貧富・貴賤の別なく時間だけは平等で、自分にも暮が来て・新年が訪れようとしている。
晩年になって漸く安住の地と妻子に恵まれた小林一茶は諦観と満足の狭間で「目出度さもちう位也おらが春」と詠んだ。
さて、自分は何と詠めば良いのかと考えたが、自分の才能と人間性が世間水準に遠く及ばないという諦観.達観は数十年前に持ったが、身過ぎでは終の棲家が有り、邪険ではあるが妻がいて、終末の面倒見を過度には期待できないものの子供がいて、お年玉の増額を虎視眈々と策動する孫がいての境遇であれば、「目出度さは最低ラインかおらが春」とでもするのが適当であるように思う。
これから、子供に引率されての「コストコ買い出し」に同道するよう命じられている。
世間並みに忙しいことを演出するために、本ブログは明日より正月休みとさせて頂きます。