小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

長女が帰国!~20歳に☆やっぱり毎年激動の10月!! 

2023年10月26日 | 母島 暮らし 子供
■母島に移住した2009年頃から、毎年10月は怒涛の様に過ぎる月だった気がします。
今年は長女の帰国に20歳の誕生日、次女の誕生日、
ローゼルの出荷に議員としての内地出張と、
いつにも増して多彩なボリュームの10月になっています。

観測史上最大の200㎜を超える豪雨(1時間当たり123mm)をもたらした翌日に、
内地出張を終えて母島に帰ってきました。
本当に家族には留守中に色々と負担をかけてしまい、本当に有難い気持ちでいっぱいです。

母島に戻って妻が作った美味しいローゼルごはんを頂きながら、
島に帰って来た喜びを嚙みしめています。

議員活動と報告を日々行っていたら(主にFacebookページにアップしています)、
だいたい毎週更新していたブログもすっかり空いてしまいました。
僕のブログの一番の目的は忘備録です。
それすら追いつかないほどの出来事の嵐ですが、
綴っていこうと思います。


■10月の議員としての内地出張のメインは小笠原と友好市町村になっている南アルプス市への行政視察でした。
それについては後日まとめたいとは思っています。(で、できるかな?)

他に都庁各関係部署への挨拶や、個人的な議員活動で動きに動いてきたわけですが、
土日はオフということで、そこの隙間を利用して、
3年ぶりにカナダから帰国した長女と、
3年ぶりに再会を果たしました☆

3年ぶりの再会の場所は立川の島想食堂!!
ここは5月にも訪れてイベントをした、小笠原島料理も出てくる、お勧めのお店です。
店主の中西奈美さんは同世代で父島出身。

驚くほど味がじんわりと沁みてくる美味しさで、
前回は満員御礼でゆっくりできなかったので、
今回はゆっくり味わわせてもらいました♡

本当に美味しくて、美味しくてたまらない料理とトーク。

この日、自動車学校でマニュアル免許取得をクリアした長女は、
府中の運転免許センターで学科試験を受けて、
免許取り立てで3年ぶりの親子の再会という予定でした。

しかし、長女は近辺で友達と遊んで来ることとなり、
猛烈に空腹だった僕はお先に美味しすぎる食事を楽しみました♪

ホントに美味し過ぎました♡
どうも有難う!!

■お腹も膨れて、他のお客さんらと話してる中、
3年ぶりに成長した長女が現れました☆

SNSやスマホ、通信の発達のお陰か、そのせいか分かりませんが、
近況を時々やり取りしているせいか、
あまり新鮮味はありませんでした(笑)。

しかし、やっぱり元気な娘の顔を見れるのは嬉しいもので、
出来立ての運転免許の写真を見て大笑いしながらも、
嬉しい再会を果たしました。

そこからは妻の実家、飛騨高山を目指すべく、レンタカーで一路長野へ。
いきなり免許取り立てに高速道路の運転デビューか⁉と思いきや、
初心者マークの購入が間に合わず、僕の運転でまずは安曇野を目指しました。

車中では、久々の親子再開のお陰か、色んな話が尽きません。
元々よくしゃべる親子ですが、まあ語りは止まりません(笑)。

運転する身になって、助手席の怖さを分かったようで、
しきりに「怖い、怖い!」を連発しながらも、
「意外とお父さん、ちゃんと見て運転してるんだね…」
と自動車学校卒業したてならではの目線で語って来る始末(#^.^#)

3年間のカナダでの高校生活。
1年間のカナダでの労働と旅の日々。
至る所に長女の成長を感じることが出来て、親父としては嬉しい限りでした☆


安曇野の朝にみんなで竹パンを焼いて食べるのも最高でした(#^.^#)

夜遅くに安曇野に着いて、
翌朝からも笑っちゃうくらい最高の展開と出逢いが続き、
無事に昼前に飛騨高山に到着しました♪

妻の実家でも長女は進んで洗い物をしてくれたり、
色んな人を気遣ったり、
ホテルで僕が洗濯機をかけてバタンキューしてたら洗濯物を干してくれたり、
今ままででは考えられないほど、ちゃんと異国の地で一人で暮らしてきたんだなと
成長を感じさせてもらいました☆

20歳を迎えて一緒にビールを親子で飲むというのも、
なんだか不思議でした(#^.^#)

■高山でお墓参りやおばあちゃんのご案内などミッションをこなし、
さあ長野に戻るのは、初心者マークを手に入れた長女の運転!!

レンタカーを借りる時にしっかりと手続きもしているので、
保険も利くし、安心して運転を任せれる状況。
免許を取得して2日。
高山で20歳を迎えたその日。
僕は娘の運転する車の助手席でプルプル震えておりました(笑)

想像よりも、左右の距離感や感覚は怖くなく、
一般公道の速度とブレーキのタイミングが怖いくらいで、
長女の緊張具合で、何度か交代しながらも、
高山から安曇野へ戻って来れました☆

波田ではこの1月に小笠原のお墓の戒名彫刻をしに来てくれた弦洋さんファミリーとも再開し、
無事に安曇野に到着しました。

そこから長女は果たしたいミッションがあり、
それは都会よりも落ち着く田舎でやったらどうか?ということになり、
その場で長女を安曇野に放置し、僕は高速道路に乗りました(#^.^#)

高速道路を運転しながら、
そういえば長女の運転の横で寝させてもらったおかげで、
一度も眠くなることなく、安全に立川に戻ることができました。



■立川から戻った翌日からは公務に戻り、議員全員で山梨県南アルプス市へ。
公務の決まった予定の為に、富士山の周りを行ったり来たりの日々でした(#^.^#)

南アルプス市については議員のFacebookページや後日アップするであろう記事に詳しく書こうと思います。

初めて訪れた南アルプス市。
まあ、富士山という日本最高峰の山の存在感と美しい事!!!

ちょうどこの数日で山頂に雪が積もって、
最高の姿を見せてくれました!!


南アルプス市には小笠原村と有効市町村になるご縁があります。
道をあるけば、幾つも「小笠原」の表記が目につきます(#^.^#)
色んな出会いと学びがあったので、後ほど記事に書こうと思います。


他には母島出身の宮澤かれんがミスユニバースジャパンに挑戦し、
見事トップイレブンに選ばれたという快挙があり、
そのお祝いの場にも行くことが出来ました!

島出身の子供が色んな分野に挑戦していく事がとても嬉しいです。
結果も勿論大事ですが、その動きとプロセス、
そこでもたらされるご縁が大事な気がするのです。
かれん、本当におめでとう!!

■そして、長女と1日違いで次女も14歳の誕生日を迎えました!
誕生日おめでとう!!

今回は内地と母島で離れていたので、
残念ながら一緒に誕生日を迎える事はできませんでしたが、
内地から戻る時に誕生日ミッションが発生し、
とてもドキドキワクワクしました☆

次女にとって、母島の暮らしもあと1年半です。
学芸会も直前に控えて、とても大事な時期だと思います。

思春期真っ只中ですので、親父とは大して話をしてくれません(涙)が、
次女の成長やこれからもとても楽しみです!

母島に戻って、ようやく普通の日常を取り戻し、
お祝いのケーキや、冒頭のローゼルご飯やローゼルティー(ハイビスカスティー)を味わいながら、
島の日常がたまらなく愛おしく感じられました♪


ローゼルの出荷や議員活動に追われながらも、
やっぱり島の日常が大好きであることが再認識できました。

夕陽を眺めながら1日を終える瞬間なんて、もう最高です♡

きっと1日の最後に感謝して終える事なんて、どこでも誰でもできる事だと思います。
せわしない僕にとっては、
どんなにあがいても日は沈み、
また日が昇るその圧倒的なまでの自然の流れが、
有無を言わさず一日の終わりを作ってくれて、
本当に有難く感じます。

都会にいると、街は24時間動いているし、
ついつい色々やってしまいがちです。

なので、僕にとってはそんな島暮らしが大事なようです(#^.^#)

いつもいつも至らない僕を支えてくれる家族、
地域の皆さん、応援してくれる仲間、
全ての皆さんのお陰で今日も暮らせています。

どうもありがとうございます<m(__)m>

2023年 母島産ローゼル出荷します!!

2023年10月02日 | ローゼル販売
■お待たせしました!
今年の母島産小笠原ローゼルの出荷開始となりました♪
本日は母島農協に出荷します(#^.^#)

今年は去年に比べると台風の影響も少なく、
生育は順調!と思われていましたが、
最後の9月初旬からの毎日の雨のせいか、
木は僕の背丈(176㎝)を超える程大きいのに、
実成もいいのに、
実の肥大がゆっくりな印象です(#^.^#)

ローゼルは食用ハイビスカスの別名で、
古代エジプト文明の頃から使われていて、
なんとクレオパトラが愛していたとか…
→ローゼルについてはこちらをどうぞ!

美しい紅色を活かして、料理の彩りに。
酸味の利いた味わいを活かして、様々な料理にお使いいただけます。
ジャムにハーブティーに塩漬けにお酒漬けと、
多様な利用が出来ます♪
→加工利用についてはこちらをどうぞ!



■さて、販売についてです。
基本的には島内販売をメインとしていますが、
内地向けの発送も承ります。

今年は議員になったこと、諸事情があり、
作付け本数を減らしています。

もし、予約頂いても、お届けできない場合もございますので、
ご了承下さいませ。
※11月末収穫の晩生ローゼル「うちなーローゼル」は作付けを増やしました。順調です!

【島内販売】
★予約の際には
 ・小袋 約100g(260円)
 ・中袋 約250g(630円)
 ・大袋 約500g(1250円)
 ・無選別 袋なし 1㎏(2300円)
  ※母島内限定、袋なし量り売りでお届けもできます☆(ちょっとお得!)

 ①規格の種類 小袋 or 中袋 or 大袋 or 無選別
 ②数量 何袋(何キロ)
  ※おひとり様1kgまで
 ③連絡先 氏名、住所、電話番号
  を明記してご連絡ください。
 連絡先はブログ左のメッセージ欄、メール、SNSメッセージなどでも受け付けています☆
 直接声をかけて頂いても大丈夫です!
  miyagigian-farm@yahoo.co.jp

父島でも友人農家がローゼルを生産しています。
あまり大量には作っていないみたいですが、
父島の農協直売所に出荷しているそうです。
ぜひとも地産地消で頑張って欲しいと思います!


【内地からお求め】
今年は一人様、最大1㎏までに限定したいと思います。

◎内地発送ご希望の方は下記連絡先までにご連絡下さい。 
<連絡方法>下記のいずれかでご連絡ください。
 ・ブログ左欄にあるメッセージ(連絡先を記入してください)、
 ・Eメール(miyagigian-farm☆yahoo.co.jp ←☆マークを@に変えて送信してください。)
 ・Facebookのメッセージ
 ・電話や島で見かけたときにでも気軽に声をかけて下さい♪

 ①規格の種類:A級(260円/100g) or 無選別(230円/100g)
 ②数量:100g~1kg ※今年度はおひとり様 1kg未満でお願いします。
  (100gでローゼルが9~10個くらいです)
 ③連絡先:氏名、住所、電話番号
 ④発送希望船便(父島出港 10/8、22、29 or いつでもOK!)
 ⑤配達希望時間帯
  を明記してご連絡ください。

(内地発送は冷蔵で発送します)
 内地向けの支払いはゆうちょ銀行への振り込みでお願いします。
 発送時に請求書を同封します。

内容量は注文数より若干多めに入れていますが、
運送中に蒸散で重さが減る場合がありますのでご了承ください。


※2023年秋の出荷はすべて終了しました!
ありがとうございました(^_-)-☆


内地向け発送の場合は、
ビニールに入れるより、段ボールに新聞紙で送るのが一番鮮度保持できることが分かってきました。
見栄えは悪いのですが、いい状態でお届けするのがベストと思いますので、ご了承ください

■ポリシーとして、
作物にとって一番は地産地消であるべきと考えているからなのです。

発送には送料はもちろんですが、多大な流通コスト(発送、梱包、連絡etc)が発生します。

それにはお金が対価として支払われるのですが、
それでは環境負荷に対して補えないものがあると思うのです。
一番は作物はその生産地で消費することだと思っています。

現代の流通の発達のお蔭で、世界は狭くなり、大変便利になりました。
しかし、それによって失われたものも数多く存在します。

僕は持続可能な暮らし実現の為に、
意識は広く、生活活動は狭くあればなぁと思うのです。
内地から沢山の嬉しい声があるのは正直、とても励みになります♪
そしてとてもとても有難いのですが、
なるべくは島内で消費し、加工し、循環していくのが理想だとも思っています。

そんな訳で、今年も内地向けは数量限定で、
予約を受けることになります。
船便に載せるタイミングなどで数量が足りない場合、
諸事情により収量が得られない場合などはこちらからキャンセルさせて頂く場合があると思いますので、ご了承ください。

★また、無選別ローゼルは虫の混入、欠けなどが入っている可能性があります。
風の雨を凌いで、アリなどが中に入っているのがあると思います。
雨風を凌ぐには良い環境なのでしょうが、加工の時はちょっと困る存在です。
剥いてみて、アリがいたら、そっとベランダにでも置いておいてもらえるとそのうちにいなくなります。

また予約状況、天候、生育状況によっては予約されていてもご用意できない場合がございます。
その場合はご連絡させていただきますが、
予約はキャンセルになってしまうのでよろしくお願いします。



■この忙しい10月に今度は議員としての出張も重なってしまい、
色々てんてこ舞いです(#^.^#)

長女も3年ぶりにカナダから帰国したらしく(まだ会えてない)、
久し振りの再開が楽しみです。
もう、お互い顔が分からないかも(笑)。

長女も離れているうちに20歳になるタイミング。
僕が初めて仙台から小笠原に来たのが19歳。

現在僕が42歳なので、
人生の半分は小笠原に住み、
妻や娘達と過ごしているわけです。

そして、2年後には次女も巣立ち、
妻と二人で暮らしていくわけです。
(別れてなければっw)

ローゼルと出逢ったのも、2006年の秋です。
その時は家族でWWOOF(ウーフ)を使った旅で
日本一周をしながら自給自足を学んでいました。

その後、母島に住んでローゼルを生産し、
今では便利屋や議員をやっていたりするわけなので、
人生は分からないものです(#^.^#)

嬉しい風景!父島でムロアジが溢れていた!!

2023年09月30日 | 母島 日常 日記
■今回、議会の都合で4泊も父島にお邪魔しました。
その中で格別に嬉しい、懐かしい景色に出逢いました。

そう、居酒屋にムロアジ料理が並び、
島民が口々に「ムロアジ食べたよ~~!」

島の夏の風物詩、アオムロの漁が行われていたのです!!

これは実はすごく久し振りの光景で、
それがじんわりと嬉しいかったのです☆

ラドフォードのムロアジの刺身。絶品です♡

■僕が父島に住んでいた2009年の頃、
すでに毎年行われていた夏のムロアジ漁はギリギリ実施されていました。

ムロアジはとても美味しい魚で、
刺身やたたき、クサヤなどに最高の魚ですが、
鮮度が落ちやすいために、
本土にそのまま出荷するのに向いていないのが現実です。

一番の漁の目的は、魚を釣るための”餌”として
利用するのが主目的だったのです。

くさやのたたき。釣って2日目になると身が柔らかくて、たたきにします。
ニンニクやショウガと和えるのが僕は大好きです♡


しかし、ムロアジ漁は一人でできる漁ではなく、
一隻に複数人の漁師が乗り、
魚を餌で集め竹の棒で広げた大きな網でムロアジを群れごと獲ります。
これを「棒受網漁」と言っています。

凄く人数も使うし、労力に見合うほどの
収益が見込めるかはなかなか悩ましいみたいで、
近年は冷凍の鯖などを仕入れて、
釣りの餌とするのが主流になって来ていたと聞いています。

そんな中、物価高騰、そして冷凍エサの品質が悪く、
父島では久しぶりにムロアジ漁を再開することになったそうです。

結果、ムロアジが居酒屋などのメニューに並び、
家庭によってはムロアジを頂いて、
沸き立つという懐かしい光景が見れるようになったのです。

→島のレジェンドとムロアジくさやの感動の物語はこちら

■現在、父島では商店が島魚の扱いをやめていて、
一般の方が島の魚を購入するのが難しい状況だそうです。

すごく嘆きの声を幾つも聞いています。

そんな中、ムロアジの棒受漁が再開され、
島民の皆さんは勿論、
僕も目茶苦茶喜んでいました(#^.^#)

僕は食べたムロの美味しさは勿論ですが、
みんなのムロでワイワイしている光景がとても嬉しかったです。
だって、アオムロは村の魚なんですから!

6月に来てすっかり料理の美味しさに魅了された
ラドフォードにお邪魔して、刺身とたたき食べて、
舌鼓を打ちました♡

島寿司もシカクマメの天ぷらも極上でした♥

ご馳走様でした☆


■議会の決算特別委員会で久しぶりに4泊も父島にお邪魔しました。
毎日が凄まじいほどのドラマばかりで、記事にするのが追い付かないのが悩ましいのですが、
母島に戻って来たら、カヌーで一緒に漕いできた仲間引き揚げでした。

色んな離島でスポットで働きながら、
母島が気に入って、年単位のロング滞在になりましたが、
ついに旅立って行きました!
新天地でも頑張ってね☆


夕方、家の周囲の草刈りをしていたら、
突然スコールがやって来て、
そうしたら見事な虹が!!

家にいた次女に声かけて、
二人で虹の撮影。

雨が降った=困った!
ではなくて
雨が降った!=虹出るかな?ワクワク!

そんな心の持ち様が素敵だなと思う、秋晴れの9月末でした(#^.^#)


カノーの石器が語りかけるもの

2023年09月21日 | 小笠原 先史時代
■9月は議員になって2回目の定例会で、色んな質問や動き、まとめをしていたら、
あっという間に20日間も経過していました(#^.^#)

議会の方は議員HPFacebookページの方でアップしてありますので、
そちらをご覧ください(^^♪

この間、議会の他には4年ぶりのカヌー大会や素敵なライヴイベントなどがありました。
そちらは追々アップしていきたいと思います。

まずはタイトルの通り、カノー(アウトリガーカヌーの島の呼び名)の石器を今回、
手に触れて感じたことを書いていきたいと思います。


■この一見、ただの細長い石。

これはただの石ではなく、
磨製石器と呼ばれるもの。

先史時代に小笠原の島々に人の暮らしがあり、
カヌーを彫っていた石器と言われています。
そのきっかけとなった、昭和58年に父島の西町で見付かった丸ノミ石斧。

このドラマは発見者の方からのリクエストで、現在の保管場所を探すことから始まりました。
この石斧は父島の教育委員会の金庫に大切に保管されています。

発見者は現在、島の暮らしを支える貨物船、共勝丸の所長さんです。
たまたま5月、島のおがさわら丸ドック中の物資問題で東京の共勝丸事務所を訪れて話していた時から、
カヌーの話になり、この石斧の話になったのです。

島に戻ってから父島の教育委員会、
そして東京都のビジターセンターの係の方にも一生懸命探してもらいました。

そして、なんとかこの石斧が見つかりました!。
その節は本当にありがとうございました☆

これは先史時代に小笠原にカヌーの民が暮らしていたことを示す、重要な発見でした。

発見が地層とかではなく、旧島民の改築の家からだったので、
出所が不明で重要文化財の指定にはしにくいようですが、
戦前から確実にトウモロコシ等を潰す道具として使われていました。

この石斧の発見がきっかけで東京都の考古学調査の予算が2年間分ついて、
三日月山の遺跡、母島の沖村遺跡、北硫黄島の石野遺跡の発見につながっているのです。

それらの発見は、現在定説となっている江戸時代に最初の定住者と言われているナサニエル・セーボレーらの時代から
現代に至る小笠原定住の歴史の前の時代に人の暮らしが島に有った事を示す、重要なものでした。

カヌー文化研究会の映像を同じ議員仲間の清水さんのFacebookで知ることが出来ました。
9分ごろから小笠原のカヌーについても触れられています。


この石斧へのドラマをきっかけに、島のアナログ映像資料のデジタル化、
その後はケーブルテレビやYoutube配信で有効に活用できる仕組みができないかと思っています。

9月の議会で小笠原の文化財産の管理と有効活用について、
一般質問を行いました。
→議事録はこちら

今回の一連の動きで、デジタル保存化は進むことになったので、
とても嬉しく思います★


■そんな石斧にまつわる発信をしていたら、
世界的にも有名なハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」の話が友人から舞い込んできました(#^.^#)

2026年、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」が太平洋航海を実施し、
日本にも寄港することが決まっています。

小笠原では先史時代に人が住んでいたことが分かっていて、
その手掛かりはカヌーを彫っていた石器の存在があります。

石器は父島、北硫黄島から見つかっています(母島は貝の道具が発見)。

その石器は伊豆諸島とマリアナ諸島の石器に類似していて、
先史時代にカヌーで人が行き来していたと考えられています。

ホクレアは70年代に建造され、最初のハワイ~タヒチ間の伝統航海を成功させてから、
各地の先住民のアイデンティティを蘇らせてきています。

日本で現代に通じる文化の中で、一番最初にアウトリガーカヌーが伝わったのが小笠原です。
今もカヌーは使われています。

しかし、文化という意味でも太平洋戦争時の強制疎開が大きな影響を与え、
戦前と戦後では大きく分断し、現在はまさに文化の形成途上にあると思います。
そんな小笠原だからこそ、ホクレアに来てもらいたい。
色んな島のスピリットを蘇らせたいと願っています。

そして、小笠原とミクロネシアを繋ぐルートを復活させたいと願っています。

今、僕が踊っている郷土芸能の南洋踊り。
これは確実に南から来ている文化です。

カヌーを漕ぎ、南洋踊りを踊る時に意識することは、
先史時代の島の民の暮らしと、南への航路なのです。

昨晩、ハワイのネイティブの教えを学ばせてくれた、
たろちゃんと久しぶりにお話をして、
丁度、先日大事な石器を手で触れて、
改めて、歴史と文化とご縁が繋がる奇跡を感じています。
どうもありがとう!

たろちゃんがアロハ未来という、
2007年ホクレアの日本公開の時のドキュメンタリー映像を教えてくれました♪

He Wa’a He Moku, He Moku He Wa’a
Mahalo!!!

Aloha 未来

道具を愛でるということ

2023年08月31日 | 母島 日常 日記
■先日、母島の暮らしで日常にめっちゃ利用している愛車カブ90DXのメンテナンスを行いました。
やったとことは大きく3つなのですが、
それで一気にバイクは生まれ変わり、
さらに軽快に島の道を走ってくれるようになりました♪

日々使っている時は、
特に不自由なく思っていたのですが、
メンテナンスをしてみて、
「ああ、こんなに頑張ってくれていたんだ!」
「本来はこんな力があったんだ!!」
と思わせてくれるほどの効果があります。

ギターの弦の交換後もそう思ったりするのですが、
やはり道具の日頃のメンテナンスの大事さを思い出させてもらいました。

今回はそんな道具を愛でるお話です☆


■さて、僕の愛車HONDAスーパーカブ90DXは今年で27歳を迎えるベテラン選手。
去年は東北一周を見事に走り切り、まだまだ現役であることをしっかりと教えてくれました。
来年は九州を行ければなぁと企んでいます(#^.^#)

今年の春にハンドル交換
2月には後輪のスプロケットを交換しました。

今回はタイヤの前輪と後輪の交換、
フロントのスプロケットの交換を行いました。

まずは少し手間のかかる後輪の交換です。
まるでF1のスリックタイヤの様にツルツルになってるタイヤでした(#^.^#)
これじゃあ雨の時にスリップするので、流石に限界でした☆

島のベテラン農家さんに聞いたら「3か月に一回交換するよw」と言われ、
めっちゃビックリしました!!
母島は小さな島ですが、畑と畑、出荷と行き来する上に、
道路はアスファルトではなくコンクリートなので、
減りが尋常じゃないみたいです( ;∀;)

うちの畑もオクラやモロヘイヤが安定して採れるようになってきました♡


■後輪外すついでに、ずっとやろうと思っていたフロントのスプロケット交換!
スプロケットというのはエンジンの回転をタイヤに伝えるチェーンにかかるギア部分の部品で、
1万km毎に交換する部分です。

2月にリアのスプロケットを交換していたら、
島の先輩に「ちゃんとフロントの減りも確認しなよ~、多分減ってるから」と言われていました。

カブの場合、カバーに隠れて見えない部分なのですが、
今回はようやく拝見することになりました(^^♪

ど~ですか!この新品(手前)との違いわ!!

今回はギア比も変えてみて、15個から16個のギア数に変えてみました。
いわゆる加速よりもスピードの伸びや最高速を伸ばす変更です。

作業中は手が油まみれで撮影できないのですが、
見事な仕上がりです(#^.^#)


結果、島の走りに見事にマッチしていて、
3速だけのカブ90がさらに最高になりました(#^.^#)
こりゃ楽しい♡

島に整備工場があるので、お金を払ってお願いするのも勿論アリなのですが、
僕の場合は、
やはり自分で愛でた道具というのは、
愛着も付き合い方も変わります。

子供の頃に自転車屋さんで、
かぶりつくように眺めていた時から、
自分でやるようになって、
やっぱりとても楽しいのです。

機械油の匂いと汚れた手が、
なんとも愛おしく感じてしまいます。


■リアのタイヤとスプロケットを交換したら、
今度はフロント側です。

こちらも見事にF1タイヤ状態。

こちらも交換して、見事に元のグリップを取り戻しました。

人生で、色んなバイクをいじって来ましたが、
この世界で一番売れているカブというバイクは、
メンテナンスがとてもしやすい工夫、
日常に使いやすい工夫が随所に見られていて、
開発の方たちの想いがヒシヒシと伝わって来ました♪

道具を愛でる時に、
その道具は勿論ですが、
その道具を作ってきた人たちの事に想いを馳せると、
尊敬の念に溢れ、感謝の気持ちでいっぱいになります。

だから、道具を愛でる事って好きなんです♪

ついつい、日常の忙しさや、暑さのせいにして、
道具のメンテを怠りがちなのですが、
やはりメンテするたびに楽しく、感動を頂きます。
本当にありがとうございます!!


■そんなある日の夕方。
そんなカブのカゴからはみ出し、
ご家庭のまな板に乗らないサイズの
お魚を漁師さんに頂きました。

キハダマグロ1本!!

高速で泳ぐ、
その美しい流線型の身体。
いつも魚の機能美にもうっとりしちゃいます☆


夕方ドタバタと捌いて、
寝る前に晩酌と共に
美味しく頂くという幸せ♡

キハダマグロ、
本当にありがとうございました♪

母島に遊びに来ていた、
友人家族にもお裾分けできました(^^♪

大変な事もあるだろうけど、
これだから島暮らしは最高なんです(#^.^#)

魚を捌く時も、
出刃包丁、刺身包丁の素晴らしさに、毎度感動します。
まな板もやっぱり素晴らしいです。

包丁もまた研いで、愛でていきたいです(#^.^#)


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戦没者追悼式と大好きな先輩の旅立ち

2023年08月26日 | 戦争と貧困
■今年も8月15日がやって来ました。
終戦記念日です。

毎年、この時期になると、広島、長崎の原爆被害、戦争を考え、
命について考えさせられます。

太平洋戦争の激戦の地となった硫黄島がある小笠原。
21,900人が戦死し、まだ1万柱以上のご遺骨が眠ったままの硫黄島。
毎年、遺骨収集は行われていますが、ご遺族の高齢化も進んでいると聞いています。
戦後78年を迎える今も、硫黄島の戦後は終わっていないのです。

小笠原に移住してから、この8月15日はずっと戦没者追悼式に出れる限り出席してきました。

僕は小笠原に移住するまで、
戦争を経験していない、戦争の話を直接聞くことの経験があまりありませんでした。

この追悼式に出席する事、それから島の戦跡や歴史に触れる事、
介護や硫黄島訪島事業でご遺族の話を聞くこと、
沖縄に行って様々な戦争を知る機会などで
少しずつ戦争というものが、どれほど悲惨な事かという事が少しずつ分かって来ました。

今も、ロシアとウクライナの戦争は1年半以上も続いているし、
様々な小さな紛争はこの今も起こっています。
軍事費が増やされ、核抑止論などもよく語られるようになってきています。

凄く悲しいことです。
戦争を決定するのも、動かすのも国の上層部ですが、
いつも被害を被るのは一般市民です。
世界平和を実現しなければなりません。

日々、島のレジェンドと関わると、
戦争当時の話を聞くことがあります。
親戚や、優しかったあの兵隊さんが硫黄島へ向かい、
帰らぬ人となった話など幾つも聞くのです。

小剣先山の麓で、米軍に機銃掃射を受けた時、
パイロットと目が合って、相手は笑っていたという話も聞きました。

今お話を聞かせてくれる80,90代のレジェンドは
多感な十代を、島の暮らしを戦争に翻弄され、
強制疎開で慣れない本土での生活を強いられたのです。

その度に胸が締め付けられます。

戦争が無ければ、あのまま楽園だったと思える硫黄島。
今回の8月15日は本当に色んな事が起きて、
沢山の学びとなりました。

■母島の戦没者追悼式はお昼少し前に始まります。
12時ちょうどの防災無線による黙祷に合わせる為です。

今まで、一般島民や青年会、PTA会長など、
色んな立場で出席してきましたが、
今回は村議会議員としての参加でした。

今回は準備から関わらせて頂きました。


そして、この日をずっと緊張して準備を進めていた人がいました。
次女です。
追悼式の「平和の誓い」として、
子供代表で出席していました。

次女はこの時、中学2年生。
丁度硫黄島の勉強をするタイミングでした。

夏休み前の硫黄島訪島事業(上陸無しの3島クルーズ)は、
なんとコロナに感染してしまい、残念ながら次女はお休みになってしまいましたが、
夏休みに母親と広島の平和記念公園に行き、
原爆の被爆者の話を直接聞いて、
戦争への理解、そして自分たちの今後の行動についてもよく考えているようでした。

そして、8/15に母島にいる中学生は次女だけということが判明し(夏休みでみんな留守!)、
彼女が平和の誓いをスピーチすることになりました。

前日の夜は日付を跨ぐほど、文章を考える程、
ずっと話す言葉を選んでいました。

当日、ドキドキのリハーサルを経て、
しっかりと本番では平和の誓いを話していて、とても素晴らしかったです!


次女がスピーチする前ですが、
みんなで黙祷する1分間、平和の鐘が鳴らされます。
その瞬間、いつもみんなの祈りの波動を強く感じるのです。
とてもとても大切な時間だと思います。

平和への祈りが力を感じさせてくれました。

1日もはやく、世界が平和になるように、
1日もはやく、ご遺骨が見つかって本土、ご遺族の元に帰れることを願ってやみません。


■そして、今回の8月15日は別の意味でもとても大きな1日でした。
その日の朝に大好きな母島の先輩が亡くなったのです。

50代という若さで、天へと旅立って行きました。
あまりにはやいお別れでした。

大好きな小笠原太鼓を叩き、
優しく教えてくれて、
カヌーも一緒に漕ぎ、
男フラの時のパーカッション(一斗缶と便所スリッパw)をしてくれた、
大好きな大好きな先輩でした。


その3日後の8/18に火葬式を行うことになりました。
内地から急遽、ご親族も来島し、
大好きな先輩のお別れとなりました。

みんなの太鼓が鳴り響き、
先輩が大好きなレゲエが流れる、
厳かで温かい雰囲気の火葬式でした。


父島からも村長や課長さん、
友人が駆けつけてくれました。

僕は去年から母島の火葬場のオペレーターとして仕事をしていて、
すでに数回経験をしています。
誰一人知らない人を火葬したことはありません。
みんな生前、話したことがあるし、
仲良くさせてもらっていた方たちばかりでした。

年齢も100歳を超えるレジェンドもいらっしゃって、
本当に心からお疲れ様と思える火葬をしてきました。

でも、今回は、
僕は骨を拾いながら、
急に寂しい気持ちがこみ上げてきて、
目から涙が溢れました。
ただただ、寂しい気持ちが溢れてきました。

前日まで、思い出コーナーとして準備する写真の取り込みや、
遺影の写真を選ぶ作業をしたりして、
ああだこうだ言いながら、
でも家族の先輩を想う気持ちがすごく優しくて、
骨を拾うまで、こんな気持ちにならなかったのに…
この文章を書いている今も寂しい気持ちが溢れて止まりません。

きっと天国で先に待っているお師匠と、
笑顔で飲みながら太鼓を叩いていると思います。

大好きだった先輩、
心からご冥福をお祈りします。



■この1年間、
こんなに命の事を考える事はないのでは?と思うほど、
色んな魂を見送って来ました。

誰にでも平等に死は訪れるものだけれど、
こんなタイミングってないでしょ⁉って思うような別れがあります。

当時は疑問にも思いませんでしたが、
39歳で亡くなった父も、55歳で亡くなった母も、
今思えば早すぎるのです。

あまりの現実に心が追い付いてこないのです。

僕自身もいつ死ぬか分からないので、
後悔のないように生きようと強く思わされます。

戦争をなくすことはもちろん、
みんなが笑って過ごして、
みんなが笑って最期を迎えれるような、
そんな世の中にしていきたいと思える、そんな夏の日でした。

どうもありがとうございました。








僕が好きな【島でのイルカ・クジラとの関わり方】

2023年08月13日 | 小笠原 野生動物
■僕は今、母島で暮らしています。
そして、SUPやアウトリガーカヌーを漕いでよく沖に出ます。

有難い事にその暮らしの中で冬は特にザトウクジラ、
夏はイルカ達(ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカ)に出逢うことがよくあります。


先日もSUPで御幸ノ浜沖でハシナガイルカの大群に逢うことが出来ました。
船だと船の引き波に乗って、いやっほう!と遊んでくれるハシナガイルカですが、
SUPやカヌーは速度が足りないないらしく(涙)
大体、スルーされることが多いのですが、
今回はSUPの下に寄って来てくれました♡
たまにあるんです(#^.^#)

手漕ぎのSUPやカヌー、
もちろんエンジンのボートなどは
イルカやクジラにとってはどんな存在に映っているのでしょうか?

カヌーを漕いでいて、親子連れのザトウクジラに出逢った時、
母親やエスコートと呼ばれるオスのクジラが子クジラを守る様な動きをすることがあり、
明らかにこちらを意識していると感じました。

漕いでいる僕や仲間たちにとって、
このイルカやクジラとの遭遇はとても嬉しくて、興奮して、つい近寄りがちです。
だけど、相手が警戒していると感じる時は特に最新の注意を払います。
それは僕たちが相手の世界にお邪魔している立場で、楽しませてもらっているからと考えています。

ザトウクジラにいたってはとても大きくて、
メスだと15m(大型バス1台分)くらいになるので、
仮に接触、ヒレに当たる、ブリーチ(ジャンプ)して当たったら命の危険をはらんでいます。

漁船などエンジンのボートで接近する時はあまり気にならないのですが、
カヌーで接近する時、SUPやカヤックで接近する時は間違いなく怖さを明確に感じます。

その怖さ、そして畏敬の念がとても大切な気がするのです。


■僕は仙台の生まれ育ち、何故か子供の頃から鯨類が好きで、
よく図鑑やNHK「生き物地球紀行」でクジラ特集を食い入るようによく見ていました。

震災前まで女川にあった捕鯨の博物館(現ホエールランド)にも子供の頃、父親に連れて行ってもらい、
図鑑やTVでは分からないその迫力に感動した記憶があります。

19歳の頃、初めて観光で小笠原にやって来て、
当時カナヅチだった僕がイルカと泳ぎたい一心で泳ぎを習得したという経緯があります(#^.^#)
ほんとに水が怖かったんです(笑)。

その頃、父島にサザンクロスⅤというガイド船があって、
船長の東城さんのイルカやクジラに対する優しい考えやアプローチが素敵だなと思っていました。

21歳の頃に父島にやって来た時は、宿で仕事をしていました。
もう東城さんは残念なことに亡くなっていて、
僕は休日に色んなボートでホエールウォッチングやドルフィンスイムに通っていました。

何度も何度もツアーに出ているうちに、
ふと違和感のようなものが僕の中に感じられるようになりました。

自分たちは楽しむ為にイルカやクジラに接近している。
でも気付けば複数のボートで入れ代わり立ち代わり人を入れて、
群れに対して追いかけまわしている印象を持ち始めたのです。

ノビノビと遥か彼方(中央奥)で跳ねるハシナガちゃん。

■小笠原は小笠原ホエールウォッチング協会(OWA)があります。
捕鯨が国際的な流れで中止になり、その翌年の
1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
小笠原は最後の捕鯨の重要エリアとして基地があったのです。

当時、捕鯨が出来なくなったタイミングで、
すぐに獲るものから見るものへと転換したその柔軟性が凄いと思います。
島の先人たちは、この先を見越し、模索して
ハワイなどにウォッチングの視察に行き、
ルールや在り方について学びに行っていたそうです。

そして、小笠原ではOWAがクジラの接近に関して自主ルールを設けて、
イルカに関しては小笠原観光協会が運用して、
現在も近付き方、距離、回数などの制限を設けています。

これは大事な観光資源でもある、イルカやクジラと、それで商売をしている人たちのバランスを考えた、
国内でも先鋭的なルール設定だと思います。

僕はそのルールに関して、違うとかどうとか思っているわけではないですし、
それでガイドをしている皆さんに対して不満を持っているわけでなくて、
僕自身がそのツアーに参加してエンジンボートでアプローチすることに違和感を持ち始めたという事です。

丁度その頃、父島の宮之浜での素潜りが盛り上がっていて、
「チーム宮ノ浜」なんてのもあった頃、
宮之浜でミナミハンドウイルカと遊んできたという話が飛び込んできました。

僕はそこでピン!ときました。

僕はボートで会いに行くスタイルよりも、
海で遊んでいて、ふと偶然にイルカとコミュニケーションを取る、
遊ぶの方が好きだなぁ、と。

SUPで自然に出逢うハシナガイルカ達

■気付けば小笠原に移住していて、
今ではイルカやクジラが暮らしの身近な場所にいて、
年間通してよく海に出ている僕には日常の存在になってきました。

もうあの違和感を持ってからは、ほとんどガイド船に乗ることはないのですが、
海岸清掃やPTA行事、仕事などで沖に出て遭遇することはあります。
その時はやっぱり嬉しいし、思わず写真も撮っちゃいますが、
僕はSUPやカヌーを漕いでいて、偶然に出逢う方が好きなようです。

エンジンの付いたボートでは味わえない、
沖の静寂な中にかすかに聞こえるイルカの呼吸の音、
ザトウクジラの歌声が海面の上にいても直接聞こえる感覚、
どんなに一生懸命漕いでも、野生のイルカやクジラの速さや存在感に叶わないという、
圧倒的な無力感、
そのどれもが僕にとっては大好きな在り方でした♪

母島はガイド船というものがあまりないので、
SUPやカヌーで静かに眺めていても、
急にボートが集まってくるという事はまずありません。

実際にカナダに行った時、
テレグラフコーブ、アラートベイで感じた、
シャチなどの鯨類に関するアプローチ、そしてレクチャーの仕方や、
ガイド同士の連携、船の操船やエンジンと音まで配慮するその姿勢は
とても素晴らしく、感動を覚えました。
当時の感動はブログ記事に書いています。

近年、奄美のホールスイム等が話題となり、
SNSでもよく見かけます。
実際に経験した友人、知人の話、
実際に現地でガイドしている友人、
クジライルカ会議でのホエールスイムでの論議、
今、日本においては、ヒトと鯨類の距離感について
とてもホットな話題だと思います。


■そんな中、子供の頃から大好きで食いつくように見ていた図鑑の作者でもある人の言葉が飛び込んできました。
写真家でジャーナリストである著者の水口博也さんが、
とても興味深い記事をOWAの機関紙メガプテラVol.93号に書いていました。

これは本来OWA会員に配布される機関紙ですが、
年に一度程度、島内全戸配布を行っています。
今回はそこに載せられた記事で、
OWAの気持ちのこもったスタンスが感じられました。
勿論、賛否両論があると思います。

人が鯨類に近づき過ぎる事、ハラスメントの影響を警告し、
ずっと関わってきた水口さんならではの考察、
最後の一説にはさすがの一言に思えました。

「化石燃料を燃やし続けて鯨類の親子を追い回しながら、
感動の出逢いを謳うという欺瞞(ぎまん)からは動物福祉の観点からも、
気候変動を最小限にする地球人の義務としても、そろそろ決別すべきときだ」
と。

そして巻末のOWAからの一言にも、
「野生動物観光の持つ負の側面をみんなで一緒になって考え、
解決していく事が大切だと思っています」
と書かれています。

僕はこのタイミングでこの発信はすごい勇気のいる事だと思うし、
常に時代と、生き物と自然を考えて、柔軟に考えていこうというスタンスは
とても素晴らしい事だと思います。

そしてここではごく一部を切り取って紹介しているだけにすぎないので、
ぜひ機関紙メガプテラVol.93をしっかり読んで、
理解を深めてほしいと思います。


■この小さな小笠原においても幾つもの自主ルール、条例があります。
それは何も自然系だけでなく、人の暮らしにも様々なルールがあります。

それは先人の皆さんがその時のベストを考え、
最善を尽くして考えた結果だと思います。
本当にリスペクトの気持ちでいっぱいです。

しかし、時間の流れ、時代、価値観、自然は刻一刻と状況が変わっていきます。
常に過去に設定したルールが、
現状に合っているか?を見直す柔軟な姿勢は今後、とても大事な事だと思います。

そして、僕個人の考えになりますが、
一つのルールがあるのも大事ですが、
白黒のどちらかではなく、グレーを含む多様性が大事な時代になっているとも思うのです。

黒が白を塗りつぶすのではなく、
白一色にするわけでもなく、
どんな色も在っていい、大事なのは決め事よりもバランス、
そして常に見直して変える柔軟性が重要、そんな気がしています。

価値観の多様性を認める事。
言葉にすれば簡単ですが、
それはとても難しい事だと思います。

そして、その全体をみんなで漕ぐ一つのカヌーであるという意識。
イチ分野、イチ視点だけでなく、全体を見ることの大切さ。
価値観が違ってても、共に生きて、漕ぎ続けようというスタンスが重要になっていると思うのです。


■そして、それを生業としている人だけが考え、
実行するのではなく、
それらを利用する側、消費する側も、
考えてセレクトすることが求められます。

それがそのまま投票になります。
利用する側、消費する側も選ぶという意識を持っていることが大事と思うのです。

ルールで決まっているから、とか、
今までこうだから、ではなく、
自分自身の責任で以て考え、判断し、それを選んでいくこと。

それが今混沌と化している、
どこに向かえばいいか見えにくい時代において、
健全な世界を作って行く方法な気がするのです。

今でも追いかけまくっても、
どうせ毎年小笠原に来るんだから、
自主ルールなんて気にしなくていいという人もいるし、
大事な資源なのだから、
大事に気を遣って接していくべきという人もいます。

どっちが正しい悪い、ではなく、
よく考えてどっちを選んでいくのか、だと思うのです。
そしてどっちも存在できる社会がこれからの時代な気がしています。

日々、大好きな鯨類に関わる中、
この人と野生動物の関りの事をずっと書こうと思っていたら、
OWAの機関紙が配布されて、一気に記事にしちゃいました。

あくまで僕個人の考察ですが、
皆さんが地球に住む一つの命として考えて、
これからの未来に向けてカヌーを漕ぐ一員として、
考えるきっかけになれば幸いです。

長文を最後までありがとうございました!!

強い台風7号「ラン」通過!!母島

2023年08月11日 | 母島 台風
■台風7号「ラン」が母島、小笠原諸島を通過しました。
今年初の台風の直撃でした。
ゆっくり目の台風なので、まだ強風域です。

当初の予想では、
割と島の東を通過するし、
勢力も970hPaとそこまで強くないし、大丈夫だろうと思っていました。

しかし、最接近2日前になると予報がどんどんと変わり、
速度が遅く、勢力は940hPa、最大瞬間風速は60m/sと侮れない数字に。
僕も含め、最初は舐めていた島民も慌てて台風養生をしっかりする展開になりました。


結論から言うと、今回は弱った木の倒木が見られるくらいで、
停電もなく、家屋の損傷などはあまり見られていない気がします。

当初の予想では2019年の未曾有の大被害をもたらした台風21号に匹敵するかもと、
ドキドキしていましたが、
フタを開けてみれば、割と大きな被害のない穏やかな台風通過となり、ホッとしています。

毎度、台風の度に思います。
「養生しただけ損したね、が一番だよね」と。

最接近の前日の夕方に、
内地から帰って来たばかりの妻と次女が外の様子が見たい!と言うので、
安全な範囲で見廻ってみました。


気象庁の予報では940hPaでしたが、
実際の手元の気圧計では975hPaでしたし、
Windyでも977hPaだったので、
そこまで危険な気圧にはなってない気がします。

それでも、間違いなく風速30m/s以上は出てるし、
沖に出たらアウトな海況ですので、
やっぱり台風はヤバいです。

現在の母島は吹き返しのピークも過ぎて、ホッとしています。
避難所は8/10の17時から、今の段階も続いているので、明日の朝まで続くでしょう。

何度か避難所にも顔を出しました。
避難している方もそうですし、
避難所を運営管理してくれている役場の方も本当にお疲れ様とお伝えしました。

避難している高齢の方の自宅の倒木は、
簡単ですが片付けして、通れるようにしてきました。

これから台風7号は伊豆諸島、そして本土に向かって行ってます。

最近は小笠原を過ぎてから台風が発達するケースも多く、
その後がとても心配です。

無事の通過を祈るばかりです。

■母島の養生はまず、漁師の船の丘揚げから始まる気がします。

今回は若手の漁師がみんな夏休みで家族で内地に長期休暇に行っているので、
割と年上の漁師さん達ばかりで、すんごく大変だったと言ってました。
本当にお疲れ様です!!


ははじま丸も9日に入出港の接続を行い、
その後は数日間欠航となっています。

内地に行っていた妻と次女も、ギリギリこの便で帰ってきました♡
1か月振りに自宅に着いた次女も、
怒涛の内地を駆け巡って、ようやく自宅に辿り着き、
ゆっくり休めているようです(#^.^#)

母島に帰ってきた時に、
じんわりと嬉しそうな表情をしていたのが印象的です。
やっぱりホームっていいですよね♪


売店も接近前の最後の営業で長蛇の列が!!
みんなお菓子やお酒、カップラーメンに普段買わない食材など、
なんだか楽しそうにも見えます(^^♪

■畑の作物も、台風をなんとか乗り切って欲しいですね。

夏の主食のモロヘイヤも、一度潮枯れするでしょう。

100本のローゼルも倒れるでしょうが、
また起こします。

硬さよりも、柔らかくしなやかの方が実はたくましいのです。
人間も一緒かな(#^.^#)

島オクラはごっそり実を落としました。

重いとそれだけ風の影響を受けるので、
実を軽くするためです。

正直、母島も父島も思ったよりも穏やかに台風が通過していったので、
今はホッとしています。

しかし、これからのコースが心配です。
洋上や停電の備えをして、無事を祈るばかりです。

自然界において台風は間違いなく脅威ですが、
冬というリセットのない亜熱帯の小笠原にとっては、
なくてはならない存在です。

台風がもたらす雨水、
海から山に戻すミネラルと塩、
徒長した枝を整理する強風、
高温で白化しそうなサンゴの復活など、
ちっぽけな僕の目と頭ですら幾つも存在意義を感じられる台風です。

大自然の中では人なんて、
本当にちっぽけなんだと思い知らされるのも、
大事な気がするのです。
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■父島の友人が歌手のUAの記事をシェアしてくれて、
大事な気持ちを思い出させてくれたので、
ここに記しておこうと思います。

大好きなUAが13回目のフジロックを終えて、
感じている事。
「実は先週まで、ホテル住まいだったのね。
高層ビルの迫る窓から見下ろす景色は、猛スピードで行き交う車、
夜中も騒音は絶えることなく、照りつける日差しの下、
行き交う人々はいまだマスクをして、うつむきがちに歩いてる。
街路樹まで息苦しそう。

先に、五月の真夏日、なんて書いたけ ど、その比じゃない今夏、鉄板焼きの上を歩くかのよう。
この焼け付く暑さは、自然を破壊し続けた私たちへの直球のメッセージじゃないのかなって。

コロナ禍に強いられた規制は耐え難かったとは言え、
世界的に経済活動が緩やかになったことで、自然環境が健やかに変化したことは、
これからやってくる気候変動と社会のあり方を予見するものだったと思い出されるよ。」


3年前、初めてのコロナ禍の行動制限でインドや中国の空気が綺麗になって、
今まで見えなかった山々が見えたという話を思い出しました。

内地から帰って来た妻子も、
内地の夏の暑さは尋常ではなく、
島の涼しい風と海に救われたと言っていました。

あまりの暑さにクーラーを設置して、
さらにその室外機からは熱風を吐き出して、
さらにヒートアイランド化が進む。

ゼロカーボンを宣言した小笠原村。
しきりに父島の良さんが議会でも訴えているけど、
もっともっと自分たちにできる事を模索して、
それぞれが考えて動かなければと思います。


終末期をどう生きるか?

2023年08月06日 | 母島 日常 日記
■便利屋を開業してから、
人が亡くなった後の片付けや、居抜きの部屋を片付ける事があります。
そこで人の終末期というものについて考えさせられることがあります。

誰にでも平等に死は訪れるし、
人は最後はひとりだと思うのだけれど、
人の終末期の形は様々だと思います。

僕の父は母と離婚して、別に暮らして8年後に病死しました。(享年39歳)
尊厳死を望んでいた母はカナダで脳死状態となり、
最愛のパートナーに見守れながら、最後を迎えました。(享年55歳)
※2014年に尊厳死というテーマで記事を書いています。

人はどれくらい、
自分が望んだような死に方ができるのか?
人が死ぬとき、どんな想いになるのか?

野生動物は、
自分で生きていけなくなったら(食べ物を採れなくなったら?)、そのまま死んでいくのが多いと思います。
写真の元気に跳ねてるイルカだって、最後は死にます。
丁度、島のレジェンドを散骨した帰りのジャンプでした。

僕も子供を授かってから、
ネイティヴ・スピリットに興味が出て、
その最後の死に方に憧れもしました。
「今日が死ぬにはもってこいの日だ」
そんな想いで最期を迎えたいと今でも思っています。

僕も42歳になってみて、
若い頃とは違う身体を感じています。
もう夜更かしはできないし、体力も衰えてくるでしょう。

最近はリアルに人の終末期を感じる機会が多くなりましたが、
今自分が一番最初にしようと思った事は、
家族を、仲間を、人のご縁を大切にしようという事でした♪

■議員になってみて、
人の終末期の希望に寄り添える仕組みが作れないかと思っています。

父島にはあるけれど、
母島にない老人ホームみたいな施設なのか、
それとももっと安心して、
自宅で最後まで住み続けることをサポートする仕組みなのか、
どれが正解なのかは分かりませんが、
実現できればと思います。

島の大先輩達からも切望されている問題です。
母島では小笠原空港よりも、
よっぽど住宅問題と終末期の問題の方が切実な気がしています。

そして、自分自身の人生の終末期も、
議員としての仕事も、
みんなの知恵と力を借りて、
住みよい島に出来ればと願ってやみません。


■今日は77年前、広島に原爆が落とされた日です。
僕はまだ広島や長崎に行った事はありませんが、
近いうちに必ず訪れるつもりです。
世界が早く平和になって欲しいと祈り続けています。
そして、核のない世界の実現を願っています。

そんな本日、
西と南の海が悪くてカヌー練習が中止となったので、
北港に行って来ました!

久々にロングフィンを出してきてシュノーケルをしたのだけれど(最近はほとんどギョサンにゴーグルばかりでした)、
うねりもなく、透明度が抜群で、
凄く気持ちのいい海でした♡

何千という黄色い魚(名前わからず)の大群に囲まれ、
なんだかすんごく心がリフレッシュする海でした♪

そのあとは約束していた大好きな家族に
ファミリーポートレートを撮らせてもらい、
SUPで沖合へ。

東北出身で、19歳で初めて父島に来るまでカナヅチだった僕ですが(笑)、
今はこうして毎日のように海に行っては充電させてもらっています。

僕にとって海って、確かに体力は奪われるのですが、
確実に色んなエネルギーを充電できて、
リフレッシュできる場所になっています。

自営業がメインだし、畑もやっているので、
100%休日という日はない(作ればできるけどw)のですが、
日曜日はやっぱりどこか肩の力が抜けて、
ゆっくりしようかなぁと思って、
北港で読書もしました。

発売されたばかりの「硫黄島上陸/酒井聡平」。

祖父が硫黄島が戦場になっていた頃に
父島で無線の通信の仕事をされていた方のお孫さんにあたり、
滑走路下の遺骨収取にも関わった方の本です。

まだ全部は読めていませんが、
生々しい描写で、圧巻です。

1日も早く、世界が平和になりますように。

いのちを想う

2023年07月25日 | 大切にしていること
■先週、僕は急に腹部が痛くなりました。
キリキリと辛い痛みでした。

丁度、それは父島に用事があって、
行っていた日の夜に痛み始めたのです。
まあ、一晩寝てれば良くなるだろうと安易に考えていました。

しかし、それは朝イチはいいのだけれど、
次第に父島で動いてる中でもキリキリと痛み出しました。

北港の水中から太陽を臨む

それでも楽天家の僕は、
ははじま丸で寝て休んでいれば、まあ治るだろうと思っていました。

しかし、母島に着いても痛みは一向に治まらず、
そのまま入港日の配達作業(宅急便など)に突入ました。

痛くて走れないし、
重い荷物が持てない。
ようやくここで、
僕は深刻に考えるようになりました。

痛いのは体の左側のお腹と胸の間部分。
なんの臓器があるのかな?

次女はバレーの遠征でもう内地に行ってるし、
妻は3日後に船に乗って内地に行ってしまう。

独り島に残って仕事を続けるつもりだったけれど、
もしかするとそれもできなくなるかも?

子どもも大きくなって、
最近はいつ死んでもいいだろうと思っていたけれど、
いざ、お腹が痛み出すと、それなりに怖く感じるようになってきました。
人なんて弱いもんです。

カヌーの浮き(アマ)部分に乗ってる巨大ナマコ

盲腸かな?
胃かな?
もう40代だし、ガンかな?
ここ数年、40代で亡くなっている友人、知人が数人いるので、
そんなことも頭をかすめました。

あまり普段お腹が痛くならない僕は、
勝手に色々想像して怖くなってきました。

覚悟していたと思いつつ、
人間なんて脆いもんです。

あまりにお腹が痛くて仕事にならないので、
夕方、急遽診療所で診てもらいました。

島のドクターの診断は、
姿勢や向きで痛みが変化するので、内臓ではなく、お腹周りの筋肉が傷んでいるのでは?とのこと。

得体の知れない、内臓由来ではなく、筋肉系じゃないかと聞いて、
心底ホッとしました(#^.^#)

最近北港でよく見かけるギンガメアジの群れ
診察の後、そのまま入港日の宅急便の配達に戻りましたが、
症状が回復しているわけでもないし、
ドクターには「島の限られたマンパワーというのはよく分かります。無理のない範囲で動くのは大丈夫です」
と言ってもらっていたので、
重い荷物や階段を上がるのはなるべく若手にお願いして、
その日はなんとか乗り切りました。
(家に帰ったらバタンキューでしたw)

その後、3日ほどで痛みは少しずつ消えていき、
4日後には痛みもなくなり、すっかり完治しました。

少し指を怪我したり、どこか故障するたびに思いますが、
健康であることがどんなに有難いか再確認しました♪

妻に心配してもらえて、
ああ、この世にこんな自分を気にかけてくれる人がいるんだなぁと
有難く感じました☆

心配、フォローしてくださった皆さん、本当に有難うございました!!

SUPで大沢海岸へ

■そんな自分の脆さを感じていた最近、
色んな「いのち」を考えさせられる事が続いています。

自分が中1の頃、父が真夏に亡くなり、死後1か月で発見してもらい、
腐敗してしまった父を多くの人がその対応をしてくれたという経験があります。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

自分自身、消防団や色んな仕事の中で、
亡くなった人に関わるという機会も何度かありました。
島に来て学ばせてくれるヨガの不久先生の教えもあって、
今の42歳の僕は人の死に触れることがあまり特別ではなくなってきました。

そんな自分の「恩送り」という意味合いもあって、
去年から母島の火葬場のオペレーターの仕事をしています。
文字通り、亡くなった方の身体を火葬して、骨にする仕事です。

地域としてもとても大切な仕事ですが、
そんなにやりたがる人もいないのが現状で、
現在の母島では火葬場のオペレーターは僕を入れて2名しかいません。

知らない島民がいない小さな島の火葬場なので、
もちろん火葬する時、棺に入っている方は、
介護の仕事で関わっていたり、
近所の方だったりします。

その人生のフィナーレを務めさせてもらえる大事な仕事をやらせてもらえるというのは、
本当に有難い事だと思っています。
毎回、沢山の学びと気付きを頂きます。

7/11脇浜 珊瑚の産卵でした!

■先日はずっと大好きだったレジェンドの方が天国へ旅立っていきました。
1世紀を超える長寿で、最後の最後までしっかりとしている方でした。

安らかに眠る棺の中に、
沢山の島の花を添えられました。
よく知った顔ぶれの中、
厳かに火葬式が執り行われました。

僕はこの春に五目並べで2連敗していて、
勝ち逃げをされました(笑)。
僕に勝った時も最高の笑顔でした♪

今頃、大好きだった奥様と、
天国で再開して色んな話をしている事だろうと思います。

僕も大好きなレジェンドの火葬ということで、
しっかりと100年を超えて魂を支えた身体を、
天に還すお手伝いをさせて頂きました。

本当にありがとうございました。
お疲れ様でした!


■妻が42歳の頃、
「人生の折り返し地点になってみて、命というものの捉え方、死に対する感じ方が変わって来た」
と言っていました。

42歳になった僕には、まだその言葉はピンときません。

だけど、
人の死というものは特別でもなく、
恐れるものでもなく、
誰にも平等に訪れる、
当たり前のものであるという感覚になって来ています。

とは言え、
突然の事故や病気、心の病で急に命が消える時、
本当にどうしようもない気持ちに揺さぶられます。

幼い子供や家族、これから共に生きようとしていた伴侶などに、
本当に大きな影響を与えます。

僕自身、父も母も亡くしていますが、
少なからず色んな影響があったと思います。

あまりにも急で、
心の整理がつかない事もあったりします。
そんな時は時間に身を任せたりしています。

魂が千の風になって、この空を舞っていると自然に思えるまで、
時間が癒してくれるのを待つことが唯一の方法だったりもします。


■冒頭の腹痛で、大丈夫と思っていた自分に死の存在がちらっと見えた時に、
沢山の学びと気付きを頂きました。

繰り返される日々の中で、
あまりにも辛くて気持ちが整理できない事も今でもあります。

僕自身もいつ死ぬか分かりません。
海で死ぬこともあるかも知れないし、
バイク事故で死ぬかも知れない。
病気になるかもしれないし、
想像もつかない何かに巻き込まれることもあるかもしれない。

幸いなことに、子供達もしっかりと無事に育ってくれたので、
今自分が死んでしまったら、
どんなこと後悔するかなと考えてみると、
そんなにシビアに悔しい気持ちになる事もないような気もしています。

土壇場でやっぱり猛烈に後悔するかもしれません。

ゆっくりと夫婦で旅がしたかったね~
そんなものかも知れません。

いのちはどうなるかも分からないので、
やっぱり1日1日を大切に生きたいと思います。

どうせ生きるなら、死ぬまでやっぱり楽しんで生きようと思います♪
どうなっても笑って死ねるように生きたいなと考えています。

そんないのちを想う、母島の夏の日でした(#^.^#)

20年ぶりの小笠原YHで一緒に働いたメンバーの同窓会を母島でできました!
こういうの、やっぱ嬉しいなぁ!詳しくはOYHブログ




議員の力って想像以上にすごい⁉

2023年07月15日 | 議員活動
■生まれて初めて議員という立場になってみて、早2か月半が経過しました。
自分で想像していた以上に、
議員という仕事は面白く、そして凄いものなんだなぁと実感しています。

議員になる前、立候補を決めた2月ごろは、
漠然と辛くて苦しい事が沢山待っていると思っていました。

しかし、たった2か月半でも、
形になったこと、
変えれたこと、
動いたことが沢山ありました。
これは本当にビックリでした。

沢山の素晴らしい人達に出逢い、
沢山の応援や感謝の言葉を聞き、
どんどん事が前に進んでいきます♪
それが嬉しいし、面白い♡

前から知ってはいましたが、
議員としての報酬はあまり多いものではなく、
父島に行ったり、内地で独自の議員活動をしたりするので、
金銭的には議員になる前よりも厳しいのは事実ですが、
この人の為になっている手応え、
感謝される嬉しさは、とても想像を超えていました。

家族は勿論、島民の皆さん、島外の皆さん、
沢山の方に支えられています。
シビアな話もあるので、一概に楽しいというのは語弊があるのですが、
すごく手応えのある毎日を過ごさせてもらっています。
自分にこんな経験をさせてくれて、
本当に皆様、ありがとうございます!

ぜひ4年後に色んな人が立候補してほしいと切に願っています。


■さてさて、日々の議員活動や議会報告はHPを作っているので、
興味がある方はそちらをご覧ください。
Facebookページの方が日常的によくアップしています。
ぜひ覗いて、”いいね!”をしてくれることでお知らせが届くようになります。
LINEの公式アカウントも作っちゃおうかなと思ったりしています。

先日は父島と母島で議員有志による議会報告会を合同で行いました。
その様子はYoutubeで生配信をして、アーカイブも載せてあります。
議員になる前から目指していた、開かれた議会になるための貴重な第1歩でした☆

会場に来た島民はどちらも10人に満たない程度でしたが、
配信は生配信とアーカイブを合わせると200人の視聴があり、
配信後に「見たよ~」「やっぱりアーカイブも大事だね」
「子供と一緒に見たよ」
など言ってもらえるので、本当に良かったと思います♪

わざわざ足を運んで会場に来てくれた皆さん、
わざわざ時間を割いて配信を観てくれた皆さん、
本当にありがとうございました!

大先輩の議長や参加してくれた議員の皆さんも、
この自主的な報告会は村議会始まって以来のことだそうで、
すごくいい動きだと言ってくれて、とても嬉しいです(#^.^#)
まるで、みんなで議会というカヌーを一緒に漕いでいるようです♪

ですが、まだこの報告会などは公務ではなく、
僕が父島に行く旅費や滞在費はすべて自腹ですし、
父島から母島に仕事を休んで報告会に来るのは難しいスケジュールだったので、
色々課題は残っています。

しかし、まずはこういう動きが出来るだけでナイス!と思っています☆
年4回の議会毎にこの活動は続けていこうと思っています。

そして、少しずつ、島民にとって遠かった議会という存在が
より身近になればと思うのです。


■さて、前回の記事で4年ぶりの母島返還祭の感動をアップしましたが、
その時に実は議員活動も同時並行でした(#^.^#)

2日目の当夜祭の日、
日帰りで伊豆諸島の首長や議長さん達、三宅正彦議員の皆さんが来島し、
母島の視察を行い、僕も同行しました。

5月の内地出張時にお会いした方がほとんどで、
ホームである母島まで足を運んでくれてとても嬉しい再開でした(#^.^#)

何度か母島に来ている方もいますが、
やはり初めて来た方は、
ここまでの道のりに心底驚いていました。

僕達にとって1000㎞を24時間(母島は+2時間)かけて移動するのは、
普通の事と思っていたのですが、
どうやら違うようでした。
そりゃそうですよね(笑)。

そう言えば、以前
「小笠原の人って、新島とか八丈とか、みんな長いと思っている船旅に、
 全然長くないよ~、あっという間だよね」
と島関係の人に言われたことがありました。
そうそう、小笠原島民あるあるなんです(笑)。

逆に飛行機で北海道へ1000kmを2時間で行ってしまうと、
間隔がおかしくなってしまうほどです(#^.^#)

島はコウモリ谷農業団地や脇浜カメ生け簀、
旧ヘリに御幸ノ浜展望台(ソーラー予定地)、
新ヘリに都道最南端、ロース記念館と日帰りなだけに
怒涛のスケジュールでした。


なんと同い年であることが判明した利島の村山村長☆
彼も迅速に小笠原視察をブログ(利島村長 村山将人の非公式活動報告)にアップしてくれていました。
記事が迅速で素晴らしい!
あの短時間で住宅地まで見て回っていたとは驚きです☆
見送りSUPも喜んでもらえて嬉しかったです♪

5月に新島に訪問した時
その後の議員研修でも、お会いした新島の木村諭史議長も母島に来てくれました。
なんと初の母島でとてもこの距離に驚いていました。
若手議員としても活躍されていて、
今回も若手議員の会に僕を誘ってくれたりと、
勢力的に活動している頭脳明晰な頼もしい島議長さん(中央)です。
限られた日帰り視察で、石次郎海岸に行って泳いで、人助けまでしていて、流石でした♪

御蔵島の栗本議長(左)も久しぶりの母島来島だそうで、
とても喜んでくれていました♪

内地出張時も僕によく声をかけてくれていて、
とても有難いです(#^.^#)
僕はまだ御蔵島に行ったことが無いので、
近いうちに伺いたいと思っています!!


八丈島の町長さん、議員さん、八丈太鼓6人会の皆さん、役場の方は母島1泊で、
しっかり返還祭の当夜祭も楽しんで過ごしておりました☆

僕が出演に撮影に忙しく、ゆっくりは話せなかったのですが、
一緒に盆踊りをしたり、同い年の職員さんもいたりして、
とても楽しい交流となりました♪
美味しいお酒にクサヤ、ありがとうございました♡
また八丈、お伺いします!!

7月に入り、今度は参議院議員の朝日健太郎さんが母島にも視察に来てくれました。
5月の出張時にご挨拶に伺い、199㎝の長身を間近に見て驚いていましたが、
実際に母島に来て拝見するとやはりビック過ぎます☆

小笠原村議会の池田議長と一緒にパシャリ!

朝日健太郎さんは元全日本バレーの選手で、
なんと父島、母島のバレー遠征前の練習にも顔を出してくれました♡
家に帰って来て、次女が「ものすごく手加減が上手で、速いのに的確で返しやすい球を打ってきたよ!」
と言っていて、プロの凄さを垣間見たようです。
本当にありがとうございました!

こちらもしっかりと見送りSUPで見送りました☆

乗っている人と目が合う、リアクションが分かるのを
沖合でできる見送りサップはやはり楽しいです♪

何度もははじま丸船長とは話をしてありますので、
そこはご安心ください(^^♪


■議員という立場になってみて、確かに多岐に渡る活動がある仕事だなと感じています。
まるで学級委員の様に、
みんなが気軽に一度はやってみていいのでは?と思っています。

一方、いざ当選してしまえば一般質問すら一度もしないで、
議会に顔を出して、出張だけしていることも成り立つのがまた議員なのです。

自営業をしながらではないと、
生活しながらは続けていけない現状の報酬額が悩ましいです。

僕はゴミ回収、便利屋、介護ヘルパーに郵便と宅急便の配達、畑をしながら
合間に議員活動を行っていますが、
自費で父島や内地に行った場合などはすべてマイナスなだけでなく、
仕事を休んだ分さらにマイナスになります。
議員になる前よりは赤字なので、やはり難しい部分です。

なかなか若い世代が議員をやれないのは、
こういった部分もあると思うのです。

でも兼業で議員をするというのは、
半民半官のように現場感覚を忘れずに、
かつ議会に関われる存在として、とても有意義なこととも思います。


今回は若手で期待もあり、
沢山の票を頂き、トップ当選と言う有難過ぎる結果でしたが、
4年後の選挙でまた選ばれるとは限りません。

少なくとも、今まで停滞に停滞していた、
議会を知ってもらうという、
まち作りに当たり前だった部分を、
誰が議員になっても開かれた議会になるように仕組みを作って行ければと思っています。

まずは議会を知ってもらう事、興味を持ってもらう事!
そして少しずつ関わってもらう事!
それまで色んな改革を続けていこうと思います。

議員という仕事はとてもやりがいがあって面白いと実感しています。
4年後にさらなる若手や女性議員が誕生することを祈ってます(#^.^#)

あなたもぜひ議員に挑戦してみませんか?







すんごい楽しかった、4年ぶりの母島返還祭!!

2023年06月30日 | 島のイベント
■今年は4年ぶりの母島返還祭でした!!
コロナが第5類に移行し、本当に久しぶりのフルでの母島の最大の祭典。

無事に終えてみて、
「ほんと楽しかったね~」
「これが返還祭だよね!!」
「初めてだけど最高だった♪」
僕自身もそう思いましたが、
色んな方が口々に言っていて、
本当に嬉しくなりました♡

準備に練習、運営に後片付けと、
関係者の皆様、本当に有難うございました!お疲れ様でした☆

この写真は恒例のフィナーレとなっている小笠原望郷歌のシーンです。
みんなで櫓(やぐら)を取り囲んで、
千昌夫さん/北国の春を小笠原バージョンに替え歌にして歌う場面。
僕も大好きな瞬間です♡

歌詞の1~3番が父島なので、
母島は4~6番だけ歌っています。

この最高の瞬間は2日目の当夜祭の最後に行います☆
この一体感が最高で、2日間の楽しみに楽しんだ返還祭を締めるにふさわしい瞬間だと思います。

僕自身も準備や出番、運営に
議員としても八丈島から来ている来賓の方との懇談もあり、
なかなかすべてを撮ることはできなかったのですが、
せっかくの4年ぶりの返還祭なので、
僕が撮れたものだけでも紹介してみようと思います♪


■1日目は前夜祭で島の演芸大会が主になります。
子供達の太鼓やフラ、
青年会のダンスの披露などもありました♪

次女もバッチリ練習に励んでいたので、しっかりとフラを踊っていました。
眺めていて、6歳年上の姉に似てきたなぁと思っていたら、
妻も後で動画を見た姉もそう思っていたようです(#^.^#)

小さい子のクラス、上級生のクラスを終えると、
今度は大人メンバーのフラです☆

フラって、年齢、経験もありますが、
その人がどんな思いで踊っているかも如実に伝わる気がするので、
とても面白いです(^^♪

それぞれみんな素敵で、
4年ぶりに返還祭という舞台でこうしてフラを再び見れるのは感慨深いです☆

大人の上級クラスは堂々としていて、カッコイイです♪
フラの祭典「フラオハナ」でもそうですが、
こういう発表の前にみんなで花飾りを集まって作っている姿も、
なんだかとてもいいなぁと思うのです(#^.^#)

■1日目の締めもやっぱり盆踊り!
最初は早い時間で保育園児の子供盆踊りがあり、
最後は21時前に大人盆踊りになります。

今回はなんとずっと父島で踊られていた、
太鼓をしている平田ノリさん作の「マッコウ音頭」が採用され、
母島の櫓のまわりでも「どっぱん!どっぱん!」とみんなで跳ねる姿が拝めました(^^♪

今回の母島返還祭の盆踊りは
・炭坑節
・東京音頭
・大漁節
・小笠原音頭
・母島音頭
・大東京音頭
・1+1音頭
・マッコウ音頭
の8曲でした!

大好きな動物音頭が抜けたのは残念でしたが、
小笠原音頭のザブ、ザブ、ザブザブザブ、いぇ~い!のジャンプは健在で、
やっぱり大盛り上がりでした(#^.^#)

今年は脇浜の会場の工事もあり、
区画が狭められての返還祭だったので、櫓も一辺を1mカットしての設営でした。

もっと狭いかなと当初は心配していたのですが、
結果はあまり気になりませんでした(#^.^#)
良かったです!


■2日目は父島での返還祭を終えて、
沢山の来賓やお客さんも来ての当夜祭となりました。

当夜祭はスポーツ大会の表彰式に始まり、
小池都知事や齊藤国土交通大臣のビデオ挨拶、
渋谷村長に八丈島の山下泰也町長のご挨拶もあり、
静粛な雰囲気で小笠原返還55周年を祝いました。

そこからはやはり八丈太鼓の「六人会」が見事な太鼓を魅せてくれました!

法被の背中に書かれた為朝さんの絵がまたカッコいい!!

小笠原太鼓のルーツとなっている八丈太鼓。
今年の頭に急逝した師匠の佐々木政治さんは、
戦争が終わって愛知にいる時に1度だけラジオで八丈の太鼓が流れ、
心を鷲掴みにされたそうです。
たったそれだけの記憶を頼りに、
小笠原が返還されてから父島に来て、
最初はドラム缶にコールタールを塗って叩き始めたのが小笠原太鼓の始まりだそうです。

久し振りに聞いた八丈太鼓。
6人会の皆さんのしっかりと起伏のあるリズムはめっちゃカッコ良かったです!!
背中の為朝さんが痺れました(^^♪

遠路はるばる、ありがとうございました♪
最高でした!!

■八丈太鼓が終わったら島っ子姉妹の素敵な歌披露がありました。
曲は栄光の架橋♪

スマホのLEDを光らせて、
ステキな美しい歌声を聴かせてくれました☆

島の皆さんはもちろん、
八丈の皆さんも喜んでくれていました(^^♪

こんな光景は本当に4年振りで、
色々と動きながらも、
やっぱりとても嬉しいなぁとじんわり感じていました。

舞台裏で取り回しをしていた方がコロナ禍の間に急逝されて、
新しいスタッフが見事に声掛け、取り回しをしていました。
司会にPA,裏方がいてのイベントです。
本当に有難うございます!!


■歌に手話サークルを終えたら、今度は南洋踊りの出番です!
村長が会長で僕が副会長の南洋踊り保存会(^^♪

今年は子供達の気合いの入りようが凄くて、
事前練習で返還前の力強い踊りを伝えて実施してみました☆

久々の返還祭での南洋踊りの実施、
実は生カカ、生歌での披露は、
返還祭では初なのです!

2年前に急逝された母島の酋長、小高さんにも届いたかな~?


■南洋踊りを終えたら、花火大会!!

島の花火メンバーがコロナ禍2年目から
花火だけでもということで頑張って再開してくれていました。

今回は4年ぶりに演芸大会や夜店がある中での花火大会。
最後の凄まじい数のフィナーレ花火を終えた後の大歓声、みんなからの「ありがとう!」という感謝の声はとても素敵でした。

島の手作りのお祭り。
内地の花火大会に比べれば、
数も少ないし、規模も小さい。

でも凄い人混みの中でもなく、
みんなのどかに和気あいあいと、
近い距離で花火を見れるのが、
母島らしくて僕は大好きです♪

花火だってこの為に父島から来てくれる花火師がいる、母島にそのために資格を取った仲間がいる、
電気を管理する人、
準備をする人、
片付けをする人、
危険物を運搬する人、
待機する消防団の皆さん、
色んな人の関りでこの花火が実現している事を感じると、
やはり感謝の気持ちが溢れに溢れてきます。

本当にありがとうございました!


■花火を終えたら2日目前夜祭もやっぱり盆踊りです☆
閉めは冒頭の望郷歌ですが、
やっぱり返還祭も盆踊りです!!

前夜祭よりも人数も増えて、
フラも終わったので、女性の多くが浴衣になっていて、
とても華やかでした(#^.^#)

1日目、機材トラブルがあって、
なかなか盆踊りが出来なかった子供会メンバーも盆踊りできていて、
本当に良かったです☆

2日目は島外のお客さんも多くて、
話すと口々に夜店の値段の安さに驚いていました。

そうなんです。
母島の返還祭は
利益を上げるためではなく、
みんなで楽しむ為にやっている場合が多く、
これは原価程度なのではと思うほど、
子供達も気軽に買える価格で夜店が並んでいます♪

2日目は1日以上に盛り上がりをみせて、
最高の盆踊りとなりました。

みんな笑顔でほんと最高です♡

最後は冒頭で紹介した望郷歌でフィナーレです。
島の人は勿論、観光の人も、
村長も、八丈の来賓の皆さんも、
みんなで肩を組んで輪になって、
大声で歌って終えます。


■返還祭は小笠原がアメリカから返還されたことを記念して祝うお祭りです。
沖縄の返還よりも1年早く、
昭和43年(1968)6月26日に返還されています。

父島には欧米系住民がアメリカ統治時代も人が住んでいましたが、
母島は完全に無人島となり、ジャングル化していました。
小笠原が返還されてからもインフラの整備に、
母島は5年遅れで復興が始まっています。

それで、ずっとステージの横断幕には
返還記念の年と、母島の返還祭の開催数が5ズレて表記されていました。
今回はコロナ禍で一切の返還祭活動をしなかった1年があったので、
6ズレているのです。

戦前から太平洋戦争、
アメリカ統治時代、返還に復興、
そしてコロナ禍と4年ぶりの返還祭開催で、
色んな事に想いを馳せていました。

もちろん、今回も完璧ではなく、
楽しい中にも色んな学び、反省がありました。

だけど、準備、運営、片付けと関わっても、
どれも人と交流し、楽しく過ごせて、
僕はやっぱり返還祭が大好きであることが再確認できました(^^♪

それは皆さんがこうして関わって、
みんなの為に時間と労力を惜しまずに、
色んなパフォーマンスを発揮してくれるから成り立つのです。

返還祭を通して、母島の底力をまた痛感させられました☆
本当に有難うございました!!
あ~楽しかった♡







4年ぶりの返還祭準備

2023年06月21日 | 島のイベント
■母島の6月といえば、返還祭。

それは返還記念日の6/26近くの土日にやるお祭りだけのことではありません。

6月に行う各スポーツ大会、演芸大会に向けての練習、
夜店の準備、諸々ワクワクとソワソワが入り混じった、
母島で暮らした経験がある人なら、
ほとんどの人が知っているこの感覚。

それがこのコロナ禍で3年ほど中止続きで、
ついに今年は返還祭が4年振りにフルで開催されます!!

久し振りの八丈寄港便で、
八丈島や伊豆諸島の島々からも沢山の方がやって来ます♡

小笠原の花にも指定されている固有種ムニンヒメツバキ。
梅雨の時期の樹冠を飾る花がそろそろシーズンを終えると、
ついに梅雨明けです(#^.^#)

今年は、今日の段階でも梅雨前線が下がって来て、
先週、一瞬梅雨明けか⁉と思ったも束の間、
またまた梅雨のお天気です。

はやく明けて、大好きな夏になって欲しいなぁ~



■先日はは4年ぶりの返還祭のステージ照明(提灯だけど)の準備をしました。

久しぶり過ぎて、
4年前の準備を忘れてしまうほど、
久しく忘れていました。
静かに準備する時に、
ああ、ようやく戻って来たんだなとひしひしと感じました♪

当日朝に、テントや各提灯を設置するのですが、
今日は各演芸練習用に、早めに設置したのです。
なんだか嬉しかったです♪



さあ、今週末は返還祭!!
屋台もいっぱい、
演芸もいっぱい、
久し振りの盆踊り!!
2日目は花火もあります!
楽しむしかないですね♡

今年は脇浜の工事の都合で、
会場が少し狭くなっています。

櫓(やぐら)もいつもより少しコンパクトになっています。
しかし、4年ぶりの返還祭の熱は、
みんなの中で沸々と湧き上がっています!!
とっても楽しみです(#^.^#)


■そして先週と昨日の2回、
僕が副会長を務める島の郷土芸能「南洋踊り」の練習会も開催できました。

今年は島の子供達がとても気合いを入れて参加してくれていて、
返還前の力強い踊りを再現すべく、頑張って練習をしました!
ぜひ当夜祭(2日目)のトリをお楽しみに♡


先週末は駅伝も開催されました!
母島の駅伝は一人1kmで6人チームで実施します。

駅伝は去年も小規模に開催できたのですが、
今回は大々的に普通に再開し、子供から大人までみんな元気に走っていました☆

いつもは僕も走るのですが、
内地の最後に風邪を引き、
駅伝直前まで議会というスケジュールでは、
なかなか走る練習もできなくて、
今回は断念しました。
(お陰で撮影に専念できました♪)

よく一緒にカヌーを漕ぐ仲間が
亀仙人の出で立ちでさっそうと走っていて、
なかなかウケました(^^♪
やるなぁ!

中学生になった子供達が、
去年よりぐっと早くなっていて、
それを親だけでなく地域のみんなが応援していて、
やっぱり島の駅伝、いいなぁと感じました☆


今回は議会と内地で
返還祭のバトミントン大会と
ゲートボール大会を見ることもできませんでした。
来年こそは!!

さあ、返還祭のメインとなる前夜祭、当夜祭まであと3日!!
この日常がたまらなく嬉しいです(#^.^#)

ただいま!愛しい島暮らし

2023年06月16日 | 母島 日常 日記
■5月末に3週間の内地旅から帰ってきて、
すぐに議会の打ち合わせに父島に来て、
ははじま丸が時化で欠航して母島に帰れずで(笑)、
母島に戻ったら3日後には議員になって初の議会定例会があり父島へ。

初めての議会を終えて、
ようやく母島に戻って来て、
GW明けからの怒涛の議員活動が一区切りとなりました☆

初めて尽くしで右も左どころか、
上も下も分からないまま動いてきました(#^.^#)

そんな新人議員の報告は、
まとめ的にはホームページ
日々の活動報告はFacebookページにアップしてありますので、
そちらを覗いてもらえればと思います♪

今回は議会ではなく、長旅から島に戻って、
改めて島暮らしって好きだなぁと再確認したので、
そちら目線で書いてみました。

こちらは父島の扇浦にて撮影の夕陽を眺めるふたり。

色々忙しい、議会の最中でも、
議員活動として父島をバイクでグルグルと動いていました。

夕陽の時間は大好きですし、
1日の活動を終える大事な節目なので、
その都度、夕陽を見ることで一区切りをつけるのです。

この日は初の定例会で、初の一般質問を終えて、
さらに北袋沢にヒアリング活動に行っていた時の帰りでした。
その帰りに扇浦で楽しそうに過ごしている女性がふたりいて、
たまらなくいい光景だったので、
声をかけて撮影させてもらいました☆

こんな景色を味わうのも大好きなのですが、
その景色を味わっている人を
眺めるのも大好きです♡

島に来て、
こんな時間を過ごせて、
良かったなぁと勝手に思ってます(#^.^#)

島暮らしの醍醐味です♪


■見送りのタイミングで父島に来たので、
青灯台からおがさわら丸とははじま丸の正面を並べて撮ってみました☆

父島に住んでいた頃はよく見ていた景色なのですが、
母島に移住し、3代目おがさわら丸になってからは初な気がします☆

母島で1年間頑張った若者が、
新天地を目指して旅立って行きました。

入港作業で毎回一緒に作業をするので、
彼とは些細な会話ややりとりが実は密かな楽しみでした♪

北の地から母島に来て、今度はさらに南下する彼の移動幅があまりに大きくてシビれちゃいます♡
頑張れよ~~(#^.^#)

母島でも共に過ごした仲間が、
渾身の青灯ダイブ!!
カッコ良かったぜ、ビリー☆

父島の盛大な見送りをするのも眺めるのも、
母島の素朴で距離の近い見送りを味わうのも、
やっぱり島暮らしの醍醐味です♪

アクセスが船の1拓しかない小笠原だからこその魅力、
オンリーワンの醍醐味なのではないでしょうか?

■こんな時期にふと島に帰ると、
鳥たちの繁殖シーズンの真っ只中でした(#^.^#)

「ピリーっ!!」
何度も何度もホイッスルの様な
鋭い声が聞こえる、
母島の春。

島の至る所で
鳥たちが子育てをしていました。

写真はトラツグミのひな鳥です。
体が大きくなって、
巣から飛び出して、
外で親鳥からの給餌を待っています。

あまり外敵や車から逃げるそぶりも見せないので、
こんな時に事故に遭ってしまうことが多いです。

人も鳥も
温かく子育てを見守って行ければと思います(#^.^#)


■一方でなかなか凄まじい勢いの鳥の営みもありました☆

昨日は久しぶりの介護の職場で、
庭に置いてあったパパイヤの実。

あまり美味しくないのか、
これまでほとんど鳥が集まる事はなかったのですが、
昨日、パッションフルーツを1個だけ置いてみたら、
あれよあれよと鳥さんが集まって来ました☆

どちらも実も職場で収穫されている実で、利用者さんに見えるように位置を移動させただけです(#^.^#)

最初は可愛らしいメジロが来ていたのですが、
急に大きな影が…
オガサワラヒヨドリの大群でした☆
気付けば12羽も大集結!!

オガサワラヒヨドリは小笠原固有亜種のヒヨドリで、
内地というよりは八重山諸島がルーツだそうです。
ちなみに硫黄島がある火山列島にはハシブトヒヨドリが生息していますが、そちらは伊豆諸島がルーツだそうです。

面白い生物の交錯。
島のレジェンドの皆さんも、
喜んで島の鳥の営みを観察していました♪

凄まじい数のヒヨドリを見た後だと、
メジロの可愛らしい登場が、
それだけで癒されるという相乗効果もありました(#^.^#)

内地で島にはいないスズメやカラス、ドバトの存在で楽しませてもらいましたが、
やはりよく慣れた顔の島の鳥たちを眺めると、
やっぱりホッとしてしまう自分がいます。

母島が、
小笠原がホームなのですね~(^^♪


■最後に、僕の島暮らしの一番の楽しみといえば、やっぱり海遊びです♡

ある入港日。
午前は地域の片付け仕事をしてから、
妻とSUP&カヤックを車に載せて北港へ向かいました。
内地から戻ってからのSUPなので、実に1か月半振り⁉

雲がすっかり高くなり、
海の青がしっかりと夏の到来を感じさせてくれました☆
まだ山に雲がかかっているので完全にはまだ
梅雨明けしてないかな?

これまで、SUPで沖に出れば、
ザトウクジラがいっぱいいたのに、
もうそんな姿は見えず、
今日は沢山のお魚と、
ハシナガイルカの群れがいました。

SUPでクジラに逢う季節から、
イルカに逢う季節になって、
ああ、夏になってきたんだなぁと
今年は感じることが出来ました♪

僕にとっては一番好きな島の季節の気配です♡
やった~~(#^.^#)
暑くて外仕事がやってられないこの季節こそ、海に出て遊ぶ時っ!!

子供の頃、
大人になったらもっと仕事漬けで、
遊ぶなんて縁がないと思っていましたが、
島で暮らして20年。
大人になってもしっかり遊ぶ島の大人の最高の姿を見せつけられて、
しっかり働く時は働きますが、
遊び心は失ってはいけないと痛烈に感じています(#^.^#)

一緒に漕ぐ妻に
「ジャイアンと結婚して、ほんと馬鹿になれたよ~」
と言われましたが、
いやいや、何をおっしゃる。
僕こそあなたのお陰で人生面白おかしく振り切ることが出来ました(笑)。

丸1日休みなんて日も皆無ですが、
丸1日遊ばない日も皆無☆

議員になって、便利屋を開業して、
より人の為に動かせてもらっていますが、
しっかり楽しむ時間も大事です♪

一度限りの人生、
楽しんだもん勝ちと
思う今日この頃(#^.^#)

SUPで単独で沖に行くのも楽しいし、
夫婦で行くのも楽しい♪
カヌーでみんなで沖を楽しむのも最高♡

大自然と最高の仲間と共に、
過ごせる1日が本当に有難いです。

島暮らしが愛おしくて仕方ありませんっ♡

念願の島想食堂!!

2023年06月06日 | 議員活動
■今回の内地滞在のフィナーレは立川にある小笠原の料理をテーマに提供し、
立川、大町、小笠原を繋ぐ「島想食堂」にて、島料理を食べながらのトークイベントを実施しました☆

島想食堂は2022年10月オープンの店で、実はずっと来てみたいお店でした♪
店主の奈美は同世代で、島育ちの昔からの友人です(#^.^#)

今回の内地滞在の日程が決まった時に、
このイベントの提案を頂いて、
もうひとり同世代で村議会議員になったひらのっちも一緒に
タッグを組んで島の暮らし目線でのお話をしました☆

お客さんも島民から元島民、リピーターから今度初めて小笠原に行ってみたい人まで、
120%満席の状態で楽しい時間を過ごすことが出来ました♪

スペシャルゲストに「島暮らし」という名曲を作った、元島民の井上直さんも来てくれて、
嬉しい生ライヴも実施できました☆
どうもありがとうございました!

直さんに感化されて、
僕もギターを急遽お借りして、
「神様の宝石でできた島」を久しぶりに歌わせてもらいました(#^.^#)



■さてさて、気になる料理ですが、これまた美味い郷土料理のオンパレードでした!
島のグアバの葉を使ったグアバうどん。
魚を酢漬け(ダイダイだったち)にするピーマカ、
欧米系の郷土料理ダンプレン(鶏ガラだしにすいとん+野菜スープ)、
ローゼルごはん
という超豪華な品々の数々♡

おまけに去年、
発送試験サンプルとして送らせてもらった「うちなーローゼル」
を大事に使ってくれていて、美味しいローゼルのレアチーズケーキがありました(#^.^#)

どれも美味しくて、
奈美の島を想う気持ちが存分に込められた素敵な料理の数々でした♪
どうもありがとうございました☆

島にいるとなかなか行けない距離ですが、
本土にいる方はぜひともお立ち寄りしてほしい食堂です(#^.^#)


■さてさて、トークの方はひらのっちとタッグを組んで、
まるで漫才の様に色んなテーマで話を進めてきました。

移住は住み込みでまず島に来て、
そこから不動産のない小笠原で人脈を作って探していく方法、
一番おススメのシーズン、
議員としての仕事の事(小学生からの質問でした!)、
などなど多岐に渡りました。

議員仲間でもあるひらのっちは、
父島でパラセーリングのガイドの仕事もしています。
今回は素敵な映像の紹介があったので、
そちらもぜひ見てみて下さい☆


僕の方は島の小学生が島の暮らしをテーマに
撮影、脚本、演出、編集を子供自身がやった素敵な映像を紹介しました。
パナソニックKWNビデオコンテスト2016小学生部門でのグランプリ作品です☆


安曇野から立川についてすぐに、
母島の駐在にいた警察の方が、
島想食堂まで案内してくれたり☆

内地の都市に来ても、
こんなに島っぽい雰囲気を味わえるのは嬉しい限りです♪
どうもありがとうございました!

イベントを終えてから後日、
「すごく楽しかった」「ためになった」「小笠原がより知れてよかった」
という声が届いたそうで、とても嬉しかったです(#^.^#)

最後におがさわら丸に乗って、
島に戻る竹芝桟橋で、
母島出身でミスユニバースで頑張っている宮澤かれん、
僕もかれんも良く知っている友人が中にいるかもしれないオガジロウと一緒に写真を撮って、
長かった3週間の内地滞在を終えました。

関わった多くの皆さん、
本当にありがとうございました♪



最後に次の島想食堂のイベント告知です。
小笠原に何度も海鳥ガイドとして来ている咲ちゃんが、
7/30に小笠原の海鳥を知ろう!という企画をします。

今回、ホールとして島想食堂で働いてくれていた咲ちゃんが、
今度は海鳥愛を存分に発揮する興味深いイベントです☆
ぜひ都合つく方はど~ぞ~!