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生きること:過去と未来とエスペラントと

ことばはなぜ通じるのか(追記)

2014-10-07 14:24:28 | エスペラント
 この本を棚に戻そうとしてページをめくっていたら付記に仙台の佐伯氏のことが書いてあるのに気づきました。定年後だったと思うのですが、『物言えば人間は回復するー1社会事業家の手記』と言う本を出版したと書いてあります。彼は宮城県の中央児童相談所で働いていました。
 仙台へ行ったら是非佐伯君と福島の産科医だったでしょうか、○○氏を訪ねなさいと私は伊東氏から言われていました。福島を訪ねたことはなかったのですが、勤め先の病院から心理検査を覚えるようにと児童相談所で研修するように言われ初めは数週間その後は継続的に土曜日に児童相談所に通っていました。当然佐伯氏とは顔なじみになりましたが偉い方でしたの声をかけるには勇気がいりました。病院の同僚の薬剤師にその事を話すと彼女はは高校で彼の娘さんと同級生だったそうで時々遊びに行ったと佐伯氏の家族の話などしてくれました。そして彼は凄い恐妻家で奥さんに頭が上がらないようだと。

 ある昼休み偶然佐伯氏と二人だけになったのでエスペラントを学んでいること伊東氏の弟子であることを告げました。廊下の待合用の長いすに座って午後の仕事が始まるまで話をすることができました。彼はあたかも私が彼の恐妻家ぶりを聞いている事を知っているかのように『伊東君は投獄されてもへこまない、私はエスペラントを捨て満州に逃げたんですよ、弱い人間なんです。そして帰国する時家内は見つかったら命にかかわるかもしれない私が満州で記録した小さな手帳を懐の奥に隠し、持ち帰ってくれたんです。手帳は私にとってはとても大切なものだったのです。家内には本当に感謝しているんです。』と話していました。単なる恐妻家ではなかったのです。

 エスペラントのお蔭で本当に予期せぬ人との出会いがあり、色々な人の(日本人だけでない!)多様な人生にも触れることができました。本当に嬉しいことです。

 当時仙台の米ヶ袋(文字が正確かな?)と言う所に住んでいました。勤務先へは電車で通っていましたから仙台駅へは東北大の構内を通っていました。正門近くのお店のガラス戸に時々エスペラントの会合の知らせが張ってあるのを横目で見ながら通り過ぎていました。何しろ医学には知識がなく渡された専門書は英語でしたので辞書を片手に知識を得なけらばならなかったのです。英文を読む前にザメンホフの詩を読んではいつかエスペラント運動に必ず復帰すると自ら慰めていました。50年前の出来事です。
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