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その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

2017年02月15日 | 旅行記
■沖縄に馬と畑を見に行った伊江島。
人口4000人。
平らでとても美しい素敵な島でした♪


伊江島で飼育されていた与那国馬、
思っていたよりも大きく、スレンダー☆

制限体重は60kgくらいだそうです☆

いつか母島で飼いたいと夢見ているのです。
馬は道路交通法上は「軽車両」。
車検も保険も草さえあれば燃料代も要りません。
しかも車では得られない心の交流や、
生き物を飼うことで得られるメリットの数々!

毎日のお世話はもちろん大変ですが、
それ以上にメリットは多い気がします☆

伊江島にとって乗馬も観光の大事な要素になっているようです☆
綺麗な海を馬と進むのは心地いいだろうなぁ~

今回は馬の長距離輸送の
現実的なお話も聞くことが出来ました♪

前川さん、いっちゃんどうもありがとうございます!!


■伊江島は美ら海水族館のある本部港から船で30分。
はは丸とは比べものにならないほどの立派なカーフェリーが一日4往復もしてくれます。


大きなトレーラーもガンガンそのまま乗り込んできます!

これはちょっと母島ではあり得ない感じでした。
運賃は往復で1300円。
伊江島に米軍基地があるお陰で、
こうした部分で恩恵を頂いているそうです。
島の人は基地の地主さん以外は基地賛成の印象でした。


そしてまず目に付くのは島の中央にそびえ立つ城山(グスクヤマ)です。

麓からは15分くらいで山頂に登れます。
山頂は島の景色を360℃展望することが出来ます!

集落のある南側に比べその他は広大に農地が広がっています。

目に付く作物は限られていました。

まずは葉たばこ。

これは丁度定植の時期でした。

伊江島の至る所に葉たばこ定植に使う機械が置かれていました。

これにおじいとおばあが乗って、
どんどん定植していきます。

若い農業者に逢うことはほとんどありませんでした。


あとは伊江島で有名な小麦。

穂が立っているのもありました!

定食屋では沖縄そばとは違う、
伊江島の小麦を使用した麦そばがメニューにありました♪


他には島らっきょです。

比較的砂地に近い伊江島は深く植えて、
白い部分が多く、太くて立派ならっきょを作れる土壌が特徴のようです。


他には菊の花の栽培が盛んでした。

島の8月の戦没者追悼式典に使うアレです☆
こういう風に栽培されているんだなぁと感触深いものがありました。


ざわわざわわで有名なサトウキビ畑も沢山!

束になって置かれています。

あとは数年ぶりにサトウキビの製糖が再会されたそうで、
24時間稼働でガンガン収穫→搬入→運搬が行われていました。

凄い大規模な施設です。

サトウキビの収穫は本当に重く重労働で、
最近の若い人があまりやりたがらないのが問題なのだそうです。

やんばるではとにかく過疎化が問題なようです。
Iターンで来た人も地域に打ち解ける前に
自分たちの主張をし過ぎてしまい、
軋轢を生んでいる話を沢山耳にしました。

他にはこじんまりと細かな野菜がありました。

豊かですね~


気になる伊江島産のローゼルを使用したアイスや

ハイビスカスティーも売っていました。

どれも淡いピンクで個人的にはローゼルの味気は薄めに感じました。
我が家のは真紅ですからね(笑)☆

■伊江島は川が一切ありません。
なので島民は水をどうしているのかというと、
飲み水は井戸水と沖縄本島から水道管を引いて水を頂いているそうです!
農業用水は地下ダムを築き、
地下水を貯めて汲み上げ、
島内各所に貯水池がありました。

今小笠原も深刻な水不足に陥っていますが、
離島というのは水にいつも悩まされるのです☆

■あとは母島も今頃咲いている頃でしょうが、
沖縄の至る所でカンヒザクラが美しい花を見せてくれました♪

大きな木も沢山あって、うらやましくなってしまいます☆

そんなこんなで伊江島を一周自転車で回りながら、
美しい洞窟も発見!

ここはニャティヤ洞(ガマ)と言って、
持ち上げると子宝に恵まれるというビジル石と言うのがありました。

戦時中は防空壕として利用されて、
多くの命を戦火から守ったと言うことで「千人ガマ」とも呼ばれたそうです。
確かにとても大きなガマでした。

後に記事に書きますが、
戦争の悲惨な歴史を語る部分も多く、
沢山の思いを学ぶことが出来ました。

■伊江島を2泊3日過ごして素直に思ったことは、
美しく綺麗なこの島を戦争が大きく変えてしまったということを随所に感じることが出来ました。

それは戦時中の悲惨な殺戮、
戦後の占領だけではありません。
どこか大切な何かを諦めてしまったような、
妙な寂しい雰囲気…

米軍基地があるからが為に、
地域に落とされる補助が莫大で、
島の人がそれに慣れてしまっていることも、
島の自立を妨げる大きな要素になっていると感じました。

小笠原もそうですが、
補助が地域を支えていることは有り難いし、
事実その恩恵を受けていますが、
その為に失ってしまった心が確実に存在することを
これから生きる私たちは強く意識しなければいけないと思います。

そんなおもいを再発見させてくれたのも、
やはり大事なギフトでした♪

その③へ続く



★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)



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