒と海の幸を頂きながら、
議員の話、京都の話、小笠原の話にあっという間に時間が過ぎていきました。

やはり人口150万人の京都と2500人の小笠原では、
同じ地方議員でも天と地ほどの差がありました(#^.^#)
報酬に仕事量、委員会に本議会、一般質問の時間もまるで違います。
驚くほどの違いがありました。

僕らのような少数派の意見は、
大きな議会では発言の機会や委員会でも出番は限られ、
大きな政党や会派が圧倒的に有利な状況の様です。

そんな中、150万人の人口規模の決算の書類の規模、
67議席という名前も覚えれなさそうな数も圧倒的でした。
ちなみに小笠原村議会は8議席ですw
可愛く思えてきました(^_-)-☆

そして奈良時代からご縁が繋がっているグループがあると聞いて、
その時間軸のスケールの違いにも圧倒させられました☆
江戸時代から程度の小笠原では太刀打ちできない歴史の深さがありました。
ひゃあ~~~

敦子さん達とはお互いに情報交換をしまくり、
議員としてもとっても意味のある京都訪問となりました♪
どうもありがとうございました!

その後はノジコさんがやっている境町画廊という、
明治時代に建てられた素敵な古民家の画廊を深夜にお邪魔して、
みんなで山﨑俊江作品展という素敵な展示を見させてもらいました☆

精巧に作られたミニチュアを眺めては、
溜息が出る程、見えない所にまでこだわった部分が垣間見えて、
感動させられました☆

ステキな時間を本当にありがとうございました!!


■翌朝は宿から京都市内を少し走ったりしながら、
京都駅の近くの大きな東本願寺を見に行きました。

朝早いせいか、人もまばらで最高の雰囲気☆

こんな圧倒的な大きさの木造建築が、
何度か戦火に見舞われながらも残っているという、
その意味に圧倒されられました。

建物の柱を見ても信じられない太さの1本の巨木を使っていたり、
天井の絶妙なR(曲がり)、梁や塗り、宮大工の芸術性など、
高校生の時にみんなで溜息をつくほど眺めたのを思い出しながら、
再度その作りと歴史に感動していました。

本堂では厳かに早朝のご祈祷が行われていて、
僕も参拝だけさせてもらって、
滋賀の議員研修に電車で移動しました。

3日間の研修後に沖島を経由して、
今度は大阪在住で元母島の友人に車を出してもらって、いざ綾部へ!!


■綾部は昔からずっと気になっている土地でした。
当時、父島に住み始めて子育てに翻弄していた頃、
妻の紹介だったと思うのですが、その後の人生に大きく影響する本に出合いました。

それが冒頭でも紹介した「半農半Xという生き方」でした。
著者の塩見さんが綾部に住んでいたのです(今は綾部を離れているそうです)。

半農半Xというのは、
半日自給的な農的暮らしをして、
もう半日は地域社会に関わる現金収入などの仕事をする。

そうすることで、それぞれが自給できる暮らしをしつつも、
生活する収入も得て、社会はより健全に持続可能に進むという考え方です。

僕は二十代前半にその本に出会い、
衝撃を受けて生き方が変わり、まさにずっとそれを実践しています。

その本の中でも綾部の話は幾つも出ていた気がします。
他には高遠のフリーキッズヴィレッジにWWOOFでお邪魔していた時に出逢った、
野草教室の若杉友子さんというすんごいばーちゃんも綾部から来ていたのです。
お陰で、ずっと綾部という土地は気になっていたのです。

綾部の竹松うどんの横の川。
この雰囲気が楽しめる人は綾部向き!!


■友人の車で京都郊外とも言える綾部に向かいます。
まず向かった先は竹松うどん

ここの店主の竹原さんは、なんと10年ちょい前に、
さすらいのうどん職人として「讃岐の夢」という小麦粉の大袋を持って、
小笠原に旅に来ていたうどん職人がやっているお店です☆

当時、僕は父島に住んでいて、竹原さんはプーランに泊り、
最高に美味しい手打ちうどんをご馳走になったのを今でも覚えています♪

その当時から綾部の話も聞いていて、
その後、綾部で店舗を構えたという話を聞いていたので、
実はずっとこの訪問を楽しみにしていました☆

そこに京都市議会議員の敦子さんに、
綾部市議会議員さん(中島ゆう子さん)を紹介してもらい、
竹松うどんでお話しよう!ということになりました。


■初めて来れた竹松うどん
静かな綾部の川のほとりに佇む、
落ち着いた雰囲気のお店でした。

僕らが着いた時はまだスタッフさんがせっせと仕込みをしており、
11時の開店を待つお客さんがもうすでに外に待っていました。

そのお客さんは奈良から来ていて、
おススメのメニューなどを教えてもらいました(^^♪

個人的には10月メニューだったウイグルうどんが気になっていました。
(新疆ウイグル自治区の危機を訴えつつ、文化の紹介)

外には綾部のの美味しそうな野菜が売られ、
大好きすぎる雰囲気でした(#^.^#)

サツマイモの品種を話していたら「あ、間違えた。紅はるかだった(笑)」
と書き直しててほっこり(^_-)-☆


そして、綾部市議会議員の中島ゆう子さんも到着し、お互いに自己紹介しながら、
店内に入ります。

僕は大好きな「きつねうどん」を女将セットで注文し、
開店待ちした方にお勧めで紹介してもらった冷やしの「せせりうどん」もみんなで食べました。
めっちゃ美味しい~♡

さすがはプロの味!
さすがのコシと薪で茹でるならではの感触!!

薪の火と、
ガスの火では、
同じ火でも雲泥の差であることは、
自然の暮らしの中で体感しているので、そこがとても楽しみでした。
芯まで通る薪の焔は手打ちうどんを最良なものにしてくれていました♪

とても美味しいうどんに舌鼓を打ちながら、
友人とゆう子さんと色んな話に花が咲きました☆


■ゆう子さんの考察によると、綾部は過疎化対策として、移住政策を進め、
結果、個性的な面白いメンバーが人を呼び集まって来たようです♪

もちろんゆう子さんはこの竹松うどんの常連さん☆

そんなゆう子さんとも議員同士の情報交換をして、
まさか一般質問の通告書で執行部からの返しがない状態で
一般質問の再質問しているとは思いませんでした。
それでは有効な答弁を引き出しにくいのでは?と思いました。

3.11をきっかけに食の安全などから政治に興味が出て、
現在市議会議員2期目のゆう子さん。
子育てしながら、色んな事を頑張っている事、
無所属無会派による議会での少数派の難しさなど、
色んなお話をしました。

綾部市議会議員の議席は18。
その中で女性議員が6名!!
小笠原村議会は女性議員がゼロなので、4年後の選挙の時までに、
ぜひ女性に議会に入って欲しいと切実に思いました。

一緒に来た友人も、政治家には心から絶望していたので、
こういうゆう子さんみたいな議員が京都にいるんだ!と知れてとても良かった様です(#^.^#)
ご縁とご縁を繋いで貰った僕が、新たにご縁を繋ぐ…
これがまた旅の醍醐味な気がするのです☆

もっともっとお話ししたかったのですが、
大人気のうどん屋さんはそれなりにお客さんが来るので、
楽しいおしゃべりの続きはまた次回ということで、
予定があるゆう子さんとはここでお別れとなりました。

どうもありがとうございました♪

さて、友人とどこ行こうか?という話となり、
僕は舟屋のある伊根に行きたい!
ということになり、いきなりですが一路、伊根へ向かうことになりました。

ノープランはやっぱ面白い(笑)。
そんな訳で
京都②伊根編に続きます。

ありがとう、おがさわら丸

2023年11月19日 | 母島 日常 日記
■無事に議員出張を終えて、11/13小笠原に帰ってきました♫
その中で島の暮らしを支える船に感謝の気持ちが溢れてきました。

この記事を書いたのは、
おがさわら丸からははじま丸に乗り換えて母島へ向かう時でした。

先日の10/23おがさわら丸のペラに漁網が絡まって、
片道40時間かかってしまった事が発生したときに、
いつもの定期船が当たり前ではなく、
とても有難いものであると再確認させられました。

おがさわら丸は島の為に毎週、
往復2000kmものの外洋を
ずっと航海してくれているのです。

ははじま丸も
約毎日往復100kmを航海しています。

貨物船の共勝丸も
約10日のサイクルで建築資材やガス、
燃料を運んでくれています。

他にも八幡丸だって、富士丸だって、鳳生丸だって、
他の船も島の暮らしを支えてくれています。

船自身も、
船員さんも、
港湾で仕事している人も、
みんなみんなです。

何も起きないと、
その当たり前の動きに有難みに気付かないですが、
ふとトラブルが発生すると、途端に困ったことになります。

指一本怪我しただけで、
その有難みに気付かされた経験はみんなあると思います。

だから日々の暮らし、
家族、周りのみんなの存在は
当たり前ではなく、
有り難いものだと気付かされます。

人知れず、色んな人に支えられて暮らしているのです。


みんな、
みんな、
本当にどうもありがとうございます😊


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車が見えない島暮らし~「沖島」に行って来ました!

2023年11月17日 | 島旅
■今回、念願の沖島に行って来ました!
沖島は滋賀県、琵琶湖に浮かぶ小さな島で、
人口250人。
なんと日本唯一、湖にある有人島なのだそうです。

以前から宝島の仕事や妻からこの島の存在を聞いていて、
ずっと気になっていました。

今回はなんとか少しだけ時間が出来たので、
少し足を延ばして弾丸でお邪魔してきました☆

島を知るって、やっぱりすごく根源的に大事な部分を学ばされます。

沖島は僕の想像を超える島でした♪
なんと車がほとんどなく、
住民の足は歩きか自転車!!

つまり、エンジンの音がほとんど聞こえない島なのです。
※湖を走る船のエンジン音は時折聞こえます。

完全車社会でない田舎という意味で、
生活圏のすべてを“歩きでまかなえる”母島を好んで暮らしている僕にとって、
この車のほとんどない沖島は大好きな雰囲気の漁村でした☆

僕が行った時はずっと雨が降っていて、
住民もネコもほとんど見かけない状態でしたが、
集落のあちらこちらにある畑や漁具、
暮らしの雰囲気が観光向けに綺麗に整備されたものではなく、
あくまで暮らしが現在進行形の島だったのです。

様々な事情で、滞在時間はたった2時間でしたが、
集落はほとんど歩けましたので、
次回は家族でゆっくり来たいと思っています(#^.^#)


■そんな沖島ですが、最初から宿とアクセスという困難が待っていました。
やっぱり離島はそうじゃなきゃ(^_-)-☆

宿は4人以上じゃないと泊まれないらしく、
早速撃沈(涙)。

沖島には○○漁港から船で10分の距離です。
だいたい1時間~2時間に1便の動きで動いています。

昼に議員研修が終わり、
速攻で最寄りの近江八幡駅に向かったのですが、
着いた時にはすでに沖島に14時に渡る船に間に合うバスはなく、
タクシーを頼ることにしました☆

このタクシーの方が沖縄出身でとても親切な方で、
沖島に行った事はないけれど、色々と教えてくれました。

沖島からの戻りは16時15分○○漁港発のバスが最後であること、
漁港にはタクシーの待機がない事などなど。

帰りのバスに乗り遅れた場合は連絡くれれば迎えに行くよ!
と連絡先を伝えてもらい、なんとか14時15分発の船で沖島行きの船に乗ることが出来ました。

船待ちには島の学校向けの冷蔵庫が置かれていて、
食材がここで一時保管されている様でした。
子供達のお礼の文面がとても愛おしいです♪

船待ちにはざっくりとした地図があり、
聞くと端から端でも歩いて30分はかからない程度、
ということでした。

雨の中小さな船客待合所で船を待っている間、
これから仕事で沖島に渡る方とその友人さんと知り合いになり、
色んな情報を聞きました♪
めっちゃ有難い!

なんとその友人さんは滋賀に住む友人の奥さんが、
父島出身の人らしく、僕がその親を知っている方でした(#^.^#)
なんと船に乗る小銭のなくて困っていた僕に小銭も出してくれて(結局ポケットから出てきて、すぐにお返しできました)、
帰りにバスに乗り遅れたら来るまで来ているから宿まで送るよと、
親切に話してくれました☆
まさに旅の醍醐味です!!大感謝!!


■船に乗る際には沖島に渡る人向けの8つのルールが書かれていました。
興味深かったのが、漁師は深夜に漁に出るために日中は寝ているので、
静かに過ごしてくださいとのことでした。

まるで西表の舟浮に渡る船のような、
とてもコンパクトな船に乗り、
船頭さんに往復代の1000円を渡します。

船の中は頑張ると20人は乗れそうな感じでした☆
おきしま丸、島の生活を支える船!


■憧れの沖島に着きました!

板張りの壁の家が並ぶ、まさに漁村といった感じです。
サイズ的には鳩間島を彷彿させてくれましたが、
作りが沖縄の家ではなく、完全に日本の漁村です。

港の桟橋には大きな鐘がぶら下がっておりました。

綺麗な大きな案内看板もあり、
とても分かり易くまとめられていました。

ネコの島と聞いていて、楽しみにしていたのですが、
あいにくの雨と寒空でネコの姿は拝めませんでした(ToT)/~~~

昼ご飯を島の鮒寿司を食べるために我慢してきたのですが、
予想通り不定休のカフェ「いっぷくどう」はお休みでした(´;ω;`)
他の飲食店も4人以上要予約で営業ゼロ!

しかし、とても面白いのが、
家と家の間の路地の細いこと!
さすが車社会でない島です。
みんなが歩きや自転車で暮らせるということは、
子供達の遊び場がそこいら中にあるということです☆

そして、とにかく三輪自転車の多い事!!
これは面積当たり日本一ではないのでしょうか?
想像すると、高齢の方が乗るのに転倒の危険も少なく、
そして積載するのに向いているので、
小さな漁村には最高の乗り物と思えました(#^.^#)


■僕が母島の大好きな点の一つに、
田舎なのに車が無くても暮らせる社会であるという部分があります。

日本の田舎で車社会でない地域は、
かなり限られてきます。

これは年を重ねても、ずっと歩いて暮らせるし、
足腰が普段から鍛えられて、健康寿命が延びる要員になると思います。

なので道幅は基本的にギリギリ軽自動車が通れる範囲で、
複線道路はその半分で、とてもいい雰囲気でした♪

ほとんど落ちていないゴミ、
生活のゴミ回収、
宅急便の配達などはどうしているのか、
とても興味がわく分野です。

自分がゴミ回収や宅急便、郵便の配達をしているので尚更気になります。

道端には色んな所に畑があり、
レタスや里芋、ラッキョウやキャベツなど豊富に植わっていました。
道端に普通野菜の畑があるのは母島にはあまりない光景です。


■海岸線を歩いて行くと、
消防艇庫があり、立派な消防艇がありました。

万が一の火事の時は豊富な琵琶湖の水を使いながら、
この消防艇が島の生命と財産を守るのでしょう。

僕も母島で消防団をしているので、
ここも気になる部分です。

道幅が車向けに広くないので、
琵琶湖のほとりで暮らす沖島を守るには確かに船が実用的な気がしました。


公園には不思議なオブジェ?もありました。
雨で島民もあまり見かけないので、謎は深まるばかりです(#^.^#)
今度ゆっくり滞在できるときはこの謎も聞いてみたいと思います。


歩いて行くと、沖島資料館がありました。

もちろん要予約でお休みでしたが、
中は覗けて、漁具などが展示されている様でした。


その先にはとても立派な小学校がありました!
今は20人以下程度の生徒が通っているそうです。

母島が人口450人で小中学校の生徒が35人くらい。
人口250人の沖島で小学生だけでこれだけいるのはなかなかな状況なのではないでしょうか?

また感じのいい裏路地のような道を歩いて、
集落を進んでいきます。

住民側の気分になると、
観光客が自宅の周りをウロウロするのはあまりいい気分ではないとおもうので、
出逢ったら必ず挨拶して、少しだけ世間話などをしたりしました。

あまり時間がないので、世間話程度しかできず、次回の宿題です♪



■集落を周り巡って、港に近くに来ると島唯一に見える、
車2台に重機が2つ停まっていました。

ガソリンスタンドも見当たらないので、
燃料は本土から細かく運んでいるのでしょうか?

凄い数の漁船がならび、
その燃料補給ステーション(軽油)は港にあったので、
何らかの方法で運んでいるのでしょうね(#^.^#)


集落を越えて、西の奥に泊りたかった宿があるので、行って来ました。
4名以上から宿泊可の「湖上荘」です。
この日はお休みだった「いっぷくどう」を経営している方が、
この宿もやっているそうです。
いつか泊まってみたいと思っています!!

この宿への湖畔の道がまたとても良い感じで、
すごく静かでまったりと出来ました。

ちらほらと釣りをしている方がいて、
簡単な挨拶を交わしました。
ブラックバスばかりのイメージでしたが、鮒とか釣れるのでしょうか?

歩いてぐるっと回って戻ってもまだ少し時間があったので、
高台にある神社へ参拝し、
旅の無事と家族の健康を祈り、
帰りの船に飛び乗りました☆

帰りの船では小学生が6人位乗っていて(本土の子たちかな?)
近江八幡へのバスの中が大合唱やワイワイ騒ぎになり、
運転手さんが一人一人の名前も知って、把握していて、
田舎らしい和やかな雰囲気で帰路に着きました(#^.^#)

さあ、次回は京都①綾部編です!!

滋賀新人議員研修~日本一大きな琵琶湖のほとりで

2023年11月14日 | 議員活動
■議員の内地出張で10月に続いて、なんと11月も内地へ。
今回の内地出張研修のメインは、
滋賀県にある「JIAM全国市町村国際文化研究所」での新人議員研修でした。

そこで新人議員向けの研修があり、
今回は年2回開催するうちの2回目。

定員100人に対して倍の200人の応募があったらしく、
抽選となり、同じく40代で小笠原村議会に新人で入った平野議員はまさかの抽選で選ばれず、
小笠原からは僕一人だけの参加となりました。

行く前はとても残念だと思ったし、
寂しい気もしましたが、
これは逆にたった一人知らない所に飛び込むという、
ワクワク感に溢れるものになりました♪

生まれて初めての琵琶湖にあがる朝日を眺めながら、
このご縁で繋がれたみんなとの奇跡を味わいながら3日間の研修を楽しみました。


■この研修施設は宿泊施設も伴う大きな研修施設で、
同時に他の市町村の行政の研修も行われていました。

大きな講堂から、中サイズ、小サイズの教室があり、
食堂に運動場、レンタサイクルもあり、
とても充実した研究施設だと思います。

10月の出張時も小笠原の村議が2名、こちらで行われる研修に参加しています。

紅葉の美しい唐崎駅からの並木道を歩いていきます。

僕にとって、この研修で学んだこと、
そして出逢った同期の議員仲間はかけがえのないご縁となりました♪

多様な世代に性別も違ったりしますが、
お互いが同じ時代のタイミングで議員になった仲間です。

頑張る土地やイデオロギーは違えど、
その土地を良くしようと活躍する議員であることには変わりありません。

お風呂屋さんやタコ焼き屋さん、
福祉や介護をしている人、
観光の仕事をしている人、
農家の人、
やっぱり多彩で本当に面白いです(#^.^#)

お互いに驚くようなそれぞれの議会での違いもあったり、
ヒヤヒヤするようなエピソードも満載で、
とても良い出逢いとなりました☆

滞在はこの研修施設内に宿泊棟があり、
コンパクトな個室が用意されていました。

トイレは各部屋にありますが、
風呂は共同シャワーか大浴場となります。

夜23時が外出のリミットで、朝は6時から外に出れます。


■朝には琵琶湖、朝活ランニングもできて、
風情ある美しい唐崎神社にも参拝できました。

神社の境内の奥にある、
明治時代からの松が寿命を迎えていて、
ギリギリの状態を支えられながら、
次の世代が育っている、
そしてそれを地域の人が大事にしているのが伝わって来て、
とてもいい雰囲気の神社でした☆

その為にも立派な鳥居が設けられていました。

その松についてのご案内です。


歴史ある神社の様です。


近くの散歩道には「マムシ注意!」の看板が。
危ない蛇がまったくいない小笠原で暮らす僕にとっては、
ハッとさせられるものでした。

しかし、すぐに元来のヘビ好きの想いが溢れてしまい、
草むらを探してしまった事はナイショです(#^.^#)

小学生の頃、ヘビを飼うほど好きだったので♡

美しい紅葉も始まっていて、
島では見れない情景にウットリしておりました♪
※小笠原には紅葉がないのです!


■3日間の研修で、僕は一番2日目の本橋謙治氏の講義が特に興味深く、
グループワークなど受け身だけの講義と違い、
交流やまとめ、発表などがあり、とても有意義な研修となりました。

一緒にグループワークしたのがこのメンバーです。

左から
関達夫 木島平村議会議員(長野)
高橋洋志 日南町議会議員(鳥取)
川田一浩 白川村議会議員(岐阜)
立石光助 小根賀町議会議員(長崎五島)
戸前寿乃 大桑村村議会議員(長野)

超楽しいグループワークでした♪
ありがとうございました!

あまり大きくない規模の地方自治体の議員同士、
政務調査費の有無から、その運用の違い、
報酬の差に同じ悩みなど、
沢山の意見交換にもなりました。

沢山の名刺交換も行い、
今後も繋がって行きそうな方が沢山いて、
本当にありがたい機会となりました。

議会の活動の報告は議員日記Facebooページに日々アップしているので、
ぜひご覧ください(^^♪

今回、3日間の研修以外はこれといって視察などは決まっていないので、
僕は友人や知人に紹介してもらって、
京都市と綾部市の二人の議員さんと意見交換を行いました☆

5月、10月と内地に視察や表敬訪問に来ていますが、
小笠原という内地に行ってもすぐに帰れない制約のお陰で、
色んな個人的な視察や調べ、挨拶の時間に使えています。

それがいつもその後の議員活動に強力なご縁となっています。
限られた時間をフルに活用し、
島の為に出来るごことをして行ってます。

まさに不便を便利に変えてしまうMaster of Lifeの精神です♡

これが無理強いとかではなく、
本当に楽しいし、嬉しいし、ドキドキワクワクしているので、
とても有難いこととして活用させてもらっています。

個人活動の場合、交通費などは公費ではなく、すべて自腹なのでお金はかかりますが、
お金では買えないプライスレスな出来事と出逢いになるので、
存分に活用していきます!

次回からはそんな話の
沖島編
京都①綾部編
京都②伊根編
に分けてアップしていきます。

お楽しみに(#^.^#)