ウクライナ事変での機雷戦が報じられている。
ウクライナとロシアの双方が、機雷敷設は相手国の所業と応酬しているので、現時点ではどちらの国が敷設したのかは不明であるが、黒海に機雷が存在するのは間違いないように思える。
素人観では、ロシアの黒海艦隊の自由度を制約するためであればウクライナが敷設したものであろうし、ウクライナの海上輸送を止めようとするものであればロシアが敷設したものであるように思えるが、黒海艦隊に巡航ミサイル搭載潜水艦が追加配備されたとの報道を見れば、敵の機雷敷設海域に潜水艦を増派することは合理性を欠くために、機雷の敷設海域と安全な可航水路を把握している側、すなわち機雷を敷設したのはロシアと観ることが可能であるように思う。
一部の報道では、敷設された機雷は「浮遊機雷」とされている。
浮遊機雷とは文字通り海面を漂う機雷であるが、海潮流や風向によってどこにあるか把握することができないために、場合によっては敷設側の艦船が触雷する危険がある。さらに中立国の艦船にも被害が及ぶ可能性があるので、浮遊機雷の使用については「自動触発海底水雷の敷設に関する条約(1907年ハーグ第8条)で、敷設後1時間で自沈若しくは無効とするように定められている。しかしながら、ハーグ条約に則った浮遊機雷の戦術的使用であっても、敷設日時が公表されることが無いために、ホルムズ海峡でイラン革命防衛隊が浮遊機雷を使用したとの情報があった際には、長期にわたって商船航路が閉鎖されたことがある。
また、浮流機雷という言葉があって浮遊機雷と同義的に使用され、web辞典等にも同じ物とされているが、浮流機雷は計画的に構築した機雷原海底の重錘にワイヤ(係維索)で繋がれている係維機雷のワイヤが切れる等で海面を漂流している機雷を指している。海面を漂っている機雷であるので同じ物とも云えるが、戦術的には大きく異なるものである。
浮流機雷・浮遊機雷のいずれであっても、機雷の発見や触雷を避けるためには長期にわたる警戒監視が必要となり、ウクライナ事変収束後にまで被害が及ぶる可能性がある。
終戦から10数年も経った海上自衛隊の創設期にあっても、冬季の北西風によって日本海側にソ連からの浮流機雷漂着が相次いだために、掃海艇部隊は母港を離れて新潟港に冬季常駐するという「さくら作業」が行われていたと聞いた記憶がある。
湾岸戦争でも、終結後に海上自衛隊を始めとする掃海部隊が機雷の除去に当ったことも記憶に新しい。