昭和32(1957)年創刊の同人誌「日本海作家」が、今秋号で終刊となりました。年4回の発行ごとに支局にも届き、味のある表紙の題字を眺めてページをめくると、雪深い土地で言葉づくりに丹精をこめる人々の姿が思われ、福井への愛着を深めたものです。しかし、そんな部外者の感傷をよそに、終刊の編集に携わった張籠二三枝さんは「発表で(世の中に)一石を投じるところがなくなりました。雑誌の風格もある。余力のあるうちにピリオドを打とうと思いました」と。
文学への真摯(しんし)な取り組みゆえの自戒から出た言葉です。そして、そうだったからこそ、54年もの長い間、福井の在野文学を代表する存在だったのだと思いました。
創刊の前年は「もはや戦後ではない」の言葉が流行し、高度成長が幕を開けました。創刊号は「裏日本の仲間よ手をつなごう!」と新時代へ向かう人々に呼びかけ、「『日本海作家』は、暗鬱(あんうつ)な色をうかべ、無限のエネルギーを内包して凪(な)いでいる日本海の潮風を呼吸する、土着の魂の発露の場であらしめたい」とはやる心をぶつけます。
7号でいったん休刊しますが、白崎昭一郎さん(84)らを中心に復刊。以後、文学を志す人の発表の場であるとともに、作品の合評会を通じての研さんの場であり続けました。同誌での発表後、作品が評価されて全国的な文芸誌に転載されたり、単行本として刊行されたりしました。02年にはふくい新進文学賞を創設、若い才能の発掘にも努めました。
しかし、全国的な文学賞が数多く設けられ、インターネットを通じての個人発表が可能となる中、若手の参加がなくなり、同人が高齢化しました。レジャー費用などに家計が向く時代となり、同人誌発行のための個人負担も参加の障害になったようです。さらに数年前から白崎さんが体調を崩し、ついに終刊となりました。
今年初めの182号に掲載された「終刊の辞」に、白崎さんは「地方同人誌としては稀有(けう)に見る誌歴の長さと実績とを積み重ねてまいりましたが、そろそろ力の限界線に近づいてきたのではないかと存じます。(中略)この辺りで一応使命を終えて、あとは後進の方々の別途の動きに後をゆだねたいと存じます」と書いてます。
失われゆく同人誌の世界ですが、張籠さんに、その魅力についても聞いてみました。
「創刊時の方々からすると、『情けないな』と怒られるかもしれませんが、私は楽しくてやってきました。文学が好きだから、書いてみた。ものを生むのは困難もあるが、楽しい。書くと、読んでくれる人が必要になるでしょう。同人誌にはそういう面があります。また自分で書いてみると、すぐれた作品に出合って『うまいな』『すごいな』と実感できます」
同人誌では読み書きの双方を奥深く学べるというんですね。なるほどと思いました。張籠さんは「高校の国語教師的かしら」と笑いながら、同人誌の衰退で、よい本が広く読まれる土壌がやせ細っていくことも心配していました。
話を聞いて、終刊を惜しむ気持ちがますます大きくなりました。日本海作家のこれまでの活動に敬意を表するとともに、新しい形で活動を受け継ぐ試みが生まれてくることを願ってやみません。
毎日新聞 2011年10月7日 地方版
文学への真摯(しんし)な取り組みゆえの自戒から出た言葉です。そして、そうだったからこそ、54年もの長い間、福井の在野文学を代表する存在だったのだと思いました。
創刊の前年は「もはや戦後ではない」の言葉が流行し、高度成長が幕を開けました。創刊号は「裏日本の仲間よ手をつなごう!」と新時代へ向かう人々に呼びかけ、「『日本海作家』は、暗鬱(あんうつ)な色をうかべ、無限のエネルギーを内包して凪(な)いでいる日本海の潮風を呼吸する、土着の魂の発露の場であらしめたい」とはやる心をぶつけます。
7号でいったん休刊しますが、白崎昭一郎さん(84)らを中心に復刊。以後、文学を志す人の発表の場であるとともに、作品の合評会を通じての研さんの場であり続けました。同誌での発表後、作品が評価されて全国的な文芸誌に転載されたり、単行本として刊行されたりしました。02年にはふくい新進文学賞を創設、若い才能の発掘にも努めました。
しかし、全国的な文学賞が数多く設けられ、インターネットを通じての個人発表が可能となる中、若手の参加がなくなり、同人が高齢化しました。レジャー費用などに家計が向く時代となり、同人誌発行のための個人負担も参加の障害になったようです。さらに数年前から白崎さんが体調を崩し、ついに終刊となりました。
今年初めの182号に掲載された「終刊の辞」に、白崎さんは「地方同人誌としては稀有(けう)に見る誌歴の長さと実績とを積み重ねてまいりましたが、そろそろ力の限界線に近づいてきたのではないかと存じます。(中略)この辺りで一応使命を終えて、あとは後進の方々の別途の動きに後をゆだねたいと存じます」と書いてます。
失われゆく同人誌の世界ですが、張籠さんに、その魅力についても聞いてみました。
「創刊時の方々からすると、『情けないな』と怒られるかもしれませんが、私は楽しくてやってきました。文学が好きだから、書いてみた。ものを生むのは困難もあるが、楽しい。書くと、読んでくれる人が必要になるでしょう。同人誌にはそういう面があります。また自分で書いてみると、すぐれた作品に出合って『うまいな』『すごいな』と実感できます」
同人誌では読み書きの双方を奥深く学べるというんですね。なるほどと思いました。張籠さんは「高校の国語教師的かしら」と笑いながら、同人誌の衰退で、よい本が広く読まれる土壌がやせ細っていくことも心配していました。
話を聞いて、終刊を惜しむ気持ちがますます大きくなりました。日本海作家のこれまでの活動に敬意を表するとともに、新しい形で活動を受け継ぐ試みが生まれてくることを願ってやみません。
毎日新聞 2011年10月7日 地方版