敦賀原発も放射能値が高くなったので発電を止めて検査するとか!
この夏原発を止めて日本全体で耐えられるか耐えられないか実験すべきです!
戦後、父が山村に転勤になりました。住処は発電所そのすぐそば。日中は電気が使えるのに夜になって家々に灯りがともると電球のタングステンは光を失い、赤い線になってしまうのでした。日中はアイロンがけもできるのに夜はランプ生活でした。カーバイトにしたこともありましたがにおいとシュウシュウ言う音がうるさく結局ランプに戻りました。ランプの火屋磨きは手が小さい者がするのだと言われ、磨かされました。そんなわけで中学生になるまでラジオもなく世界とつながるのは新聞だけでした。当時新聞配達員もおらず、村にある2軒の旅館のうちの一軒が新聞配布を兼ねていました。学校帰りに新聞を持ち帰るのも子どもの仕事でした。列車が遅れると新聞も遅くなるので、駅で気車の来るのを待っていました。あまり遅くなる時は高学年の兄が持ってくることになっていました。
今から見ると不便な生活に思えるでしょうが、電気がないことで楽しいこともあったのです。夏は囲炉裏、冬はストーブのそばで両親がいろいろな話をしてくれました。童話から歴史まで。おかげさまで受験のための世界史・日本史など勉強したことがありませんでした。
この夏はテレビもゲームもない生活を子どもたちと楽しむというのはどうですか。