先日亡くなられた森永卓郎氏のコレクター哲学を知った。
森永氏のコレクションは、少年時代に父親から貰ったミニカーが原点であるらしいが、傍から見れば脈絡・一貫性のないもの、所謂ガラクタと聞いている、
後年、TV露出の機会を得た森永氏は、機会・人脈を頼りに有名・著名人にサインを頼み、こけしにビート・たけし氏のサインを貰って「ビートこけし」と駄洒落、森永キャラメルの箱にされたキャメロン・ディアスは「キャラメル・ディアス」とご満悦の様子であった。
コレクションの中には重複した物も多いようで、インタビューアーが「同じ物を複数個持つ不思議さ」を問い質したら、森永氏は「コレクターの心を解ってないネ。本当のコレクターは、集めることが好きなんだよ」と述べておられる。成る程!!。目的は「集めること」だけで、収集品の価値・希少性・一貫性には頓着しないのがコレクターの神髄なのかと合点できる部分がある。そんな氏の哲学の故か、収集品は天文学的な数に及び、遂には1億円以上も掛けて展示室を兼ねた博物館開設を迫られる結果になった。
森永氏は、ガラクタコレクター人生を全うされて旅立たれたが、収蔵・所蔵品に対する遺族の対応については、よそ事ながら興味を持っている。
というのも、自分も楽曲コレクターで、収集・収録曲を24時間不眠不休で聴いても1年以上はかかる程になる。楽曲も、演歌に始まりポップス・ロック・ジャズ・レゲエ・ファド・歌謡曲・軍歌・民謡、クラシック・果てには浪曲まで網羅されている。将に森永氏と同様に「手当たり次第に集めることだけが」目的化していたのは疑いも無いところである。
自分の遺品整理の場を想像すると、先ず処分されるのは絵、次いでCD/楽曲であろう。遺品整理動画のエンドロールが流れる直前のシーンは、粗大ごみ業者を前にして「目ぼしい物は無かったネェ~」という家族の言葉がテロップで大写しされるのは確実である。
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