しばらく前の事ですが、ご記憶の方も居られると思います。2003年1月17日、東大阪市の近鉄大阪線・俊徳3号踏み切りで、車椅子に乗った38歳の女性が段差で脱輪、立ち往生したまま脱出できず特急電車にはねられて亡くなるという事故がありました。
事故は幅が3.1メートルしかない踏み切り内、たった20センチの台形の窪みに脱輪したために起きたもの。近鉄はただちに窪みをアスファルトで埋め、安全地帯を示すゼブラゾーンを設置するなど、対策を立てて実施したようでした。しかし近鉄に限らず、その後も踏み切りでの車椅子の脱輪、あわやという事態はしばしば起きています。
東淀川の「開かずの踏み切り」
また日本全国のあちこちに「開かずの踏み切り」として地元では有名な踏み切りがありますね。通勤通学の途上ここで待たされ、遮断機をくぐって無理に横断しようとする人が事故に巻き込まれるケースも多数報告されています。「開かずの踏み切り」は単に「閉まっている時間が長い」だけでなく「開いている時間が短い」事も多く、車椅子や高齢者、障害者が通行してひやひやさせられることもあるようです。
実は僕がいま舞台「喰う」のリハーサルで毎週末通っている劇団「態変」稽古場は新大阪にあるのですが、そのすぐ近く、JR京都線の東淀川駅にも開かずの踏み切り」があります。
前回もお話したように「態変」は役者全員が身体に障害を持っています。東淀川の踏み切りを渡る人も多く、通行には難儀するということでした。
私たちが普通に歩いていれば気がつかないかもしれないたった20センチの踏み切り内の段差が、車椅子にとっては絶望的な断崖絶壁として立ちはだかってしまう。そんな、身近にあって気づかない足元を、劇団「態変」の公演「喰う」の稽古の話とあわせて、少し考えてみたいと思います。
一言で障害といってもさまざま
劇団「態変」の舞台「喰う」も伊丹AI・HALLでの10月14、15、16日の本番がいよいよ迫ってきました。「態変」を主宰する金満里さん以下メンバー全員、集中したリハーサルに熱が入ります。先ほども記した通り「態変」の役者さんは全員、身体に重度の障害を持っており、コンディション調整がなかなかタイヘンです。
例えば、同じ「手足が動かない、あるいは動きにくい」人でも、小児マヒや筋ジストロフィーのように力が入らない「脱力系」の人もいれば、脳性麻痺(CP)で不随意に手足が突っ張ってしまう「緊張系」の人もいます。また脳性麻痺にもアテトーゼ型、失調型、痙直型、固縮型、混合型など、いろいろな症状に分かれています。
また後天的な事故で障害を負われた方も居られます。ちなみに僕の亡くなった母も最晩年、脳梗塞で半身不随の状態となり、最期の1年ではありましたが、一緒にリハビリに励みました。
四肢に欠損のある方も居られます。僕は「サリドマイド」による四肢発育不全が社会問題になったジェネレーションなので、子供の頃よく遊んだ中にも軽度の欠損障害を持つ友達がいました。
サリドマイドについては、西ドイツ、グリュネンタール社がサリドマイドの入った睡眠薬を発売したのが1957年、61年には催奇性が報告されるようになり、同年11月に製造停止、製品が回収され始めます。日本ではドイツに遅れること1年、大日本製薬が「イソミン」の商品名で睡眠薬を発売、次いで胃腸薬にサリドマイドを配合し「妊婦のつわり予防」に用いられたことから被害が拡大、すでにドイツの実態が明らかになっていたにもかかわらず、実際に大日本製薬が販売停止と製品の回収を始めたのはグリュネンタール社に遅れること300日近くとのことで、その後も薬害は出続けました。
現在の「態変」にはサリドマイドの役者さんは居られないそうですが、劇団には多様な身体をもつ役者が参加しています。そしてどの人も、そのあるがまま、その身体ならではのありようで舞台を作って行きます。
ネット上に「態変」のプロモーションヴィデオがYouTubeにあがっていますのでリンクしておきましょう。1983年の設立から28年、大阪を拠点としながら国内各地、海外もドイツ(ベルリン、シュトゥットガルト)、スイス(ベルン)、イギリス(エジンバラ)、ケニア(ナイロビほか3都市)、マレーシア(クアラルンプール)、シンガポール、インドネシア(ジャカルタ)、台湾(台北)、韓国(ソウル、慶南)と世界的に活動を展開し、圧倒的な評価を得てきました。
「生命への祝福」としての舞台
「障害者は世にあってはならない存在とされてきたと思うんです」と「態変」を主催する金満里さんは言います。ご自身も3歳のとき罹患した小児マヒで重度の障害を負われました。
「消し去られる側である、そういった実感から翻って、命への祝福ということを障害者は背負っているという気がします・・・その身体そのもので人間の根源的なものを表出させなければならない」
金さんは素晴らしい芸術家ですが、同時に大変魅力的な人、また凄まじく強い女性、強い母でもあります。25年前、妊娠された金さんに医師は、かなりの高確率で母子ともに生命が危険だと告げます。しかし金さんは「生む」と決意し、文字通り命がけで息子さんを出産されました。このあたりまでは金さんの著書『生きることのはじまり』(筑摩書房)でも読むことができます。
「生命への祝福」としての舞台
「障害者は世にあってはならない存在とされてきたと思うんです」と「態変」を主催する金満里さんは言います。ご自身も3歳のとき罹患した小児マヒで重度の障害を負われました。
「消し去られる側である、そういった実感から翻って、命への祝福ということを障害者は背負っているという気がします・・・その身体そのもので人間の根源的なものを表出させなければならない」
金さんは素晴らしい芸術家ですが、同時に大変魅力的な人、また凄まじく強い女性、強い母でもあります。25年前、妊娠された金さんに医師は、かなりの高確率で母子ともに生命が危険だと告げます。しかし金さんは「生む」と決意し、文字通り命がけで息子さんを出産されました。このあたりまでは金さんの著書『生きることのはじまり』(筑摩書房)でも読むことができます。
この夏前、最初の打合せと稽古で大阪を訪れた際、すでに成人して「態変」公演のサポートスタッフも務める、スリムな二枚目の金さんの愛息、里馬君と稽古場で知り合いました。なんだ、もうこんなに大きく立派になってるんだ・・・と感慨にふけりかけたのですが「あの・・・伊東さんの『サイレント・ネイビー』を読んで、とても衝撃を受けたんですけど、いくつか訊いて良いですか?」と尋ねられ、のけぞりそうになりました。なんというか、嬉しいものですね。「生命への祝福」という言葉を改めて思い出し、また、いよいよもって良い仕事をしなければ・・・と思った次第。
「態変」の稽古は事務所に併設された稽古場「メタモルホール」がベースになりますが、本番が近づくと本番の劇場と同じ寸法の広い会場を借りてのリハーサルが必要になります。というのも、歩行に困難のある役者さんの移動など、多くの仕事が「黒子」とのコラボレーションになりますし、その広い舞台を、本当に必死の思いで役者が端から端まで移動するなど、実寸でやって見なければ分からないことだらけだからです。
稽古は毎回全身全霊、役者はみな気力と体力の限界まで、疲労困憊しながら、懸命に舞台を作って行きます。その場に一緒にいて、生きるという事の価値、その尊さを強く感じます・・・いや、人によってはアレルギー的に反応される方があるかもしれません。でも、舞台を直視される方には、深い感動をお約束します。
僕は「態変」が身障者の劇団だからご一緒しているわけではありません。純然とその水準の高さ、舞台がいま地球上で人間に可能な、最も高い芸術の成果を生み出している人たちと、自分自身も一切の値引きなしに、突き詰めた仕事をしているものです。
今まで僕自身、観客席で深い経験を幾つもさせてもらいました。今回、共演のお話を頂いて、こんなに光栄ないことはないと思っています。「喰う」は10月14、15、16日、兵庫県伊丹市での本番で、首都圏の方などには中々遠方と思いますが、近畿圏の皆さんはじめ、ご都合合う方にはぜひ、実際にお運び頂いてご覧頂ければと思います。事実は、明らかに、小説より「奇」なりと、間違いなく思われるでしょう。
「喰う」のメイキング・オヴ
劇団の担当者に「日経ビジネスオンラインに『喰う』の事を書きたいと思うのだけれど・・・」と連絡したところ、役者の小泉ゆうすけさんが書かれた「秋の新作『喰う』稽古進行中」という文章を送ってくれました。引用してみます。
「今回の新作『喰う』は2001年の『壷中一萬年祭』以来の抽象身体表現だと思う。僕は「慣れ親しんだスタイル」にしがみついてしまう所があって、今回も切り替えに時間がかかるのでは? と不安でした。」
「態変」は設立当初から長く、物語性のない抽象的な身体表現で独自の活動を続けてきました。
『マハラバ伝説』で初めて「物語性」に挑戦した時、手が無いということから来る僕個人の具体的表現へのコンプレックスもあって「具体的な表現がしたくないから、態変で身体表現をやってるんとちゃうかったっけ?」と自問自答したこともあったと思いだします(もちろん今では、この時に「具体」と「抽象」に挑んでいたからこそ表現を続けられたという実感があります)。
「態変」の稽古場で知ったこと
例えば、筋ジストロフィーの身体を持ち、日ごろ車椅子で移動している人が、体ひとつ黒子に舞台中央まで運んでもらい、そこで5センチ動くというのが、どれくらい大変なことか。
いくら文字で読んでも、あるいはヴィデオなどで見ても、実際にその場を共有しなければ絶対に分からない事が山のようにあります。そういういろいろを、稽古を通じてたくさん知りました。
あるいは四肢が欠損した人が、頭と胴だけで舞台の端から端まで、転がりながら移動するとはどういうことか。その人にとって、一回の回転で同じ稽古場の風景が、どんな風に変化するのか・・・そういったことは以前、舞台を客席から見ていた頃には、身に迫るものとしてまったく考えていませんでした。
役者の一人ひとり、みんな抱えている障害が違いますから、ケアも違ってきます。例えば欠損の多い人は、体温のコントロールが苦手、デリケートだと初めて知りました。体の表面積が少ないので発汗などが必ずしも十分でなく、体温が上がりすぎてしまう危険性があると伺いました。実際に一緒に稽古し、適切に休憩を挟み・・・というリハーサルの空気を通じて、体で知ることが本当に多い。
「喰う」のメイキング・オヴ
劇団の担当者に「日経ビジネスオンラインに『喰う』の事を書きたいと思うのだけれど・・・」と連絡したところ、役者の小泉ゆうすけさんが書かれた「秋の新作『喰う』稽古進行中」という文章を送ってくれました。引用してみます。
「今回の新作『喰う』は2001年の『壷中一萬年祭』以来の抽象身体表現だと思う。僕は「慣れ親しんだスタイル」にしがみついてしまう所があって、今回も切り替えに時間がかかるのでは? と不安でした。」
「態変」は設立当初から長く、物語性のない抽象的な身体表現で独自の活動を続けてきました。
『マハラバ伝説』で初めて「物語性」に挑戦した時、手が無いということから来る僕個人の具体的表現へのコンプレックスもあって「具体的な表現がしたくないから、態変で身体表現をやってるんとちゃうかったっけ?」と自問自答したこともあったと思いだします(もちろん今では、この時に「具体」と「抽象」に挑んでいたからこそ表現を続けられたという実感があります)。
「さて、今回の作品では新人も多く出演するので、『マハラバ伝説』初演当時の自分が当惑したように、色々な反応があって面白い! 稽古が始まった当初は、「物語が無い作品」という初めての取り組みにどう取り組んで良いのか葛藤して苦しんでいだり、「解放された」とばかりに自分の身体をフルに楽しんでいたり・・・。稽古が進むにつれ徐々に「作品の顔」が見えてきています。
演奏で出演される伊東乾さんが稽古に参加し、パワーのある音楽との共演で、音楽を楽しむように伊東さんが色々と仕掛けてきたり、巨大な鉄の彫刻の舞台美術のイメージを持って、意識しないようにしながらもどうしても意識してしまったり・・・」
ま、確かにいろいろ演奏で仕掛けたりはしますね^^;。今回の舞台には、彫刻家の塚脇淳さんの巨大な鋼鉄の彫刻が、作家ご自身の手によって設営されることになっています。やはりネット上に、塚脇さんがロシアで巨大彫刻を設営している様子のページと、神戸ビエンナーレのホームページに作品 KOBE RING を設営するシーンが出ていましたので、これもリンクしておきましょう。
こういうリンクがすぐ張れるのは本当に便利です・・・といいつつ、ネット時代は本当に便利になった、と思うのは、中年以上だけだそうですが・・・。
さてはて、僕も元来は極めてアナログな職人仕事の音楽屋でありますが、塚脇さんの作品もデジタル云々と別に、徹底して「鉄を打つ」という事を通じて作られるとのこと。よく考えると僕もまた「鋼琴」ピアノという鉄の塊を打鍵して、これらの作品と対峙しているわけで、本番の空間がどうなるか、演奏前から大変楽しみです。
「そして前回の稽古では伊丹AI・HALLの原寸での動きの稽古でした。筋ジストロフィーで脱力系の新人役者であるキンジス・ハーンにとっては、あまりの広さに「海におるみたい」と。その発言から僕は、『喰う』は、ただ口から食べモノを摂取するだけでなく、人間の身体という大きな海がエネルギーを取り入れ、物凄い長さの内臓を通って細胞を活性化させて・・・ということをイメージしました。
作品の一つ一つのシーンがゆっくりと見えてくる中で、出演者たちは自分の身体の個別性を、どんどん楽しんでいっているように見えます。これまでとはスタイルも、作り方もまったく違った今回の作品。一回一回の稽古から栄養を吸収し、どんどん育っております。是非劇場でご覧下さい。」
こんな風に自分も関わる仕事のメイキング・オヴをご紹介するのは、もしかするとこの連載初めてかもしれません。
でも、幅にして数間の舞台の広さに直面して「海におるみたい」と表現する、そのリアルが大事だと思うんですね。
実は、ほんのちょっとした所に、多くの「健常者」が完全に見落としている大切なものがある、僕自身それを今日も感じ(この原稿はいま大阪から帰りの新幹線の中で打っています)ながら準備しているわけです。
トーマス・クヴァストホッフと社会の成熟
僕は一方でテレビで音楽番組の制作にも関わって来ました。先ほどの金さんの言葉ではないですが、日本のテレビとくに民放はスポンサーイメージにいろいろ配慮する中で、こうした障害の現実が電波に乗る事が非常に限られている気がします。
かつてテレビ番組を作りながら強く思ったのは「こういう<現実>は、ない」ということでした。あくまで作られた一つのイメージとしてスタジオや番組がある。テレビの内情を知ってから、正直なところ「報道」だって「報道という番組」だと思うようになりました。
もし報道の表層だけに思考が留まるなら、、人間として大切な何かを見失ってしまうのではないか・・・そんな気がしてなりません。
例えば障害の現実。やはり多くは大手メディアの前面に登場しないと思います。でも、現在急ピッチで進行する社会の高齢化の中で、障害の問題は誰にとっても、決して対岸の火事ではないと思うんですね。
例えば、車椅子は身体に障害を持つ人も利用しますが、昨今はごく普通に高齢者が電動車椅子で移動します。ざっとネットで検索した範囲ですが、踏み切りや一般道路で車椅子がアクシデントに巻き込まれたという報道は、むしろ高齢者のケースが目立ちました。加齢や脳梗塞その他で障害が家族や自分自身の問題になる可能性は決して低くはない。これは実際に母の脳梗塞に直面し、最期を見送るまで介護に当たっての、過不足ない実感です。
また先天的な障害については、音楽の立場から近年強く思うことがあります。皆さんはトーマス・クヴァストホッフという歌手をご存知でしょうか? 現代ドイツ、いや今日のクラシック界を代表する、名実ともにナンバーワンのバリトン歌手です。
ドイツではクヴァストホッフの人気は単にクラシックの演奏家という域を既に超えた感じがします。なんと言ってもステージが面白い。芸人的なサービス精神も旺盛でライブの会場を爆笑の渦に巻き込んでしまいます。「クラシックの王道でトップのバリトン歌手」というと、なにか取り澄ましたようなイメージがあるかもしれません。が、彼はそういうケチ臭い事とは無縁なのです。時代を担う、本当に本物の芸術家と思います。
トーマス・クヴァストホッフは1959年11月、ドイツのヒルデスハイムで生まれました。現在50歳。彼は西ドイツでグリューネンタール社がまさにサリドマイド剤を販売していた最中、お母さんがこれを服用され、サリドマイドによる障害を身に帯びてこの世に生を受けました。
彼、クヴァストホッフはドイツのテレビに普通に登場します。日本でも重い障害を持つ人がそれをと闘いながらメディアでも活躍しつつあるように思いますが、まだまだ改善の余地があると「態変」と仕事しながら強く思います。
いまネット上でクヴァストホッフの歌うシューベルトの「冬の旅」の画像を見かけました。伴奏は指揮者・ピアニストでベルリン・ドイツオペラの芸術監督を務めるダニエル・バレンボイムが弾いています。あるいはシューマンの「詩人の恋」トップソリストのエレーヌ・グリモーの伴奏です。
クヴァストホッフは「障害があるから」「ないから」ではなく、歌手として本当にずば抜けた実力を持つ音楽家です。むろん、ハンディキャップの現実があり、その克服が彼に絶大なエネルギーを与えたことでしょう。しかし音楽は音楽として聴いてもらいたい、障害とは別に考えて欲しいとクヴァストホッフは言います。
そういうこと、ある意味まったく当たり前のことが、真の意味での偏見の克服、社会全体の成熟ではないか、と僕はづくづく思うわけです。
「ほんの20センチの断崖絶壁」を見落とさない細やかさ
先ほども記した通り僕が「態変」と仕事するのも「障害の有無」ではなく、舞台作品の質の圧倒的な高さからご一緒させて頂いています。僕もモノの真贋は見させて貰います。欧州の、いわゆる「ハイカルチャー」をベースにしていますが、先進各国からアジアの新興国、さらには内戦で荒廃したアフリカまで、いろいろな地域の芸術家とご一緒させて頂いて、一本芯の通ったものとそうでないものの違いは如実と思います。
また逆に言えば「態変」のようにブレない、一番厳しい目で世の中も世界も見通している所から共演の依頼を頂いて、こんなに光栄なことはないと繰り返し思います。
そこでまた考えるわけです。表現そのもの、音楽そのものと正面から向き合う姿勢。その「ありのままを見つめる」透徹した眼差しで、改めて目の前の自分の足元・・・この場合はいろいろな意味がありますが、例えば文字通りの「あしもと」も含めて・・・を見直してみたら?
例えば踏み切りに車椅子が脱輪しかねない、20センチの窪みがあるか、ないか。あるいはそれを見逃すか、見逃さないか。さらに言えば、気づいていながらも、それを放置するような「合理的」な判断なんぞ、下していたりはしないだろうか、と。
「態変」の稽古場「メタモルホール」のすぐ近く、東淀川の「開かずの踏み切り」には幸い、脱輪しそうな道路舗装の破損はありませんでした。またこの踏み切りは最近では珍しい「有人踏み切り」で、両端の番小屋に職員が常駐して安全確保に努めているとのこと。僕が通ったときも、鐘が鳴り始めたので立ち止まると「こっちは電車通らないから、行けますよ」と職員さんが教えてくれました。この「開かずの踏み切り」実は二つの踏み切りが直列つなぎ状にならんでいて「あっち」と「こっち」と双方を電車が通過するので「開かず」の状態になりやすいのでした。
それでも態変の役者さんに伺うと番小屋に人がいても、身障者のみならずお年よりの通行など含め「開かずの踏み切り」でヒヤッとさせられることはけっこうあるそうです。
かつてイケイケだった高度成長期を髣髴とさせる「開かずの踏み切り」を眺めながら、それから半世紀が過ぎた21世紀、高齢化の進む日本に、より細やかに足元を見つめなおす視線があってよいのではないだろうか。少なくともその細やかさがあれば、踏み切りの真ん中にほんの20センチの、しかし車椅子にとっては絶望的な断崖絶壁と同じような致命的リスクが放置されることはないだろうと思います。
そんな、おなじ細やかさをもって「態変」の舞台、ぜひ多くの見ていただきたい、そして何かを感じていただきたいと、改めて強く思っています。
事故は幅が3.1メートルしかない踏み切り内、たった20センチの台形の窪みに脱輪したために起きたもの。近鉄はただちに窪みをアスファルトで埋め、安全地帯を示すゼブラゾーンを設置するなど、対策を立てて実施したようでした。しかし近鉄に限らず、その後も踏み切りでの車椅子の脱輪、あわやという事態はしばしば起きています。
東淀川の「開かずの踏み切り」
また日本全国のあちこちに「開かずの踏み切り」として地元では有名な踏み切りがありますね。通勤通学の途上ここで待たされ、遮断機をくぐって無理に横断しようとする人が事故に巻き込まれるケースも多数報告されています。「開かずの踏み切り」は単に「閉まっている時間が長い」だけでなく「開いている時間が短い」事も多く、車椅子や高齢者、障害者が通行してひやひやさせられることもあるようです。
実は僕がいま舞台「喰う」のリハーサルで毎週末通っている劇団「態変」稽古場は新大阪にあるのですが、そのすぐ近く、JR京都線の東淀川駅にも開かずの踏み切り」があります。
前回もお話したように「態変」は役者全員が身体に障害を持っています。東淀川の踏み切りを渡る人も多く、通行には難儀するということでした。
私たちが普通に歩いていれば気がつかないかもしれないたった20センチの踏み切り内の段差が、車椅子にとっては絶望的な断崖絶壁として立ちはだかってしまう。そんな、身近にあって気づかない足元を、劇団「態変」の公演「喰う」の稽古の話とあわせて、少し考えてみたいと思います。
一言で障害といってもさまざま
劇団「態変」の舞台「喰う」も伊丹AI・HALLでの10月14、15、16日の本番がいよいよ迫ってきました。「態変」を主宰する金満里さん以下メンバー全員、集中したリハーサルに熱が入ります。先ほども記した通り「態変」の役者さんは全員、身体に重度の障害を持っており、コンディション調整がなかなかタイヘンです。
例えば、同じ「手足が動かない、あるいは動きにくい」人でも、小児マヒや筋ジストロフィーのように力が入らない「脱力系」の人もいれば、脳性麻痺(CP)で不随意に手足が突っ張ってしまう「緊張系」の人もいます。また脳性麻痺にもアテトーゼ型、失調型、痙直型、固縮型、混合型など、いろいろな症状に分かれています。
また後天的な事故で障害を負われた方も居られます。ちなみに僕の亡くなった母も最晩年、脳梗塞で半身不随の状態となり、最期の1年ではありましたが、一緒にリハビリに励みました。
四肢に欠損のある方も居られます。僕は「サリドマイド」による四肢発育不全が社会問題になったジェネレーションなので、子供の頃よく遊んだ中にも軽度の欠損障害を持つ友達がいました。
サリドマイドについては、西ドイツ、グリュネンタール社がサリドマイドの入った睡眠薬を発売したのが1957年、61年には催奇性が報告されるようになり、同年11月に製造停止、製品が回収され始めます。日本ではドイツに遅れること1年、大日本製薬が「イソミン」の商品名で睡眠薬を発売、次いで胃腸薬にサリドマイドを配合し「妊婦のつわり予防」に用いられたことから被害が拡大、すでにドイツの実態が明らかになっていたにもかかわらず、実際に大日本製薬が販売停止と製品の回収を始めたのはグリュネンタール社に遅れること300日近くとのことで、その後も薬害は出続けました。
現在の「態変」にはサリドマイドの役者さんは居られないそうですが、劇団には多様な身体をもつ役者が参加しています。そしてどの人も、そのあるがまま、その身体ならではのありようで舞台を作って行きます。
ネット上に「態変」のプロモーションヴィデオがYouTubeにあがっていますのでリンクしておきましょう。1983年の設立から28年、大阪を拠点としながら国内各地、海外もドイツ(ベルリン、シュトゥットガルト)、スイス(ベルン)、イギリス(エジンバラ)、ケニア(ナイロビほか3都市)、マレーシア(クアラルンプール)、シンガポール、インドネシア(ジャカルタ)、台湾(台北)、韓国(ソウル、慶南)と世界的に活動を展開し、圧倒的な評価を得てきました。
「生命への祝福」としての舞台
「障害者は世にあってはならない存在とされてきたと思うんです」と「態変」を主催する金満里さんは言います。ご自身も3歳のとき罹患した小児マヒで重度の障害を負われました。
「消し去られる側である、そういった実感から翻って、命への祝福ということを障害者は背負っているという気がします・・・その身体そのもので人間の根源的なものを表出させなければならない」
金さんは素晴らしい芸術家ですが、同時に大変魅力的な人、また凄まじく強い女性、強い母でもあります。25年前、妊娠された金さんに医師は、かなりの高確率で母子ともに生命が危険だと告げます。しかし金さんは「生む」と決意し、文字通り命がけで息子さんを出産されました。このあたりまでは金さんの著書『生きることのはじまり』(筑摩書房)でも読むことができます。
「生命への祝福」としての舞台
「障害者は世にあってはならない存在とされてきたと思うんです」と「態変」を主催する金満里さんは言います。ご自身も3歳のとき罹患した小児マヒで重度の障害を負われました。
「消し去られる側である、そういった実感から翻って、命への祝福ということを障害者は背負っているという気がします・・・その身体そのもので人間の根源的なものを表出させなければならない」
金さんは素晴らしい芸術家ですが、同時に大変魅力的な人、また凄まじく強い女性、強い母でもあります。25年前、妊娠された金さんに医師は、かなりの高確率で母子ともに生命が危険だと告げます。しかし金さんは「生む」と決意し、文字通り命がけで息子さんを出産されました。このあたりまでは金さんの著書『生きることのはじまり』(筑摩書房)でも読むことができます。
この夏前、最初の打合せと稽古で大阪を訪れた際、すでに成人して「態変」公演のサポートスタッフも務める、スリムな二枚目の金さんの愛息、里馬君と稽古場で知り合いました。なんだ、もうこんなに大きく立派になってるんだ・・・と感慨にふけりかけたのですが「あの・・・伊東さんの『サイレント・ネイビー』を読んで、とても衝撃を受けたんですけど、いくつか訊いて良いですか?」と尋ねられ、のけぞりそうになりました。なんというか、嬉しいものですね。「生命への祝福」という言葉を改めて思い出し、また、いよいよもって良い仕事をしなければ・・・と思った次第。
「態変」の稽古は事務所に併設された稽古場「メタモルホール」がベースになりますが、本番が近づくと本番の劇場と同じ寸法の広い会場を借りてのリハーサルが必要になります。というのも、歩行に困難のある役者さんの移動など、多くの仕事が「黒子」とのコラボレーションになりますし、その広い舞台を、本当に必死の思いで役者が端から端まで移動するなど、実寸でやって見なければ分からないことだらけだからです。
稽古は毎回全身全霊、役者はみな気力と体力の限界まで、疲労困憊しながら、懸命に舞台を作って行きます。その場に一緒にいて、生きるという事の価値、その尊さを強く感じます・・・いや、人によってはアレルギー的に反応される方があるかもしれません。でも、舞台を直視される方には、深い感動をお約束します。
僕は「態変」が身障者の劇団だからご一緒しているわけではありません。純然とその水準の高さ、舞台がいま地球上で人間に可能な、最も高い芸術の成果を生み出している人たちと、自分自身も一切の値引きなしに、突き詰めた仕事をしているものです。
今まで僕自身、観客席で深い経験を幾つもさせてもらいました。今回、共演のお話を頂いて、こんなに光栄ないことはないと思っています。「喰う」は10月14、15、16日、兵庫県伊丹市での本番で、首都圏の方などには中々遠方と思いますが、近畿圏の皆さんはじめ、ご都合合う方にはぜひ、実際にお運び頂いてご覧頂ければと思います。事実は、明らかに、小説より「奇」なりと、間違いなく思われるでしょう。
「喰う」のメイキング・オヴ
劇団の担当者に「日経ビジネスオンラインに『喰う』の事を書きたいと思うのだけれど・・・」と連絡したところ、役者の小泉ゆうすけさんが書かれた「秋の新作『喰う』稽古進行中」という文章を送ってくれました。引用してみます。
「今回の新作『喰う』は2001年の『壷中一萬年祭』以来の抽象身体表現だと思う。僕は「慣れ親しんだスタイル」にしがみついてしまう所があって、今回も切り替えに時間がかかるのでは? と不安でした。」
「態変」は設立当初から長く、物語性のない抽象的な身体表現で独自の活動を続けてきました。
『マハラバ伝説』で初めて「物語性」に挑戦した時、手が無いということから来る僕個人の具体的表現へのコンプレックスもあって「具体的な表現がしたくないから、態変で身体表現をやってるんとちゃうかったっけ?」と自問自答したこともあったと思いだします(もちろん今では、この時に「具体」と「抽象」に挑んでいたからこそ表現を続けられたという実感があります)。
「態変」の稽古場で知ったこと
例えば、筋ジストロフィーの身体を持ち、日ごろ車椅子で移動している人が、体ひとつ黒子に舞台中央まで運んでもらい、そこで5センチ動くというのが、どれくらい大変なことか。
いくら文字で読んでも、あるいはヴィデオなどで見ても、実際にその場を共有しなければ絶対に分からない事が山のようにあります。そういういろいろを、稽古を通じてたくさん知りました。
あるいは四肢が欠損した人が、頭と胴だけで舞台の端から端まで、転がりながら移動するとはどういうことか。その人にとって、一回の回転で同じ稽古場の風景が、どんな風に変化するのか・・・そういったことは以前、舞台を客席から見ていた頃には、身に迫るものとしてまったく考えていませんでした。
役者の一人ひとり、みんな抱えている障害が違いますから、ケアも違ってきます。例えば欠損の多い人は、体温のコントロールが苦手、デリケートだと初めて知りました。体の表面積が少ないので発汗などが必ずしも十分でなく、体温が上がりすぎてしまう危険性があると伺いました。実際に一緒に稽古し、適切に休憩を挟み・・・というリハーサルの空気を通じて、体で知ることが本当に多い。
「喰う」のメイキング・オヴ
劇団の担当者に「日経ビジネスオンラインに『喰う』の事を書きたいと思うのだけれど・・・」と連絡したところ、役者の小泉ゆうすけさんが書かれた「秋の新作『喰う』稽古進行中」という文章を送ってくれました。引用してみます。
「今回の新作『喰う』は2001年の『壷中一萬年祭』以来の抽象身体表現だと思う。僕は「慣れ親しんだスタイル」にしがみついてしまう所があって、今回も切り替えに時間がかかるのでは? と不安でした。」
「態変」は設立当初から長く、物語性のない抽象的な身体表現で独自の活動を続けてきました。
『マハラバ伝説』で初めて「物語性」に挑戦した時、手が無いということから来る僕個人の具体的表現へのコンプレックスもあって「具体的な表現がしたくないから、態変で身体表現をやってるんとちゃうかったっけ?」と自問自答したこともあったと思いだします(もちろん今では、この時に「具体」と「抽象」に挑んでいたからこそ表現を続けられたという実感があります)。
「さて、今回の作品では新人も多く出演するので、『マハラバ伝説』初演当時の自分が当惑したように、色々な反応があって面白い! 稽古が始まった当初は、「物語が無い作品」という初めての取り組みにどう取り組んで良いのか葛藤して苦しんでいだり、「解放された」とばかりに自分の身体をフルに楽しんでいたり・・・。稽古が進むにつれ徐々に「作品の顔」が見えてきています。
演奏で出演される伊東乾さんが稽古に参加し、パワーのある音楽との共演で、音楽を楽しむように伊東さんが色々と仕掛けてきたり、巨大な鉄の彫刻の舞台美術のイメージを持って、意識しないようにしながらもどうしても意識してしまったり・・・」
ま、確かにいろいろ演奏で仕掛けたりはしますね^^;。今回の舞台には、彫刻家の塚脇淳さんの巨大な鋼鉄の彫刻が、作家ご自身の手によって設営されることになっています。やはりネット上に、塚脇さんがロシアで巨大彫刻を設営している様子のページと、神戸ビエンナーレのホームページに作品 KOBE RING を設営するシーンが出ていましたので、これもリンクしておきましょう。
こういうリンクがすぐ張れるのは本当に便利です・・・といいつつ、ネット時代は本当に便利になった、と思うのは、中年以上だけだそうですが・・・。
さてはて、僕も元来は極めてアナログな職人仕事の音楽屋でありますが、塚脇さんの作品もデジタル云々と別に、徹底して「鉄を打つ」という事を通じて作られるとのこと。よく考えると僕もまた「鋼琴」ピアノという鉄の塊を打鍵して、これらの作品と対峙しているわけで、本番の空間がどうなるか、演奏前から大変楽しみです。
「そして前回の稽古では伊丹AI・HALLの原寸での動きの稽古でした。筋ジストロフィーで脱力系の新人役者であるキンジス・ハーンにとっては、あまりの広さに「海におるみたい」と。その発言から僕は、『喰う』は、ただ口から食べモノを摂取するだけでなく、人間の身体という大きな海がエネルギーを取り入れ、物凄い長さの内臓を通って細胞を活性化させて・・・ということをイメージしました。
作品の一つ一つのシーンがゆっくりと見えてくる中で、出演者たちは自分の身体の個別性を、どんどん楽しんでいっているように見えます。これまでとはスタイルも、作り方もまったく違った今回の作品。一回一回の稽古から栄養を吸収し、どんどん育っております。是非劇場でご覧下さい。」
こんな風に自分も関わる仕事のメイキング・オヴをご紹介するのは、もしかするとこの連載初めてかもしれません。
でも、幅にして数間の舞台の広さに直面して「海におるみたい」と表現する、そのリアルが大事だと思うんですね。
実は、ほんのちょっとした所に、多くの「健常者」が完全に見落としている大切なものがある、僕自身それを今日も感じ(この原稿はいま大阪から帰りの新幹線の中で打っています)ながら準備しているわけです。
トーマス・クヴァストホッフと社会の成熟
僕は一方でテレビで音楽番組の制作にも関わって来ました。先ほどの金さんの言葉ではないですが、日本のテレビとくに民放はスポンサーイメージにいろいろ配慮する中で、こうした障害の現実が電波に乗る事が非常に限られている気がします。
かつてテレビ番組を作りながら強く思ったのは「こういう<現実>は、ない」ということでした。あくまで作られた一つのイメージとしてスタジオや番組がある。テレビの内情を知ってから、正直なところ「報道」だって「報道という番組」だと思うようになりました。
もし報道の表層だけに思考が留まるなら、、人間として大切な何かを見失ってしまうのではないか・・・そんな気がしてなりません。
例えば障害の現実。やはり多くは大手メディアの前面に登場しないと思います。でも、現在急ピッチで進行する社会の高齢化の中で、障害の問題は誰にとっても、決して対岸の火事ではないと思うんですね。
例えば、車椅子は身体に障害を持つ人も利用しますが、昨今はごく普通に高齢者が電動車椅子で移動します。ざっとネットで検索した範囲ですが、踏み切りや一般道路で車椅子がアクシデントに巻き込まれたという報道は、むしろ高齢者のケースが目立ちました。加齢や脳梗塞その他で障害が家族や自分自身の問題になる可能性は決して低くはない。これは実際に母の脳梗塞に直面し、最期を見送るまで介護に当たっての、過不足ない実感です。
また先天的な障害については、音楽の立場から近年強く思うことがあります。皆さんはトーマス・クヴァストホッフという歌手をご存知でしょうか? 現代ドイツ、いや今日のクラシック界を代表する、名実ともにナンバーワンのバリトン歌手です。
ドイツではクヴァストホッフの人気は単にクラシックの演奏家という域を既に超えた感じがします。なんと言ってもステージが面白い。芸人的なサービス精神も旺盛でライブの会場を爆笑の渦に巻き込んでしまいます。「クラシックの王道でトップのバリトン歌手」というと、なにか取り澄ましたようなイメージがあるかもしれません。が、彼はそういうケチ臭い事とは無縁なのです。時代を担う、本当に本物の芸術家と思います。
トーマス・クヴァストホッフは1959年11月、ドイツのヒルデスハイムで生まれました。現在50歳。彼は西ドイツでグリューネンタール社がまさにサリドマイド剤を販売していた最中、お母さんがこれを服用され、サリドマイドによる障害を身に帯びてこの世に生を受けました。
彼、クヴァストホッフはドイツのテレビに普通に登場します。日本でも重い障害を持つ人がそれをと闘いながらメディアでも活躍しつつあるように思いますが、まだまだ改善の余地があると「態変」と仕事しながら強く思います。
いまネット上でクヴァストホッフの歌うシューベルトの「冬の旅」の画像を見かけました。伴奏は指揮者・ピアニストでベルリン・ドイツオペラの芸術監督を務めるダニエル・バレンボイムが弾いています。あるいはシューマンの「詩人の恋」トップソリストのエレーヌ・グリモーの伴奏です。
クヴァストホッフは「障害があるから」「ないから」ではなく、歌手として本当にずば抜けた実力を持つ音楽家です。むろん、ハンディキャップの現実があり、その克服が彼に絶大なエネルギーを与えたことでしょう。しかし音楽は音楽として聴いてもらいたい、障害とは別に考えて欲しいとクヴァストホッフは言います。
そういうこと、ある意味まったく当たり前のことが、真の意味での偏見の克服、社会全体の成熟ではないか、と僕はづくづく思うわけです。
「ほんの20センチの断崖絶壁」を見落とさない細やかさ
先ほども記した通り僕が「態変」と仕事するのも「障害の有無」ではなく、舞台作品の質の圧倒的な高さからご一緒させて頂いています。僕もモノの真贋は見させて貰います。欧州の、いわゆる「ハイカルチャー」をベースにしていますが、先進各国からアジアの新興国、さらには内戦で荒廃したアフリカまで、いろいろな地域の芸術家とご一緒させて頂いて、一本芯の通ったものとそうでないものの違いは如実と思います。
また逆に言えば「態変」のようにブレない、一番厳しい目で世の中も世界も見通している所から共演の依頼を頂いて、こんなに光栄なことはないと繰り返し思います。
そこでまた考えるわけです。表現そのもの、音楽そのものと正面から向き合う姿勢。その「ありのままを見つめる」透徹した眼差しで、改めて目の前の自分の足元・・・この場合はいろいろな意味がありますが、例えば文字通りの「あしもと」も含めて・・・を見直してみたら?
例えば踏み切りに車椅子が脱輪しかねない、20センチの窪みがあるか、ないか。あるいはそれを見逃すか、見逃さないか。さらに言えば、気づいていながらも、それを放置するような「合理的」な判断なんぞ、下していたりはしないだろうか、と。
「態変」の稽古場「メタモルホール」のすぐ近く、東淀川の「開かずの踏み切り」には幸い、脱輪しそうな道路舗装の破損はありませんでした。またこの踏み切りは最近では珍しい「有人踏み切り」で、両端の番小屋に職員が常駐して安全確保に努めているとのこと。僕が通ったときも、鐘が鳴り始めたので立ち止まると「こっちは電車通らないから、行けますよ」と職員さんが教えてくれました。この「開かずの踏み切り」実は二つの踏み切りが直列つなぎ状にならんでいて「あっち」と「こっち」と双方を電車が通過するので「開かず」の状態になりやすいのでした。
それでも態変の役者さんに伺うと番小屋に人がいても、身障者のみならずお年よりの通行など含め「開かずの踏み切り」でヒヤッとさせられることはけっこうあるそうです。
かつてイケイケだった高度成長期を髣髴とさせる「開かずの踏み切り」を眺めながら、それから半世紀が過ぎた21世紀、高齢化の進む日本に、より細やかに足元を見つめなおす視線があってよいのではないだろうか。少なくともその細やかさがあれば、踏み切りの真ん中にほんの20センチの、しかし車椅子にとっては絶望的な断崖絶壁と同じような致命的リスクが放置されることはないだろうと思います。
そんな、おなじ細やかさをもって「態変」の舞台、ぜひ多くの見ていただきたい、そして何かを感じていただきたいと、改めて強く思っています。