産経新聞に掲載された小川淳也立民政調会長の主張を読んだ。
大要は「理想主義的と云われるかもしれないが、経済的・文化的に相互依存を深めることに勝る安全保障は無い」との一行に込められていると理解した。本人も認めているように、理想的には全ての国家・人種が相互に依存しあって共生することで平和は達成できるだろうが、ウクライナ事変前の世界情勢を眺めても、経済的には大国間での相互依存の形は形成されつつあったものの、文化的には途上国を中心に宗教・人種的価値観が中世に先祖返りしたかの細分化・多様性を生み出して、局地戦や内戦が多発していたと思っている。
そして今回のウクライナ事変は、経済的な相互依存も極めて危ういものであることを示したのではないだろうか。かってロシア産原油は衛星国の需要を満たす程度で、西側諸国への戦略物資とはみなされなかったが、脱炭素・脱化石燃料・温暖化ガス排出規制、そして何よりも「経済のグローバル化(経済的相互依存)」が世界融和を生み出すとの幻影に後押しされて、今やロシアの天然ガスはEUの死命を制する戦略物資に変貌していたことを思い知らされた。
また、東欧の穀倉であるウクライナでの戦闘は、世界的な小麦不足を招いて日本でも食品の値上げラッシュを招いており、ウクライナの戦況と被害を考えれば、今春の播種と今年の収穫は激減するだろうことは明白であり、小麦の高騰は数年は続くものと覚悟する必要がある。
日本の高名な人道活動家は「エネルギーと食料を戦略的に使用するな」と主張されているが、それらが相手国にダメージを与えることができるからこそ対外的・外交的価値を持つと同時に、相手国がそれらの供給を断つ経済制裁も有効に作用すると思っている。第一、人道尊重の理由でそれらを駆け引きに利用しない理性的で人類愛に満ちた指導者は武力侵攻などしないだろう。
小川議員の主張に戻ると、人道活動家であれば素晴らしいものであり、政治家の信念としても尊重されるべきであると思うが、経済的な相互依存を安全保障の根幹に据えることは理想ではあっても、現実の政治家としては、リアリストとしてそれが破綻する可能性には備える必要があるのではないだろうか。
また、文化的な相互依存とは何を意味しているのだろうかとの疑問もある。一般的に、文化または文明とは「社会の中で共有される考え方や価値基準の体系のことで、知識・信仰・芸術・道徳・法律・慣習など、社会の構成員が獲得したあらゆる能力や習慣の複合的総体という古典的定義」とされており、相互依存すべきものではなく、相互依存できるものではない。
隣国である対中国・韓国だけを見ても、経済的相互依存を現在以上に深化させることが相応しいとは思えないし、文化的には絶望である以上に相互依存したくないと思うのだが。