治療、搬送迅速に
藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、事故直後の現場の状況や約4時間にわたる救助の様子が2日、明らかになった。治療や搬送の優先順位をつけて救命率を向上させるトリアージなどを実施した高崎市等広域消防局(八千代町)は読売新聞の取材に応じ、未経験の大規模事故に冷静に対処したとの認識を示した。(大塚美智子、諏訪泉)
◆大規模事故を想定
第一報は事故発生から12分後の4月29日午前4時51分。東日本高速道路関東支社の岩槻道路管制センター(さいたま市岩槻区)からで、「車数台の事故発生」だった。しかし、その1、2分後の第2報では「マイクロバスの事故」と訂正。さらに「大型バスの事故。後部から煙が出ている」と再訂正。
この時点で、同消防局は「大規模事故災害」を想定。2隊派遣していた救急隊をさらに3隊増強するとともに、「人命救助最優先」「トリアージの実施」などの活動方針を隊員に伝えた。
午前5時7分、高崎東消防署群南分署のポンプ車隊(5人)が最初に現場到着。防音壁がくい込み、大破したバスの惨状を目にする。乗員乗客46人中、すでに軽傷者約25人は非常口からバスを脱出し、約80メートル離れた路側帯で不安そうに肩を寄せ合っていた。
エンジン部分の火災は放水ですぐに鎮火。救助隊員らはバス右側の窓枠3か所を油圧式工具で取り外し、はしごを掛けると、車内に乗り込んだ。車内は荷物が散乱し、窓と左端の座席列の間に防音壁がくい込んでいた。左前部の座席は変形こそすれ、おおむね元の位置にあった。しかし、乗客は通路や座席上で折り重なるように倒れており、意識のない人もいた。
隊員らは、油圧カッターなどを使って、救出の障害となる左側の座席を取り外した。ストレッチャーを運び込んでけが人を収容し、「大丈夫」「頑張って」などと励ましながら窓や非常口から次々に運び出した。
運転席の河野化山(かざん)容疑者(43)は話せる状態で、挟まれていた座席から救助されると、警察官に連れていかれた。
◆初のトリアージ
トリアージは、バスの後方に設けた3か所の救護所に5・4メートル四方の専用シートを敷いて行われた。訓練経験こそあったものの、同消防局が本格的なトリアージを行うのは初めて。「助かる命を優先して搬送した。心の痛い作業だった」(警防課)と振り返った。
その頃には、前橋や多野藤岡など六つの消防本部からの応援隊も続々と到着。同消防局の非番招集も含めて総勢は34隊109人にも及び、救急隊は次々と被害者を高崎、前橋、藤岡など5市12病院に搬送した。午前9時26分、現場指揮本部は閉鎖された。
同消防局幹部は「今回のような高速道での大事故は初めてで救出活動は非常に困難だった。その中で、普段からの各署や分署との合同訓練で培われたものがうまく機能した」と話した。
(2012年5月3日 読売新聞)
藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、事故直後の現場の状況や約4時間にわたる救助の様子が2日、明らかになった。治療や搬送の優先順位をつけて救命率を向上させるトリアージなどを実施した高崎市等広域消防局(八千代町)は読売新聞の取材に応じ、未経験の大規模事故に冷静に対処したとの認識を示した。(大塚美智子、諏訪泉)
◆大規模事故を想定
第一報は事故発生から12分後の4月29日午前4時51分。東日本高速道路関東支社の岩槻道路管制センター(さいたま市岩槻区)からで、「車数台の事故発生」だった。しかし、その1、2分後の第2報では「マイクロバスの事故」と訂正。さらに「大型バスの事故。後部から煙が出ている」と再訂正。
この時点で、同消防局は「大規模事故災害」を想定。2隊派遣していた救急隊をさらに3隊増強するとともに、「人命救助最優先」「トリアージの実施」などの活動方針を隊員に伝えた。
午前5時7分、高崎東消防署群南分署のポンプ車隊(5人)が最初に現場到着。防音壁がくい込み、大破したバスの惨状を目にする。乗員乗客46人中、すでに軽傷者約25人は非常口からバスを脱出し、約80メートル離れた路側帯で不安そうに肩を寄せ合っていた。
エンジン部分の火災は放水ですぐに鎮火。救助隊員らはバス右側の窓枠3か所を油圧式工具で取り外し、はしごを掛けると、車内に乗り込んだ。車内は荷物が散乱し、窓と左端の座席列の間に防音壁がくい込んでいた。左前部の座席は変形こそすれ、おおむね元の位置にあった。しかし、乗客は通路や座席上で折り重なるように倒れており、意識のない人もいた。
隊員らは、油圧カッターなどを使って、救出の障害となる左側の座席を取り外した。ストレッチャーを運び込んでけが人を収容し、「大丈夫」「頑張って」などと励ましながら窓や非常口から次々に運び出した。
運転席の河野化山(かざん)容疑者(43)は話せる状態で、挟まれていた座席から救助されると、警察官に連れていかれた。
◆初のトリアージ
トリアージは、バスの後方に設けた3か所の救護所に5・4メートル四方の専用シートを敷いて行われた。訓練経験こそあったものの、同消防局が本格的なトリアージを行うのは初めて。「助かる命を優先して搬送した。心の痛い作業だった」(警防課)と振り返った。
その頃には、前橋や多野藤岡など六つの消防本部からの応援隊も続々と到着。同消防局の非番招集も含めて総勢は34隊109人にも及び、救急隊は次々と被害者を高崎、前橋、藤岡など5市12病院に搬送した。午前9時26分、現場指揮本部は閉鎖された。
同消防局幹部は「今回のような高速道での大事故は初めてで救出活動は非常に困難だった。その中で、普段からの各署や分署との合同訓練で培われたものがうまく機能した」と話した。
(2012年5月3日 読売新聞)