glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

どこにでも反対派は

2011-05-15 06:39:02 | 家族・友人・私

 昨日の朝あるボランティアグループの仲間から呼び出されました。午前中来てほしいというのです。午後はエスペラントだし途中で家に帰る時間のは無さそうだし…。電話で喋り出す彼女の様子にただならぬものを感じて出かけることを承諾しました。

 考えてみると朝食もまだ、いや顔さえ洗っていない。シャワーを浴び、朝食をかき込み、濡れている髪は帽子の下に押し込んで出かけました。

 3年ほど前、ある団体の好意で我がボランティアグループは事務所を持つことができました。2年程前その団体と共同で事業を始めました。事業は順調にいっているのですが、そちらの団体は一枚岩ではなかったわけです。事業推進派と反対派がいたのです。事業がうまく行けば行くほど反対派の嫌がらせ言動が強くなると彼女は言うのです。『もう、こんなことやってられない!』

 相手方の組織は今、人事問題を審査する時期にあるらしいので、その見極めがつくまでと今の状態でと彼女を説得しましたが・・・。

 組織が大きくても小さくてもどんな団体にも意見が違う人間はいるのが当たり前、反対派はどこにでもいるのです。ただ、それを当たり前と思うか、突然表面化した反対派にショックを受けるかそれは個人の問題と片付けるべきかどうか、ふだん働かない私には何とも言えませんが、たぶん問題解決を一ヵ月半延ばしただけかなとも考えたり…。

 何をするにも反対派いるのです。同じことを目指している様に見えても意見の相違はあるのです。意志の強い人が意見を通すか、数で解決するか、民主主義的解決法とは?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする