ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者と共に野菜づくり誓う

2011年04月09日 01時49分19秒 | 障害者の自立
 広島県北広島町川戸地区で農業参入した生協ひろしま(廿日市市)の生産法人「ハートランドひろしま」が知的障害者10人を雇用し7日、初めての入社式を町千代田中央公民館で開いた。

 10人は同町や安芸高田市、広島市の10~40代。ハートランドひろしまの横山弘成社長は「農業に苦労は付きもの。多くの困難を乗り越えて」と激励した。新入社員代表の川上和彦さん(19)は「安全安心な野菜を組合員に届ける」と誓った。

 生協の農業参入は全国初。中国製ギョーザ中毒事件を受け、店舗や約39万人の組合員に安全な農産物を提供するとともに、障害者雇用を推進する目的で昨年7月にハートランドひろしまを設立した。遊休農地を中心に2ヘクタールを借り受け、養液栽培用を含むハウス8棟を設置した。

中国新聞

東日本大震災:ヘリ搬送のお年寄り5人 行方不明に

2011年04月09日 01時46分36秒 | 障害者の自立
 宮城県南三陸町で、東日本大震災翌日から自衛隊などのヘリで避難先から運ばれた老人ホームの入所者ら5人の搬送先を施設が確認できず、家族とも連絡が取れないまま行方不明になっていることが2日分かった。このうち3人には認知症があり、自分の名前も言えない可能性があるという。搬送の際、施設側を含め記録を残していなかったことも一因とみられ、災害弱者の救護に新たな問題点が浮上した形だ。

 同町志津川廻館の特別養護老人ホーム「慈恵園」は当時いた利用者68人のうち42人が亡くなった。生存者のうち健康面で問題があった16人が3月12日から数日の間に、近くの志津川高校からヘリで搬送された。しかし、同園によると、入所者の小山岩夫さん(61)▽久保田まつのさん(89)▽高橋貞二さん(87)▽田中うめ子さん(93)と、ショートステイ中だった佐々木きみ子さん(98)はその後、家族にも同園にも連絡がないままという。

 佐々木さんの孫で同町に住む星昌孝さん(33)は「収容先で祖母がどこの誰だか分からないままになっていると思うとつらい」と心配している。

 同園の沼倉正利事務長によると、ヘリに乗せる際にはスタッフがそばまで付き添い、医療用のテープに名前と生年月日を書き込んで腕に貼った。「搬送したのは記憶では自衛隊のヘリだった」というが、記録は取っていない。

 一方、自衛隊の災統合任務部隊司令部広報室によると、被災者15人を運んだ記録は残っているが、搬送した15人中の同園関係者の有無は不明で、14日前後の他の搬送を否定した。

 これについて県長寿社会政策課は「混乱していた上、現場で搬送先を決めたり施設同士で直接やりとりしたケースもあり、全員の搬送先を県で把握できているわけではない。少なくとも市町村や慈恵園は把握しているはず」としている。しかし、南三陸町は津波に直撃され、機能を事実上、失っていた。

毎日新聞 2011年4月3日 2時30分

東日本大震災:「災害弱者」を守るために 在宅障害者/口の中のケア /北海道

2011年04月09日 01時43分30秒 | 障害者の自立
 東日本大震災の被災者の避難生活が長期化する中、高齢者や障害者ら「災害弱者」へのケアが重要さを増している。道内から医療や介護の支援に派遣され帰還した専門家に、現地で起きている問題を聞いた。

 ◇在宅障害者、孤立危機 札幌のNPO法人、一軒一軒訪ね

 在宅の災害弱者に物資が届いていない--。札幌市東区のNPO法人「ホップ障害者地域生活支援センター」のスタッフ、滝桃子さん(28)は、災害弱者が支援の手からこぼれ、孤立しがちな現状を目の当たりにした。

 滝さんは地震半月後の3月26日から4日間、宮城県石巻市でボランティア活動に従事した。介護が必要な高齢者や障害者向けの「福祉避難所」は市内に約30カ所設けられ、そこにはケアに必要な物資が定期的に運び込まれる。一方で、避難所に行くことができず、自宅に残っている人たちもいた。

 市職員らは在宅の被災者を把握するため、拡声機を使って町中を巡回していた。しかし物資を届けるまでは手が回らない。自宅を出られない障害者らは、支援の網の目から漏れてしまうケースもあると聞き、ボランティアが一軒一軒訪ねた。物資をもらうために、余震が続く中、障害を抱える子供だけを数時間家に残して親が受け取りに行っていた家庭もあった。

 避難所も混乱していた。全国から介護の専門家が派遣されていたが、誰をどこに配置するかの仕切り役がいない。何をしていいか分からず、右往左往する介護職員もいた。滝さんらは被災者や先着のボランティアに「何か困っていることはありませんか」と聞くことから始めた。

 福祉避難所では「薬を取りに帰りたい」「家を片づけたい」という高齢者の送迎をしたが、車椅子のまま乗降できるリフト付きの福祉車は1台だけ。余裕を持って要望に応えられなかったという。

 滝さんは「今の段階で行政がすべてやるのは無理。集まった人手を生かすために、民間のボランティアに支援の指揮を任せるのもいいのでは」と話している。【佐藤心哉】

 ◇口の中のケア、大切に 栗山の歯科衛生士、高齢者を心配

 栗山町在住の歯科衛生士、千葉洋子さん(32)は2、3の両日、宮城県気仙沼市へ高齢者らの医療支援で派遣された。「避難所の人たちの歯や口腔(こうくう)のケアが見落とされがちになっている」と改善の必要性を訴える。

 千葉さんは資格取得前に陸上自衛隊に6年間在籍し、3月末までは夕張市立診療所で働いていた。同診療所を経営する医療法人「夕張希望の杜」の村上智彦理事長らが、震災を機に「支える医療研究所」を設立して派遣メンバーを募ったため、この要請に応じた。

 気仙沼市内には派遣された時点で歯科治療が可能な施設が2カ所しかなく、2日間でお年寄りら20人の入れ歯の調整や応急手当てを手伝った。現地では歯ブラシが支給され、口の中が清潔に保たれている人が多かったが、虫歯などの痛みを我慢している人もいたという。口の中で雑菌が繁殖すると肺炎などにかかりやすくなるため「ケアの大切さを、もっと自覚してくれれば」と心配する。

 被災地では歯科医を含む医療スタッフの不足が続き、疲労の蓄積も問題化している。千葉さんは「機会があれば何度でも被災地に行って役に立ちたい」と話す。

毎日新聞 2011年4月8日 地方版

東日本大震災:障害者ら再建誓う 就労3店舗失うも全員無事、徐々に復帰 /宮城

2011年04月09日 01時40分43秒 | 障害者の自立
 障害者の就労施設を運営する角田市の社会福祉法人・臥牛三敬会「虹の園」(湯村利憲理事長)は、東日本大震災による大津波で、山元町の団子店「つつみ屋山下駅前店」と、いずれもピザ屋の「ぱぴハウス2号店」(山元町)と「ぱぴハウス3号店」(多賀城市)の3店舗を失った。利用者と職員は全員無事だったが、店舗運営が軌道に乗っていただけに関係者のショックは大きい。それでも利用者らは「開店以来、住民に愛され親しまれてきた店。時間はかかるが必ず再建する」と立ち上がろうとしている。

 臥牛三敬会は「可能な限り地域で生活を送る」として、角田市、多賀城市、川崎町、山元町などで11店舗を運営。障害のある利用者175人が職員とともにピザ、菓子製造、企業の下請け作業などさまざまな仕事に取り組んでいる。

 だが、大津波で沿岸部の山元町磯地区にあった店舗は流された。JR山下駅前と多賀城市にあった店舗は2階まで冠水し、冷蔵庫や厨房(ちゅうぼう)器具、テーブルなどすべて使えなくなった。このため3店舗は3月12日で閉店した。

 海岸まで約50メートル離れた場所にあった「ぱぴハウス2号店」(山元町磯地区)を担当していた職員の太田忠義さん(39)は「地震発生と同時に防災拡声器で10メートルの大津波が発生したと聞き、利用者らと近くの高台に避難し、屋外で一夜を過ごした。店は跡形もなくなった」と振り返る。

 同町山下の「つつみ屋山下駅前店」の担当職員の湯村敦子さん(56)も「隣の商店主も津波で亡くなったと聞いている。海岸から1キロ程度も離れているのに車や流木が次々に押し流されてきた。車で町中心部の国道6号に向かって無我夢中で逃げました」とこわ張った表情で話した。

 3店舗で働いていた利用者と職員は計約20人。いずれの店舗も開店5~7年目に入り、利用者も仕事に慣れていた。大震災で就労の場を失われた利用者は、自宅待機の日々が続いた。

 各自治体や関係者の協力で、送迎用バスの燃料確保や原材料の調達のめどがつき、自宅で待機していた利用者も角田市の施設などで働けるようになった。

 湯村理事長は「人的被害がなかったのが不幸中の幸い。3店舗を失い、振り出しに戻った。震災前の店を思い出すと寂しさが込み上がりますが、再構築の歩みを進めていきたい」と話した。

毎日新聞 2011年4月8日 地方版

障害者の社会参画を支援するDSiウェア『スピーチサポートDS』

2011年04月09日 01時35分37秒 | 障害者の自立
島根県松江市のNPO法人プロジェクトゆうあいとソフト会社のワコムアイティが障害者の社会参画を支援する『スピーチサポートDS』をDSiウェアで配信開始しています。

『スピーチサポートDS』は手書きや文字入力などテキストでのコミュニケーションを支援するソフトです。DSダウンロードプレイで手軽に複数のプレイヤーに配布し、文字や絵での会話をすることができます。入力した文字を音声に変換する機能も持ちます。価格は500ポイント。

山陰中央新報によれば、島根県の企業がDS向けにソフトを発売するのは初だとのこと。

昨年7月にパソコン向けソフトとして商品化したものをDSに移植したもので、ワコムアイティの今岡克己社長は「障害のある人をはじめ、多くの人のコミュニケーションツールとして広がれば」と話しています。



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