小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

前浜の朽ちたヤシから始まる命 ~島で暮らすということ

2022年09月15日 | 島で暮らすということ
■母島の前浜に1本の朽ちかけたヤシがあります。
数年前の凄い台風で折れてしまったのか、ハッキリと覚えていません。

だけど車でもバイクでも、自転車でも通れない、
母島の徒歩でしか歩けない景色の中に、このココヤシは立っています。

僕は知人の見送りの為に港に行った帰りに、
このヤシの先端に新たな命が芽吹いているのを見つけました。

一体いつから生えていたかは不明ですが、
朽ちたヤシの胴を栄養に、
そのガジュマルは力強く生きていました。

土なんかどこにあるのだろう?と思ってしまうほど、
コンクリートの隙間から生えてきて、
力強く生きる植物たち。

この朽ちたココヤシに生えるガジュマルを見た時に、
色んな事を思い出しました。

硫黄島で天を見上げる大砲の先端から、
新しい命が芽吹いていた時に感じた希望。

大好きな星野道夫がクイーンシャーロット諸島(現ハイダ・グワイ)で見た、
人が埋葬されたと考えられる朽ちたトーテムポールから、
1本の生えて来ているトウヒを見た時の気持ち。

ふと、「島で暮らすということ」にフォーカスしてみようと思いました。
取り留めのない、意識が流れるように、
思いついたままに時々書こうと思います。



■島で暮らすということ。
それは古代から伝わるカノー(アウトリガーカヌー)に乗るということ。
島はカヌー、カヌーは島というハワイの諺のように、
島の暮らしは、島というカヌーをみんなで漕いでいるように流れています。
色んな漕ぎ手がいて、色んな価値観があっても、みんなで前を向いて漕ぎ続けるのが大切と教わりました。

日本で最初にアウトリガーカヌーが伝わったという小笠原。
石器時代にもあった小笠原のカヌー。

今カノーを漕いでいる僕たちは、先祖たちとどれだけ同じ感覚で景色を見ているのでしょう?



■島で暮らすということ。
見事な虹を見かけて、たまたま自分の周りにいる人に僕は声をかけました。
「にじだよ!」
ニヤリとニヒルな笑顔で彼は「ばか、今はよじだろ(笑)」と言って、バイクで走り去った。
そんな一コマがあるのも島の暮らしです。



■島で暮らすということ。
それは仕事の合間の昼休みに海にざぶんと入れる暮らしということ。
家から5分程度の海の中に、竜宮城がありました♪
最初は昼休みに海に入ったら、疲れて午後は仕事にならないと思っていたのに、
入ってみたら一気にリフレッシュできて、さらに午後は活き活きと動けることに気付いてしまいました。



■島で暮らすということ。
ライブハウスもコンサートホールもないので、
音楽好きのみんなで手作りでライヴを行えるということ。
音楽好きの先輩たちが一生懸命機材を揃えてくれていて、
今もその準備をしてくれる先輩がいて、島でリアルな音楽に触れることができます♪



■島で暮らすということ。
母島には商店が3店舗だけで、お菓子屋さんもありません。
だから手作りを持ち寄って、とても豪華なひと時になることがあります。
宴会やパーティーでそれぞれが自慢の手料理を持って集まるのがとても素敵です☆



■島で暮らすということ。
それは獲物を自分で獲って来れるということ。
以前企画した島っ子タコ捕り大作戦で学んだ子供たちは、
磯場で立派なアナダコを撮れるハンターになっていました。

ちなみにアナダコは世界一美味しいタコだと思います(#^.^#)

マシュマロを焼きつつ、獲ったばかりのタコも焼いて食べる島の子供達。
「やばい!過去イチ美味い!!」
そんな声を聞いて嬉しくなってしまいます☆



■島で暮らすということ。
それは島で仲良くなった家族や仲間が、その後も繋がっていくということ。
島を離れてから久しぶりに島に帰って来た仲間がいると、
あっという間に当時に戻って、心地よい時間になってしまいます♪


それぞれの時間やそれぞれのタイミングで過ごす島暮らし。
ずっと島で暮らす人もいれば、
数年間、数か月過ごす人もいます。

そのどれもが一期一会で、大事な出逢いです。

島は昔からその土地だけで完結せずに、
つねに外からの影響を受けて、
変化し続けてきました。

どんな島暮らしをしていこうかな♪

そんな今はオガサワラゼミが母島の北部で鳴いています。






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