中国コロナは文明の転換点とするインタビュー記事を読んだ。
記事は仏文学者の鹿島茂氏へのインタビューで、氏は中国コロナは国民の消費行動を変化させ、その結果産業構造までもを変えてしまうというものである。一般的・学術的な区分・表現であるかは不明であるが、氏は国民の消費行動を、生活に必要なもの以外殆ど買わない「必需消費」と、その他の余暇や嗜好品などを「選択消費」と分類し、2か月に及ぶ巣ごもり生活で余儀なくされた「必需消費」は、コロナ禍終息後にあっても「再び起こることを懸念する恐怖感」からその傾向が維持されるとしている。氏は、日本の経済構造が「選択消費」を前提として成り立っているために、国民の消費行動が変化すれば経済行動も変わらざるを得ないと論を進めているが、他の先進国に比べて労働人口が第3次産業に偏重している現実、ガラケーに代表されるように優れた機能や性能を持っているが国際標準とはかけ離れたために海外に販路を拡大できず国内だけで通用する製品も少なくない現実、インスタ映えと称してピンポイントの観光拠点に集中したり人気店に行列する現実などを見ると、現在の経済構造は選択消費という幻を土台にし、繁栄・好景気は砂上に築かれた楼閣であるようにも感じられる。さらに氏は、文明はヒト・物・金の流通によって進化してきたが、必需消費はその流通を変化させ昭和30年代の文明構造に後退するともしている。昭和30年代と云えば、3C(車、クーラー、カラーテレビ)が羨望の的であった時期であるが3Cが生活必需品に変化している現在を考えればそこまで後退することは思えないが、氏が贅沢品や贅沢行動という概念を文明構造という言葉で表現していると解釈すれば納得できるものである。中国コロナで体験・実感した不要不急自粛の意味は、まさに選択消費から必需消費への転換を促すものであったのかも知れない。
年金生活で「必需消費」限定の生活を送っている自分としては、日本の経済構造が「選択消費」抑制の方向にシフトしても変化ないだろうが、いろんな意味で「落ち付いた世相」になるのではと感じている。グルメ・旅行の話題が半減し、便利グッズ・サプリのCMが半減したTV番組表を想像すれば、ボケ老人には好ましい環境であるだろうと思うところである。