もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

沢田研二さんのコンサート中止に思う

2018年10月21日 | 芸能

 沢田研二さんの「さいたまスーパーアリーナ公演」が、大人(老人)の事情から中止された。

 中止の理由は、当初「契約上の問題」とされていたが、本人の会見で集客数の多寡によるものであることが明らかとなった。9000人の収容人数に対して6000人分しかチケットが売れていない状況下で沢田さんが歌うことはできないとしたものであり、「集客不足は自分の実力」と本人が認めているように、施設を満杯にするという過大な契約に無理があったものと思われる。かっての沢田さんであればチケットは瞬時に完売したであろうが、根強いながら少数のフアンにのみ支えられている現実を沢田さんが受け容れることができなかった老害の一つともいえるのではないだろうか。人間に限らず生物は等しく経年変化からは逃れられない運命を背負って生きなければならない。容色は変貌し、銀鈴の声は土鈴に変質し、動作に切れを失うことは避けられないために、人はその時の自分に合った生き方を模索して生きている。特に人気商売の人々は、折に触れて往時の面影を残しつつもイメージチェンジを図って人気の維持と新たな客層の獲得に努力している。ポップシンガーはバラードやジャズに活路を求め、私がファンである八代亜紀さんは艶歌を離れ1960年代風のジャズに行ってしまった。その根底には自分の市場価値を正確に理解した上で、求められる場で求める人に対して演技し、歌唱することを容認した結果であると思う。広島県の「音戸の瀬戸」開削工事で、平清盛が日没時間を遅らせるために扇を振って太陽の動きを止めたが、それほどの権勢をふるった平氏一族も、新興の源氏によって政権から駆逐されたように大衆の支持や人気、ましてや権勢は永続しないものと思う。 

 沢田研二さんも「勝手にしやがれ」を卒業できていたならば、このような事態な起きなかったであろうと思う。そのことは決して、往年の沢田研二を卑小にすることではなく、新しい沢田研二の表現とみなされるのではないだろうかと愚考するところである。我々にとっても老後の生き方として「他山の石」とすべき出来事であったと思う。


カープCS突破・絵画グループ展

2018年10月20日 | カープ・スポーツ

 我等のカープがCSを突破して、2年ぶりの日本シリーズに進出する。

 快挙は、ペナントレース後半に調子を落としていた菊池・丸・鈴木が復調したことと、投手陣の奮起に負うところが大きいと思う。昨シーズンは2戦級の中継ぎを攻略しての逆転で勝利することが多かったが、今シーズンは相手の先発投手を粉砕しての先行逃げ切り勝利が多かったことは、打撃陣の成長の証と見ている。しかしながら気になる点もある。折に触れて書いたことであるが、依然として打席でファーストストライクを漫然と見送る選手が多いことである。これは、選手の特質といううよりも打撃コーチの方針かと邪推している。1軍打撃コーチの東出・迎コーチの指導実績は尊重するものの現役時代は1・2番を打つ選手であったため、自身の経験に則った戦況重視・出塁率重視の指導になっているのではなかろうかと推測する。それはそれでカープ野球にとって有用であるかもしれないが、相手チームの戦意を1発で粉砕できる豪快なクリーンアップの育成には如何なものであろうかと思う。丸と鈴木を例にとれば、高い出塁率を誇るものの、追い込まれた挙句に相手投手のウィニングボールに三振・凡打を喫することも多いように感じられる。来季も打撃コーチ2人制を続けるのならば、小銃担当と大砲担当の2人分業制とすることを提案するものである。現在パリーグでは西武とソフトバンク間で、勝利チームが10点以上叩きだす壮絶な打撃戦を展開している。常勝カープ育成のためにもクリーンアップの更なる強化が必要と考えるものである。塁上に溜まった走者を掃除(一掃)する役目であることからクリーンアップと呼ばれるのであれば、役割を担える素質の選手を役割を果たせる選手に育て上げることも大事であると思う。投手は分業化が進み、与えられた役割に特化した選手が育っているが、打者で特化しているのはピンチヒッター位である。球界に先鞭をつける意味からも、大砲型打撃コーチの選任をお願いするものである。

 今年も、絵画サークルで”グループ展”を行いました。6点の出品義務を果たすべく頑張ったのですが、仕上げの時間が無くサインを入れないままの出品となり大いに反省しています。本ブログのタイトルに殉じて、展示作品1点を紹介させて下さい。カープ打撃コーチの意見に対する罵倒は謙虚に受け止めますが、絵に対する御教示・御批評には些かの手心をお願い致します。


出入国管理法改正に対して

2018年10月19日 | 与党

 10月24日に召集される臨時国会で、野党は消費税増税とともに出入国管理法の改正を争点とすることで協調すると報じられている。

 モリ・カケを争点とするよりは、政策論争が期待されるものの片山さつき大臣を含む新閣僚の身体検査が取り沙汰されている現状から予断は許されない。今回は出入国管理法について考えてみた。主要な改正点は入国時に写真提出と指紋採取を義務付けて、当該データをデータベース化して法務省が管理するとともに、テロリスト(テロ準備行為を含む)排除に役立てようとするものと認識している。国民民主以外の野党は、安保関連法を戦争法と呼んで印象操作を図ったと同様に、早速に当該法を実質的な移民(排斥?)法と呼称して改正に徹底抗戦を呼号しているが、国民民主党だけは改正点を精査して必要ならば対案を提出するという大人の対応を見せている。野党諸氏には、各国が協調してテロリズムに対処しようとする国際情勢など理解していないのだろうか。はたまたアメリカを攻撃するテロリストに便宜を与えようというのだろうか。現在、韓国では済州島に不応滞在している600名近いイエメン人の対応に苦慮している。イエメン人の入国は、済州島にはビザなしで入国でき30日間の滞在が認められるという韓国入管法の規定を悪用されたもので、入国後に難民申請して強制送還されれば命が危ないという彼等の主張を覆す根拠がないために、止むを得ず「人道上の見地」から彼等の滞在と韓国内への移動を許可する一方でイエメン人のビザなし入国を禁止した。日本では海外からの旅行者を増やそうとする試みに官民が狂奔しているが、入国者の全てが善意の人間と考えるのは、四方を海に囲まれた日本人の特質であると思う。EU諸国では、難民に国境を閉ざし移民の受け入れに制限を加えようとの動きが活発で、議会でも無視できないどころか連立して政権の一角を占める勢力にまで伸張している。

 韓国の例に見られるように、短時間の入国審査で旅行者・難民・移民を区別することは困難で、外国で監視対象とされている人間が紛れ込む危険性すらある。近年増えている外国人による犯罪に対しても、捜査関係者には何の予備知識や情報を与えずに、治安の維持だけ求めるのは酷であると思う。犯罪を行うためだけに入国し、犯行後は速やかに国外に逃亡する組織的な犯罪者も増加していることから、迅速な指紋照合で国外逃亡を防ぐためにも入国時の指紋採取は必要とを考えるのは自分だけだろうか。


仙谷由人氏の死去に思う

2018年10月18日 | 野党

 旧民主党の大立者で、悪しきオールド・リベラリストとも評すべき仙谷由人氏が死去した。

 仙谷氏と言えば、菅内閣の官房長官として「影の総理」と呼ばれるほどの言動が強く印象に残っている。特に、尖閣諸島近海で中国漁船が巡視船に体当たりした事件では、中国人船長を政治的判断で無罪放免しながらも「釈放は那覇地検の判断」と強弁したことで国民の信頼を失い、民主党政権の終焉を加速させたのみならず自身の政治生命をも絶たれたことが生々しく思い出される。仙谷氏の人生を辿ってみると、東大安田講堂事件以来一貫して社会主義路線を歩み、言動の多くが日本否定・親中韓北を隠そうともしないものである様に感じられる。おそらく氏の宗主はマルクス主義であったであろうが、政治活動の始点が旧社会党であったことからも分かるように共産党に入党する程の傾斜と覚悟は無かったようである。しかしながら自衛隊を暴力装置と呼んだように、就職を機に左翼活動を離れた心情三派よりは左に近いものであったであろうと思う。マルキストが普遍的に持つ偏狭な独善性を如何なく発揮したのが、前述の事件で映像を外部に流出させた海上保安官を探し出して批判し、訴訟によってでも刑事罰を与えると恫喝して辞職にまで追い込んだことである。当時においても、正義から為された内部告発は許容されるとの社会通念があったため、野党も政府攻撃のために官僚機構内のディープ・スロートからの情報を活用してきた。政府の意に反した情報を流出させた人間に厳罰を与える手法は、ソ連や中国のような全体主義国家が反対意見を封殺するやり方と同様であり、仙谷氏の脳裏には全体国家の方が望ましいとの認識が強く有ったのではなかろうかとも推測される。

 泉下の住民に笞を振るうのは慎むべきであると思うが、南京問題、尖閣問題、竹島問題、靖国問題、慰安婦問題、北の核開発問題等々について、あからさまに中国や南北朝鮮寄りの姿勢に終始した仙谷氏の事績について、後世の歴史家が「平成時代に国威を損なった政治家」の上位にランク付けすることは確実と思う。仙谷氏の遺志を政治に反映させるとコメントした枝野幸男立民党首にも同じ匂いと危惧が感じられるものであるが・・・。


港区での児童相談所建設反対運動に思う

2018年10月17日 | 社会・政治問題

 東京都港区青山の1等地に建設予定の児童相談所施設に対する住民説明会の模様が放映された。

 建設計画は、触法少年の保護施設を含む児童相談所を青山の国有地に建設しようとするもので、映像では青山ブランドの毀損を恐れる住民が居丈高に建設反対を叫ぶ様子が流されていた。別の画面では建設に理解を示す住民がいることも報じられているので反対意見がどの程度かは明確ではないが、住民エゴの縮図を見る思いがした。反対を叫ぶ住民にマイクを向けて「児童相談所の必要性」を問えば、間違いなく「必要」と答えるだろうが、それでも「別の場所に建てて欲しい」との答えが返ってくるものと思う。所謂「総論反対、各論反対」の典型で、かって米軍艦載機の離発着訓練騒音に反対する厚木市民が、移転候補地の住民に移転受け入れを懇願して顰蹙を買った事例があったが、ほぼ同様な心情に基づくものと見受けられる。国と社会が協調して子育て支援をしなければならないとする意見が大勢を占める現在、市民も多かれ少なかれ児童の保護と触法少年の更生に対する貢献・奉仕が求められるのではないだろうか。冷たいようであるが青山の住民も「白羽の矢が立ったのは身の不運であるが、社会貢献のために止む無し」と潔く受け入れるしかないのではと思う。児童の保護政策を推進するためには児童相談所施設の拡充は必至の要件であり、今後とも同種の事案が各地で起こる可能性を含んでいるので、青山の地域住民には児童保護の先駆者となることで、青山ブランドを更に世に広める決断を期待するものである。ただし、地価下落による資産価値の低下には大いに同情の念を持つものであるが。

 身を護るのは自己責任とする国民性もあるだろうが、LAやサンディエゴの郊外には、周囲を塀で囲い自前で雇った警備員を配置しているコロニーをよく見かける一方、教会を中心とした奉仕活動は日本以上に活発と聞いている。青山住民を含めて我々も、地域と児童の安全を等しく守るために応分の努力・奉仕・犠牲を払う覚悟が求められる時期に来ているのかも知れない。今回の報道は、赤い羽根以外には何ら奉仕活動をしていない自分の来し方を反省するきっかけとなった。