国土交通省出身の藤井健・副知事が今日付で退任し、本省に戻る。長く社会部畑で取材した者の常として、私もキャリア官僚に向ける視線は斜めからになりがちだが、藤井氏は目をそらさず本音を語る人だった。省庁に働いて世の表裏を学ばなかったはずはないが、それでも、若き日の思いを抱いて仕事をしていた。
原点は一橋大の学生時代。藤井氏は発達障害児の遊び相手になるボランティアを始めた。30年以上前、まだ発達障害への理解は低く、目を離せない子育てに疲れた親と友だちのない子どもたちは家に引きこもりがちだった。藤井氏は自ら遊び相手になるだけでなくボランティアを募集し、そのための事務所を設け、住み込みで働いた。協力者は数百人に達し、今も活動は続いているという。
就職は福祉を担う厚生省(当時)を考えたが、訪ねた幹部が金銭支援の話ばかりするのに落胆し、建設省(同)の先輩が「障害者も暮らしやすい街づくり」に共感してくれたことで進路を変えた。ちなみに奥さんは学生時代のボランティア仲間。2度の地方勤務を経て07年、初の単身赴任先が長崎だった。
着任後、最初に買ったのは折り畳み自転車。休日は肩に提げてバスや列車、船で県内各地を回った。島も含めて全市町を走り、地元の食堂を訪ねた。「肩書抜きで歩かないと、その土地は分からないですから」。かつて遣唐使が日本に別れを告げた、五島市三井楽町の「辞本涯(じほんがい)」が忘れがたい場所。古(いにしえ)から大陸への窓口だった長崎を再びと、上海航路復活などに突き進んだ。出航を見ないままの帰京となる。
実は、自民党は中村法道氏の前に藤井氏に知事選出馬を持ちかけた。「その器に非(あら)ず」と固辞したが、去るにあたっては「ただただ寂しい」。夢見るアイデアマンに部下は時に振り回されたが、鍛えられもした。再見! らしくない官僚さん。
〔長崎版〕毎日新聞 2011年7月19日 地方版
原点は一橋大の学生時代。藤井氏は発達障害児の遊び相手になるボランティアを始めた。30年以上前、まだ発達障害への理解は低く、目を離せない子育てに疲れた親と友だちのない子どもたちは家に引きこもりがちだった。藤井氏は自ら遊び相手になるだけでなくボランティアを募集し、そのための事務所を設け、住み込みで働いた。協力者は数百人に達し、今も活動は続いているという。
就職は福祉を担う厚生省(当時)を考えたが、訪ねた幹部が金銭支援の話ばかりするのに落胆し、建設省(同)の先輩が「障害者も暮らしやすい街づくり」に共感してくれたことで進路を変えた。ちなみに奥さんは学生時代のボランティア仲間。2度の地方勤務を経て07年、初の単身赴任先が長崎だった。
着任後、最初に買ったのは折り畳み自転車。休日は肩に提げてバスや列車、船で県内各地を回った。島も含めて全市町を走り、地元の食堂を訪ねた。「肩書抜きで歩かないと、その土地は分からないですから」。かつて遣唐使が日本に別れを告げた、五島市三井楽町の「辞本涯(じほんがい)」が忘れがたい場所。古(いにしえ)から大陸への窓口だった長崎を再びと、上海航路復活などに突き進んだ。出航を見ないままの帰京となる。
実は、自民党は中村法道氏の前に藤井氏に知事選出馬を持ちかけた。「その器に非(あら)ず」と固辞したが、去るにあたっては「ただただ寂しい」。夢見るアイデアマンに部下は時に振り回されたが、鍛えられもした。再見! らしくない官僚さん。
〔長崎版〕毎日新聞 2011年7月19日 地方版