米大統領選、自民党総裁選、都知事選、兵庫県知事選と、メディアの観測がことごとく外れた1年であったように感じる。
特に兵庫県知事選において、メディアが総力を挙げて悪人のレッテルを貼った感のある斎藤元彦氏が再選を果たした際には、ワイドショーのMC・コメンテータは自分たちの悪人叩きが受け入れられなかったことに将に意気消沈・周章狼狽の体であった。
全国ネットのメディアで観る限り、斎藤知事に関しては彼の「功の部分」については一切触れることが無かったように思っている。何故このような報道になったかと考えると、メディアの中心に時代遅れの感ある全きの減点主義が存在していることに他ならないと思う。減点主義とは、多くの功績がある人にでも「これこれの減点があるのでこの人は全く駄目です」と簡単に人を切り捨てるやり方で、評価の分かれる「功」の部は考えないで済むために、評価の方法としては極めて単純である。
2000年以降、スポーツの採点競技においては軒並みに減点方法を廃して、高難度の試技には得点を加算する加点方法に変更されている。減点方式の良い点は「誰でもできる」ことであるが、加点方式には判定に高度の知識が必要とされる点である。
年功序列下の日本の人物評価は主として減点主義であり、一般的には「独創的な挑戦をすることも無く・さしたる成果も挙げていないが、減点すべき瑕疵が無い」人が出世していた。結果として、組織は硬直化して政治・経済・外交で国際競争力を失うことに結びついたと思っている。このことから、企業においては能率給などの採用によって加点評価に転じているが、メディアにおいては依然として減点主義を貫いているようである。
斎藤知事の再選に関しても、メディアの報じた減点要因以上に、兵庫県民にしか理解できない・知り得ない「功」の部分の方が勝っていたのではないだろうか。
広島県安芸高田市の元市長で無名の石丸伸二氏が高名な蓮舫氏を凌駕したことや斎藤元彦氏が再選されたことの背景にはSNSによるポジティブ発信の要素が多いと分析されているが、裏返せばマスメディアのネガティブなレッテル貼りに有権者が付いて来なくなった・一面的なレッテル貼りに拒否感を持ったためであろうと考えている。
「沈香もたかず屁もひらず」の人物は、多くの場合他人を凌駕する功績は上げられないと決めつけるのもどうかとは思うものの、自分を含めて有権者は思考・判断・決断力において、瑕疵・欠点を凌駕している人物を重用し・選出するように心がける時代になったように思える。いや、それ以上にマス・メディアの貼るレッテルは眉唾と観ることの方が大事であるように思う。