glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

人とのつながり

2011-01-02 11:13:41 | 家族・友人・私

 あけましておめでとうございます。

 2011年がやってきました。私にとってどんな年になるのでしょうか。年と共に期待度は薄らいでゆきますが、青年時代の様に行き方を見つめて不安になる事も無くなりました。成るようにしかならないという気持ちもありますが、投げやりな気持ちとは少し違います。

 今年も寿町の炊き出しに参加しました。今年の私の仕事はきな粉餅用の餅を千切りきな粉この入れ物に入れる、そして相方がきな粉をつけて皿に盛り付けるとそれを配ることでした。12時から5時近くまで立ち続け、 餅が搗き上がるとただただ餅をちぎり続けました。考える事餅を待ち望み道路に立っている人にはなるべく暖かい中にそして同じ大きさの餅を手渡したいということだけでした。嬉しそうな人、無表情な人、恥ずかしそうな人、その表情はさまざまです。その人たちに同じく声をかけて餅を手渡す、なるべく機械的にならないように…。

 ゆうべは一寝入りして夜中に目覚めました。思ったより疲れていないように思いました。そのうち身体の中から力が湧いてくるような感じがしました。

 餅の皿を手渡しながら私は受け取った人の瞬間的喜びからエネルギーを貰っていたような気がします。今年も元気に動けそうな気します。公園を取り巻き炊き出しを待っていた孤独に見えた人たちも他人とつながりを持ちたいという感情を心のどこかに潜ませているのだろうといま感じています。この感情を表面に押し出し、国境を越えた見知らぬ人たちともつながりたくて、エスペラントを実践している人達がエスペランティストなのでしょう。

 なぜ私が元旦に行われる炊き出しに参加しようとするのか自分でも良く分かりませんでしたが、公園で働いている私も他者とつながりを求めている人と一瞬でもよいからつながろうとしていたのかもしれません。

 餅が搗き上がるまでも間はおしゃべりをしました。女子の大学生二人とのおしゃべりは楽しかったです。一人は韓国からの留学生で文化人類学を専攻している、もう一人は福祉関係の勉強をしているということでした。もう一人若い女子がいましたが、おしゃべりする機会がありませんでした。彼女たちのハリのある声と笑顔は周りを明るくしていました。

コメント
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