最新の世論調査で、内閣不支持率が支持率を上回る傾向の結果が出た。
各社の調査結果は、朝日新聞(支持33、不支持47)、毎日新聞(支持27、不支持64)、NHK(支持47、不支持45)、TBS(支持47、不支持50)、テレ朝(支持33、不支持49)、フジ(支持44、不支持42)となっており、フジTV(FNN)以外は、軒並み不支持率が上回っている。各社の調査方法や調査母数は大同小異でありながら、これほど差が出るのだろうかと疑問に思う。また、数字が報道各社の報道姿勢と全く軌を一にしていることには疑問と感じる以上に恣意的な作為すら感じられる。もはや日本のジャーナリストに対して不偏不党や公正は求めないが、この結果をどう見ればよいのだろうか。世論調査の結果はさておいて、もし自分が回答者となった場合には、何を以て支持・不支持と判断・回答すればよいのだろうかと不安である。外交?、経済?、安全保障?、福祉?、憲法?、まして総合評価となると全く判断に迷うところであるが、ただ一つ言えることは高級官僚の賭け麻雀を内閣の責任とはしないことである。今回の世論調査に、賭け麻雀問題責任の所在を問う設問を設けた例では6割強の人が総理大臣の責任と捉えており、それが内閣不支持急上昇の原因かとも推測されている。冷静に考えれば、自分の周りにも仕事はできるのに「これだけは?」という人が少なからず存在するし、人間何かしらの欠点を持つもので凡そ完全無欠の人などいないと思っている。その欠点が社会悪や犯罪に結びつかない限り社会はそれを容認しているのではないだろうか。賭け麻雀検事長を総理の責任とする人にとって相応しい高級官僚像はどのような物であろうか。古来、人畜無害の人を「沈香も焚かず屁もひらず」と評し、人情の通じない人を「石部金吉鐘兜」と敬遠する。奢侈を禁じた松平定信の「寛政の改革」は民衆の反発で瓦解し、「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」の狂歌を後世に残している。また、「水清ければ魚棲まず」とも言い、秋霜烈日の為政者や監督者に対しても何らかの人間味を求めるのは世の常である。賭博罪にも該当しないであろう程度の官僚の行動を以て、総理の責任とするのは如何なものであろうか。もし、その判断が正義であるとするならば、全企業・全団体のトップは支持できない存在と化してしまうだろう。
映画「兵隊やくざ」で有名になった有馬頼義の「大宮喜三郎伝」では、前科者の大宮二等兵は内務班で決定的に嫌われないために、ひ弱な古年兵にだけは絶対に頭が上がらない体を作為するが、社会生活を営む上では何らかの弱みを見せた方が円滑であるという機微を見事に設定していると思う。幾ばくかの弱点を持つ人の方に、より親しみを感じるのは自分だけだろうか。内閣支持率調査の疑問視から賭け麻雀検事長の擁護になったが、御容赦を。更に反省を一つ。自分は、前述の「沈香(じんこう)」を「ちんこう」と覚えていたので、これまで特異顔で講釈したことがあるのでは冷や汗をかいている。