もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

話法を考える

2023年04月23日 | 世相・世論

 岸田総理のテロ犯人木村隆二容疑者は依然として黙秘を続けているものの、犯行動機かと思われる数々の傍証が報じられている。

 傍証の主は、政治家の世襲慣行を打破するために国政選挙への立候補を企図するも、被選挙権年齢と供託金が壁となって断念せざるを得なかったために提起した選挙制度に関する訴訟が直接動機とされているようで、更には本人のものと思われるSNSでは安倍元総理への国葬や安倍氏殺害犯の主張した安倍氏と統一教会の癒着に共感したことも遠因とされている。
 自分は、犯人の実体験である選挙制度への不満が直接総理大臣に結びつくことは考え難いので、やはり安倍氏殺害犯の模倣・追従と観るべきかと思っている。
 では、何故に模倣・追従が起きたかを考えると、安倍氏殺害後の著名人・識者のコメンの影響も大きいのではないだろうか。
 朝日新聞編集主筆の「当然の報い」ツィートは論外にしても、多くのコメントは「犯人の行為は許すことはできない」としながらも、「しかしながら・・・」と続けるものが多かった。「しかしながら」に続く内容は千差万別であるが、多くは「若者の閉塞感」や「心情を思えば」などと、そこだけを取り出せば犯行を正当化又は社会悪に転嫁、若しくは犯人擁護ともとれる内容であった。
 一般的に、聴衆・視聴者の多くはコメントや議論の終盤や最終局面に強く印象付けられるとされている。このことを熟知していた久米宏氏はニュースステーションで、賛否拮抗・異論百出の後で反論する時間の無くなった時に「それでも私はこう考える」と締め括って、それまでの推移を一挙に覆すことを常としていた。また、話半分という言葉があるように、一部には話の冒頭しか聞かない人もいる。
 千差万別の対象に誤りなく自説を伝えるためには、冒頭に結論を述べ、次いで思考過程を述べた後に、改めて結論をダメ押しするという話法が必要であるように思うし、安倍氏殺害事件にコメントした識者もそうしたが、紙面や放送時間の制約でカットされたのかもしれないが。

 日テレの巨人戦ダイジェストは、冒頭「今日のジャイアンツはどうだったでしょうか」に続いて、延々と巨人軍選手の活躍場面が続き、「これでは巨人の勝ちだな」と思っていると最後の最後に「残念ながら負けました」で「エッ」となるのが常である。
 他愛もない野球報道なら笑って済ませられるが、影響が大きい問題をコメントする識者や、コメントを伝える媒体にあってもこのような話法と伝達に配慮して欲しいと思っている。


日本学術会議改正案の上程見送り

2023年04月22日 | 科学

 岸田総理が、日本学術会議改正案の今国会上程を見送ったことが報じられた。

 日本各術会議については、菅前総理が委員候補6名の任命を拒否して以来耳目を集め、「学問」とは全く縁のない自分も「そうだったんだ!!」と興味を持ったものである。
 学術会議法の改正案は、委員候補の選定に外部の有識者を参加させることが目玉とされているが、政府から独立した法人にすべきとした自民党PTの改革案とは大きく隔たっているために自民党内でも不満な内容であったらしく、さらには、その改正案すら上程を見送ったことに対して党内からは、「野党の圧力に屈した」との反発が伝えられている。
 委員選定の過程に外部の有識者が関与する改正案について学術会議側は、「学問の自由が奪われる」と紋切り型の反対意見を主張しているが、学術会議が実際の研究・学問の場であるならばその主張は認めるべきであろうが、研究機関・教場を持たずに半ば親睦団体化しているように思えることや、「デュアル・ユースを含む軍事研究忌避」が一部学問の自由を奪って日本の基礎研究を後退させている現実を思えば、素直には頷けない。
 特に、離任者の推薦で後任候補を半ば自動的に選任することは、学問・研究者の派閥化に繋がって異論の新規参入を拒むという、学問の自由を自らが否定しているように思える。
 この辺の実情は、自民党幹部の「この法案以上には譲れない」、「これでだめなら民営化だ。学術会議は自滅の引き金を引いている」とのコメントに示されているように思える。
 法案上程の見送りに対して、立民・共産は勝利宣言に近いコメントを出しているが、そのいずれもが学術会議の必要性や功績を擁護するものではなく、単に政局・政争の勝利としていることを観れば、法案上程見送りを歓迎する側にとっても、学術会議は無くてはならない存在ではないように思える。

 日本学術会議会長の梶田隆章氏は、ニュートリノ物理学の第一人者としてノーベル賞・文化勲章の栄典を得ているが、「名選手必ずしも名監督たり得ない」を地で行っているように思えてならない。
 今後は、自分の様な無学納税者にも、「異論にも開かれた」、「行動・提言・業績が目に見える」新しい学術会議に再建・再生して欲しいと思うと同時に、もし現行体制の変更が本当に学問の自由を侵すものであるならば、学者として・最後の学術会議会長として薛を全うして欲しいものである。


現状維持政党

2023年04月21日 | 憲法

 20日に開催された衆院憲法審査会の応酬が報じられた。

 前回に続き9条を中心に議論したと報じられているが、半世紀以上にも亘って混乱している条文に関する議論としては不毛かつ低調であったように思っている。
 自民・維新は「9条の2」を新設して自衛隊を明記すると正面から向き合っているが、その他の政党にあっては国家・軍事・憲法を理解していないかのようである。
 公明は「憲法5章「内閣」の72・73条を改正し内閣総理大臣の職務として自衛隊を記載」と主張しているが、近代国家にあって行政府の長が国軍を私兵化することも可能な憲法を持つ国は無いと思う。
 それ以上の驚きは、立憲民主党の吉田晴美議員が「中国などが自衛隊の明記に反対している。書かないこと・問題にしないこと・言わないことなど、絶妙なバランスで外交は成り立っている」と主張したことである。云うまでもなく憲法は、日本国の正当性と国民のアイデンティティを世界に発信するものであって、吉田議員の「日本国憲法は外交ツールの一つで中身の無い玉虫色がベスト」とする主張は、憲法自体の尊厳を損なうものであると同時に、その姿勢は戦後長きにわたって自民党政権が採り続けた「軋轢を避けるためにNOを言わない」姿勢で・野党が攻撃し続けた姿勢に他ならないと思う。
 公明・立民の国家観と軍隊に対する退嬰姿勢は際立っているが、特に立民の「中国の懸念」云々に至っては日本人としての矜持すら失ったかのようである。他国配慮を最重要視する憲法を持っている国があるのだろうか。これらのことを念頭に置いて憲法学者を自称する参院の小西洋之議員は衆院憲法審査会を「サル・蛮族の集団」と嘲ったのかも知れない。

 1946(昭和21)年の公布後76年が、憲法9条に関心が集中した警察予備隊の創設からでも70年が経過した。憲法討議の変遷を観ると、1956(昭和31)年~1965(昭和40)年に内閣に設置された憲法調査会、2000(平成12)年~2007(平成19年)各議院の憲法調査会、2007年以降は後継の両院憲法審査会となって議論が重ねられているが、未だにこの体たらくを観ると、真剣に論じたとはとても言えないように思う。

 マッカーサー草案起草者の一人は、後日《しかるべき時期に日本国民が改正するだろう》と述べたと伝えられ、東京裁判のパール判事(インド)とレーリンク判事(オランダ)は《戦後の狂気が収まった時、日本国民は正常な判断をするだろう》と述べられているが、憲法を有るべき姿にする試みが頓挫しているのは、牙を抜かれた我々世代が《困難な変革と改革から目をそらしてしまった》当然の結果であるのかも知れない。


BTS入営に思う

2023年04月20日 | 防衛

 世界的に有名な韓国の人気グループBTSのメンバーが入営する様子が報道された。

 最早ミュージシャンとは懸け離れた「短髪・アーミーカット」で仲間と談笑する姿を観て、改めて徴兵制や軍務について考えた人も多いのではないだろうか。
 日本では「徴兵による軍務」=「苦役」と短絡するが、男子皆兵の韓国では徴兵に応じるのは国民の義務であり、既に日本人が失った「徴兵による短期軍務の義務を果たすことで漸く一人前」という土壌・風潮が未だ健在であるように思える。
 ベトナム戦争当時、世界最強ボクサーのカシアス・クレイは「俺に試合させれば1試合で戦闘機が買える」と述べて徴兵応召を拒否したが、チャンピョンベルトを剥奪されボクシング界からも一時追放された。後に、イスラムに改宗しモハメッド・アリとなって復権を果たすものの、長い時間が必要であった。
 クリントン大統領は、建国以来初の「軍歴の無い大統領」と呼ばれ以後は軍歴が大統領必須の経歴とはされなくなったが、それ以前は「軍務で国に奉仕する」ことが、愛国心の指標とされていたように思う。

 韓国における徴兵制のあらましは、男性は特別な事情(特定の疾患者、2年以上の受刑者、孤児など)を除いて、満19歳になれば徴兵検査を受けて1~7級に分けられ、1~3級は陸軍26ヶ月、海軍28ヶ月、海兵隊26ヶ月、空軍30ヶ月の軍務につき、4,5級は公益勤務要員として26ヶ月の兵役につくとされ、6,7級は兵役免除となるらしい。
 戦前の日本でも甲種合格=現役兵、乙種合格=兵站勤務、丙種=兵役免除が基本とされていたので、似通っているように思える。
 入営後は、教育隊で5週間の集中教育・基礎訓練の後に部隊に配属されて教育訓練・勤務に服するとされている。
 韓国でも有力者の子弟が虚偽や悪質の手段を弄して、特技者にのみ与えられる兵役免除特権を不正に取得したり、疾病を装って6,7級の兵役免除を得たケースが少なくないと報じられるが、露見した場合には汚名・烙印を雪ぐのは容易でないようである。

 BTSについてはグループ7人中の2名が既に入営し以後も順次応召するとしており、メンバー全員に依る活動再開は数年後とされているが、ファンの多くも当然の成行きと受け取っていると報じられている。
 また、大学生については、2学年終了時に休学して応召するのが一般的とされているので、兵役=勉学の阻害という意識・実害は希薄であるようにも思える。


岸田総理襲撃事件に思う

2023年04月17日 | 歴史

 選挙運動中の岸田総理に対するテロ攻撃が起きた。

 要人に対するテロは安倍元総理に続くもので、それも1年間に2度も現職総理が標的とされたことに、驚きと怒りを覚えるとともに暗い世相への序奏だろうかと案じている。
 今回のテロリストの主張や背景は、次第に明らかとなるであろうが、犯人が現時点で完全黙秘していることから核心的な政治テロかとも思っている。
 浅沼稲次郎氏を刺殺した少年は、父親の属する自衛隊を否定する社会党の主張を嫌悪したためとされており、安倍氏銃撃犯は家庭崩壊の遠因として安倍氏と統一教会の関係を挙げている。
 しからば、両名は何を根拠に犯意を固めたのだろうかを考えると、「市井の噂」を盲目的に信じたように思える。現在の「市井の噂」の代表は本ブログを含むSNSと思えるが、そこには「根も葉もない推論」と「発信者の独善」に満ちている。そしてそこに共通しているのは、要人を含む個人名を「呼び捨て」にしているように思える。
 明治維新以前の文字資料にあっては、例え敵対関係にある人物でも位階や敬称を付けて記述されているのに対し、ある程度言論が擁護されるようになった明治維新前後~大東亜戦争終結にあっては決起の檄文やテロ予告の斬奸状などで呼び捨てが始まり、戦後にあっては左翼者が敵対思想者を貶める目的で常用するようになって一挙に定着したと思う。現在では、要人を呼び捨てにすることがあたかも知識人であるとの認識からであろうか、猫も杓子も「安倍が・岸田が」が氾濫している。
 自分は、例え高名な学者の著書であっても帷幕の高官や敵対者を呼び捨てにしている場合は、著者の偏狭な志向・思考と割り引いて読むことにしているが、一般的には読者は「呼び捨てが許されるほどの悪人」との印象を持つのではないだろうか。

 自分だけの特質かも知れないが、文章は書き進むうちに高揚して不要な修飾を用いるようになり、それに呼び捨てが加われば高揚は激高にまで変化し不要な修飾も過剰な修飾に変化する危険性がある。そのために本ブログを始める前に、少なくとも「個人名の呼び捨ては止める」ことと「推論を断定表現しない」ことを自分に課した。
 「安倍が・岸田が」と書き・口にすることは、自分の怒り・不平・不満のはけ口にはなるであろうが、聞き手・読み手を無用に刺激して、無垢な青年の心情をかき乱し、世情の荒み・荒廃にまで手を貸しているように思えてならない。