もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

新語・造語・濃厚接触の定着について

2020年05月17日 | コロナ

 中国コロナの渦中で生まれた多くの新語・造語が、驚くべき速さで人口に膾炙した感がある。

 曰く、濃厚接触・パンデミック・ソーシャルディスタンス・クラスター・ロックダウン・・・などである。明治維新では、和→洋の変革に対応するために、多くの新語(和訳語)が案出され、その多くが現在でも使用されている。ネット上にある、明治初年に案出された言葉は、①新造語̶(日本語に概念が存在しな いので造語したもの:個人、新婚旅行、哲学、科学、彼女、時間 )、②借用語(中国で活躍した欧米人宣教師が 中国語訳した訳語を借用したもの:冒険、恋愛、電報、③転用語̶(概念が存在しな いので、日本語に存在する類義語に新し い意味を付加して転用したもの:世紀、常識、家庭、衛生、印象、権利)と分類されていたが、例示されない自由・社会・経済・・・なども造語されたものと聞いている。こうしてみると、現在我々が使用している日本語は、明治初年に形作られたと云っても過言ではないように思える。明治以前の日本人はどのような日本語を使って会話していたのであろうか。決して時代劇で演じられる会話ではなかったように思える。さらに、言葉は時代に応じて意味あいが変化することは避けられず、明治維新後150年が経過した現在では案出時の意義が薄れているものも多いとされている。自分が枝野・蓮舫議員等に対して良く使用する「品性」という言葉も、語源を辿ればcharacter(キャラクター)を訳出したもので知識・言動に道徳的特性を加味した総合的な表現であったが、教育勅語に 代わって教育基本法が「品性」では なく「人格の完成をめざす」としたことで、社会全体でも「人格」という用語が一般的となって「品性」という言葉は死語となり、品性という言葉を用いて、道徳を説いたり倫理的問題を説明しようとしても馴染まなくなっているとされていることは心しなければならない。しかしながら、うまく説明できないが人格と知性では何か違うという気持ちを棄て切れない。一方、キャラクターは芸能人が発信した「キャラ」に変化し、本性を隠して仮想の人格を演じるための言葉として定着しているようにおもえる。

 本日のブログは「濃厚接触」に端を発している。濃厚接触は武漢からの邦人引揚げ後に盛んに使用されるようになったが、最初に聞いた時には何やら猥褻な語感で、自分には絶えて久しい濃厚接触が脳裏を過り美人アナウンサーの口調に胸騒ぎしたが、小池都知事の口から連発されるに従って胸騒ぎも収まった。この不謹慎さは自分の品性のなせる業と黙していたが、ある知識人が同様の感想を持たれたことを知って、些かの安堵を覚えた。言葉は時代・年月で変化するもので、今回の中国コロナ禍で生まれた言葉がどれだけ生き残るか判らないが、「そう言えば、そんな言葉が多用された時期があったなァ」と云えるような時が一日でも早く訪れることを祈るのみである。