ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

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2012年05月04日 02時42分56秒 | 障害者の自立
治療、搬送迅速に

 藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、事故直後の現場の状況や約4時間にわたる救助の様子が2日、明らかになった。治療や搬送の優先順位をつけて救命率を向上させるトリアージなどを実施した高崎市等広域消防局(八千代町)は読売新聞の取材に応じ、未経験の大規模事故に冷静に対処したとの認識を示した。(大塚美智子、諏訪泉)

◆大規模事故を想定

 第一報は事故発生から12分後の4月29日午前4時51分。東日本高速道路関東支社の岩槻道路管制センター(さいたま市岩槻区)からで、「車数台の事故発生」だった。しかし、その1、2分後の第2報では「マイクロバスの事故」と訂正。さらに「大型バスの事故。後部から煙が出ている」と再訂正。

 この時点で、同消防局は「大規模事故災害」を想定。2隊派遣していた救急隊をさらに3隊増強するとともに、「人命救助最優先」「トリアージの実施」などの活動方針を隊員に伝えた。

 午前5時7分、高崎東消防署群南分署のポンプ車隊(5人)が最初に現場到着。防音壁がくい込み、大破したバスの惨状を目にする。乗員乗客46人中、すでに軽傷者約25人は非常口からバスを脱出し、約80メートル離れた路側帯で不安そうに肩を寄せ合っていた。

 エンジン部分の火災は放水ですぐに鎮火。救助隊員らはバス右側の窓枠3か所を油圧式工具で取り外し、はしごを掛けると、車内に乗り込んだ。車内は荷物が散乱し、窓と左端の座席列の間に防音壁がくい込んでいた。左前部の座席は変形こそすれ、おおむね元の位置にあった。しかし、乗客は通路や座席上で折り重なるように倒れており、意識のない人もいた。

 隊員らは、油圧カッターなどを使って、救出の障害となる左側の座席を取り外した。ストレッチャーを運び込んでけが人を収容し、「大丈夫」「頑張って」などと励ましながら窓や非常口から次々に運び出した。

 運転席の河野化山(かざん)容疑者(43)は話せる状態で、挟まれていた座席から救助されると、警察官に連れていかれた。

◆初のトリアージ

 トリアージは、バスの後方に設けた3か所の救護所に5・4メートル四方の専用シートを敷いて行われた。訓練経験こそあったものの、同消防局が本格的なトリアージを行うのは初めて。「助かる命を優先して搬送した。心の痛い作業だった」(警防課)と振り返った。

 その頃には、前橋や多野藤岡など六つの消防本部からの応援隊も続々と到着。同消防局の非番招集も含めて総勢は34隊109人にも及び、救急隊は次々と被害者を高崎、前橋、藤岡など5市12病院に搬送した。午前9時26分、現場指揮本部は閉鎖された。

 同消防局幹部は「今回のような高速道での大事故は初めてで救出活動は非常に困難だった。その中で、普段からの各署や分署との合同訓練で培われたものがうまく機能した」と話した。



(2012年5月3日 読売新聞)

アスペルガー症候群と向き合って 子育て経験を本に

2012年05月04日 02時38分50秒 | 障害者の自立
 わが子が発達障害と診断されたら、悩み戸惑わない親はいないだろう。周囲の理解が得られないこともある。ならば、子どもの目にこの世界がどう見えているのかを知ることで、気持ちに近づけないか。そう考えた高橋尚美さん(46)=大阪府大東市=が、長女と歩んだ日々を語った。

 長女の紗都(さと)さん(15)が、アスペルガー症候群と診断されたのは9歳、小学3年だった。幼いころから行動はゆっくりペースで食事に2時間かかることも。音には鋭敏で、騒々しい場所に行くとすぐに帰りたがった。半面、記憶力は抜群で、数日前に出会った人の衣服の色まで覚えていた。

 「違和感はあったが、娘の個性と思っていた」と高橋さん。「独特の世界観で生きている」と児童精神科医から説明を受けたが、不思議とショックは小さかった。「親の育て方のせい」「本人の我慢が足りない」などと責められ、つらい思いをしたからだ。「そうだったのかと、霧が晴れたような気持ちになり考え直しました。『ならば、娘の内なる世界を考えたい』と」

 アスペルガー症候群を直接治すことができる薬や治療法は現時点ではない。医療的な支援と教育面での関わりを同時に進める「療育」についても絶対的な手法はなく、いくつかの療育方法を組み合わせ、その子が持っている能力を引き出そうとしている。

 娘が最も困っていることは何だろう。高橋さんは診断前の8歳のころから、何げない会話から気持ちを探ろうとしていた。「私な、学校に行ったらうわーっとなってんねん」「教室も休み時間もうわーっとなってて、食べられへんねん」などと、緊張と疲れをもたらす状況を「うわーっとなる」と表現した。

 パニックという言葉を使わず、高橋さんは「うわわオバケ」と名付けた。突然の大音量や大声、掃除機の吸い込み音は「音うわわオバケ」、激しい動きをする物は「動きうわわオバケ」、壁の色や照明が明るすぎるといった刺激は「色うわわオバケ」と呼んだ。

 そうした会話や記述を積み重ねるうち、オバケの数が40を超えると紗都さんに疲れが出始め、100を超えると声も出なくなるほど疲労してしまうことが分かった。そうしたやり取りに、紗都さんの文章とイラストを添えた「うわわ手帳と私のアスペルガー症候群」(クリエイツかもがわ・1890円)を出版した。

 「集団に適応させようと、私が娘にしんどい思いをさせたこともあった」と高橋さん。長女の内面世界を学校関係者にも伝え、理解や配慮を求めている。

 「言動だけを見て『困った子』『変な子』と決めつけないで。なぜそうなるのかという気持ちで接することで見えてくるものがある。そして一人一人に合った支援を提供できるようになってほしい」と高橋さんは話す。


【アスペルガー症候群】 広汎性発達障害の一つ。知的な遅れはないが、会話や行動の面で、言語性コミュニケーションの能力、想像、思考力の欠如が見られる。感覚過敏を併せ持つことが多いが、具体的な行動は個人差が大きい。

神戸新聞 - (2012/05/03 11:24)

雲仙・瑞宝太鼓が「アメリカ桜まつり」に参加(2012/04/03)

2012年05月04日 02時33分58秒 | 障害者の自立
 「アメリカ桜まつり」のイベントに出演した雲仙市瑞穂町のプロの和太鼓グループ、瑞宝太鼓(岩本友広団長)の団員とスタッフが1日、町田義博副市長に公演を報告した。

 瑞宝太鼓は知的障害者職業訓練施設「長崎能力開発センター」のクラブ活動として発足し、2001年4月にプロに転向。年間約130公演をこなしている。

 まつりは、日本から米国への桜の寄贈100周年を記念した親善イベントで、団員は4月12日に渡米。8日間の滞在中、ワシントンのケネディーセンターやニューヨークの野球イベントなどで和太鼓の素晴らしさを伝えた。

 岩本団長は「多くの人のおかげで大きな舞台に立たせてもらい、たくさんの人と交流できた。東日本大震災の支援へのお礼も伝えられた」と報告。町田副市長は「日本代表としての出演を雲仙市民として誇りに思う」と活躍をたたえた。


アメリカ桜まつりの関連イベントで披露する団員=米ニューヨーク(岡橋太郎さん提供)

長崎新聞

声を掛け合い熱戦 宮崎市総合体育館でふうせんバレー

2012年05月04日 02時29分50秒 | 障害者の自立
世代や障害の有無にかかわらず競技を通して交流を深める「ふうせんバレーボール宮崎大会」(同実行委、宮崎わたぼうし会主催)は3日、宮崎市総合体育館であった。県民や障害者ら32チーム・215人が、優勝を目指して熱戦を繰り広げた。

 同大会は、6人の出場者全員が一度は風船に触ってから相手コートに打ち返すなど独自のルールを採用。各チームは同大会への参加数や実績などに応じて3グループに分かれて競った。


【写真】チームメートで声を掛け合いながら、ふうせんバレーを楽しむ参加者

宮崎日日新聞 (ブログ) - 2012年05月03日


富岡「桜染め」復活へ 秋田・角館が枝提供

2012年05月04日 02時27分18秒 | 障害者の自立
富岡町の「夜の森公園」のサクラを活用した特産品「桜染め」が復活に向け動きだす。

町社会福祉協議会が多くの町民の避難先となっている郡山市に工房をつくる。

警戒区域にある町のサクラは使えず、サクラの名所の縁で秋田県仙北市角館町から枝などの無償譲渡を受ける。

桜染めに携わってきた、富岡町の知的障害者入所更生施設「光洋愛成園」の生活支援員瀬田川和枝さん(47)は町復興に重ね合わせる。

桜染めは町観光協会の企画で、平成17年に同施設の入所者約10人が「工房さくら」をつくって取り組み始めた。

瀬田川さんは入所者と商品の品質アップに力を注いできた。

しかし、東京電力福島第一原発事故が全てを奪った。

昨秋、町社会福祉協議会が運営する郡山市の生活復興支援施設「おだがいさまセンター」の職員から「桜染めを復活させよう」との声が上がった。

桜染めの工房の設置計画が立てられた。

町民約20人を雇用する方針。

施設完成を待ち、秋ごろにはストールやバッグなどの製作に入る。

福島放送 - 2012年05月03日 10時34分配信