小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

大時化の母島!! イカとキッチンカーと一期一会

2023年01月25日 | 母島 日常 日記
■青ヶ島や八丈島で雪が降り積り、
九州でも深刻な雪が積もる程の大寒波がやって来ている本日。

母島も寒いです。
でも16℃です。
こういったら本土で寒さに震えている人に怒られますが(笑)、
小笠原の島の人は20℃を切ると「寒い寒い!」と言い始めます(#^.^#)
薄着で裸足にギョサンなんてパターンもあるあるですが、
この環境でダウンジャケットを着てる人もいます。
その場合でも足はギョサンってパターンもあります(笑)。


そんな大寒波が来る少し前、冬にしては風が穏やかで泳げるほどの陽気の日があり、
僕は嬉しくてSUPで沖へ漕いで帰って来たら、
なんと釣り人に釣りたてのアオリイカを頂きました♡
どうもありがとうございます!

もう、その美しさったら、言葉になりません☆

釣ってからは少し時間が経っているのですが、
まだまだ色んな色が変わり続けていて、
透明感、青が美しくも、美味しいアオリイカちゃんなのでした(#^.^#)

1月になって、タコやイカやお魚を有難く頂いています!!

こうした島の日々が本当に愛おしいほど大好きです♪

天気が良くて海のいい日はやっぱりSUPやカヌーですね(#^.^#)
これと出会ってからは1年中海で遊べているので、
もう満足です☆

■さて、話は大寒波に戻ります(^_-)-☆
内地程じゃないにしろ、海は大時化です。
入港日、おがさわら丸は見事50分遅れで父島に着きましたが、
ははじま丸はみんなの予想通り、欠航となりました。

大時化の今日の母島鮫ヶ先展望台の様子です。

あっけにとられてしまうほど、ダイナミックな波とうねりが続いています。
怖いけど美しい。
ずっと見ていられます♡


先日まで、
予定通りの日程をシビアに考えていた、
お墓の仕事の10日間。
そしてお別れのライヴ。

結果、天気に恵まれ、
予定通りに仕事が出来て、
職人さんともカヌーを漕いで、
無事に仕事を全うできましたが、
今日みたいな天気や海だったらそうはいかなかったでしょう。
欠航だと大きく予定が変わってきてしまいます。

そんな時、もちろん想定外にショックを受けて、
ガッカリもします。
でも、そんな時こそギフトと思える気持ちを持っていたいと思っています。

観光の人でも、
仕事の人でも
どこでも誰でも関係なく、
物事が思い通りにならない時、
その現実を楽しめるセンスが年々大事に思えるようになってきました♪

それを僕は
Master of Life(人生の達人)
だと思っています。

丁度、1年前の今頃も、
大時化でははじま丸が欠航で、
想定外に戸惑っている友人がいて、
今日と同じような事を考えていたのを思い出しました。

そして同時に
またまた僕が大好きな写真家、
星野道夫さんの一番おススメのエッセー「旅をする木」の
最後に綴られているお気に入りの「ワスレナグサ」が頭に浮かんできました。

どうかどうか、
この大自然には叶わないと、畏敬の念を抱きつつ、
みんなが健やかに過ごせることを祈ってます☆

【旅をする木 / 星野道夫・著 ~ワスレナグサ~より】
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間である。

頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……
ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。



先日は母島で幸せな瞬間に立ち会う機会に恵まれ、沢山の花びらを集めました。
その時間、関わったひと時すべてが、
僕にとっても幸せな時間でした☆


■そんな幸せな日「前田さんちのキッチンカー」がグランドオープンしました!
だいたい入港中の11時から13時半、16時から18時の営業だそうです!

飲食店の少ない母島で、
こうした素敵な新しい試み、
とても嬉しいです♪

前田商店開業50周年を記念しての新事業だそうです。
島の作物も使われていて、ワクワクしちゃいます😋

うちで収穫されたローゼルの
ハーブティーもラインナップに並んでいます♥

おがじろうのミルクコーヒーも!

写真は先週のプレオープン時に撮らせてもらいました😊
これから島での楽しみが増えます☆
ありがとうございます!


■9月下旬から3月頃まで母島の鮫ヶ先展望台で夕陽が海に沈むのを見ることが出来ます。
この場所は海に近くて、
高さも絶妙で、
集落から歩いて行けちゃういい距離の展望台。

島民も観光の方も気軽に来れる最高の場所です☆
しかも冬シーズンはザトウクジラの陸上観察にもってこいの場所となります。

1日の終わりに夕陽を見に行く事が多いのですが、そんな時にたまたま出会った人と、
この風景を眺めながら他愛もない話をしたり、
クジラを観たりして一緒に感動するのがとても大好きです♪

この日も夕陽をバックに、
ザトウクジラが跳ねていました。
自然と感謝の気持ちが溢れてきます☆



■こないだの日曜日は
冬にしてはいい海の日で、午前も午後もカヌーとザトウクジラ三昧でした!!
久しぶりにヘトヘトバタンキューするほど遊んでおりました。

今日、島の子供と話していて「大人って遊んでるの?」って素直に聞かれたのですが、
ごめんなさい、僕自身、子供の頃の想像を超える程、
今遊んでいます(#^.^#)

遊ぶと言っても、カヌーやSUPや楽器、トレッキングなどばかりですが☆


でもアウトリガーカヌーは人が揃わないと漕ぎに出れません。
そこはSUPと違う点であり、面白い部分です。

午前も午後もこうして集まって来てくれたご縁と、
その中で出逢う海亀やカツオドリやクジラ達とも
一期一会の瞬間を味合わせてもらっています☆

これって凄いことだと思うのです。

小さな島で出逢い、一緒に漕ぐ。
メンバーに妻がいることもあれば、
父島の人、
島に作業仕事で来てくれる人の場合もあります。

イカをもらうのだって、
キッチンカーでローゼルを使ってもらったりするのだって、
夕陽で出逢うのだって、
欠航で巡る出逢いだって、
すべてが一期一会。

本当に感謝です!
今日も1日どうもありがとうございました♡

そんなカヌー三昧の日、昼の出港では大好きな友人が新天地へと旅立って行きました。
みんなで精一杯の気持ちで見送ります。

寂しいけれど、お互いのこれからに期待してのお別れです!
元気でね!!

戒名彫刻 母島編 これから広がる可能性∞‼

2023年01月17日 | 便利屋 こまわりさん
戒名彫刻 父島編の続き
■信州・松本から海を越えて小笠原諸島へ。
目的はお墓に戒名を彫ること。

何故なら、こんな離島まで墓石彫刻という、
特殊な技術を行うことが出来る人は見当たらず、
20年以上も彫れなくて困っている人が何人もいたから。

戒名彫刻師、彫枡(ほります)の杉本弦洋さんは言いました。
「これからはこういう事をやっていきたいんだよね。
 僻地で本当に困っている人の為に
 自分の技術が助けになるのなら、
 ぜひ行って彫っていきたい!」

小笠原だけでなく、他の離島も視野に入れた、
とても嬉しい一言でした。
僕もそのコーディネートで他の離島の方のサポートが出来ればと思っています(#^.^#)
これからのご縁、可能性の広がりにワクワクしちゃいます(#^.^#)

今回は父島と母島の沢山の方から感謝の言葉を頂き、
僕と弦洋さんはとても嬉しさで満たされていました♡



■さてさて無事、おがさわら丸2航海の工程、すべての戒名彫刻作業を終えることができました。
一言でいうならば、心底ホッとした、になります。
まさかここまでプレッシャーを感じるとは…

雨では一切作業が出来ないデリケートな戒名彫刻。

しかし、滞在日程は決まっており、
もし仕上がらずに延長になった場合は滞在費用も増えてしまうし、
何より母島の場合、延長した場合は宿があるのか、出発時に車を載せる空きがあるのか、
様々な不安要素の塊が見えるので、
何としてでも予定の日程で終えなければというプレッシャーとの戦いでした。

なので、彫る時期も台風の来ないかつ、雨の少ない時期である1月を設定しました。

しか~し、その直前の12月はほとんど雨模様という、
例年だと12月中旬以降はいい天気が多いのに、
なかなか心配な天候でした。

ですが、その心配も杞憂に終わりました☆
年末年始からずっと海も天気も最高のコンディションとなりました!

結果的に1/7父島来島から、1/16母島出発まで、
日中の雨はほとんどありませんでした!
もうこれは奇跡としか言えないほどです☆
※現に16夜から毎晩雨が降っているのです!
本当に天候にも感謝です♪

お陰で様で彫刻作業は順調に進み、
父島は5件 6名分
母島は10件 17名分
計23名分の彫刻を終えることが出来ました♪
本当にありがとうございました!!


全ての仕事を終えて、母島の集落を見渡せる小剣先山を登る弦洋さん


■この15件、23名分という彫刻量は内地の作業であれば
約10日間の工程で全然無理のないボリュームなのだそうですが、
忘れ物が出来ない小笠原という超遠隔離島であること、
船のアクセスが不便であること、
お墓と車の距離(最大250m超)、
車を船に載せるタイミングと工程の調整、
車を載せる予約と、人が乗る予約、
そして宿の確保と、
天候以外にも色々と難しい調整が必要でした。

ここがもう高齢化が著しい墓石彫刻の職人さんを
島に呼ぶことが難しい背景だったと思います。

今回は幸運にもSNSで呼びかけて、
友人が40代という若い弦洋さんを僕に紹介してくれたお陰で、
事前にオンラインビデオ通話やLINEで画像のやり取りなど、
出来る限りの調整を事前にやりまくったお陰で、
最高のスケジュールで成功したのだと思います。

改めて、紹介してくれたNちゃん、本当にありがとう♪


■父島は村営の大根山霊園があるのに対し、
母島は村営の墓地はありません。

大根山霊園は
利用している方から聞く所によると、
30年くらい前に整備されたばかりの新しい墓地で、
永代使用料 400,000円~
年間管理費 3,600円 / 年
だそうです。

母島と違い、今回の彫刻件数が父島の方が少ないのは、
こうした墓地の整備があったからかもしれませんね。

弦洋さんに内地事情を聞くと、
近年はお墓の維持管理も問題になっていて、
「墓じまい」のケースがとても多いそうです。

僕自身も自分のお墓にはあまり興味なく、
海とかそこら辺で自然に還ればと思っていたりします(法律の問題を除く)。



■また、今回墓石の彫刻をする上で、
僕は事前に今墓石に彫られている文字を大きさも書体も、
そのまま写す「拓本」をいう作業を事前に行いました。

これは彫刻する際に、ゴムの型を事前に作って来る為に必要な作業でした。

その時はただ、今ある文字を映して長野に送るという事をしただけだったのですが、
さすが本職です。
いざ弦洋さんが現場に来て、墓誌などを見ると、
そこから色んな意思が見えたりするそうなのです。

すでに彫られている方の年齢や性別から、
人間関係、意思を感じて、ご依頼者に確認をするのです。

例えば、
ただ単に亡くなった順に彫る場合もありますが、
旦那さんと子供が先に亡くなり、間に一行開けてある場合は、
奥様がそこに入る用に空けてあったりするのです。

親より先に亡くなってしまった場合など、
親の分を空けてあったりと、家庭によって様々なのだそうです。

今回、複数人の彫刻依頼の場合などがそのケースがあり、
ただ拓本を取っただけの僕には全く気付かない部分でした。

そう思ってくると、墓誌というのもとても興味深く思えるようになってきました。


人口450人の母島を見渡す小剣先山。
戦前1940年、小笠原の人口は6207人との記録が残っているので、
この今見える沖村の人口ももっと多かったと推測できます。

僕たちが数日作業した沖村墓地は都住の上の森で、
小剣先山からは全然見えませんでした(#^.^#)
大海原ではザトウクジラ達が盛んに動いたり跳ねたりしています。

きっとお墓に名前を彫った方たちも、
この景色を見て過ごしていたのだなぁと思うと、
とても感慨深いです。


■僕の想像を遥かに超えていた戒名彫刻作業。
これまでの様に顔が見える作業は、実は文字の型のゴムを貼る作業だったり、
貼る位置を正確に測っている場面で、実は上の写真の様に、
シートに潜って削る作業をしているので、まったく映えない構図なのでした(#^.^#)

まさに頭隠して尻隠さず状態(^_-)-☆

型を貼った石に対して、
車のコンプレッサーから高圧空気を使って、
カーボンと石の粉みたいな砂を一文字ずつ、1筆ずつ削っていきます。

その際にものすごい粉塵が発生するので、シートでくるんで、
弦洋さんは頭を突っ込んで作業する訳です。
その中で火花が飛び、その明かりで見ながら削っていくそうです。

仕上がりを見ると、見事に加減などが絶妙で、
文字通り職人技というのをヒシヒシと感じました!
本当に凄いです!!

僕は遠い現場の場合は、
車のコンプレッサーが焼け付いたりしないように
連絡を受けてON,OFFをしたり、
足りないもの、食事やモノの運搬を手伝う程度でした。


■僕は一応、母島で介護の仕事を少ししているので、
今回、母島の彫る方のほとんどが顔も性格も知った方達が多かったです。

生前も知っていると、お墓に向き合った時の気持ちがまた深くなります。

でも、それ以上に無事に彫り終えた報告を、
ご依頼の方に連絡した時のホッとした顔が忘れられません。

「ずっとね、何年も名前を彫ってあげれてなくて、
 ずっと気持ちがソワソワしてたの。
 ようやく、何かホッとしたわ。
 どうもありがとう」

と言ってもらったり、
「いつか無縁仏になっちゃうんだよねと思いつつ、
 お墓は今いる私達の心の供養だから、
 こうやってお墓に戒名刻んでもらうことで
 やっとまた一つ、私達の心の供養ができたんだよねって、
 朝から母とありがたがってたよ。
 生前もなくなったあとも
 寄り添ってくれるジャイアンに感謝」

と言ってもらって、すごく嬉しかったです。

こんな時代なので、現場からLINEで内地に写真を送り、
その返事を現場で読んで弦洋さんにも伝える。

迫りくるリミットを気にしながらも、
こうした気持ちを受け取って、とても幸せな気持ちになりました。

確かに手配や調整、お金のやりくりは楽ではなかったのですが、
そのすべてが報われる瞬間でした♡


■父島も母島もいざ現場に来てみれば、
戒名彫刻だけでなく、お花立ての破損、交換だったり、
彫った文字の白入れなど、
細かな作業があったりしました。

これらは弦洋さんがいなくても、
僕ができるように色々教わりました☆

新規で墓石を設置するオーダーも頂き、
十二分に充実したお墓の仕事となりました。
これも便利屋さんの仕事なのです(#^.^#)

彫刻の仕事を終えて、
「やった~!無事に終わった~!」
と墓地に通じるフルーツロード終点での達成感、忘れられません。

まだ細かな作業はありましたが、
雨が降ると絶対的にできない彫刻作業が無事に終わった時の
ホッとした気持ちは、言葉にできないです。

途中雨があって、日程がズレたら、
夜間作業も覚悟していたほどです。

それらが無事に終えた時の空はあまりに青かったのです。


■過去に住んでいたとはいえ、
お邪魔している立場、アウェイの父島と違い、
入港配達など色んな用事が発生する母島。

滞在中に島を引き揚げる友人の為の
ライヴイベントも主催していたり(#^.^#)

そんな中でも無事に仕事を終えれたので、
空いた時間は存分に母島を楽しんでもらいました♪

さすが元バンドマンの弦洋さん。
父島でもジャズフェスというタイミングでしたが、
母島では僕が主催するライヴというタイミング!!

なんか、すべてもっている感がぬぐえない、今回の滞在。
主催の僕は非常にいっぱいいっぱいなのですが、
みんなのお陰で最高のライヴになったと思います☆
それについては後日記事にしますね(#^.^#)


島に来る前からずっと体験させたかった、
アウトリガーカヌーも一緒に漕げました!

海なし県の信州から来ている弦洋さん。
最初から最後まで
ずっとクジラが途切れない、
ホエールボヤージングでした☆


終始海には「怖い!怖い!」ばっかりだったのが、
カヌーでクジラ三昧だったら
いつの間にか怖さは薄れ、
「海は友達♡」と言えるまでになりました(^^♪

漕いでる途中で作業に使っていた彫枡号(ほりますごう)、
松本ナンバー、スタッドレスタイヤの車がははじま丸の上にちょこんと載っているのを
カヌーから見送れたのはとても面白かったです。
※車を出港日のおがさわら丸に載せる場合は、前日のははじま丸に載せないと間に合わないのです。


父島母島の両方のお墓に名前を彫りたくても、
ずっと彫れずに落ち着かなかった皆さんを、
安心させれる偉業を成し遂げてくれた弦洋さんに感謝!

僕にとっても学びと喜びに溢れる日々でした☆
どうもありがとうございました(#^.^#)


■弦洋さん自身にとっても、
この小笠原に来る仕事というのは、
とても大きな意味を持っていたようです。

僕にとってもとても大きな意味がありました。
こうして人と人のご縁が、より深くなりました。
本当に有難い限りです。

とても感謝されているのに、こちらも感謝の気持ちで溢れている。
それって最高の仕事なのなのではないでしょうか?

島の困っている人を支える便利屋さんを始めたのに、
逆にいっぱい元気をもらっています!


そんな素晴らしきご縁を頂いた弦洋さんを見送る日がやって来ました。
もちろんレイを作って渡したのはもちろんですが、
それだけでは僕の気持ちが収まりません。

しかも、自分が主催するほどのお別れライヴの主人公マナイも同じはは丸です。
これはできる限りの事をしなければ、僕は後悔します。

少し風が強く、海が悪かったのですが、
僕はSUP、妻はカヤックで見送りボヤージングを行いました。
その様子を友人が望遠カメラで撮ってくれていました。
どうもありがとう!

写真で見るとかなり近く見えますが、
安全な距離にいますし、
定期船の航行に邪魔にならない様に、
事前に船長さんにも話してあります☆

見ようによっては助けを求めている様にも思えますね(笑)

自分にできる精一杯の行動で以て、感謝の気持ちを表現したつもりです。
もう2年もSUPをやり続けていると、こんな海況でも難なく立てるようになったので、
自分にしかできない見送りだと思っています(#^.^#)

その日の夕焼けは、なんだかとても不思議な竜が飛ぶような雲がある夕陽でした。
ライヴもお墓仕事も無事に終えて、超ホッとした瞬間の景色でした☆

おがさわら丸が着いた竹芝の夜(今!)は、
紹介してくれたNちゃんと弦洋さんが久しぶりの再会を果たし、盛り上がっている頃でしょう。

僕自身にも沢山の気付きと学び、
そしてご縁を頂いた今回の便利屋仕事。
これからの展望にさらにワクワクします。

どうも有難うございました!!

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋








戒名彫刻 父島編 無事に終了!!

2023年01月10日 | 便利屋 こまわりさん
■「本当に来てくれてありがとうございます!
 もう亡くなってから何年も経っていて、
 どうしたらいいか途方にくれていたの。
 これで母も私も安心できる。
 どうもありがとうございます!!」
今回、お墓の名前を掘る仕事があり、
お隣の父島にまでやって来ました。

内地からやって来たお墓の名前を彫る職人さん。
海なし県の信州松本から道具と作業車を持参しての来島です。
彫枡(ほります)の杉本弦洋さんです。

陸続きの本土では問題なくできることが、
超遠隔離島である小笠原では難しいことがあります。

困っている人の為に、
自分にできる事をしたい。
そんな想いで開業した便利屋こまわりさん。

開業してから本当に色んな仕事を引き受けてきましたが、
今回も新しい分野に関わることになりました。

そこで冒頭のような言葉を頂き、
僕も職人さんも嬉しくて嬉しくて、
こうして関わってきて本当に良かったと思えたのです。

今日から母島に移動なのですが、今回はその父島編をまとめてみました。


■ところで、そんな戒名彫刻ってご存じですか?
僕は1年半まではさっぱり知りませんでした。

約2年前、母島で便利屋として一つの相談を受けました。
「お墓に名前を掘りたいんだけど、もう20年以上も彫れてないの。何とかできないかしら?」

お墓に名前を彫ることを戒名彫刻というそうです。
本土から1000km離れている小笠原諸島。
僕が小笠原に移住して約20年、その間に色んなレジェンドが天国へ旅立っています。

しかし、島で墓石に名前を彫れていないという事実は、
全く知りませんでした。
新規でお墓を創る場合は、内地に注文して、
島の業者さんに運んでもらい据えることはできているのですが、
すでに墓石がある場合、そこに名前を彫ることができていなかったのです。

今更ながらにそんな事実を知り、
早速、戒名彫刻できる人を調べてみました。
まあ、タウンページをめくるように見つかるだろうと安易に考えていました。

しかし、さすが小笠原の特殊な立地条件。
想像以上に難航するのです。


■小笠原には父島にも母島にも墓地が複数あります。
父島には村が管理している大根山墓地というのがあります(母島には村管理の墓地はありません)。
まずは村に紹介できる戒名食刻の職人さんはいないか相談してみました。
結果は分からないし、それらは皆持ち主に任せているので、
村は関与していないとの事でした。

それで社会福祉協議会とかにも相談してみました。
しかし、社協もそれは分からず、知っている職人さんも高齢化が進み、
島に来てくれる人を探すのは難しいという事でした。

そこで今度はお墓を持っている方々に聞いてみました。
やはり、島に名前を彫りに来てくれる人を知っている人はおらず、
石にはめ込むプレート型の墓誌にしている方もチラホラいたりしました。
中には自力で彫った方もいましたが、今はもうご存命ではなく、
なかなか厳しい状況でした。

そこでSNSにお墓に名前を彫れる人を紹介してくださいと書き込んでみたら、
母島にいたことがある友人が紹介してくれたのです!!

高齢化が著しいこの業界において、
LINEで画像のやりとり、オンラインでの打ち合わせができる世代の職人さんを
紹介してもらったのです☆
Nちゃん、本当にどうもありがとう!!

戒名彫刻職人の杉本さんを紹介してもらって、電話やビデオ通話でやりとりして、
何とか島で作業する方向で調整がはじまりました。

島まで来てくれる職人さんを見つけたと連絡した時の、
ご依頼人の安堵した顔は忘れられません♪


■そこから杉本さんに色んな小笠原の特殊事情をお伝えし、
宿や機材の運搬、ご依頼人の募集など、
沢山の調整をし始めました。

当初は天気も安定していて、
涼しい1月の実施を前の年の秋位から調整していたのですが、
なんとコロナの問題が発生してしまい、
スムーズに調整していた1月の来島が難しくなってしまいました。

しかし、ピンチはチャンス!
1年の延期をしたおかげで、
当初は母島での作業だけを考えていたのですが、
父島の方も募集し調整する時間的余裕ができたので、
父島も実施する方向で動き出せたのです。

ご相談を受けてから結果、1年以上も実施まで時間がかかってしまい、
沢山の時間をお待たせして申し訳ない気持ちでしたが、
ご依頼人の方が、
「これまで20年以上待ってもできなかったことが、
 こうしてやってもらえるだけでも本当にありがたいのよ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。

そんなこんなで無事に職人さんを島に呼ぶことが出来て、
そのタイミングでなんと父島でジャズフェスが開催されることが分かって、
僕は入港日の前日に父島入りを果たしたのです。


■港で念願の杉本さんと初対面を交わし、
松本ナンバーでスタッドレスタイヤ(笑)の作業車がおがさわら丸から降りたので、
早速扇浦墓地へ直行し、作業を開始しました。

僕も今回初めて知ったのですが、
戒名彫刻はコンプレッサーで高圧の空気を使い、
カーボンの粉を吹き付けて削る作業を行うのです。

ご依頼の戒名に合わせて型をゴムで用意して来てくれていて、
万が一に備えて、島で型を作れる用意までして来てくれたのです。

忘れ物をしたから、ちょっと取りに行く、といくことが難しい小笠原と
この特殊な作業。
なかなかこれまで戒名彫刻がされてこなかったのもよく分かりました。

今回このご縁で職人さんに繋いでもらって、
こうして実施できる事が僕にとっても本当に有難く、嬉しい仕事です(#^.^#)


■扇浦の墓地を終えて、翌日は村の大根山墓地へ作業場を移動します。

戒名彫刻は雨の中では絶対に実施できない、
デリケートな作業だそうで、
とにかくお天気の間にできる限り作業を進めるというもの。

小笠原は週に1度のアクセスの日が決まっているので、
出来る限り余白のある日程を組んだつもりですが、
ずっとお天気の保証もないだけに、
作業終了まで気が抜けないシリアスさが常にあります。

しかし、職人さんが驚くほど、父島の大根山墓地は
お墓とは思えない不思議ないい空間でした♪

1日中お墓で作業してると、
ヨガをしていたり、
楽器練習する人がいたり、
お墓参りに来る人がチラホラいたり、
観光の案内スポットになっていたりするのです。

また、見晴らしがよくて、
和と洋のお墓が入り混じっていて、
なんだか欧米系の住民がいる父島らしい雰囲気の墓地だなぁと
しみじみ思いました☆

お墓で肝試しなんて全く成立しないほど、
気持ちのいい開かれた空間なのです(#^.^#)


■本土で独立開業し、法人化した杉本さんにとっても、
この小笠原での仕事はとても大きな意味合いを持っていたそうです。

ご依頼者さんと対面し、
感謝の言葉を頂きつつも、
こちら側もお陰で小笠原まで来れて、
こうして自分のできる事が人の役に立てているという手応え。

それが職人として、
人としてのアイデンティティーになっている。
僕にとってもそうでした。

ご依頼人、
職人さん、
双方から喜ばれるって、
調整した側の僕にも心底嬉しい事なのです(#^.^#)

もの凄い粉塵と音の中作業をしているその背景が、
小笠原の雄大な大自然と、
人らしく暮らしているみんながいる。

こんな所にも小笠原のポテンシャルの高さが伺えます。


■父島の作業を無事に終えて、
ようやくホッとした私達。

お天気にも恵まれ、とてもスムーズだったので、
杉本さんを島案内することが出来ました♪

僕にとっても以前住んでいた父島を周るのは
感慨深いものでした(#^.^#)

海なし県の長野から来てくれた杉本さん。

何度も何度も小笠原の海の絶景を見ては
「怖い~!!」の連発☆

水産センターでアカバの歯磨きにハマっていたり(笑)


小港海岸の圧倒的なスケールの砂浜に心底感動していたり、


コペペの戦跡で絶景と戦争の悲惨さを感じたりと


短い時間で弾丸ツアーでしたが、
父島の雰囲気は良く伝わったようでした(#^.^#)

■楽しみにしていたジャズフェスも強風でテントや機材が滅茶滅茶になり、
まさかの1日延期という展開のお陰で、
逆にゆっくりライヴを楽しむことが出来ました☆

母島にも何度も来てくれているBimBomBam楽団の皆さん、
元晴さんの最高のステージを楽しむことが出来ました!!

アンコールで楽器レクチャーに参加したみんなで
南洋踊りのウラメをやった時は、
思わず踊りで参加しちゃいました(^^♪


これで今日から母島に移動しての母島作業開始になります。
母島もどうか無事に作業を終えれますように!
戒名彫刻 母島編に続く

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋

謹賀新年2023年

2023年01月01日 | 母島 日常 日記
■新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします☆

さっき日付を越えたところなのですが、
なんと僕が母島に来た時に最初にお世話になった(働いた)、
アンナビーチ母島YHが生まれ変わりました。

正確に言うと、ユースホステルを辞めたのです。

アンナビーチ母島YHから
アンナビーチ母島GHへ

GHは
グランドホテルなのか
ゲストハウスなのか
それともジャイアンハウスなのか分かりませんが(笑)、
ひとまずユースホステル協会に加盟して宿をするという形式は卒業し、
独自の宿として生まれ変わったようです。

22年半のユースの時代に終止符を打ったのです。
僕がヘルパーとして働いていたのは2002年の6月~9月の3か月だったと思います。
たった3か月ですが、その影響と言ったら言葉にできないほどです。

そこで今の奥さんになった女性と出会うのですから、
僕の人生にめっちゃ大きな影響を与えています(#^.^#)

その頃仲良くなったお客さんの多くも、未だにお付き合いが続いているのです♪

大晦日でRIZINや元旦の海開き準備で忙しい中、
妻や元ユースのメンバーが少しでもユースのラストに花を添えようと動いてくれていました♡

僕が働いていたころは、毎晩お客さんと飲み交わし、
休日は一緒に山や海に行きまくっていたノリだったのを思うと、
時代は変わったなぁと思うのです。

いずれにせよ、田澤さん本当にお疲れ様でした☆
ありがとうございました!


■さっき月ヶ岡神社にも初詣に行ってきました。
島らしい素朴ないい神社です♪

島に帰って来た高校生たちが、
日付の変わるタイミングでジャンプしようと構えていて、
なんだかいいなぁとしみじみ思ったり(#^.^#)


初詣を終えて、おみくじを引きました。
今年のおみくじは某にとってはちょっと特別でした。

42歳になる今年。
本厄です。

この春にとある新しい分野に挑戦しようかどうか悩んでいて、
この元旦のおみくじに占ってみようと思っていました。

すると…

なななんと、人生初の大吉でした。
もうこれは迷わず挑戦しろって事!?

お陰ですこし肚が据わりました(#^.^#)


■そして、この冬はずっと一緒に働いていたバリ島出身の同僚とのお別れのタイミングでした。
我が家がバリ島に行った時も沢山お世話になったニョマン。
母島を離れるにあたり、妻がおはぎを握ってくれました。

真ん中の赤いおはぎはローゼルの塩漬けを使った島おはぎです(#^.^#)


1月には島を離れてしまう、島の若手とも沢山話す機会がありました☆

人はまた巡り、どんどんご縁が繋がることが分かる今日この頃。

素直に応援したい気持ちでいっぱいです♪
それでもやっぱり別れは寂しいです。



■大晦日はカヌーで漕ぎ納めでした。

親子クジラが沖港を出てすぐにいて、
優しいアプローチでゆっくり眺めることが出来ました☆

母クジラの他にオスのエスコート呼ばれるストーカーまがいの個体もいます(笑)。

そんなみんなでワイワイしながらの大晦日。
さあ今朝は朝から年賀状の配達、海開きだぁ!楽しむぞ~(#^.^#)




青森 下北半島~恐山と寒立馬 (資格取得ツアー⑧)

2022年12月29日 | 資格取得ツアー2022
■あっという間にクリスマスも過ぎ、2022年も年の瀬となりました。
母島では島周りでもう沢山のザトウクジラが見れています。
文字通り師走の日々を送っています。

ここにきて、7月の資格取得ツアー(別名:東北カブ旅)のブログ記事が津軽半島で終わっていることを思い出し、
もう5か月前が遥か彼方の様に思えますが、
なんとか記憶を捻りだして、人生初青森編の後編を書いていこうと思います。

僕のブログ大いにあるある(笑)なのですが、
旅先では旅を味わっているので、
なかなか記事に書けないし、
日常に戻ってから振り返ろうと思っても、
日常も日々ドラマティックなので、
ついつい旅の振り返りが後回しになって終わってしまいます。

考えてみれば、バリ島編カナダ編ハワイ編もまだまだ途中です。
いつか仕上がるのかな(笑)?←遠い目(#^.^#)

さてさて9月に書いた前回の記事の続きです。
津軽半島をフェリーで離れ、旅行前から行きたかった下北半島にいよいよ上陸です!
津軽半島の蟹田から脇野沢までのむつフェリーでの出逢いを楽しみ、
ようやく上陸となりました!

こちらは津軽半島ツアーの終点、八戸を越えての種差海岸です。
ここでビバークしました。最高の朝日でした(#^.^#)


■むつフェリーで何人の方と交流し、
旅の醍醐味を味わいながら、一路下北半島・最北端の大間を目指します。
大好きなツーリングマップルを参照にしながらも、
グネグネでアップダウンの激しい、海岸ルートを選びます☆
なかなかハードな道のりでした(#^.^#)
これがまた楽しい♡

そしてマグロ一本釣りで有名な大間に辿り着きました☆

大間に着いたらやっぱマグロでしょう!
と思うのがセオリーなのですが、
なんと僕が行った7月上旬はシーズン前らしく、
あまりマグロはいい品質のがないようでした(#^.^#)

むつフェリーで仲良くなったライダーさんとも偶然に再開し、
一緒に「大間んぞく」という食事処に行きました。

この土地では親子で記録保持者のようで、
大きな看板が掲げられていました。

ガッツリ大間のマグロのメニューが欠品という事で、
アワビ&マグロ丼を注文しました☆

結論から言うと、
アワビは大変美味しかったのですが、
マグロはそこそこな感じでした(#^.^#)
シーズン外なので、そこは仕方ないと思います☆

母島で食べるムロはもちろん、
カッポレやカンパチ、キハダに軍配が上がります。

いつか最盛期のシーズンで大間のマグロ丼を味わいたいと思います(#^.^#)


■大間に行ったあとはずっと気になっていた下風呂温泉に行きました。
下風呂温泉は妻からずっとおススメされていて、
密かに気になっていた温泉でした(#^.^#)

泊りたかった「さつき荘」が満室だったので、
今回は公衆温泉で旅の疲れを癒しました(#^.^#)


僕はあまり温泉に詳しくはありませんが、
下風呂温泉の泉質はとてもいいと感じました♪

公衆浴場は地元の人も多く、
いい憩いの場になっていました(#^.^#)

念願の下風呂温泉の良質な泉質でリフレッシュした後は、
かの有名な恐山に向かいました☆


■恐山は下北半島の中央部に位置する活火山。
カルデラ湖である宇曽利山湖の湖畔には、日本三大霊場の一つでと言われる恐山菩提寺があります。

下風呂温泉からバイクで峠道を通り、尾根を越して降りると、
急に周囲の雰囲気と匂いが変わりました。

明らかに硫黄の匂い、湯気、そしてそのためか植物がなくて、
岩場がゴツゴツしている景観が現れます。
まるで硫黄島のようでした。

そんな中に恐山菩提寺が突然現れます。

恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、古くから崇敬を集めてきたそうです。
下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられていて、
山中の奇観を仏僧が死後の世界に擬したことにより参拝者が多くなり信仰の場として知られるようになったちのこと。

明治・大正期には
「恐山に行けば死者に会える」
「河原に石を積み上げ供物をし声を上げて泣くと先祖の声を聞くことができる」
「恐山の三大不思議(夕刻に河原に小石を積み上げても翌朝には必ず崩れている、
 深夜地蔵尊の錫杖の音がする、夜中に雨が降ると堂内の地蔵尊の衣も濡れている)」
などが俗信された場所だそうです。

硫黄が立ち込める岩場の各所に祠があり、
カラカラと風車が周っているのが、
なんだかこの世なのかあの世なのか分からなくさせてくれます。

仏教によれば死者の魂は、
死出の山を越えて三途の川を渡り、
次の世界へ向かうとされますが、
まさに恐山では「三途の川」や「無限地獄」、「血の池地獄」、「極楽浜」などがあり、
死後の世界を垣間見ている気がしてきます。


色んな物語で読んだような、
幾つ石を積み上げても積み上げても、
崩されて成仏できない、
そんな石の山も沢山ありました。


恐山菩提寺を後にしたら、
若いカップルが僕のカブのナンバーを見て、
「お、小笠原からやって来たんですか⁉すごい!」
と話しかけてくれて、なんだかいいナンバーで来れたなぁと感じていました。

■恐山があまりに面白かったので時間を喰ってしまい、
尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)を見に行くのがすっかり遅れてしまいました。

寒立馬は厳しい冬にも耐えられる、たくましい体格の馬。

南部馬の系統で足が短く胴が長くて、ずんぐりしていて、
現在の形になるまでに、ブルトン種などの外来種との交配がなされたそうです。
青森県の天然記念物に指定されています。

野放牧されている馬がいる!と、
馬好きの僕としてはぜひとも押さえておきたいポイントだったのですが、
僕が到着したのがゲートの閉まる時間ギリギリだったので、
ゲートの中には入れませんでしたが、その外に放牧されている子たちに逢うことが出来ました(^^♪


■可愛い馬を見て幸せに浸ってからは、
一気にできるだけ南下しようと、
海岸線をひたすら南に南下していきました。

この日はできるだけ南下して、八戸を越えてどこかでビバークしようと考えていました。
宿を予約しているわけではないので、
ここら辺がバイクテント旅の最高に気楽なところです(#^.^#)

途中、かの有名な六ケ所村での美しい夕焼けに見とれていました。

核の再処理施設として有名な六ケ所村。
そこでみた夕陽は格別のものでした。

八戸に着いた頃はもう真っ暗になってしまい、
僕は寝床を種差海岸にして向かいました。

夜寝る時は分かりませんでしたが、
朝は冒頭の写真とこちらの写真の様に、
最高に美しい朝日を眺めることができました☆

人生初の青森県。
しかもたった2泊。
内陸側はほとんど行ってません(#^.^#)。

有名な十和田湖も岩木山もまだまだ味わっていません。
1泊目の雨で逃げ込んだ龍飛旅館のごはんがあまりに大満足過ぎて、
八戸でじっくり海産物を味わうのを忘れておりました(#^.^#)

まだまだ宿題が沢山の青森、
まだまだ足りない!と思わせる旅先は、
とてもいい土地だと思います(#^.^#)
またいずれ来たいと思っています!!

次はいつ書くか分かりませんが(笑)、
秋田編です!!

恋い焦がれる島たち

2022年12月22日 | 母島 日常 日記
■僕は今、島に恋い焦がれています♪
どれもここ数年でご縁ができたまだ行ったことがない島々です。

小笠原諸島と同じ東京の島々、伊豆諸島でもまだ行ったことが無い
大島、三宅、御蔵、利島、はもちろんですが、
今猛烈に行きたいのが、

・中ノ島(海士町あまちょう、島根)
・甑島(こしきじま、鹿児島)
・中通島(五島列島、長崎)
・天売島(てうりとう、北海道)
・豊島(てしま、香川)
・新島(にいじま、東京)
です。

どの島も明確に逢いたい人がいる島なのです。
この数年活動してきた東京宝島事業母島部活堂でできたご縁ばかりです。

今年度は母島部活堂は東京都の取り組みから外れ、少しお休み中ですが、
そのご縁で繋がったエネルギーは脈々と動いています!!

【オオハマボッス】
小笠和固有種潮風のあたる海岸付近や山頂や稜線の岩石地に自生しています



■そんな中、昨晩は村議会議員の清水良一さんが、
海士町視察オンライン報告会、議会報告会を実施してくれました。

聞いていてワクワクする取り組みが沢山でした♪

【ないのもはない】をスローガンに
・お金がない
・前例がない
・制度がない
を禁句にして本気の地域づくりを進め、
平成16頃の海士町財政破綻寸前から、
一気に毎日視察で満席になる現在の海士町についてアツく語ってくれました☆
なんてカッコいいスタンスなのでしょう!

聞くところによるとですが、
海士町、以前は公共事業ばかり主体だったそうです。
そのおかげで離島とは思えないインフラが揃って行ったそうですが、
過疎化は深刻で島を離れた島の出身の子供たちは進学以降は
なかなか島に戻ってこない状況だったそうです。

日没の母島前浜。大好きな景色です。

■平成16年頃の財政破綻寸前のところから、
沢山の人が危機感を持ち、
本気で地域を再生するために動いて行ったそうです。

後に海士町の大改革のキーマンとなった
岩本悠さんが海外を流学したあとに大手企業に勤め、
海士町に視察に来たことをきっかけに海士町から世界を変える取り組みを始めたそうです。

「大事なのは人」という目線でどんどん沢山の人のご縁が繋がり、
丁度そのタイミングで四天王と呼ばれる島出身も含む凄腕の課長さんも揃い、
独自の取り組みをはじめ、
地域おこし、第1次産業へのテコ入れ、
教育の重要かなど
全てがうまくいってるわけではないでしょうが、
どんどん改革を進めていったそうです。

とにかく補助金目当てではなく、
自分たちの財源や色んな応援を駆使しての地域づくり。
まずは町長さんが給料を半分にして、
その下の職員さんが次々と人件費をできる限り削って2億円の財源を捻りだしたとか。


■島根県の外れの人口2500人の離島の中ノ島(海士町)。
町自身が第1次産業や施設、町営住宅建設に力を入れ、
高校の改革をして、島っ子の流出を食い止め、
外部からの留学受け入れもしていくスタンスもすごいと思いました。

毎日、独自のケーブルテレビで島の中の様子を放映し、独自に番組も作り、
小さな離島で独自に作る番組をみんなが楽しみにしていて、
運動会も卒業式もお茶の間で見れるという海士町。

半官半民で、役場に勤めていても、
半分は民間や個人事業でも働くしなやかさ、
完全に島が自給自足できる田んぼや作物、海産物の豊かさ、
上質の湧き水。
人口2500人で12集落もあり、各地に図書館がある豊かな島。

公営塾を運営し、高校生が集える場づくり。
大学生など大人の島留学を進めて、
島の子供たちに色んな大人のスタイルをありだと見せつける取り組み。
今では毎日全国の自治体や企業から視察や研修で宿が埋まってしまう海士町。

新しくクリエイティヴな活動をする事業者などには
2億円にもなるふるさと納税の25%を割り振って出資できる仕組み作り。

まあなんとワクワクするような動きをしているのでしょう☆


沖港の浚渫作業をする新富士丸。お陰で船が安全に航行できています。感謝!

■僕が海士町に興味を持ったのは、母島部活堂で天売島の方たちと対談した時でした。

天売島の皆さんが遊び心半分で海士町に視察に行って
「自分たちは今まで何をしていたのだろう?」と心の底から奮い立たされて
「天売島おらが島活性化会議」の発足のきっかけにもなったと聞きました。

その様子は母島部活堂のアーカイブで見れます。
齊藤暢さんが語ってくれています(44分あたりです)。
興味のある方はぜひ配信、レポートを見てみてください。


この対談の時に、天売島にももちろん行きたくなったし、
天売の人たちを一気に変えてしまった海士町にとても興味が湧きました。

そんな海士町には小笠原にご縁がある人もいるそうです。
冒頭の清水良さんの宿、プーランに泊まった、
当時、一流自動車企業に勤めていた方はプーランで色んな気付きを得て、
一気に会社を辞めて海士町に移住したそうです。

今回の視察でも忙しい中、お会いできたそうです。

良さんの報告会でも挙げられた「海士町複業協同組合」
“副業”ではなく‟複業”。
色んな繁忙期と閑散期の仕事を繋いで、多様に働くスタイルの複業。

これはまさに戦前、母島にもあった「若ノ衆売組合」に近いものがあります。
こういう取り組みが色んな人の移住を促し、島民の意識向上や、色んな改革や力になっていると思います。
 


他にもまだまだこの報告会で紹介したいことは山ほどありますが、
まずは皆さん、自分の足で行ってみるのがお勧めです(#^.^#)
僕もここ数年以内には行こうと思っています!



■小笠原が今、できること。
沢山考えることができます。

海士町と違い、
財源はそのほとんどが国や東京都からの補助金で、
空き家がなく、住宅・土地問題がとても深刻な小笠原。

煌びやかに見える小笠原ですが、
その実態はメッキのように内側はまだまだくすんでいる様に思えます。

同じような人口規模の海士町の活躍を聞くと、
小笠原が自分の力で立って動くのもまだまだ可能な気がするのです。

今回夏に東北を周ってみても思いましたが
小笠原のポテンシャルは本当に凄いと思います。
他にはない、ここだけの強みを沢山持っているのです♪

現時点で考えただけでも、
海士町を参考にできる事も沢山あります。

地域の大事な文化的役割の図書館。
父島母島の差だけでなく、
ビジターやOWA、役場などの図書館の連携もやろうと思えばできる事です。

村のケーブルテレビも民間に運営を委託して、
様々な番組を作り、撮影してもらい、
小笠原独自の地域が繋がり、未来へ結ぶ使い方があると思います。

うちのようにTVのない家も多いので、
これからはYoutube配信なども同時に行いつつ、
どんどんワクワクするコンテンツが出来ればなと思うのです。

そして人とのご縁を大切に繋ぐ長期的未来を据えた取り組み。
東京宝島でもSHIPでもできてきているこの取り組みを、
もっともっと多くのジャンルや人に関わってできるはずです。

議会放送もYoutubeで生配信はしているのですが、
ぜひぜひアーカイブ化してほしいし、
ダイジェスト版なども放送してくれるといい気がします。

そして、
父島、母島、硫黄島をヘリで繋ぐ未来.........
小笠原とグアムを船で繋ぐ構想...
まだまだ沢山今できる事があります。

今回視察に行った4人の村議会議員さん
(良さん、重行さん、杉田さん、築舘さん)の今後の活動も気になりますし、
来春の村議会選挙も色んな可能性を秘めててワクワクしますね(#^.^#)

今回は素晴らしい報告会をありがとうございました!!



日はまた昇りくりかえす

2022年12月09日 | 母島 日常 日記

■本土よりも四季を感じにくい亜熱帯の小笠原。
12月上旬でも最高気温は26℃位あるし、日差しは暑いのです。

でも朝方とか寒く感じて、思わず長袖を用意したり、
開けている窓を閉めたりします。
今日なんかは急に風が寒くなり、湯船に漬かりました(#^.^#)
それでも20℃を切る程度…

本土で寒い12月に震えている人には
小笠原の温暖な気候に文句を言ってると、怒られてしまいますが(笑)、
小笠原は冬がないのではなく、
秋がないのだと思います。

紅葉もないし、
あの圧倒的な作物が実る波もありません。

冬に備えて、
あの豊かな秋の実りや景色は本当に美しく、
日本の大好きな景色です。

そんな四季ではなく三季に感じてしまう小笠原でも、
ああ冬が来たなぁと感じさせてくれるものがあります。


■まずはなんと言ってもザトウクジラです!
父島で11/26に確認されてから、
ドキドキワクワクしていましたが、
今季の母島ザトウクジラの初確認は12/7でした。
※11月に入ってから毎日鮫ヶ先展望台に通ってる妻情報でした(#^.^#)

ちなみにこの写真は今年2月のもの
妻からの情報だけで、まだ僕はブロウ(潮吹き)すら見ていません☆

ですが、「ザトウクジラを見たよ!」そんな声を聞くと、
ああ、島に冬がやって来たんだなぁと感じるのです。

妻はこの数年間、クジラシーズンの11月から5月のほぼ毎日、
鮫ヶ先展望台で観察を続けています。

彼女はどうやら陸上観察から見える、
クジラ達のドラマがとても楽しいようです(#^.^#)



■秋のない母島で秋を感じさてくれるのは、
やっぱり月ヶ岡神社です!

今年もコロナ禍の為に神輿巡業はありませんでしたが、
七五三や僕も祓ってもらった厄除けなど、
この時期としては大事な意味を持つ行事です。


■ふと気づくと、仕事終わりの夕陽が17時前になっていたりして、
今は16時半が日没。

いつも行ければ夕陽を見に行きたいのに、
間に合わないのも、島の冬を感じさせるものです(#^.^#)

夕陽を見に行っても雲が多くて、
なかなか悔しい事も多いのが島の冬。
そんな時は夕焼けを存分に味わいます♡



■そして、この時期になると海水温が気温よりも高くなり、
海からの水蒸気が増えて、水平線に霞がかかるようになります。

長い夏に毎日のようにSUPで沖に行ってたのに、
冬は風が強くてカヌーじゃないと沖に行けないのも、
僕にとっては冬らしいなぁと感じる部分です。

少し前まではこんなに青くてスッキリしていたのに(^^♪

でも時々ある、
稀な冬の凪は存分にSUPで楽しみます♪


■冬が来たなぁと思わせるのは、もうひとつ。
オナガミズナギドリの巣立ちです。

鳥獣保護員として、毎年集落の灯りに寄せられて不時着するミズナギドリを保護しては
翌朝に放鳥しているのですが、
今年も50羽近くのミズナギドリを保護し、放鳥しました。

これが終えると、僕の中ではようやくクリスマスです。
なかなか一般には分からない感覚なので、
独特の俳句の季語になりそうですね(#^.^#)

ミズナギドリの巣立ちに伴い、
前浜のガジュマルのイリュミネーションも先日取り付けました!



母島観光協会が母島青年会に依頼するこの取り付け作業ですが、
これをすると師走だなぁと思うのです。

ガジュマルのイリュミネーションは母島観光協会にお願いされた母島青年会がボランティアで取り付けを行っています。
去年もこのイリュミネーションは色んなドラマを生んでくれていましたが、今年も色んなドラマを生んでいます♪

僕が大好きな活動の一つです♡

今年の点灯はミズナギドリの巣立ちが落ち着いたので、
9日に点灯となりました(#^.^#)

今日の夕方の初点灯で、
家族連れや子供たちが「わあ!ついたんだ!」「やったぁ!」
車もスピードを緩めて、
数も少ない素朴なイリュミネーションを眺めている島の光景に、
たまらなく愛おしさを感じています☆


1月のどんど焼きの頃まで点灯を続ける予定です。
それまでは、母島のクリスマスを味わって楽しめるといいなと思います(#^.^#)




■この師走の時期に出荷する晩生ローゼルの「うちなーローゼル」。
このローゼルの出荷作業をしながら、
季節はこうして廻り繰り返すことを感じさせてくれました。

コロナ禍、ウクライナ侵攻、島の生活。

みんなそれぞれ色んな事があって、

その中でも一生懸命生きていると思います。
自分自身にも色んな流れは来ていますが、
そんな中でも日はまた昇り繰り返している…

当たり前の事だけれど、こうして廻って来るものを素直に有難く感じます♪

さあこの師走、楽しんで頑張っていくぞ~(#^.^#)





刃物を研ぐという事

2022年11月24日 | 母島 日常 日記
■こないだの日曜日は天気も海も悪く、
カヌーやSUPに行けなかったので、
久し振りに色々家周りのメンテナンスをしていました。

その中で、久し振りに家の包丁を研ぎました。

そして、思い出しました。
僕は刃物を研ぐのが大好きだということを♡
※上手かどうかはまた別の話(#^.^#)

切れにくかった包丁が、
少しずつ研ぎ澄まされて行く様が堪りません♪
自分の使いたい様に包丁を研ぎながら、
色んな事に想いを馳せていました。


■僕に刃物研ぎを教えてくれた3人の師匠がいます。

ひとりは小笠原ユースのオーナーさんです。
途中に僕が結婚したりして、
2年半ほど働く間に、
色んな料理や、魚の捌き方はもちろん、
刃物の研ぎ方を教わりました。

今でも教わった通りに
ちゃんと研げてるかは疑問ですが(笑)、
どう研げばいいのか、
どう刃を確認すればいいのか、
どういう砥石を使うのかなど、
様々なノウハウを教えて頂きました。
本当に感謝です!ありがとうございます!!

もう一人は
ユースのリピーターさんで、
素潜りの天才であり、
チーム宮ノ浜のお頭、コミネさんです。
小峰さんには、ユーモラスなタコ捕り、銛突きや、素潜りも習い、
刃物研ぎの心得を教わりました。

コミネさんの
「魚が切られたことに気付かないくらい、スッと切れるように、とか、
 硬い木もトーフを切るように切る」
などの表現も面白く教わりました☆

最後は亡くなってしまったけど、
大好きなリピーターのキヨノブさん。
彼は大工で、色んな事が出来るのに、
いつも最高の笑顔で精神性を伝えてくれました。
「清信さん、どうやって研ぐのが一番いいの?」
「ジャイちゃん、刃物はね、一生懸命研ぐのが一番いいんだよ♡」
と教えてくれました。

今でもさえちゃんが作ってくれた名曲「君と出会った島」を聴くたびに、
この時のエピソードを走馬灯のように思い出します。

刃物を一生懸命研ぐ時、
そんな事を思い出しながら、
色んな人に支えられてるなぁと思えて、
心の底から感謝の気持ちが溢れてきます☆

刃こぼれの酷い出刃包丁もあるので、
これからちょくちょく研いでいこうかな(#^.^#)

早速、ハロー(ホウキハタ)を頂いたので、
美味しい刺身を切ってみたら、
ホント気持ちよく切れて大満足でした♡


■最近は便利屋さんの仕事で、高い木の上に登って、伐採をする仕事が続いています。
その中でチェーンソーをよく使うのですが、
これも何度も使っていたり、石などに当ててしまった時に、
刃がダメージを受けて切りにくくなります。

そんな時に目立てを行うのですが、
以前は細いヤスリを使って目立てていましたが、
ある時、現場の方にチェーンソービットという、
インパクトドライバーで目立てする方法を教えてもらい、
さっそく手配してやってみたら、
あらまあ!新品同様なくらいによく切れます!!

今までの苦労や切りにくさは何だったんだ⁉と思うほどでした☆

目立ての時間も大幅に短縮できて、さらによく切れるとは、
これを開発した方のセンスと技術に感動です。
電動工具など伝統的ではない機械などは、
どうも邪道的な考えになってしまう場合も多いのですが、
こうした工夫とアイディア、発明は本当に素敵に思えて、
人間の深さを垣間見る気がするのです。

なので、東急ハンズやホームセンターに行くと、
そんな人知の叡智が詰まっていて、
何時間でも楽しく過ごせるのです♪
(楽器や、電気屋も同様w)


■しかぁ~し、それでもなかなか切れなくなってきて、
切りカスが細かくなってきたら、
さすがに刃の交換時期です。

そんで、交換してみると…
嘘でしょ?って思うほど、ビックリするほどよく切れます!
コミネさんの言葉を借りればまさに枝が「豆腐を切るように切れる!」

これ、毎回刃を新品にするたびに思うことなのですが、
毎回、大事にギリギリまで使ってしまうのも、また人の性(#^.^#)

左が旧、右が新です☆

こんなエピソードも
島ならではの素材ではありませんが、
こんな島の暮らしの一コマもどうでしょうか?



オナガミズナギドリ巣立ちシーズン開始!!

2022年11月20日 | 鳥獣保護員 活動
■そろそろ秋だし、準備でもしようかなぁと思っていたら、
突然、夕方に電話が何度も何度も鳴り響きました!!
「ジャイアン、鳥!!」
おお!
今年は11/16開始と少し早いじゃないか!
「オッケー!今向かいます!」
段ボールを用意して、さっそくその鳥を保護しました。

小笠原に秋の訪れを感じさせる風物詩。
そう、オナガミズナギドリの巣立ちシーズンの始まりです☆

この記事を書いている今日も、すでに5羽のオナガミズナギドリを保護しました。

こちらは停まっている車の下にちょこんと座っているオナガミズナギドリ。
気付かずに踏まれる前に通報していただいて助かりました!!


■さてさて、そんなオナガミズナギドリさん。
カツオドリと並んで小笠原を代表する海鳥の一種です。
ははじま丸航路でもカツオドリと並んでよく見られます(真冬以外)。

日本では小笠原諸島のみに繁殖していて(外国の太平洋の島々には沢山います)、
母島列島では南崎半島部や属島(無人島)で多数繁殖しています。

この11月中旬がこの鳥さんの巣立ちシーズン。

巣穴の中で育って初めて飛んだ時に、
まだまだ経験の浅い巣立ち個体が人間の集落に不時着する場合が多いです。

元々灯りに向かってしまう習性があるようで、
集落の灯りに寄せられて、道路などに不時着します。
場合によっては電線や建物に激突して亡くなってしまう場合もあります。

これは学校前の電柱に激突して亡くなってしまったケースです。

長い羽根でグライダーのように飛ぶのは大得意なのですが、
急旋回が苦手で、よけきれない場合があります。

また、そのままふわっと道路に着陸して、
いつでも飛べるのにボーっとしていたりします。

そうしていると車に轢かれたり、
ネコに襲われたりしてしまうので、
一晩段ボールに保護して、
翌朝に海で飛ばす活動をしています。

父島では通称アイボこと小笠原自然文化研究所
母島では東京都鳥獣保護推進管理員の僕と環境省母島事務所のメンバー、さらには都レンジャー、
日中の窓口として母島観光協会が協力してくれています!
本当にありがとうございます☆


今年は11/16から毎日保護、放鳥をしています。
時々、島の子供達や観光の方、
友人などに出逢ったり声かけたりで、
一緒に放鳥をしたりします。

この機会になんと50m以上も海に潜ってしまう、
小笠原ならではの海鳥の存在を知ってもらいたいです(#^.^#)

人の住んでいない世界では、
こうした影響は関係がないのですが、
人がこの大自然にお邪魔して暮らしているので、
出来る限り人間の影響で野生動物が命を落とすのを防げればと思っています。


■先日、「24時間チャレンジ八丈太鼓」というイベントがありました。
これはもう13回も続いているみたいなのですが、
母島の小笠原太鼓同好会が参加するのはオンラインが発達したコロナ禍の2年前からだったと思います。

いつもこの11月中旬に行われていて、
見事オナガミズナギドリの巣立ち期と合っていて、
今年もなんと4羽のオナガミズナギドリが
素晴らしい太鼓を聴きに降りてきました(^^♪

4羽とも無事に保護されて、翌朝に無事に野生復帰しました。
良かった♡

この太鼓イベントは去年も小笠原は入港日に実施されていて、数羽のミズナギドリを保護した記憶があります(#^.^#)
八丈の友人がコメントをくれたり、
逆にうちの娘と同い年の子がカッコよく叩いていたりで、
700㎞くらい離れているのに、なんだか不思議な時代だなぁと感じていました♪


■オナガミズナギドリ、今日の段階で今シーズン23羽を保護しています。
多いときは1シーズンに200羽近くを保護したこともあり、
まだまだ始まったばかりなので、
僕にとってお酒の飲めない休肝シーズンにもなります(#^.^#)

何羽も放鳥していて、不思議に思うことがあります。

大体の飛べる野鳥は、
箱から出した瞬間に一目散に飛び去って行くのですが、
ミズナギドリの仲間は、何故かボーっとしていたり、いつまでも飛ばない場合があります。

別に羽を痛めている訳でもないのに、です。

野生動物なのに、なんかどこか抜けている感が否めなくて、
そこがまたなんだか愛らしいミズナギドリちゃんです。

基本水面や地面を助走して離陸するのですが、
風の向きとタイミングがマッチしていると、
その場で一気に飛び上がります。

でもこんなに飛ぶまでに結構、目の前でボーっとしていたりするんです(#^.^#)

場合によっては海面をず~っと泳いでいって、
岩場に隠れる子もいます。

その場合は犬散歩中の飼い主が見つけて、
通報して来てくれたりします。


■僕は母島で2013年から東京都鳥獣保護員をしていて、
島のみんなはだいたい鳥で何かあると、僕に連絡が来るようになっています。
本当にありがたいことです(#^.^#)

僕以上にみんなが真剣に取り組んでくれるので、
いつも色んな学びがあります。

島の子供たちは匂いでミズナギドリを見つけますからね☆

匂いと言えば、
ミズナギドリの仲間は鳥にしては珍しく嗅覚に優れているそうで、
集団営巣地(コロニー)などで自分の子供を見つけるのに、
匂いがかなり重要な役目を果たしているそうです。

そして24時間、繁殖のとき以外はずっと海上で暮らしているタイプなので、
もちろん飲む水分は真水ではなく、海水。
保護してお世話する時も飲ませる水分は基本海水です。

ウミガメの涙と同様に、
ミズナギドリは鼻の穴から鼻水のように塩分を排出するそうです。

まさに海に特化した鳥ですね!
一応巣穴も掘れるので、
一見お間抜けそうに見えて、
意外と陸、海、空、地中とオールマイティ―に使えるすごい鳥なんです♪


ミズナギドリの巣立ちが終わったら、
今度は父島母島両島のガジュマルのイリュミネーションが点灯されます。
(ミズナギドリの巣立ちを配慮してもらっています)

そう、小笠原のクリスマスは
ミズナギドリが運んでくれているかも知れません♡

それまではこうして夜間や早朝に、
ふと足元にミズナギドリがいるかも知れません。

そんな時は村内の掲示板などに連絡先を書いてありますので、
飛べない鳥を見かけたら、日中、夜間問わずにご連絡を下さい!!



■最後にオナガミズナギドリの放鳥の様子を見て、
テイクオフ!ってことは?と思い、
Instagramのリール動画でトップガンのテーマ曲の音源を探したら、ありました!
合わせてみると、なかなか合っているいると思いませんか?
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第13回 24時間チャレンジ八丈太鼓 Part2
母島は03:45:53からです☆

僕の島ソウルフード

2022年11月11日 | 母島 日常 日記
■あなたのソウルフードってなんですか?
自分の住んでいる地域の郷土料理?親の料理?家族の料理?
色々ありますよね。

僕にとってソウルフードは?
と聞かれたら、今は迷わず「カメ煮とくさや」と答えます。

最近インスタなどで自分のソウルフードに触れる機会があり、
今回ブログ記事にまとめてみました☆


【アオウミガメの煮込み】
僕のソウルフードといえば、
カメ煮です。

小笠原の戦前から食べられている伝統料理です。

最初は爬虫類を食べるなんて!!
と思っていましたが、
食べてみたら味の虜♡

今ではこの世で一番好きな食べ物になってしまいました(^^♪

亀煮は甘炊きと塩炊きがあり、
父島は塩炊きが主流、
母島は甘炊きが主流です。

僕はどちらも大好きです(#^.^#)

今回は2018年6月の母島フェスティバルで配布されたカメ煮の写真です(#^.^#)

アオウミガメは絶滅危惧種。
小笠原のウミガメを食べる伝統。
父島母島共に年間捕獲頭数を決めて、
保護増殖事業も実施されています。

資源として利用するだけでなく、
きちんと恩返しもしていると思っています。

これって実はとても大切な事だと思うのです。
獲れるだけ取って、人は何を自然に還していくのでしょう?


【ムロアジのくさや】
そして次にランクインするのは、
ムロアジの「くさや」です。

くさやについては去年の12月に泪のエピソードがあります。
現在は残念なことに、小笠原のくさやは途絶えてしまっていますが、
先日新島から取り寄せたくさやは最高に臭くて、最高に美味しかったです♡

くさやに使うムロアジは僕は世界最高に美味しい刺身だと思っています。

先日、漁師さんから立派なムロアジと黒カッポレを頂きました!
本当にありがとうございます☆

先日、世界一美味しい刺身と豪語したムロアジですが、
今回頂いた黒カッポレも極上でした♪

そして、わざわざお魚を届けてくれる漁師さんに感謝です!
もっともっとお返ししたいのに、全然できてないのが申し訳ないです<m(__)m>

そんな魚自身、
魚を育む大自然にも深い感謝です!

こんな大きな魚を捌くことも教えてくれた
小笠原ユースのペアレントさん、ありがとうございます(#^.^#)

捌くのは
今でも上手くいくときも、
行かない時もありますが、
今回は自分なりに無駄のない3枚おろしが出来た気がします。

頭や骨周りはしっかりアラ煮にして、
全て無駄なく頂きました☆

海で泳いでいて、
ムロアジもカッポレもよく出会いますが、
まだなかなかハンティングできる機会は少ないです。

これからはSUPもしつつ、
スピアフィッシングも楽しめるようにしようと
企み中です。

どうやっていこうかなぁ~
ドキドキワクワク♡


【大漁のカツ丼】
母島のソウルフード
「大漁のカツ丼」
誰もが唸るほどの絶品です♪
1200円。

昼限定メニューで
11時開店のタイミングで入らないと食べれないこともあるので注意!!
(最近、営業時間が30分早くなりました)

多くの来店者が注文する大漁のカツ丼。
僕は人生でここのカツ丼を超えるカツ丼を未だに知りません(#^.^#)
マジ美味しいです☆

おまけ
【小笠原島レモンKitKat♡】

先日は内地帰りの方に、
現在島では手に入らない素敵なお土産を頂きました(^^♪
ありがとうございます!

なんと小笠原の塩レモンを使った東京島レモンキットカット!!

甘いのはさほど得意ではない僕ですが、
このチョコはレモンの味がしっかりして美味しかったです(#^.^#)

キットカットは母島のカカオを使った商品も発売したばかり。
今年は4月の台風で島レモンはかなり収量が少なかったですが、
こうして素敵で美味しい商品になるのは嬉しいことです☆

竹芝のお土産屋さん「愛らんど」でも販売しているそうです。
そのうち、島でも買えるようになると勝手に思ってます(^_-)-☆

あなたのソウルフードは何ですか?


感動の母島フラオハナ2022

2022年11月06日 | フラ
■11/3文化の日に開催された母島フラの祭典「HULA OHANA2022」。
オハナとはハワイ語で「家族」という意味です☆

普段から毎週フラの練習に通い、その成果を発表する場なのですが、
母島にとってとても重要な意味を成すのが「卒業フラ」「お別れフラ」だと僕は思っています。

今回も中学3年生のフラは感動モノでした。
自分の長女の卒業フラでもそこまで泣かなかっただろうと思うけど、
今回の卒業フラが本当に泣けました。

彼女は他よりは遅めの小3から始めたフラ。
だけど、独特のセンスとリズムで彼女でしか表現できないものを持っていると思います。
決してぶれない自分のリズムを持っている彼女(#^.^#)

高校のない母島では、
中学卒業はそのまま巣立ちを意味しています。

自分の娘の時は、生活の傍らで、
そのタイミングをお互いに計っているので分かるのですが、
人の子の場合は、いつも見守っているのに、
何故かあっという間に感じてしまいます。

今回も「えっ?もう卒業!?」と思ってしまい、
映画フラガールのテーマ「虹へ」が流れてきた瞬間に、
涙が勝手に溢れてきました。

彼女がたったひとりで堂々とみんなと踊る時、
そして踊り終えて先生やみんなに感謝の言葉を述べる時に、
自分の中3の頃では考えられなかった広い目線で生きていることに驚かされます。

それだけに意味のある卒業フラ。
コロナ禍のイベントの行えない初年度からも、
フラの運営の皆さんの、「卒業生のフラオハナを大事にしたい」という強い想いのお陰で、
こうして実施が続いてきました。

地域の子供を見守っている立場としても、
親としても、
そのスタンスに感謝の気持ちでいっぱいです♪
本当にどうもありがとうございます☆

■フラオハナは母島のバンドのメンバーが生演奏している場合が多いのですが、
今回の終盤の卒業フラの「虹へ」の演奏も歌も素晴らしかったです☆

島出身のMちゃんが美しい高温のヴォーカルを聞かせ、
美しいアコギのバッキング、
泣きのメロディーを奏でるウクレレ。

演奏だけでも感動してしまうほどのクオリティーです(#^.^#)

いつまでもあの瞬間の踊りと表情、
美しい花飾りに旋律が余韻で残っているのです♪


■フラオハナは卒業フラ以外にも、沢山の見所があります☆
子供達の年々成長するフラも見ていて素晴らしいです。

動きはまだぎこちないものの、小さくてエネルギー満タンの小さな体は、
素晴らしく可愛いフラを魅せてくれます。
小さな子供たちはリコという名のクラスになります。

親時代は準備やモチベーションなど、
子供自身のフォローに一生懸命でしたし、
子供のステージに嬉しかったものです♪

我が娘たちも大きくなり、
その域を抜けると、
子供達のこれからの成長が楽しみになります(#^.^#)


■リコを卒業するとプアという、
ひとつお姉さんのクラスに上がります。
小学校高学年がその境目になります。

この年代になると、
踊りにも意味があることが分かり、
より楽しめる深みが増していきます。

表現力も個人差があり、見ていてとても面白いです☆

大人になってからフラを始めた人と違い、
物心ついたころから当たり前にフラをしている子供たちが
体で覚えているフラの柔軟性は
大人になってからではなかなか代えがたいものがある気がします。

子供のフラはその柔らかさに、無限の可能性を感じます(#^.^#)

次女も驚くほど気持ちよさそうにフラを踊っていました♪
長女がフラが大好きで、とても気持ちよく踊っていたのですが、
それを思い出させる次女のフラの成長ぶりでした(#^.^#)


こちらが今回のセットリストになります☆

■子供たちの出番の多い前半を越えると、大人のフラの出番が多くなります。
色んな人生を生きてきている大人は、それだけで味わいのあるフラでの表現があります。
年を重ねた意味のある表現があります☆

生きていて、色んな事がありますが、
そのすべてを微笑で包み込むフラの強さにいつも震えます。

普段島で接している表情とはまるで違う、
フラをしている人たちの表情。

手先や足運びの表現、
色んな事が心を通過していきます。

奥さんや、普段他愛もない話をしている人が、
この瞬間に言葉ではない体と表情と、踊りで表現している、それってすごく深いのです。

子供から大人まで、
沢山のフラを見ていて、
この瞬間、この場所がとても神聖な空間になっていて、
小笠原のフラっていいなぁってヒシヒシと感じていました♡


■今回は去年とカメラ機材が変わっていて、春先にポートレートの仕事を頂いた時に
オリンパスの過去のフラッグシップ機OMD EM1 markⅡになりました。

やはり暗い場面で撮ることが多いので、
顔ブレすることも多かったのですが、
今回はイメージしていた素敵なみんなの表情を撮ることが出来ました(^^♪

ブログやSNSでは顔出ししない様に画素を押さえたり、後ろ向きな構図が多いのですが、
バシッと美しくカッコよく撮れたものは、
ステキなフラを見せてもらったお礼にサークルに写真を送っています。

道端で会った時に「写真ありがとう!」「すごく素敵に撮ってくれてた♡」
と嬉しい声をかけてもらえて、素直に嬉しいです(#^.^#)
どうもありがとうございます☆


■お花が終わった後は、会場を片付けるのですが、
ダンサーたちは岸壁で打ち上げをします。

そこは色んな曲を流しながら、
思い思いにみんなが好きな曲を自由に踊るのが延々と続くのですが、
すごく気楽で楽しそうな雰囲気が漂っています(#^.^#)

もう何年も打ち上げには行ってませんが、
きっと変わらずにそんな雰囲気なんだろうと想像しています☆

次女が打ち上げを終えて、
嬉しそうな声で帰宅してきて、なんだか嬉しかったです♪

そんな感動の母島フラオハナ2022でした(#^.^#)


●母島HULA OHANA 2022 セットリスト
1  小笠原島 
2 ホイイカプーナナ    
3 カヴァイレフア    
4 グリーンローズフラ
5 大切なもの
6 カラカウアヘイノア
   🌿休憩🌿
7 イポレイモミ
8 アロハエコモマイ
9 プアリリレフア
10 レモン林
11 カワイオカレナ
12 ボニンアイランド
13 ボニンの島
14 虹を
15 Tutuki(アンコール)全員


★過去の母島フラオハナ記事

コロナ禍で無事終了!母島フラオハナ2021

長女、母島生活最後のフラオハナ2018

母島フラオハナ2017~フラを踊るということ
※最後の脇浜開催!

母島フラオハナ2016
※この年まで僕も男フラで参加してました(^^♪








小笠原ローゼル シーズン終了☆

2022年11月03日 | ローゼル
■今年も不作ながらも、超短期作物のローゼルの出荷が概ね終了しました☆
不作の為に島内販売のみにさせて頂くことになり、
いつも内地で楽しみにしている方、
今回初めてリクエストしてくれた方にお応えすることができず、
申し訳ありませんでした。

来年こそは!と思っていてください(^^♪

ローゼル。
それは食用ハイビスカスの通称です。
ジャムやハーブティー、塩漬けや酒漬けてんぷらなど、
その紅と酸味を活かした様々な料理に使えます(#^.^#)
→詳しくはローゼル加工をどうぞ!

母島には南米移民の方たちがいて、
「おお!パラグアイウメかぁ!懐かしいなぁ!」
と言われてすごく感触深かったのを覚えています。


■ローゼルとは2006年に西表のマナの店で初めて出逢いました。
あんぱんの真ん中に桜の塩漬けの代わりにローゼルの塩漬けが使われていたのです。

妻がとっさに「これ何?」と聞いて、
店員さんが丁寧に作物まで案内してくれて、
さらに種を分けて頂いたのが始まりです。

最初は作っても腰の高さくらいだったのが、
何代も種取りを行うことで、
小笠原の土地になじんできて、
今では背丈を超えるほどまで成長するようになりました♪

全くの無化学肥料、無農薬栽培でです。

今回は珍しく10月に父島に行く機会があり、
父島の友人農家の「はるさえん」さんの店頭販売を見ることが出来ました(^^♪

もちろん圃場にもお邪魔して、
ああだこうだお話しつつ、です(#^.^#)

■また、ローゼルを手にした人から、
美味しく使ってます!の報告を頂き、とても嬉しいです(#^.^#)
ありがとうございます!

ジャムやハーブティーが主流ですね☆
ガクや種のコーヒーなど積極的にチャレンジしててすごく刺激を受けます(#^.^#)

僕も実は一番塩漬けを使うタイプです。
カンパチの漬け丼の飾りに塩漬けローゼルを使います。
味も見た目も一気に引き締まるナイスな存在です(#^.^#)

11月になり小笠原ローゼルは終盤ですが、
晩生のうちなーローゼルが待機しているので、
クリスマスシーズン用にまだまだ油断はできません(#^.^#)


■今日もSUPで西浦までボヤージングして、
途中途中で海に入って泳ぐ陽気の母島ですが、
暦の上では11月、冬です。

20年小笠原に住んでいると、
四季の変化が内地より乏しいのですが、
確実に季節の移り変わりがあります。

ようやく島には秋がないのだなと思えてきました。

そうなんです。
実り多く、紅葉を伴う秋がないのです。

夏を終えると一気に冬になるのです。
今の母島は丁度その狭間です。

それでも季節は廻り、
ちゃんと草木は冬に備えて準備をしています。

小笠原ローゼルは、可憐な花を咲かせています。
何度見ても可愛いなぁと思えるピンクの小さな花です。

お隣では葉っぱを利用する葉ローゼルのルビーローゼルが花を咲かせています。

こちらはなんともアダルトな雰囲気の花を咲かせています。

そんなこんなで2022年の秋の小笠原ローゼルの出荷は終盤を迎えました☆
あと少しは出荷すると思いますが、
その後は12月の晩生うちなーローゼル待ちとなります。

クリスマスシーズンにうってつけのうちなーローゼルを
島内限定販売ですが、お楽しみください☆









母島にヒシクイ参上!!

2022年11月02日 | 母島 鳥
■「でっかいカモがいる!」
「ジャイアン、大きな黒いアヒルがいるよ!」
「何?この子?」
おお!またマガンが来たか!

こんな展開がたまらなく愛おしい♡
ああ、こんな母島が大好きです(#^.^#)

ハロウィンの10月末、
そして翌朝の通学路周辺で、
1羽の鳥の存在で母島がザワザワとしておりました。

色んな連絡を受けて、
カメラ片手に学校の通学路へ。

いました、いました。

まあ、なんと学校近くの横断歩道をちゃんと渡っているではありませんか(#^.^#)
これで手を挙げていたら、もう完璧です(笑)。

10月上旬に父島の八瀬川でマガンの幼鳥を目撃していたし、
数年に1度くらいはマガンが来ているので、
マガン幼鳥と決め込んでいたら、
知人からヒシクイじゃないか?とご指摘を受けて、
調べてみると、なるほど亜種オオヒシクイのようですね。

そんな訳で久し振りに母島でマガンの確認、ではなく、
ヒシクイ(亜種オオヒシクイ?)を初確認しました☆

母島でオオヒシクイを見るのは初めてです!
島のレジェンドに聞くと、
ヒシクイは初めてではないそうです。
記録に残っているかどうかは定かではありませんが。

よく似たマガン幼鳥は数年おきに見かけます。

■オオヒシクイ(大菱喰、Anser fabalis)は、カモ目カモ科マガン属に分類される鳥類です。
国の天然記念物に指定されています。

シベリアやアリューシャン列島の方から越冬で飛んできたようです。
ザトウクジラと同じコースですね(#^.^#)

小笠原では聟島でヒメヒシクイの記録があったみたいです。

ちなみにヒシクイという名前は、好んで餌にしているものが由来しているようです。
ヒシクイは植物食の鳥で、「ヒシの実」という水草の実を好んで食べることから、
「ヒシクイ」という名前が付けられたみたいです。

なかなか面白いですね(#^.^#)

英名はBean Goose(豆を食べるガン)
学名がAnser fabalis

これはかつて英国へ飛来した時期が、豆の収穫期にあたるところから名付けられたそうです。

仲間のマガンは小笠原には時々飛来することがあり、
2014年に衰弱したマガンを数か月お世話したこともあります。

あのマガンはすごくドラマティックに野生復帰したので、
今でも強く記憶に残っています。

1か月前に父島で見かけたマガンは、
とても弱っていましたが、
昨日から母島に現れたオオヒシクイは、
色んな所でイネ科の葉っぱや穂を食べる元気な姿をみかけます。

しかし、
人を警戒してないし、
道路をペタペタと歩いているのは、
交通事故の心配があります。

もっと車のない所の草を食べてよ!

母島の写真大好き仲間のNちゃんが、
なんと母島の銀座通りの農協前を闊歩しているヒシクイさんを撮ってくれています。

写真提供 Nちゃん

どおですか?
この堂々たる佇まい!

人を知らないのか、
人に慣れているか分かりませんが、
野生動物として少々心配なくらいです☆

まあ、そんな心配なヒシクイちゃんですが、
母島のみんなが温かく見守ってくれているので、
きっと大丈夫かと思います☆

■そんなヒシクイを探しに行く傍ら、
例によって母島の大谷川の河口(前浜の河口)にいくと、
小さいのにえらい目立つ綺麗な青い鳥が飛んでいました!

これはカワセミ!?
とっさにシャッターを切ります。

間違いない。
カワセミでした。

しかし、ヒシクイやマガンと違って超コンパクトなカワセミ。
そんな超望遠レンズのカメラは今絶不調。

ちゃんと撮れるわけもありません。

でも島に長くいるほど、
島にカワセミが渡ってくるのを信じられず、
「マジで!?」と驚きます。
僕自身がそうでした。

バードウォッチングが島デビューなので、
内地の鳥のスタンダードがまるでで分かりませんが、
カワセミは流石に知っていました☆

2015年には、なかなか上手に写真も撮れました♪

曇り空でも映える鮮やかなブルーの光沢。

母島でもダイビングして小魚を獲っていました。
みんなが魅了されるのも分かります☆

川には、
オオバンやバン、
オナガガモやコガモがやって来て、
秋から冬の雰囲気になってきました☆

珍しいヒシクイちゃんはいつまで母島にいるのかな~?



海岸清掃② イルカに逢うより嬉しい事 ご褒美編 

2022年10月25日 | 海洋プラスティック
海岸清掃①の続き

10年以上放置され続け、通称ゴミ海岸と呼ばれた大沢海岸を綺麗にした感動の後、
続編を書くつもりが、なんと1か月も経ってしまいました(笑)。
生活していれば、それだけドラマが生まれるので仕方ないですね☆

いよいよ海岸清掃 ご褒美編です!

■大沢海岸の海岸清掃を行った2日間。
参加メンバーが数名代わっているのですが、
2日間とも素晴らしいご褒美がありました♪

メジャーな目線で言えば、
1日目はミナミハンドウイルカ
2日目はハシナガイルカ
と出逢えたことなのですが、
僕にとってのご褒美はもっと違うものでした♪


僕にとってのご褒美は
“みんなが喜びを共有できたこと”だったのです☆

とても有難いことですが、
母島で生活していて、
毎日のように海に出ていると、
イルカはさほど珍しい存在ではなく、
今回のように一緒に遊んでくれるととても嬉しいのですが、
それもしょっちゅうではないにしろ、島ではあることです。

だけど、一緒に船に乗っている仲間が、
全員海でイルカに出逢えて、
イルカと海の中で全員が過ごせる、
そして泳いだ後にみんなが超笑顔で過ごしているというのが、
とても嬉しくて、僕にとってはそれが一番のご褒美でした(#^.^#)



■参加メンバーの中に翌日の船で内地に行ってしまう若者がいました。
彼は島に知り合いがいるので、
1か月の長期で初めての母島滞在をしていました。

1日目のミナミハンドウイルカが母島の鬼岩を過ぎて登場した時、
みんながドルフィンスイムをしながらも
何度か海に入ったり船に戻ったりを繰り返している中、
彼だけは遠慮して海に入っていませんでした。
「明日の船で帰るんでしょ?イルカ初めてなんでしょ?次は入っておきなよ~」
と声をかけ、少々強引に誘っちゃいました。

次のターンで海に入る時、彼は一番最初に海に飛び込んでいきました。

イルカ達は好奇心にスイッチが入ったのか、
何度も僕たちの所に戻って来ては遊んでくれます☆

僕と同じく、20年くらいのキャリアのある父島と母島で暮らした経験のある友人も、
このイルカちゃん達との絡みは過去最高かも!と言うほどでした♪

僕にとってもここまで30分以上も付き合ってくれるハンドウちゃんは久しぶりでした☆


参加した全員がイルカちゃんを堪能した後、
船の上で明日の船に帰る彼に聞いてみました。

「どうだった?最後に入って良かったでしょ?」
「はいっ!!最高でした♡」
と最高の笑顔を頂きました☆
眼がキラキラしています(#^.^#)
もうそれでオールオッケー!!

いや~強引にでも誘ってみて本当に良かった♪
参加したみんながゴミ回収したのを忘れるほど、
恍惚とした満足な笑顔で帰路の船に揺られています♡


ダイナミックな母島の北端にある鬼岩

■僕自身19歳で正真正銘のカナヅチ状態で小笠原に初めて来て、
ライジャケを着ても沖の海は怖くて入れませんでした。

当時サザンクロスⅤ(東城船長)という船の上で、
イルカと泳いだ後の強面のおじさんの笑顔がたまらなく超可愛く見えて、
いいなぁ、俺もイルカと自由に泳ぎたいなぁ、と思って、
ユースで出逢ったしげちゃんに泳ぎの特訓をお願いしました。

早速、父島の前浜でシュノーケルを着けて、
恐る恐る海に入りました。
しげちゃんは「大丈夫、体の力を抜いて浮いてごらんよ!」と手で優しくフォローしてくれています。
フワって、体が浮いた時の感動、
しげちゃんの良かったな!という笑顔は忘れられません♪

今では毎日のように海に行き、
SUPでも10m以上深い海でも、
難なく泳げるようになった僕ですが、
ずっと怖かった水で泳ぐのを大好きにしてくれたのも、
イルカという存在と人の笑顔だったのです☆

1日目は海岸が超綺麗になったという達成感は薄かったのですが、
船にいっぱいのプラごみの傍ら、
みんなでイルカで満面の笑顔になるというご褒美で終了しました☆


■2日目はなんと行きと帰りにハシナガイルカに出逢いました☆
ハシナガイルカは一緒に泳いで遊んだミナミハンドウイルカとは違い、
船の帆先などで波に乗って遊ぶタイプのイルカちゃんです。

小柄で流線型のスタイリッシュな体型、
アクロバティックにキリモミジャンプをしたりするのは、
こちらの種類です。

海に入るとあっという間にいなくなってしまう場合が多いのです。
ノッてくると、船の周りで遊んでくれます☆

ハシナガちゃんはハンドウちゃんよりもずっと多い数の群れで行動する場合が多く、
圧倒的な数で見応えがあります。

北港のこの海域でSUPやシュノーケリングで会うことはあるのですが、
なかなかそのスピードでは付き合ってもらえないのですが、
今回は動力船なので、バッチリ船と伴走してくれました♡


ここで問題が発生しました。
なんとイルカでテンションが上がっているのは、
僕を含め2名だけ(笑)。

他の10名くらいのみんなは、
イルカはもうお腹いっぱいのご様子(#^.^#)

確かに昨日も参加した人は
昨日のイルカが凄かったので分かるのですが、
2日目だけの参加者も数名いたのですが、
イルカはもう大丈夫なテンション(笑)。

船長も「え?イルカもういいの?」と笑ってしまうほど、
贅沢なリアクションでした☆

イルカにズキュンとくるタイプもいれば、
目の前にいてもそうでもないタイプもいて、
人はそれぞれで本当に面白いと思いました(^^♪

今回はイルカよりも魚が好きなメンバーが多く、
そんなリアクションがとても贅沢で、
たまらなく面白い光景でした(#^.^#)


そんな訳で遊ぶ気満々のイルカを置いて、
次のレクポイント四本岩へ(#^.^#)

四本岩は母島の西側に位置する大きな4本の岩がそびえたつポイントで、
とても多くの魚が見られることが多いです。

この日もムロの大群、
ササヨやイシガキダイ、
カッポレなどを見ることが出来ました♪


四本岩の真ん中の水路には
時々2mを超えるイソマグロの群れを見ることもあり、
大迫力で大好きなポイントです。


カッポレさんが近づいてきました。
カッコいい!!

漁船の近くには不思議な浮遊物が。
これはなんだろう?

帰ってから、参加メンバーのかたが調べて教えてくれました。

サルパと言うホヤの仲間だそうです☆
サルパは、生物学上ホヤの仲間に分類される樽形でプランクトン性の尾索動物である。
収縮により、寒天質の体に水を通すことで移動する。
この推進方法は、ジェット推進としては動物界において効率の良いシステムのうちの1つである。
吸引した水を体内の捕食フィルターで濾過し、植物プランクトンを摂取する。


そんな出会いもあり、2日目メンバーも四本岩で大満足して、帰路につきました(^^♪

10年以上放置された海岸を2日間かけて海岸清掃した2日間。
沢山のゴミで1350kgに及ぶプラごみを片付けて大変でしたが、
みんなで見違えるように海岸を綺麗にできて感動でした☆

さらにはみんなでワイワイやるのは本当に楽しくて、
帰りのご褒美も逸品でした(#^.^#)

僕にとっては満足そうなみんなの顔が一番のご褒美でした☆

後日、大沢海岸に巡視に行った都レンジャーさんが
「ジャイアン!完璧!!超綺麗だったよ!!お疲れ様☆」
と嬉しい報告をくれました(^^♪

最後に船を出して一緒に作業もしてくれた朋漁丸の家族のみなさん、
予算を用意してくれた環境省、運営してくれたアイランズケアのみなさん、
本当にありがとうございました☆

また来年もやるぞ~~!











大好きな島景色 ~島で暮らすという事②

2022年10月17日 | 島で暮らすということ
■母島で便利屋さんの仕事、ゴミ回収の仕事をしていると、
ごく日常的に色んな景色に出逢うことになるのですが、
先日、ふと静沢の道路で網戸を張り替える仕事をしていた時、
ああ、この景色が好きだなぁとふと思いました。

青い空、そしてその向こうに海が見える景色。

僕が20年前、一番最初に生活したのがこの静沢エリアでした。
アンナビーチ母島ユースホステルでヘルパーを3か月した2002年。
この景色を何度も通過していました♪

当時はもちろん、今でもゴミ回収、便利屋等何度も通るこの景色。
今までは気に留めるようなことはなかったのですが、
この場所で仕事をしていて、
この景色が好きだという事に
ようやく気付きました。

島で暮らすという事。
何度も通っているのに、
ふと気づかされる大好きな景色に出逢える日常が愛おしいです☆


■便利屋さんの仕事は本当に多種多様で、
色んな暮らしのお手伝い、フォローをさせてもらっています。
暑い日差しの中、庭の草刈りをしていたら、
とびっきりのマンゴーを頂いたりすることもあります♡

島で暮らすという事。
人と人の気持ちが交錯して、
お互い笑顔で過ごす瞬間が、僕はとても大好きです(#^.^#)


■島で暮らしていると、沢山の出逢いと別れがあります。
本土で生活していても、もちろんそうだったと思います。
でも、島を離れる手段が船1つしかないと、
みんながそれぞれに見送りに来たりします。

父島と母島を結ぶ「ははじま丸」は見送りの時に、
お互いの目線が近いのが特徴です☆

「いってらっしゃ~い!」
声をかけながら、また会える日を願って見送りします。
卒業や巣立ち、引き揚げの時は沢山の花を飾ったレイがかけられます。

島で暮らすという事。
それは、出逢いと別れを丁寧にできることなのかも知れません。


■島で暮らしていると、
時々、漁師さんからお魚を頂く事があります。
いつも有難くて、本当に嬉しいです♡

先日は大好きなアオムロを頂きました。
村の魚にも指定されていて、以前はくさやの原料、
漁師の釣り用のエサとして、小笠原で沢山釣られて利用されていた魚です。

ムロはサンマよりも少し短い魚で、
捌く手間がかかるのですが、
この魚の刺身を超える味を僕は知りません。
ダントツで1位です!!

なので捌く手間暇はまったく気になりません☆
極上の味が待っているのですから♡

最初は慣れなかった魚の捌きも、
父島の小笠原ユースホステルのペアレントさんに丁寧に習い、
沢山学ばせてもらいました♪

まな板からはみ出すサイズを頂くこともあるので、
その度にこうして技術を習わせてもらった事に感謝し、
わざわざ魚を届けてくれる気持ちに感謝して、
美味しく頂きます(#^.^#)

島で暮らすという事、
それは人と人との繋がりを感じれることな気がします。


■島には音楽やスポーツ、色んな事が達者な人が沢山います。
コロナ禍でだいぶ影を潜めてしまいましたが、
少しずつ屋外から再開できるようになってきました。

いつもは毎年のように行ってきた年度末のお別れライブもコロナ禍になってから出来ていません。

そんな中、先日は前に島に住んでいた青年が、
願っていた職業に就いて、
その仕事で母島に来島しました。
その彼が内地に戻る時のお別れライヴです。

小岸壁にみんなが募って、
音楽を味わう様がたまらなく素敵でした♡

島で暮らすという事。
それは音楽をもっと身近に楽しむ事なのかも知れません(#^.^#)


■僕は海が大好きで、温かい時期(6~10月くらい?)はほぼ毎日海に入ります。
海に入ってすぐに、竜宮城が待っているので、
思いっきりリフレッシュできてしまいます♪

最初は昼休みに海に入ったら、午後は使い物にならないと思っていましたが、
やってみたら全然逆で、むしろいいクールダウンになり、
午後もハッスルして動けることが分かりました(^^♪

島で暮らすという事、
それは毎日、海に入れるという事です☆


■昼に海に入れない時は、
なるべく夕方に海に入ったりします。

2年前にSUPを購入してからは、
年間通して海に行けるようになったので、
色んなサンセットを楽しんでいます。

サップで眺める夕陽は格別です☆

妻もカヤックで一緒に同行する時があります。

島で暮らすという事、
それは夕陽も海も身近に味わえるという事です(#^.^#)


■週に1度の入港日。
その日は僕にとっては大忙しの日です。

週に1度の沢山の精製食品をコンテナから商店のトラックに乗せる作業、
大量の宅急便の仕分け、配達、郵便の配達を夜までやっています。

そんな時、
ふと岸壁に留まるははじま丸の船首を眺めていました。

母島に住んでいると、父島や内地に行くときにほぼ必ず乗らなければいけない船です。

今から6年前の2016年、3代目ははじま丸に交代しました☆
交代式での感動は忘れません。

僕はははじま丸、その航路が大好きです♪
父島と母島、そして外洋の景観も素晴らしいし、
イルカやクジラに出逢うこともあります。
別名「ホエールライナー」と呼ばれるだけあって、冬の時期はははじま丸航路でザトウクジラが見れない方が珍しいでしょう。

クジラの時期じゃなくても、
イルカが波に乗っていることも多いし、
カツオドリの大群が船の接近で飛ぶトビウオを狙って集まって来ます。

私達、島民の生活航路ですが、
観光客にとっては、
初めて母島に来る玄関口的存在です。

僕は船のデッキの上で過ごすのが大好きです。
仲の良い人と一緒でずっと話すこともあるし、
ふと知らない人に声をかけたりもします。

島で暮らすという事、
そんな船が身近にあるという事です☆


夕陽を眺めながらそんな島で暮らすという事に想いを馳せておりました(^^♪


島で暮らすという事①