ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

ブラインドサッカー日本代表 ロンドンへの道

2011年07月22日 00時56分54秒 | 障害者の自立

休憩中に選手と談笑する風祭喜一監督(右端)。隣は代表のエース黒田智成

 サッカー界では、これから男女ともにロンドン五輪のアジア予選が最大のイベントとして注目されるだろう。しかし、五輪の後に行われるパラリンピックにも二つの「サッカー」があることは、あまり知られていない。7人制のCP(脳性麻痺)サッカーと、5人制のブラインドサッカー(B1=全盲クラス)である。ちなみに日本国内には、それ以外にも視覚障害(B2/3=弱視クラス)、聴覚障害、知的障害、電動車椅子、アンプティ(切断者)などの障害者サッカーが存在するが、いずれも(世界選手権をはじめとする国際大会はあるものの)パラリンピック種目ではない。

 ただし、CPサッカーとブラインドサッカーも、日本は過去にパラリンピックの出場経験がない。今やさまざまな世界大会の常連となった「サッカー日本代表」だが、ことパラリンピックに関しては、まだ一度も出場していないわけだ。残念ながら、CPサッカー日本代表は今年6月の世界選手権で成績が振るわず(16ヵ国中の13位)、ロンドン大会の出場権を逃した。したがって、ロンドン・パラリンピックでサッカーをプレイできる可能性を残す日本のチームは、現時点でブラインドサッカーB1日本代表だけである。アジアの出場枠は2つ(ほかに欧州2、南米2、アフリカ1、開催国1)。すでに昨年12月のアジアパラ競技大会で優勝した中国が出場権を得ているので、残るチケットは1枚のみとなった。

 その出場権を懸けて行われるのが、今年12月に仙台市で開催される「第4回IBSAブラインドサッカーアジア選手権大会」である。日本は2009年12月の第3回大会も、東京調布市のアミノバイタルフィールドで開催した。この種の国際大会を連続で招致するのは、きわめて異例のことだろう。今回の大会招致に名乗りを上げたのは、日本だけではない。ライバルのイラン(アジアパラ2位)と韓国(同3位)も立候補していた。それも当然だ。音源入りボールやガイドの指示などの音響、サイドフェンスに当たったボールの跳ね返り方、人工芝の感触などは、競技場によってかなり異なる。視覚以外の感覚をフルに使うブラインドサッカーは、ある意味で、ふつうのサッカー以上に「ホームチーム有利」な競技なのだ。

 しかし2年前の第3回大会終了後には、関係者のあいだで「次回はイランで」との声も聞かれた。つまり日本は、いわば「逆転」で大会招致に成功したわけだ。これはJBFA(日本ブラインドサッカー協会)の大ファインプレイである。JBFAの松崎英吾事務局長によれば、「2年前の大会を成功させた日本の運営能力とホスピタリティが評価された」とのことだが、それに加えて、日頃からIBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)と緊密に連絡を取り、信頼関係を深めていたことも、今回の「勝因」の一つだろう。

 それは、日本のブラインドサッカー界そのものが大きく成長したことの証でもある。8年前、協会の創立から日が浅かった日本は、国際機関との交渉力が未熟だったこともあり、この競技が初めてパラリンピック種目となったアテネ大会への出場を断念している。詳細は拙著『闇の中の翼たち』(幻冬舎)を参照していただきたいが、アジア予選を開催させることさえできず、IBSAが韓国に出場権を与えるのを指をくわえて見ていることしかできなかったのだ(当時のアジア枠は1)。アテネパラリンピック前年に日本、韓国、ベトナムが参加して行った大会では日本が優勝し、アジア代表に足る実力があることを証明したものの、この大会はIBSAの公認を得ることができなかった。

 その4年後、北京パラリンピックの予選を兼ねた第2回アジア選手権が韓国仁川市で開催されたが、突然の日程変更などを含めて「アウェイの洗礼」を受けた日本は、「勝ったほうが出場権獲得」となる韓国戦に0-1で惜敗。最終的には、中国、韓国、イランに次いで4ヵ国中の4位に終わっている。2年前の第3回アジア選手権では韓国を2-1で下して準優勝(昨年の世界選手権出場権を獲得)したとはいえ、パラリンピックに出場するまでは本当の意味で雪辱を果たしたことにはならない。そもそも現在の日本代表は、2006年に初めて世界選手権(第4回アルゼンチン大会)に出場して以降、「パラリンピックでのメダル獲得」を目標に掲げてきたチームだ。2001年の秋に国内初の講習会を開催してから10周年を迎える日本にとって、今回のアジア選手権は「史上最大の勝負」と言っていいだろう。資金的に決して余裕があるわけではない状態で2大会連続の招致に踏み切ったのも、パラ出場を目指す意欲の表れである。


4年前の第2回アジア選手権(韓国大会)でイラン選手と競り合う加藤健人。脚の長い敵をいかに抜き去るかも攻撃陣の課題だ

 もちろん、この10年で成長したのは事務方だけではない。代表選手たちの技術やチーム戦術も、驚くほどの勢いで進歩している。しかし4年前に中国とイランが参入して以来、アジア全体のレベルが飛躍的に高まったのもたしかだ。12月のアジア選手権出場国は未定だが、最大で6ヵ国(日本、中国、韓国、イラン、マレーシア、タイ)となることが想定されている。そこで中国を除く4ヵ国よりも上の順位になるのが、パラ出場の条件だ。日本はマレーシアとタイには圧勝の経験があるものの、韓国との対戦成績はほぼ互角。イランとは2敗2分で、勝利はおろかゴールを奪ったことさえない。
 しかもイランは、今年4月に欧州とアジアの7ヵ国が参加した国際大会(日本は不出場)で優勝を果たしている。アジア以外の国と初めて対戦したイランが、決勝で欧州王者のフランスを破ったという事実は、日本の関係者に強い衝撃を与えた。ホーム・アドバンテージを考慮に入れても、今回のアジア選手権で日本がイランを上回るのは容易ではない。サッカーファンにわかりやすく説明するには、昨年の南アフリカW杯と比較するのがいいだろう。あのときは多くのジャーナリストや評論家たちが、戦前に日本のベスト16進出に否定的な見解を示していた。現在のB1日本代表が置かれた立場は、それよりも少し可能性が高いぐらいだというのが、私の率直な印象だ。事実、日本は昨年のアジアパラでイランに0-2で敗れた。韓国とはリーグ戦を1-1で引き分け、3位決定戦も0-0で引き分けた末にPK戦で敗れている。本番までの5ヵ月で、相当なレベルアップが求められることは言うまでもない。

「アジアパラでは、スタンドから表彰式を見る結果になってしまい、ごっつ悔しかったですよ。せやけど今は、あそこで中途半端に表彰台に立つよりも、4位で良かったと思ってます。あの悔しさをバネにして、今回は絶対に勝ちたい」

 2005年から代表チームの指揮を執る風祭喜一監督の言葉だ。兵庫生まれの兵庫育ち。7月16日から二泊三日で行われた合宿練習では、そのキツい関西弁のダミ声が、これまで以上のボリュームでグラウンドに響いていた。とくに選手への怒声が厳しさを増したのは、ルーズボールへの反応が遅れたときだ。見えない選手たちは、ボールが足元を離れると動きが止まりがちである。だが、それでは試合を有利に展開することはできない。

「去年の世界選手権(イングランド大会)でも、強いチームはボールへの寄せが速かった。イランみたいに体格の大きな相手とやるときは、そのスピードで負けたらアカンと思います。プレイを止めずに、もっとボールへの執着心を持ってほしい」(風祭)

 もう一つ、今回の合宿では「声の連携」も重視された。「コミュニケーション・スポーツ」とも呼ばれるブラインドサッカーでは、永遠のテーマともいえるだろう。声をかけ合うことで味方の位置を把握しなければ、状況判断もままならない。次のプレイへの始動を早めるには、監督、GK、コーラー(ゴール裏のガイド)の指示に頼らず、選手が自分自身の判断で動くことが必要だ。また、体格差のある相手と対戦した場合、小柄な日本の選手は1人で敵DFを突破するのが難しい。コンビネーションで敵を崩すためにも、「声の連携」は日本代表の生命線といえるだろう。

 それ以外にも、克服すべき課題はある。「サッカーは点を取らなオモロない」が監督の口癖だが、これまで日本は何度も得点力不足に泣いてきた。昨年の世界選手権も、守備は強豪国に通用する手応えを得た反面、攻撃のほうは振るわず、5試合で1点も取れずに終わっている。リスクを冒してでも攻撃に人数をかけられるかどうかがカギだろう。そのため「3対1」や「4対2」など人数に差をつけたミニゲームで、敵のカウンターに備えながら攻め込む練習も盛んに行われた。

「0対0で引き分けるぐらいなら、2対3で負けてもええぐらいの気持ちで攻撃的に戦いたい。これまでは、きれいに点を取ることばかり考えすぎていたような気もします。無理やりにでもゴールを奪うような泥臭いサッカーができたらええな、と思いますね」(風祭)

 パラリンピック出場を果たすためには、なりふり構っていられない。私も、そう思う。アジア選手権本番まで、代表選手全員が集まる合宿練習は、あと4回。その間にチームがどこまで逞しく成長するかを、この連載記事では追っていきたい。もし興味を持たれたなら、月に一度の代表合宿に足を運び、選手たちに声援を送っていただければ幸いだ。見えない選手たちにとっては、周辺の「おお!」「ああ~!」というどよめきだけでも、自分のプレイの良し悪しを確認する手がかりになる。


【岡田仁志(おかだ・ひとし)】1964年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。深川峻太郎の筆名でもエッセイやコラムを執筆し、著書に 『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)がある。4年前からブラインドサッカーを取材し、昨年6月、『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日 本代表の苦闘』(幻冬舎)を上梓。


SOCCER KING

挫折しても夢捨てない

2011年07月22日 00時52分13秒 | 障害者の自立
◆劇団ふぁんハウス「門出食堂」


 障害者や俳優をめざす若者らが「お金の取れる本物の役者」を目指して結成した「劇団ふぁんハウス」の今年初の公演が、22日から港区の赤坂区民センターで開かれる。20回目の今回は、一度人生で挫折した初老の男や若い女が、希望を捨てずに幸せを探し求める「門出食堂」。役柄が、自身の経験と重なる出演者も多く、自然な演技で夢や希望をあきらめない姿を公演で出したいという。


 今回の作品は、劇団代表でもある平野恒雄さん(48)が脚本を書いたオリジナル作品。


 主人公の店主の男性は、若いころに俳優をめざし、やっとつかんだ舞台初日に重病だった娘が死亡。病院に駆けつけなかった自分が許せない過去をもつ。


 集まる常連客は、アルコール依存症で家族から見放された男、1級建築士の国家試験に何度落ちても挑戦を続ける新聞配達の男、田舎から上京して何年も歌手を目指す女、結婚直前に婚約者に事故死され放心状態になった女、失明のどん底を経ても前向きな生き方をしている男らだ。店主も常連客もお互いの素性をよく知らないながらも、連帯し励ます。


 出演するのは平野さんら男5人、女4人。平野さんは今回、国家試験に何度も挑戦する男の役を演じる。一度プロの役者になったが、十数年前に家族を養えずに断念した。その後、平野さんの舞台をみた目の不自由な客から「私たちも本物の役者になりたいんです」と言われた。この意欲に刺激され、「ふぁんハウス」を1998年12月に結成した。夢を断念しないという姿を、自らに重ねる。


 主人公の男性を演じるのは港区の三田秀さん(62)。2年前に定年退社。手足に若干の障害があるが、新しい世界に飛び込みたくなり劇団に入った。「夢に年齢は関係ない。だれにでも可能性はある。年齢のバリアフリーを劇でみせたい」と語った。


 失明しながらも再起した常連客を演じるのは港区の岩井タカさん。役柄は40代のときに病気で失明した岩井さんそのものの姿でもある。稽古中、「失明することがはっきりしたときはね、もう人生おしまいだって、正直思いましたけどねぇ」というせりふを言った直後に号泣し絶句。自身、失明することがわかったときは、自宅に閉じこもり切りになった。「ハンディキャップがあるような人には見えないように演じたい」と語る。


 東日本大震災の前に脚本はできていたが、幸せとは何かを考えるようなせりふが震災で追加された。


 公演は22日が午後7時、23、24日が午後2時開演。全席自由で当日券は大人2800円(前売り2500円)、中学生以下1800円(同1500円)。問い合わせは劇団ふぁんハウス事務局(03・3559・8663)へ。


コミカルな演技も多い「門出食堂」を稽古する出演者。左端が平野恒雄さん、右端手前が岩井タカさん=港区芝4丁目

朝日新聞

被災地で手話通訳  茨木市職員

2011年07月22日 00時48分10秒 | 障害者の自立
 茨木市障害福祉課の米野規子さんが6月24日から1週間、東日本大震災で被災した宮城県で手話通訳者として活動した。聴覚障害者の生活相談などにあたる中、情報不足からくる孤立感と判断力の低下をどう埋めるかが課題と感じたという。


 米野さんは大学で障害児教育を学び、1996年から市職員に。市内の聴覚障害者が病院で受診する時などに現地に赴き、手話通訳をしている。厚生労働省の要請を受け、宮城県ろうあ協会内にある東日本大震災聴覚障害者救援宮城本部(仙台市)に派遣された。


 宮城県内の市役所で生活再建費の申請手続きの手話通訳をした男性は、避難所では手話が通じないため地震で傾き全壊状態の自宅で生活していた。話す相手もおらず、「眠れない、気持ちが不安定だ」と訴えた。また別の女性は被災直後に2~3週間過ごした避難所で口頭で出される指示に気づかず、必要な手続きが遅れるなどしたという。


 問い合わせをしようとしても電話の窓口しかないなど現地では聴覚障害者にとって情報収集が難しい状況にあるという。米野さんは「重要伝達事項は紙に書いて張り出すなどすれば助かる。普段から地域で支援が必要な人について情報交換をし、いざという時困らない環境作りが大事」と話している。

朝日新聞

障害者の避難態勢確認 新富で津波想定し訓練

2011年07月22日 00時45分44秒 | 障害者の自立

 新富町上富田の障害者支援施設「あゆみの里」で、地震・津波を想定した避難訓練がこのほどあった。

 職員約20人や町の防災担当者、地元消防団などが参加し、施設の利用者約70人を誘導。緊急時の避難経路や態勢を確認した。

 同施設では月1回、火災や地震発生時に対処するための避難訓練を実施しているが、津波を想定した避難訓練は初めて。


【写真】津波を想定した避難訓練で車いす利用者を車両に乗せる消防団員や職員

宮崎日日新聞

東日本大震災:大阪の授産施設が義援金を寄託

2011年07月22日 00時42分01秒 | 障害者の自立
 大阪狭山市の精神障害者通所授産施設「クラフトハウス」(志村弥栄子施設長)から21日、今月3日に開いた「七夕バザー」で入場者らから集めた義援金5387円が希望新聞取材班に届いた。取材班は毎日新聞東京社会事業団に全額を寄託した。被災者のために役立ててもらう。

 同施設は94年10月に設立。現在、精神障害のある20~60代の約30人が登録し、ジャムの製造販売、カフェやリサイクルショップの運営、内職作業などをしている。障害を理解してもらう機会にしようと、年6回、住民と交流会をしている。

 バザーには地元住民約50人が参加。施設内に義援金箱を設置し、リサイクルショップで扱っているコートやセーターなど、季節が外れた衣類を持ち帰ってもらった。志村施設長(68)は「障害があると、何かをしていただくことが多くなるので、自分たちができることはないかと考えた。今後もできる範囲で協力していきたい」と話している。

毎日新聞 2011年7月21日 18時25分(最終更新 7月21日 18時46分)