ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

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2011年07月18日 02時00分12秒 | 障害者の自立
きっかけは「被災者に疲れを少しでも癒やしてほしい」
東日本大震災からはや4か月。被災した障がい者やその家族に、神戸や大阪へ短期間の「ショートステイ」で疲れを癒やしてもらおうと立ち上がった「カムバック・プロジェクト」。被災地を少し離れてリフレッシュに来てもらえればとしている。

「避難生活」ではない「滞在」を提供
このプロジェクトは福祉関係者や企業、医療関係者などで構成される「神戸ユニバーサル研究会(以下:同会」)が4月から計画、提案をしていた。運営事務局は合同会社ユニバーサルプラン(兵庫県神戸市)。健康・福祉分野において異業種連携を提案している会社である。

同会はボランティア活動や被災者支援のため、宮城県石巻市などを訪れたが、障がい者やその家族の中には、周囲への遠慮から避難所に行かず、車や自宅にとどまる人も少なくなかったという。

彼らに神戸への避難も呼び掛けたが、住み慣れた場所を離れることへの抵抗感や、経済的な問題、言葉や文化の違いに対する不安も強かったため、1週間から半年間の「ショートステイ」というかたちを考案、生活面などのサポート体制も整えた。


心の健康のためにも「充電期間」が必要
落着きを見せ始めたこの時期は心が不安定になりやすい。被災者の今後や生活面での不安も大きくなる。しかし、夏休みなどの長期休暇を別の土地で滞在することにより、不安な気持ちを切り替えたり、前向きになるきっかけになることもある。

「避難生活」ではない「ショートステイ」というこのプロジェクト、被災者の心の支援に大きく役立つのではないだろうか。



神戸ユニバーサル研究会

合同会社 ユニバーサルプラン

カムバックプロジェクト -ユニバーサルプランの情報プログ-

障害者雇用インフォメーション

放浪の天才画家「山下清展」 貼絵や水彩画ずらり 

2011年07月18日 01時56分40秒 | 障害者の自立
 放浪の天才画家が生涯に制作した作品約150点を紹介する「山下清展」(神戸新聞社など主催)が16日、明石市上ノ丸2の市立文化博物館で始まった。初日は約800人が訪れ、細やかさの中に力強さがにじむ独特の作風を楽しんだ。


 山下清は1922(大正11)年、東京・浅草生まれ。3歳の時、病の後遺症で軽度の言語、知的障害者100+ 件となった。貼絵と出合った養護施設を18歳で飛び出し、放浪の旅に出た。

 テレビドラマや映画などでは、旅先で絵を描く姿が紹介されているが、実際には数カ月から数年の旅から帰った後、記憶に刻んだイメージを基に創作していたという。

 会場には代表作「長岡の花火」や「桜島」などの貼絵が並ぶほか、ヨーロッパを題材にした晩年のペン画や水彩画、絵付けを施した陶器なども鑑賞できる。同市大久保町の主婦(68)は「間近で見ると細かくちぎったり、こより状にしたりした色紙が何枚も重ねてあって、作品の立体感に驚いた」と話していた。

 8月28日まで。大人800円。高大生500円。小中生400円。同博物館TEL078・918・5400

神戸新聞

難病カルテ:患者たちのいま/5 後縦靱帯骨化症 /佐賀

2011年07月18日 01時52分36秒 | 障害者の自立
 ◇「人に優しくなれた」介護ヘルパー就職目指す

 佐賀市の服部高美さんの元に4月、1通のA4サイズの封筒が届いた。郵便局の窓口で受け取ると、車に戻るのも待ちきれず、歩きながら開けた。中から出てきたのは介護職として働くための資格「介護職員基礎研修」の修了証明証。涙が止まらなかった。「さあ、これから頑張らないと」。強い決意がわきあがった。

 10年前、手と足にしびれが続き、病院へ駆け込んだ。「ヘルニアの疑い」と診断を受けたが、手術予定日の前日の説明会で医師がホワイトボードに書き込んだのは、見たことない病名「後縦靱帯(じんたい)骨化症」だった。「手術で治るんですよね」。すがる気持ちで尋ねたが、求める答えはなかった。

 受け止めきれなかった。相談しようとしても、看護師も友人も同室の患者も、病気をよく知らない。リハビリ中、看護師から「頑張らんといけんよ」と言われても「治らないのに、一体どう頑張るの?」としか思えなかった。トイレで声を押し殺して泣いた。

 進行を抑えるため、骨を削って神経を圧迫しないようにする手術はしたが、左手足に強いしびれがある。重たい物を持つことも、走ることも困難だ。大きな衝撃を受けると症状が悪化する可能性があり、医師からは激しい運動を慎むよう強く指導されている。

 しかし、外見では症状が分からず、無理解にも囲まれた。以前勤めていた清掃会社では、症状を伝えていたにもかかわらず、走ることや、重たいバケツを持つことを求められた。障害者手帳を提示したとたん、冷たい視線を浴びることも多い。

 「人生終わった」と思うこともあったが、ヘルパーとして働く目標を得て、笑顔で毎日を過ごせるようになった。

 介護職を目指したのは、全盲で認知症の父の介護がきっかけだった。他人なのに父に優しく接し、嫌な顔をせず、トイレの世話もするヘルパーの姿に、あこがれを抱いた。

 夢がある。難病を持つ高齢者のための老人ホームを設立したい。「難病患者が気兼ねなく過ごせる居場所を作りたい」からだ。

 「ヘルパーを目指すようになったのも、難病になったから。人にも優しくなれた気がします」。服部さんはそういって笑顔になる。だから今「私は、病気になって良かったんだ」と思えている。

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 ◇後縦靱帯骨化症
 脊椎(せきつい)の背中側にある靱帯が骨のように固くなり、脊髄や神経を圧迫する。首や指先のしびれが起こり、重症になると排尿・排便障害になることもある。中高年、男性の発症例が多いが原因は不明。医療費助成の対象になる特定疾患に指定されており、09年度にこの病気で助成を受けているのは全国に約2万9300人。

毎日新聞 2011年7月17日 地方版


ノンフィクション

2011年07月18日 01時50分31秒 | 障害者の自立
「僕の書く被災地の話を『むごくて気分が悪くなった』と怒る人もいます」

 十六日朝刊の若者のページに登場したノンフィクション作家、石井光太さん(34)の言葉だ。石井さんは、アジア諸国の路上生活者や障害者をテーマにした写真と文で知られる。

 東日本大震災後、宮城県入りし、約五百人を取材。現地のにおいや凄惨(せいさん)な描写を冷静な筆致で書く。

 「新聞やテレビからは血や汚物、性などの視点が排除されがち。それを含めて伝えるのがノンフィクション作家である僕の仕事」

 そもそも『むごさ』のない震災なんて存在しない。そんな当たり前の事実にあらためて気づかされた出来事だった。

中日新聞

黄色の旗で悩み伝えて 登米の仮設で孤立防止策 佐沼署

2011年07月18日 01時48分17秒 | 障害者の自立
 東日本大震災で被災した南三陸町の住民が入居する登米市のイオン南方店跡地応急仮設住宅(200戸)で16日、佐沼署が高齢者や障害者に黄色の小旗を渡し、相談がある場合に玄関先に掲げてもらう取り組み「命の旗作戦」を始めた。
 署員は、高齢者や身体障害者だけが入居する約20戸を訪れ、手作りの黄色の旗を配った。
 南三陸町志津川から夫と2人で移った阿部康子さん(65)は「困りごとがあった時、どこに連絡していいか分からず不安だった。警察官に話を聞いてもらえると安心だ」と話した。
 署員は毎週水、金、日曜の午後1~2時、重点的に仮設住宅を巡回し、旗を掲げた住宅がないか見て回る。
 命の旗作戦の実施は、高齢者や障害者の孤立を防ぐのが狙い。映画「幸せの黄色いハンカチ」のエピソードから着想を得たという。
 佐沼署の三宅直希地域課長は「体調不良の訴えや困りごとなど何でも構わないので相談してほしい」と呼び掛ける。


高齢者に黄色の旗を配る佐沼署員

河北新報