■議員としての視察で、今回内地に来ています。
が、視察のメインである与那国行き(国境離島視察)がまさかの機体故障で中止になってしまい、
1日半だけ予定が空いたので、急遽、能登半島を見に行くことにしました。
自主視察です。
元々、大型の台風の接近の予想があり、
与那国行きがキャンセルになる気配はあったので、
もしその分(2泊3日)の予定がそのまま空けば、
能登に行ってボランティア作業をするつもりでいました。
能登に行ってボランティア作業をするつもりでいました。
母島にも能登にボアンティア作業に行っていた防災士の方がいるので、
島でも事前に情報を聞かせてもらていました。
しかし、代わりの視察先が都内で組まれ、
1日半しか時間がなかったので、
悩みに悩みましたが、弾丸で行ってくることになりました。
出発の朝7時に能登行きを決めて、そこから現地の友人に連絡し、
新幹線で金沢を目指しながら、行先調査やレンタカーの手配をしました。
そして、11時にはもう金沢に着いていました!
そこからレンタカーで一路、能登半島を目指します。
■あまりに時間がタイトだったので、
特に被害が大きかった輪島市、珠洲市を重点的に見てきました。
行く道中の輪島、珠洲に行くには、
のと里山街道という高速道路(料金なし)が生命線の道路なのですが、
そこも至る所、震災の被害を受けていて、
何か所も崩落地をかわす迂回ルートになっていました。
先日の水害の跡も深刻ですが、
元旦の震災から10カ月経った今も、強い揺れでペチャンコになった家がまだまだ沢山ありました。
これは珠洲市から9月21日の水害の酷かった町野町に向かう途中の道ですが、
道路もこんな箇所がいくつもあり、
今でも通行止めだらけです。
道路のほかに河川や、山も土砂崩れや崩落の個所が、
まだそのままの状態です。
■輪島の惨状を見て、珠洲市にも向かいました。
まるでつい最近地震があったかのように片付けが済んでいない、
がれきのままの家が幾つもありました。
がれきのままの家が幾つもありました。
もちろん仮設住宅も建てられていて、
被災した方々はそこで生活していると思われます。
トレーラーハウス型の仮設住宅も見かけました。
過疎化で高齢化が進む地域の方が、
家を失ったあとの復旧というのが、
本当に難しいなと感じました。
家を失ったあとの復旧というのが、
本当に難しいなと感じました。
これは珠洲市の港湾エリアになりますが、
もうコンクリートがバキバキで立ち入り禁止になっているままでした。
こちらは津波の影響でしょうか?
施設ももう廃墟になっています。
■有難いことに能登に友人がいるので、聞いてみると、
瓦礫を本格的に片付け始めたのは最近のことで、
パイプラインとなる里山街道の復旧も春だったと、
あまりに後手後手の復旧対応の印象を感じました。
瓦礫を本格的に片付け始めたのは最近のことで、
パイプラインとなる里山街道の復旧も春だったと、
あまりに後手後手の復旧対応の印象を感じました。
僕が見に行った中でも、チラホラと片付けを行う方々がいましたが、その数の少なさに、この瓦礫の山が片付くのは一体いつなのか想像もできませんでした。
どうしてもっと復旧にお金も人も導入できないのか?
本当に日々作業を行っている皆さんには頭が下がります。
本当に日々作業を行っている皆さんには頭が下がります。
瓦屋根にブルーシートの屋根の状態はそこら中で、
専門的な職人さん不足も顕著に感じました。
専門的な職人さん不足も顕著に感じました。
水害の地域はさらに今も
人手不足のようです。
人手不足のようです。
■今、日本は高齢化社会ですし、
人口減少が決定的ですが、
こうした震災があった時に、
復興する為にも、
復興して暮らしてく行くにも、
若い人材の確保が重要であるとリアルに感じさせられました。
人口減少が決定的ですが、
こうした震災があった時に、
復興する為にも、
復興して暮らしてく行くにも、
若い人材の確保が重要であるとリアルに感じさせられました。
もし、離島の小笠原に震度7が襲ったら?
津波が来たら?
津波が来たら?
土砂崩れを伴う水害が来たら?
これは水害の被害と思いますが、
マンパワーも重機も必要な状況です。
想定はしていましたが、
改めてリアルな現状をみて、
危機感を持って備えなければと再度気持ちが引き締まりました。
改めてリアルな現状をみて、
危機感を持って備えなければと再度気持ちが引き締まりました。
走っていい道路ですが、こんな箇所があります。
運転してて、車が踊るので、とても危険を感じます。
それほど復興が進んでいないのです。
■震災後、被災した人々が暮らすのにシビアなのが、
トイレや水の問題です。
トイレや水の問題です。
大きな仮設トイレカーが食事処の前に停まっています。
すぐ後ろのトイレは使用禁止になっています。
トイレのすぐ横の駐車場はこのようにバキバキのままです。
小笠原は飲水が乏しいのでさらに深刻になります。
トイレも自然がある地域は携帯トイレやポータブルよりも、コンポスト型が有効と言っていました。
小笠原は重機を津波から守るのも、
その後の復旧のために重要になります。
小笠原は重機を津波から守るのも、
その後の復旧のために重要になります。
気付いた事をまとめながら、
島でもどう活かしていけるか、
考えて動いていこうと思いました。
島でもどう活かしていけるか、
考えて動いていこうと思いました。
今回は弾丸視察だったので、
水害が深刻だった輪島市町野などは
通行止めだらけでたどり着けませんでした。
水害が深刻だった輪島市町野などは
通行止めだらけでたどり着けませんでした。
復興ボランティアをする時間もありませんでした。
今日一日暮らすこともままならない方がいる中、
見て帰る、話を聞くだけがとても申し訳なかったです。
次はしっかりと時間を作って伺いたいと思います。
今日一日暮らすこともままならない方がいる中、
見て帰る、話を聞くだけがとても申し訳なかったです。
次はしっかりと時間を作って伺いたいと思います。
最後に行く当日の朝に連絡して、
忙しい中、限られた時間で見るポイントも教えてくれて、
通行止めの情報サイトなども紹介してくれた、
能登島在住の友人たちに感謝です♪
なんと彼らは小笠原に住んで、
そこから能登に移住した家族で、
当日朝に連絡したのに、なんと自宅に泊めてまでくれました!
本当にありがとう!!!
3人の可愛い子供たちと、ワンコちゃんと遊んだ夜は忘れないぜ!
僕が能登に着く日に、
小笠原に向かった能登の友人もいて、
彼にも沢山サポートしてもらいました!
どうもありがとう!!
どうもありがとう!!
そんなわけで朝3時に能登島を出発し、
朝6時の金沢発の始発に乗って東京へ戻りました。
東京に着いて、子供たちの未来への活動、
産業祭などを視察していたのですが、
朝まで能登にいた感覚と、
都会の平和な暮らしの温度差が大きくて、
なかなか気持ちが付いてきませんでした。
実質、たった半日くらいの視察です。
それでもネットで見る情報、聞くことに比べて、
自分の目で見て、体感し、現地の人の声を直接聞くことは
とても有意義な時間でした。
僕には何も直接現地でお手伝いできる時間はなく、
見てくる事しかできませんでしたが、
こうしてブログやSNSで現状を伝える事はできることだと思います。
与那国に視察に行けなくて、残念ではありましたが、
能登に行くことで、沢山学び、気持ちを引き締める事ができました。
今度は島に帰って、これを地域に活かすのが大事と思います。
関わった皆様、本当にありがとうございました!
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