もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

火星での酸素生成実験成功を学ぶ

2021年04月23日 | 科学

 火星で活動中の探査車「パーシビアランス」が、酸素生成実験とドローンの飛翔(浮上)実験に成功したことが報じられた。

 科学・数理音痴の身ながら、改めて火星の大気について勉強して見ると、《大気圧は地球の0.75%にあたる750パスカル(平均)、大気の組成は、二酸化炭素(95%)、窒素(3%)、アルゴン(1.6%)、酸素(0.13%)、一酸化炭素(0.07%)、水(0.03%)、メタンその他の気体は痕跡量とされ、大気の総質量も、地球の5148テラ㌧に比べて火星25テラ㌧(0.5%)》であることが分かった。
 その上で今回の実験成果を考えると、ドローンの浮上については、大気圧(密度)は地球の0.75%に過ぎないものの、重力(引力)が地球の3分の1程度しかないために可能であったのだろう。
 酸素の生成については「800度の高温で二酸化炭素を分解」と報じられているので、中学校の理科実験で学んだ「水の電気分解による酸素採取」と同様と理解した。生成できた酸素量は5.4gで宇宙飛行士1人が10分間呼吸する量に匹敵すると報じられている。
 かって、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演した「トータル・リコール」では、人工大気に満たされた火星の居住ドームから脱出して無酸素の火星大気に晒されたシュワちゃんが、太古の文明火星人が建設した酸素生成装置によって瞬時に生き延びる場面を記憶しているが、25テラ㌧もの大気を地球と同様の酸素量(16%)にするためには4テラ㌧の酸素生成が必要となるために、如何に大型施設を作っても火星大気の組成を地球と同レベルにすることは夢物語と思われる。その場合にあっても、窒素75%の地球大気に生きている人間が酸素量は十分とは言え炭酸ガス75%の大気では生きていけるかは疑問に思える。しかしながら、火星における酸素生成については、将来の火星有人探査において地球帰還のための大型ロケット発射の可能性を開くものと大きな期待が寄せられているようである。

 かって火星には水が存在したことや生命誕生のカギとされるメタンが確認されていることから、火星人(地球型生命体)がいた可能性は完全には否定されていないと思っている。
 では何故に、火星は水が消えた炭酸ガスの荒涼とした星になったのだろうか。ウィキペディアでは、①火星の磁場が不安定であるため太陽風により徐々に浸食された。➁大気の大半を吹き飛ばすほどの大きな天体の衝突があった。③火星の小さい質量のため、宇宙空間に逃げた。という仮説が記載されていた。
 人口密集地域に対する緊急事態宣言発令(何度目になるかカウントする気にもなれないが)が秒読み段階の本日であるが、火星探査車の活躍は現実のあれこれを忘れて「太古の宇宙」「火星開発」「火星移住」に思いを導いてくれたものに思える。


慰安婦第2次訴訟判決に思う

2021年04月22日 | 韓国

 ソウル中央地裁は21日に、慰安婦第2次訴訟に対して「主権免除」の原則から請求棄却の判断を示した。

 1月の第1次訴訟においては、同じソウル中央地裁の別の裁判官が「反人道的犯罪行為」については主権免除の原則は適用できないとして日本政府に賠償を命じたが、日本政府は裁判自体に応じていなかったために控訴せず当該判決は確定していた。今回の判断は、国際法の主権免除を適用したことや日韓合意の正当性を考慮したもので健全な司法判断であるように見えるが、果してどうだろうか。
 そもそも主権免除が適用されるのは国家の犯罪であり、慰安婦制度が「日本の国家施策で創設・運用された」制度でない以上、主権免除自体が問われるものでは無いと考える。近年、勇気ある元慰安婦によって、慰安婦となった経緯は「貧困家族を救うための身売り」であり、女衒の甘言に乗せられた一面はあるものの自由意志であったことや、強制についても韓国支援団体の使嗾であったことが明るみに出されている。
 さらに、今回の判決では「主権免除の適用除外は、外交上の衝突が不可避になる」との理由が述べられているが、”外交上の衝突懸念”は司法の独立という法治国家の原則・理念からは逸脱したもので、司法判断というより行政府(政権)に過度に忖度した行政判断であると思う。また、1月の判決では「訴訟費用支弁のために韓国内の日本政府資産差し押さえ」が確定していたが、同地裁は内部文書の形で「日本政府に対する賠償命令は変更しないものの、資産差し押さえは凍結する」とし、今回の判決でも「(差し押さえは)現代文明国家の威信に関わるもので、強行すれば我が国の司法の信頼を損なう」とされており、日本政府資産差し押さえという司法の暴走によって苦境に立たされた文政権に救済の手を差し伸べている。
 与党幹部の不正疑惑解明に熱心な検事総長を罷免、高官・高位者の不正については一般人の不正とは別の司法機関で捜査・解明するという司法の二重基準を導入、そして今回のソウル地裁判断。強きを援けるために法を駆使する韓国司法は、文明国家の威信を損なう以上に韓国国民にとっても信頼に値する存在であるのだろうか。一握りの王侯貴族が文盲の国民を圧政下に置いたとされる韓国王朝史は現在もなを存続しているように思える。

 吉田証言~朝日新聞~クワラスミ報告との一連で、朝鮮人慰安婦の存在が国家犯罪であるというとフェイクは、もはや独り歩きしている感が強い。しかしながら、慰安婦の世界記憶遺産登録に端を発したユネスコ改革で、係争案件については当事国の合意が得られるまで登録は棚上げされることとなったので、慰安婦のフェイクが登録されることは無くなったように思えるが、登録手続き改革に賛成・援助したのが、スターリン粛清とシベリア流刑の登録をを恐れるロシアと、天安門事件さらには香港ウイグルまで登録の危機に怯える中国であったのは何とも皮肉な話である。


日米共同宣言の論評に思う

2021年04月21日 | アメリカ

 台湾海峡の防衛にまで踏み込んだ日米共同宣言に関する、主要紙の論調が興味深い。

 読売・日経・産経は、中国の覇権追及現状から宣言に盛り込まれた日本の選択肢は当然若しくはやむを得ないと評価する一方で、朝日・毎日は否定的な社説を掲げている。
 毎日は「(中国を翻意させるためには)人権・法の支配・貿易ルールが大事であることを訴えるのが大事で、同盟強化だけでは打開できない」、朝日は「日本が果たすべきは米中双方に自制を求める外交努力が必要」とし、それぞれアメリカと距離を置いた日本の独自外交の必要性を説いている。
 国際関係と国際政治に明るいであろう朝毎論説委員は、米中という経済・軍事大国間の紛争を調停する能力が日本にあると考えているのだろうか。特に、武力・経済力による現状変更では国際司法裁判所の判断をすら公然と無視する無法国家「中国」に対して、日本がどのような手段・手法を以てすれば独自外交が可能と考えるのだろうか。
 国内の治安が保てるのは、国民が法律という共通認識に従うためであり、共通認識を外れた行為者には公権力が刑罰を与えるためと思う。国際関係に於いても同様で、各国は国際機関での諸合意や条約を共通認識とし、無法行為については各国が協調した経済制裁や国連軍(多国籍軍)による懲罰で翻意を迫っている。国際紛争の調停に当たっては、当該国に共通する利害に絶大な影響力が必要であることは歴史が証明しており、第二次大戦後の紛争にあっては米ソ両大国が担ってきたが、米ソ冷戦の調停を実現できた国は無く、解決はソ連崩壊による自然解消まで待たなければならなかった。新しい米中冷戦も同様に、米中のどちらかが疲弊するまで続かざるを得ないと考えれば、中国共産党の独裁政権に加担するわけにはいかないのは当然と思う。
 韓国の文大統領は、アメリカとは軍事同盟、北朝鮮とは同族・経済支援というカードを強力と信じて米朝首脳会談の仲介を目指したが、手持ちのカードは意に反して米朝双方にとって無力で、米朝双方から梯子を外されて結局はピエロの役割しか果たせなかったことは、国家の調停能力とは何かを示しているのではないだろうか。

 朝毎論説委員は、大航海時代の植民地争奪競争など児戯にも思えるほど熾烈な「パワー・ポリティクス」蔓延の現状においても、永世中立国でしか成立し得ない「全方位・等方位外交」というマジックが中立国以外にも存在し、日本が「独自外交という名」で成し得ると思っているのだろうか。ネット上の主張にも「対話重視」「日中共生」の意見が散見されるが、中国の王毅外相の尊大で高圧・威圧的な発言を聞いても、対話ができるとは到底思えない。力(軍事力+経済力)で現状変更を求める中国に通じる言語は、世界中に存在せず、中国語ですら用をなさないと思っている。


パイナップル考

2021年04月20日 | 中国

 日米首脳会談後の共同声明で、漸くに日本が対中姿勢を明らかとしたかの印象が強い。

 共同声明では、日本も香港・新疆ウイグル自治区での人権問題に加えて台湾海峡の防衛強化についてもアメリカのアジア・台湾政策に共同歩調を採ることを宣言したものと捉えている。
 自由主義社会では、台湾を失うことは尖閣諸島を失うことに繋がり、そうなれば東・南シナ海が中国の内海と化すことは早くから指摘されていた。
 これまで日本は、国際的には尖閣諸島については意志を表明するものの、台湾に関しては明確な態度を示していなかったと思っているが、今回の共同声明によって台湾問題についても真剣に向き合わなかればならない環境に置かれたと思っている。
 今後、アメリカの台湾政策はどこまで深化するのだろうか。現在の流れから推測すると正式な米台国交回復にまで至ることは避けられないと思っているが、台湾自体が独立問題に揺れている現状では、更に多くの紆余曲折は避けられないだろう。また、中国を除く各国の外交や国家戦略の永続性には、指導者が選挙で選ばれるという致命的なハンデがあるために、対中・対台戦略も各国の選挙結果によっては微妙に或いは劇的に変化せざるを得ない脆弱性を内包していると思う。
 日米首脳会談に符合するかのようにアメリカは高官を台湾に派遣しており、そんな背景を考えれば今回の共同声明は日本に対して踏み絵を迫ったことかもしれないし、日本が地雷原に誘い込まれたという一面もあるようにも思える。中国が「中国の核心的な問題に日本(日米)が踏み込んだ」と素早く反応しているのも、同様に判断していることの表れとも思える。現在、インド洋や東・南シナ海では、日米英豪印比が合同・共同訓練や自由の航行作戦を実施しており、来春までには独仏伊西も軍艦を派遣して対中示威行動に参加するとされているが、極東には関心の薄い欧州各国が消極派に転じる可能性・危険性も無しとしないと思っている。

 中国への輸出が途絶えたことによって台湾のパイナップル生産者が大打撃を受けていることが報じられて久しい。
 もともと中華料理に混入されているパイナップルすらこまめに取り除いていた自分であるが、遅ればせながら「貧者の一灯」と台湾産パイナップルを購入した。シロップ漬けにしないと食えないの都市伝説を盲信していたので、恐る恐るの体で生パインを口にしたが、年齢とともに味覚が変化(鈍化?)したのだろうか美味しく感じた。
 媚中議員・親中議員・チャイナ官僚を排除すること、適地攻撃能力を整備すること、憲法に緊急事態条項を設けること、等々には無力に近い自分であるが、ささやかな台湾支援として、今後も貧者の一灯を捧げ続けようと思っているが、パイン嫌い克服に努力しても週一は無理だろうと思わずにはいられない。


消火装置誤作動事故に思う

2021年04月18日 | 社会・政治問題

 地下駐車場設置の炭酸ガス自動消火装置による死傷事故が報じられた。

 事故原因は調査中とされているが、現在のところ天井板張替作業時に誤って配線を傷つけた可能性が大きいとされている。
 消防庁の指導では、このような作業を行う場合には消火装置の電電を切るか手動モードに切り替えるとともに、消防設備士の立ち合いが求められているようであるが、そのすべてが行われていなかったようである。事故の原因解明と再発防止策は関係者に俟つとして、本日はハイテクが持つ「諸刃の刃」の危険性についての感想である。
 安全で快適な社会生活を営むために、多くの分野で自動化や無人化が図られ、その流れは少子化に伴う労働人口の減少や人件費の高騰によって更に加速してきた。また、制御システムはコンピューターによるシーケンス制御と各種センサーの信頼性の向上によって人間の目よりも早くかつ正確に異常を感知したり、正確に対処できるようになって今や自動監視・制御は社会生活には不可欠な要素となっている。一方で、自動機能=安全との神話を生んで、誤作動したりシステムがダウンすること等、思いもよらない世相となっている。
 50年前には鉄道の主要な踏切に警手(踏切り番)が配されて遮断機を手動で監視・制御したり踏切での横断者保護に当たっていたが、踏切内で立ち往生した歩行者を救出する美談が語られる一方で、遮断機開閉の忘れや遅れも度々報じられていた。現在では警手が配された踏切は皆無で、遮断機開閉の遅れや忘れは略々無くなったものの、踏切内での人身事故を阻止することは絶望的となったように思える。
 改めて今回の消火装置の事故を観ると、自動装置のシーケンスは、駐車場での火災を装置が認知→サイレンを鳴らして注意喚起するとともに退避勧告のアナウンス→火災認知後20秒でシャッター閉鎖→閉鎖完了後に炭酸ガス放出、となっていたようであり、この20秒という設定が事故のキモであるように思える。火災の制御と延焼防止の可能性と人間が避退したり手動モード切り替え可能時間の両面から決められていると思うが、装置の操作法を知らない、又は脱出経路を知らない人にとっては短すぎるように感じられるものの、消化装置の作動が遅くなることによる火勢の拡大、上階の居住区核への延焼(住民被害)防止を考えれば長すぎるようにも思える。

 自動制御は、利害の反する複数の要因の最大公約数のために働くように設計されており、限られた若しくは想定外である少数の要因を無視する危険性を必然としている。
 航空管制官(自衛官)から聞いたことであるが、管制塔からの進路や高度の変更指示について旅客機のパイロットは直ちに指示に従うが、一般人が操縦する小型機は指示に従う前に理由を聞いてくることが多いそうである。今回の事象でも1名の作業員が脱出し得たことを考えれば、自動制御の指示には一先ず従うことがハイテク下の時代を生き抜くために必要であるように思う。