もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ニコバル諸島でのアメリカ宣教師殺害に学ぶ

2018年11月23日 | アメリカ

 インド東部のアンダマン・ニコバル諸島の北センチネル島で、アメリカ人が殺害されたらしいことが報じられた。

 殺害したとされるのは北センチネル島に暮らすセンチネル族であるらしい。センチネル族とは現代文明に接触したことが無い唯一の部族とされ、推定人口は40人~400人、生活は旧石器時代そのままであり、性向は極めて好戦的・排他的とされている。インド・地元政府ともに住民尊重の立場から外部からの接触を禁止しているとしているが、彼等の言語(センチネル語?)すら島外では理解できないために、コミュニケーションすらとれないのが実状であるらしい。21世紀に至るまで異文明と接触したことが無い民族がいたことに驚いたが、センチネル族の存在はおろか北センチネル島の所在も知らなかったためにグーグルアースで調べてみた。北センチネル島はニコバル諸島で最大のスミス島の東100マイル位に位置することを知ったが、ニコバル諸島といえばマラッカ海峡防衛とインド・セイロン侵攻の足掛かりのために1942(昭和17)年3月から1945(昭和20)年の終戦まで日本が占領し、その間には陸海で幾多の激戦が繰り返されていたが、そのような歴史の大変動にあっても原始的生活を維持し得たことは孤島という地勢的な条件を考えても奇跡としか思えない。一方、殺害されたアメリカ人は27歳の宣教師とされており、キリスト教布教のために禁を犯して渡島したものとされている。いわば、現代のザビエルにも例えることができるかもしれないが、布教の過程で多くの文化を破壊した歴史と、キリスト教が人類安寧と救済のための必然性を持たない現実を考えれば、いかにも独善的で他人の領域に土足で踏み込んだという感じを持つものである。異文化を知らず、異文化に毒されず、絶海の孤島で暮すことと、物質文明に同化した挙句にアイデンティティを失うこと。彼等にとって果たしてどちらが幸福なのだろうかと考えさせられる出来事であった。

 ここ1週間の間に、ポートモレスビー・ニコバル諸島と立て続けに、日本帝国に因縁のある地名に遭遇した。センチネル族と帝国陸海軍の英霊に対し、頓首・合掌。