本日も猛暑が予想され、「電力逼迫注意報」が発令されている。
これまでの電力逼迫と云えば夏の甲子園大会決勝戦前後が定番であったが、注意報が6月下旬に発令されたことを考えれば、今年の盛夏時には計画停電まで覚悟しておかなければならないように思える。
注意報発令に伴って事業者・一般家庭を問わず電力使用者に対して節電が呼びかけられているが、節電努力による効果は限定的で一時凌ぎの手段に過ぎない。電力逼迫の原因は主として原発の停止であり、かねてから予想されていたことであるが、電力逼迫の現状に対して脱原発を主張する人からの意見は伝えられていない。
繰り返し書いて来たことであるが、政府の「コスト等検証委員会」の資料でも再生可能エネルギーの発電コストは補完発電機能の保持を含めると原発や化石燃料発電よりも割高で、天候の影響を受けないために日本では有効とされる地熱発電のコストは原発の4倍近いものとなっている。
我々は、過去10年にわたって「再エネ賦課金」を支払って、その拡大を支援して(させられて)きたが、再生可能エネルギの比率が一向に向上しないのは、事業者が利益を見込めないためであろうと思っている。無料・無尽蔵の太陽光等を利用するとは云え、電力変換器の整備、発電素子の定期的な交換等を含めた長期的なランニング・コストは既存の発電コストと同等で、将来的に求められるであろう送電網の保守整備負担増を考えればに事業者にとって旨味の薄い分野であるのだろう。
ちなみに、一般家庭向けの従量制供給の再エネ賦課金は、2022年4月までは1か月の使用電力量(kWh)に賦課金(3.36円)を掛けて算出されており、資源エネルギー庁の発表によると、2019年度の家庭用電気料金のうち再エネ賦課金が占める割合は約11%とされている。
さらに憂うべきは、脱原発の旗振り役である立憲民主党にあっても今回の参院選公約には、近年の国政選挙公約に踊っていた「原発」の文字は見当たらず、わずかに「2050年省エネ60%※・再エネ電気100%を実現」とあるのみで、政治家にとって脱原発の掛け声は高邁な人類愛に基づいたものではなく、単なる「耳触りの良い集票コピー」であったのかと鼻白む思いがする。
昨日の司法判断に類するものであるが、裁判官が阿蘇カルデラを産んだ大規模噴火、未発見の活断層の存在、等々の理由で原発の稼働を差し止めていることにも「過大な”0”リスク追求」ではとの疑問を持っている。
新しい発見を一つ。昨年までは設定したこともない「通産省が推奨するエアコン28℃」に設定してみたが、歳のせいであろうか我慢できるものであることを知った。
老夫婦の1部屋冷房を28℃に設定しても、猛暑注意報への貢献は「雀の涙」にも届かぬ「蟻/ウィルスの涙」であろうが、コロナ禍のマスク同様の奉公と考えることにした。