ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

長期的な支援必要 精華の福祉法人が呼びかけ

2011年04月22日 01時27分00秒 | 障害者の自立
 京都府精華町の社会福祉法人「相楽福祉会」が東日本大震災で被災した宮城県や福島県の障害者施設への支援活動を続けている。職員を派遣して現地の施設で手助けしたり、食料などを届けており、「今後も長期的な支援が必要」としている。

 相楽福祉会は、奈良県のNPO法人や社会福祉法人など計12団体で「東日本大震災関西障害者応援連絡会」を結成し、事務局を担当している。

 震災直後の3月16日から宮城県内に職員を派遣し、宮城県石巻市の入所更生施設「ひたかみ園」で支援活動を始めた。さらに3月26日からは、福島県いわき市内のグループホームの入居者約70人が一時避難した長野県駒ケ根市、宮田村の障害者施設での支援も担当。今月15日まで入浴や洗たくなどを手伝った。

 現地では、応援連絡会に加わる各団体の職員が数日ずつ滞在して活動する。ひたかみ園では、夜勤を担当して多忙な園の職員に休養してもらった。豚カツの差し入れは、おにぎりや菓子パン中心の食事が続く避難者たちに喜ばれたという。

 相楽福祉会の廣瀬明彦理事長は「ニーズがあれば職員の派遣を続ける。現地の通所施設の製品をこちらで販売したり、個々の生活再建も支えていきたい」と話す。

 応援連絡会の取り組みは、相楽福祉会の機関紙「相楽」の号外に掲載し、これまで2回、各2千部を精華町や木津川市の関係者に配った。住民から活動へのカンパも多く寄せられ、支援の輪が広がっている。カンパなどの問い合わせは相楽作業所TEL0774(93)3277。

京都新聞

幸せのかたち:「気持ち」の物語 風を感じて/13止 /福岡

2011年04月22日 01時24分35秒 | 障害者の自立
 ◆北九州・美容室「しろ」で

 ◇心の傷をなおすもの

 「キヨコちゃん、今日の昼ごはん、おいしかったね?」

 「うーん」

 「ご飯足りる?」

 「足りんよ」

 「おかわりないと?」

 「ないよ」

 「風邪はどうだったの」

 「注射しとったで、寝らんですんだよ」

 「そう、それはよかったねえ」

 「うん」

 髪を切るはさみの軽快な音にのって、女性入所者との何気ない会話が続く。と、ほうきを持った壮年の男性入所者がやってきて床を掃き始めた。

 「スギヤマさん、いつもありがと」

 「うん」

 北九州市八幡西区で美容室を営む中村みどりさん(60)が同市若松区の知的障害者施設「ひびき学園」に月に1度、店休日を利用して入所している女性たちの髪を切りに来るようになって4年になる。1人ひとりに必ず名前で話しかける中村さんの来訪を入所者たちも心待ちにしており、昼食の時間でさえも待合用に並べられた椅子が空くことはない。男性の入所者も入れ代わり立ち代わりやってきて、カットの様子を見物している。

 付き添いの職員が笑いながら言う。

 「とっても優しくコミュニケーションをとってくださるから、中村さんとお話するのをみんなほんとに楽しみにしてるんです。なるべく早く切ってほしいからって、昼食を食べずに来てる人も多いんですよ」

 その日も中村さんは休憩を取ることなく、6時間かかって26人の女性の髪を整えた。

 学園に通い始めた頃、中村さんは人数分のカードを用意し、入所者の名前とその人の希望の髪形を職員に書いてもらい、カット時に本人から渡してもらうようにした。

 「私、覚えが悪いから。それ見て必ず名前を呼ぶようにしたんです。先生に、すみませんけど、お名前を先にお呼びして、それからの方がいいかもしれないからって。極力覚えた方がいいなあと思ってですね。そういうのがよかったのか、外から全然違う風が吹いて来るような感じで、行くと喜んでくださいますねえ」

 中村さんがとてもうれしいことがあったと見せてくれたものがある。それは学園の入所女性から届いた7通の年賀状と1通のこんな礼状だった。

 《年賀をいまでもらったことはなかったのでことしになってもらったのでどもうれしをもいました。またことしからかっとよろしくおねがいします。ではさようなら。こでぺんおをきます》

 「あそこに入ってらっしゃる方たちには、外からの風があんまり吹いてこないんだなあと思って、皆さんに年賀状を差し上げたんですよ。そしたらとっても喜んでくださって。ありがとうって。普通にお話はできても、字を書けない方って結構いらっしゃるんです。その方が一生懸命鉛筆で書いては消しゴムで消して、書いてくださったんです。私、ほんとに胸が熱くなる思いがして……。私の下手なカットでも、ちょっとでも違う風が吹いて、あそこに違う景色を生み出せたのかなあって。それがちょっとよかったかなあって」

 中村さんが「私、思い出した。うろ覚えだから思い出したっていうとおかしいけど」と言って、詩の一節を教えてくれたことがある。それは高田敏子という詩人の「しあわせ」という詩だった。

 《歩きはじめたばかりの坊やは/歩くことで しあわせ/歌を覚えたての子どもは/うたうことで しあわせ/ミシンを習いたての娘は/ミシンをまわすだけでしあわせ/そんな身近なしあわせを/忘れがちなおとなたち/でも こころの傷を/なおしてくれるのは/これら 小さな/小さな しあわせ》

 肺手術後の100キロマラソン挑戦という尋常ならざる行為に驚いて始めた取材。でも、不屈の挑戦を根っこで支えていたのは、何気ない日常を大切に思う心だった。そう思い至った私はうれしくなって、つい鼻歌を歌っていた。

〔福岡都市圏版〕毎日新聞

被災障がい者に配慮を

2011年04月22日 01時20分34秒 | 障害者の自立
現地対応で13団体から要望
党合同会議

東日本大震災の被災地での障がい者に対する支援を進めるため、公明党の厚生労働部会(渡辺孝男部会長=参院議員)と障がい者福祉委員会(高木美智代委員長=衆院議員)は20日、衆院第1議員会館で合同会議を開き、障がい者団体から要望を聞いた。これには、日本身体障害者団体連合会、日本盲人会連合など13団体が参加した。

この中で参加団体は、被災地では高齢化率が高いのに加え、現在も余震などで厳しい環境に置かれているとし、緊急支援の必要性を指摘。具体的には、(1)ケア付き仮設住宅の整備促進(2)障がい者に配慮した避難所の設置(3)障がい者への「心のケア」の専門家の配置―などを求めた。

高木委員長は「(公明党は)支え合う社会が大事だと考えている」と述べ、積極的に取り組む姿勢を示した。

公明新聞

〈伝えたい―阪神から〉顔の見える仮設住宅に

2011年04月22日 01時17分55秒 | 障害者の自立
■NPO法人「よろず相談室」理事長 牧秀一さん(61)

 阪神大震災では4万8300戸の仮設住宅が建設された。多くは交通が不便な郊外で、人々は住み慣れた場所を離れ、顔見知りを失って孤立していった。あれから16年、被災した人への訪問活動を続けてきて「早く死にたい」という言葉を聞くことも度々だ。せっかく生き延びた命なのにと耐えられない。

 よろず相談室は震災直後に神戸市東灘区の小学校の避難所に開設し、家や仕事を失った人たちの声に耳を傾け、悩みの相談にのった。避難所は学校再開に向けて7カ月後に閉鎖され、いったん活動を終えた。仮設住宅に入ったり、自宅再建へ踏み出したりして、ひと息ついたと思った。でも、落ち着いてきたように見えて内実は違った。新聞に孤独死や自殺の記事が目につき始め、翌1996年春から活動を再開した。

 これまでに、震災時のけがが後遺症として残った「震災障害者」が語り合う場を設けるなど活動の幅を広げてきたが、被災した人を訪ねて話し相手になるのが今も活動の柱だ。「来てやってんねん」とか「来さしてもらってます」という気持ちでは長続きしない。対等の人間関係を築くよう心がけてきた。

 被災者は、仮設住宅、災害復興住宅へと転居を繰り返すうち、顔見知りがいなくなる。金網フェンスに囲まれ周囲から疎外されたような仮設住宅もあった。「いつまでいるねん?」という目にさらされて肩身の狭い思いをしても、出るに出られない。高層の復興住宅に移れても、鉄の扉の向こうで閉じこもりがちになる。特に高齢者の不安や孤独は大きい。

 阪神大震災で仮設住宅への入居は弱者優先だった。(1)60歳以上の高齢者だけの世帯、障害者のいる世帯、母子家庭(2)65歳以上の高齢者のいる世帯、乳幼児、妊婦のいる世帯、子どもが3人以上の世帯(3)病弱者のいる世帯(4)その他――といった具合だ。一見当たり前に思えるが、結果、高齢者ばかりの住宅を生み出した。復旧・復興が進む裏で、置き去りにされたと感じる人は多かった。

 この週末、東日本大震災の被災地を訪ね、ボランティアの人に話を聞いたり避難所を回ったりした。7万戸を超す仮設住宅の建設が急がれているが、用地確保が難しく、避難所の解消までに数年かかると感じた。

 仮設住宅は避難所のそばなら弱者優先でいいが、遠く離れた場所につくるなら顔の見える関係をできるだけ維持する形にしないと先々問題を残す。つながりを断たぬよう、世代を問わず、数世帯単位でいいからある程度まとまって入居する工夫が必要だ。難しいが、知恵を絞らないといけない。阪神の失敗は繰り返してはいけない。

朝日新聞

東日本大震災:励ましのゴールを フットサル地域リーグ最年長選手、草葉さん /兵庫

2011年04月22日 01時15分33秒 | 障害者の自立
 ◇障害、「阪神」被災、うつ病乗り越え

 ◇今シーズンへ意気込み

 目に障害を抱える神戸市中央区の作家、草葉達也さん(47)が関西のフットサルの地域リーグ「関西フットサルリーグ」に挑戦している。全国に九つある地域リーグの中でも最高齢選手の草葉さんはサッカーと出会い、障害や阪神大震災で被災した苦しみを乗り越えた。「今シーズンは国内最高齢ゴールを挙げて、障害を持つ人、被災者に勇気を与えたい」と意気込んでいる.

 草葉さんは神戸市出身。小学6年生の時に角膜がとがる難病「円錐(すい)角膜」にかかり、右目の視力をほとんど失った。プロになりたいと打ち込んだ野球の道もあきらめた。

 その後、テレビの漫才台本を書き、フリーライターに転身したが、95年の阪神大震災では同市中央区で被災。家族は無事だったが、廃虚となった被災地や被災者を取材するうちに「何で自分や家族は生き残ってしまったのか」という思いにとらわれ、うつ病と診断された。原稿を書けない日々が続き、ストレスから過食となり60キロだった体重は100キロ以上になった。

 転機となったのはサッカーと出会った40歳の時。長男が通う小学校の保護者から子ども好きを見込まれ、少年サッカーチームのコーチになってほしいと頼まれた。

 迷った末に決心して指導を始めたが「本やビデオでない実技を教えたい」と考え、Jリーグ・ヴィッセル神戸の「おとなのサッカー教室」に参加。本格的にサッカーを始めた。41歳だった。

 最初はボールをコントロールできず、仲間との交流にも不安があった。しかし、仲間と協力しボールをつなぐうちに人との触れ合いの大切さに気付いた。障害による遠近感の問題も毎夜、公園でドリブル練習し、体に感覚を染み込ませた。その結果、体重も30キロ減り、うつ病もほぼ克服した。

 07年、フットサルの全国リーグ「Fリーグ」を取材したことをきっかけにフットサルに転向。同リーグの「デウソン神戸」の教室で練習を重ね、昨年6月、関西フットサルリーグの「MESSE OSAKA DREAM」に入団を果たした。全国の地域リーグでも最年長選手の誕生だった。

 草葉さんは「1秒でも長く試合に出る」と目標を立てたが、周囲はFリーグや高校サッカーの全国大会に出場した経験のある選手も多く、最初はレベルの高さに戸惑った。仲間から「練習するうちに試合に出られるようになる」と励まされ、ボールに向き合い続けた。

 そして今年2月のリーグ最終節。草葉さんはついに公式戦に出場。後半開始から5分間だが、夢のような時間だった。しかし「緊張でほとんど何も覚えてない」と振り返る。

 5月から始まる今シーズンはリーグ最年長ゴールを目指す。3月の東日本大震災では、東京で揺れを経験し、同じ被災地として何かできないか考え、チャリティー試合の開催や街頭募金に取り組んだ。阪神と東北、二つの被災地を元気づけたいという特別な思いでシーズンに臨む。

 「障害者であり、被災者でもある自分がゴールを決めればフットサル界も活気づくし、被災者や障害者の励ましになるはず」。仕事の合間を見ながら、週2回夜間練習を続けているコートで草葉さんは言葉に力を込めた。

〔毎日新聞 2011年4月21日 神戸版〕