当地に越してきて、期待していた一つ自然薯に出会った。
以前に暮らしていた関東では、山梨や伊豆方面に遠出しなければ先ず入手できなかった自然薯であるが、流石に市内では出会えないものの僅か数キロ程度郊外の道の駅にはそこそこに並んでいる。
今回購入したのは、最大径5cm・長さ50cmでお値段は2,500円であった。翌日、山間の農家の直売所では同じくらいのものを1,500円で販売していたので、季節によって比較的容易に入手できるようである。自然薯とは表示されているものの、落下傘状の頭部が切り落とされていたことから見て、天然の自然薯を畑で栽培したものであるかもしれない。とは云うものの、件の自然薯で都合4回・娘夫婦・孫を含めて述べ20人弱堪能し得たので、スーパーの大和芋とは比べ物にならない程の粘り気である。
自分が育った田舎でも、おろした自然薯に出汁を加えながらすり鉢で伸ばすのは男の役目であり、我が家でも当然のように自分が伸ばし役である。精を出している途中で、フト「そういえば、すり鉢を”カガツ”と呼んでいたなァ」と思い出して、同郷ではあるが距離的には幾分離れた生まれで数歳年下の妻に聞くと「知らない。すり鉢ヨ」との御託宣であったので、カガツは落人部落的に極めて局部に生き残り、かつ急速に失われた言葉であるかも知れない。ネットで調べると、カガツは《すりばち(擂鉢)の事、中四国周辺の方言。すりこ鉢、カガツともいい擂盆(らいばん)などとも呼ぶ。 すりこ木はすり木(磨粉木・摺粉木・擂槌)と呼ぶ》とされていた。
自分は、朝鮮(北)からの引揚げ者であり、日本に辿り着いたのは4歳の事と聞いている。父ちゃん・母ちゃんが主流である周りに比べて我が家ではお父さん・お母さんで、漸く言葉を覚え始めた自分には内外のギャップは驚きの毎日で、友人の家で出会った”カガツ”もそのうちの一つである。言語学的に古い京言葉が残っているとされる在所のこと、"カガツ"もその一つであるのかも知れないが、果たしてどれ程の地域で使われていたのだろうか。
痴呆症では、新しい記憶から消えてゆき幼少期の記憶は最後に消えるらしいので、時折に古い記憶が蘇るのは、痴呆症の初期状態であるのかも、痴呆症の前兆かもとは思うものの、こればかりは神の御心にお任せするしかないと覚悟を新たにした自然薯・カガツの一幕である。
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