glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

父のふるさと:秋田往来ー三浦衛著

2011-01-24 10:53:32 | 

 

故郷が同じだからと友人をからいただいた本です。箱入りの素晴らしい装丁の本です。著者 三浦衛氏は横浜で出版業(春風社)を営む秋田県北部の出身の方でした。本を開くともう50年以上使ったことのない秋田弁が目に飛び込んで来ました。私は南部の出身なので聞きなれない言葉もありましたが、その場で数10ページ読み進んでしまいました。

お父さんの思い出は私の思い出と重なる部分も多いです。三浦氏の祖父明治生まれ、私の父は1900年、やはり明治生まれ、父上の兄弟は8人、そして私も同じく8人。父母や兄姉の人生と重なる部分が多いようです。

猫に襲われ傷ついて死んだヒヨコについての父上の作文が秋田魁に載ったという記事に、ふと高校時代に読んだ新聞の古い切り抜きを想い出しました。魁新聞は昭和10年代進歩的であったろうとおもいます。というのも父の寄稿は秋田の教育改革の提案でした。父は東京で教師をしていましたが病を得て昭和12年ころ故郷に帰りました。その頃の提案です。帰郷後の父の学校での実践はある程度成功したようでしたが、昇進という栄誉をつけて左遷されました。母はあくまでも父の行動を支持し、私たち8人は父に後ろめたさを感じるような人生は送るなという母の暗黙の教えを受けて育ちました。長兄は今でも父が東京時代に書いた教科指導法の載る雑誌を手放しません。黄色くくすんだその雑誌は多分兄と共に終わりを迎えることになるでしょう!

この本読んでいるといつの間にか私の思い出へと突然変わってゆきます。ヒヨコの話は私の中学時代の思い出へと・・・。

私は鶏肉が食べられませんでした。痩せて小さかったにもかかわらずです。昔は家で飼っていた鳥が食卓に上りました。昨日まで、名前さえつけて呼んでいた鶏が食卓に上るのですから感覚的に受け付けませんでした。中学生になったある日父が私を小川に呼びました。父は鶏を解体していました。逃げようとする私に父は生きるために人は残酷と思えることもしなくてはならないことがあると諭し、最後まで見るように言いました。胃・腸・心臓・卵巣の説明をしなが良く洗い、砂袋と称する胃以外はすべて食べなくてはいけないと説明しました。見ているうちに不思議なことに殺された鶏への感傷は消えていました。

挺身隊の話は昭和3年生まれの姉と重なります。多分こうして私は自分の思い出と本の内容を重ねて最後まで読むことになるでしょう!

もしかしたら84歳になる兄の方が私以上に喜んで読むかもしれません。読み終えたら兄に読ませたいと思っています。

 

急いで読むにはもったいない本です。もう少しゆったりした時間がほしい私です。

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