当時、大阪市立中央図書館勤務だった松岡享子さんはアメリカと日本の図書館利用に違いについて書いています。アメリカでは図書館を本を読むところですが、日本では学習の場になっていると。仕事の中で、時たま幼児に絵本を読んでやる時やお話をしてやると時に、わずかに児童図書館員らしい生きがいを感じていると。
そして当時盛んに行われていた家庭文庫についても触れています。学校の勉強とは関係なく本を読む楽しみを得られる場となっていることが良いこと。ただしこれは本当は行政がすべきことを個人が肩代わりしているのであると。
最近、この文庫運動はどうなっているのでしょうか。
文庫運動に子どもの仕事をしている時に私も6年ほど関わりました。市立の図書館で300冊ほどの本を借り、長くて期間は3カ月だったでしょうか。一ヶ月に一度ほど図書館に行き本の借り換えを行いました。一人の子が興味を持った物語はなぜか他の子も読んでとせがみます。大人が面白そうと思ったものが結構子どもに受けない時があります。違う子どもが以前他の子に読んでやった本を読んでと云い、読み手は同じ本を何度も読むことになります。その本は前に読んでもらったからもう聞かないという子はほとんどいないのです。繰り返し同じお話を子どもたちは聞くのです。
私自身もそうでしたが、本には不思議な魅力があるのです。
最近、読む本はエスペラントばかりですが、私は本の内容を咀嚼せず、読みっぱなしと云うことが多いです。この咀嚼するということが本当は大切だとわかっているのですが!
そして当時盛んに行われていた家庭文庫についても触れています。学校の勉強とは関係なく本を読む楽しみを得られる場となっていることが良いこと。ただしこれは本当は行政がすべきことを個人が肩代わりしているのであると。
最近、この文庫運動はどうなっているのでしょうか。
文庫運動に子どもの仕事をしている時に私も6年ほど関わりました。市立の図書館で300冊ほどの本を借り、長くて期間は3カ月だったでしょうか。一ヶ月に一度ほど図書館に行き本の借り換えを行いました。一人の子が興味を持った物語はなぜか他の子も読んでとせがみます。大人が面白そうと思ったものが結構子どもに受けない時があります。違う子どもが以前他の子に読んでやった本を読んでと云い、読み手は同じ本を何度も読むことになります。その本は前に読んでもらったからもう聞かないという子はほとんどいないのです。繰り返し同じお話を子どもたちは聞くのです。
私自身もそうでしたが、本には不思議な魅力があるのです。
最近、読む本はエスペラントばかりですが、私は本の内容を咀嚼せず、読みっぱなしと云うことが多いです。この咀嚼するということが本当は大切だとわかっているのですが!
で、びっくりなのが、東京の某区では自動読み取り装置が導入されていて、かごに入った複数の本をまとめてチェックする仕組みらしいですね。
まだ体験したことはないですが、隔世の感です。
子供室では本を選びがてら子供に読み聞かせている人も居たりします。娘は良く借りて来ます。ヴィデオなども借りて楽しんでいます。孫娘が「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」を借りて読んでいました。
話は少し逸れますが、その図書館で気付いた事、この当たりには Nanny を雇っている家庭が多い様でフィリッピン人の若い Nanny 達が良くたむろしています。勿論子供を連れて、ですが。 Nanny は何故かフィリッピンン人です。
便利になりました。我が区の図書館も玄関前にポストがあり休刊日でも返済できます。
この本の面白かった?という一言が子どもの読書欲をそそることも多いですし、図書館員の本選びの目を鍛えることだってあるのにです!