ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

論点・焦点:生活・就労、困っている人に 県のサポートセンター新スタート /岐阜

2012年05月06日 02時22分45秒 | 障害者の自立
◇“伴走”しながら解決尽力

 生活や就労などで問題を抱える人たちに寄り添い、解決策をコーディネートする「岐阜県パーソナル・サポート・センター」が今春、新たなスタートを切った。昨年度、岐阜県は国の「パーソナル・サポート・モデル事業」のモデル地域に採択され、国から資金支援を受けて県内5カ所にセンターが開設された。1年間で延べ約1400人が利用。就労にはまず生活の安定が不可欠なことから、今年度は厚生支援にも重点を置いている。

 県は今年度、NPO法人「ぎふNPOセンター」に業務を委託。岐阜本所(岐阜市橋本町のアクティブG)▽東濃支所(多治見市本町の駅前プラザ・テラ)▽高山出張所(高山市名田町の飛騨地区労働者福祉会館)の3カ所で計15人のパーソナル・サポーターが「伴走型」の支援を行っている。

  ◇    ◇

 「職を失い宿舎から追い出された。未払い金や借金を抱えている……」「子どもを連れて暴力をふるう夫から逃げてきたが、住む場所はなく仕事を探すのも困難。PTSD(心的外傷後ストレス障害)も抱えている……」

毎日新聞 2012年05月05日 地方版

迫る 重症障害児の親、将来不安

2012年05月06日 02時11分36秒 | 障害者の自立
●重症心身障害児の一日


 「あーちゃん、おはよう」。午前7時、静岡市駿河区の匂坂(さぎ・さか)昌子さん(49)が、介護ベッドの明日香さん(13)に声をかける。はっきりした反応はないが、昌子さんにしか分からない目の動きがある。


 出産直前に胎盤がはがれ、低酸素状態で明日香さんを生んだ。脳が出血した影響で障害が残る。寝たきりで体重約22キロ。骨密度が低く、これまでに13カ所を骨折した。食事はおなかに開けた穴に通した管で栄養や水分をとる。胃ろうだ。


 昌子さんの一日は長い。午前5時に起床し、隣で寝ている明日香さんの状態を確認する。胃ろうは1日に4回。整腸やけいれん止めの服用薬は10種類ある。


 明日香さんが動かせるのは、まばたきだけ。その表情を見ながら家事をこなし、排泄(はい・せつ)を手伝い、発作に備える。


 明日香さんは県立特別支援学校中等部の2年生。午前8時半、身長145センチの昌子さんが明日香さんを抱え、ワゴン車で送り届ける。迎えは午後4時。ベッドに寝かせ、最後の胃ろうは午後10時半すぎ。やがて寝息が聞こえ、寝入ったことに気づく。昌子さんも同じベッドで眠りに就く。


 昌子さんは「親が一時的に休める仕組みや施設がもっとあれば」と願う。明日香さんと暮らしたい一方で、肉体的な負担はぎりぎりだと感じている。


●障害児の居場所


 静岡市中心部から北へ約2キロの場所に医療型障害児施設「つばさ静岡」はある。重症心身障害児が通ったり、暮らしたりする。


 午前11時。車いすに乗せられて、入所者が共有スペースに集まってきた。言葉は少ないが、職員に見守られ、安心した様子が伝わる。病院機能もある。入所定員は60人で満員状態だ。


 市によると、重症心身障害児の入所施設は2カ所あり、定員は計220人。市外からも受け入れており、市内の重症心身障害児130人(昨年3月末現在)のうち、入所者は11人。自宅で一緒に暮らすことを望む家族もいる。特別支援学校を卒業すれば、一日の在宅時間はさらに増える。


 厚生労働省は施設を増やすより、訪問看護などのサービスを拡充する方針。「障害の程度や生活状況により必要なサービスが異なる。多くの選択肢を用意することに努める」という。


 しかし、市の担当者は「それぞれに適したサービスが必ずしも充実しているとは言えない」とする。


 ●「実態の把握を」

 重症心身障害児が生きていくのに必要な支援は何か。それを把握する取り組みが県内で始まっている。


 3月末、県総合社会福祉会館(静岡市葵区駿府町)。重症心身障害児の家族や行政、施設職員らが集まって意見を交わした。


 会議は予定時間を超えた。家族は「障害児がどのように生きているのか、行政は実態を把握すべきだ」と訴え、行政からは「個々のニーズを拾う方法が難しい」との声があった。


 出席した「市重症心身障害児(者)を守る会」の牧野善浴(よし・ひろ)代表は、特別支援学校卒業後の受け皿がない状態について「政策的な問題。行政に投げ掛けていく」と話した。


メモ)重症心身障害児


 重度の知的障害と肢体不自由が重複する子。日常生活に医療ケアが必要な人が多い。医師や看護師が常駐する施設に通ったり、入所したりして支援を受ける。児童福祉法と障害者自立支援法の改正で、重症心身障害児に対応する施設は4月から、「医療型障害児入所、通所施設」に名称が変わった。



声を掛けながら、胃ろうの準備をする匂坂昌子さん=静岡市葵区

朝日新聞 - 16 2012年05月05日


ちんどん屋グループ「盲導犬足りない」

2012年05月06日 02時06分35秒 | 障害者の自立

波佐見陶器まつりで募金活動

 盲導犬の育成を支援しようと、佐賀県嬉野市の針きゅう院院長、岸川伸資さん(42)らのちんどん屋グループが4日、波佐見町で開催中の「波佐見陶器まつり」の会場でパフォーマンスを披露しながら募金を呼びかけた。

 岸川さんは先天性の弱視で、視力は両目とも0・01しかない。視覚障害者で盲導犬の普及に取り組んでいた父親の美好さん(64)の意志を引き継ごうと2年前に5人組のちんどん屋グループ「ちんどんLittle Star」を結成し、活動を続けている。

 岸川さんらは、波佐見陶器まつりの会場でサックスや太鼓で歌謡曲などを演奏しながら、盲導犬が不足している現状を訴えた。岸川さんは「1頭でも多くの盲導犬を目の不自由な人のもとに届けたい」と話した。

 九州盲導犬協会(福岡県)によると、1頭あたりの育成費は300万~500万円。現在、国内で約1100頭が活躍しているが、さらに約3500人が盲導犬を必要としているという。

(2012年5月5日 読売新聞)

全盲の中尾さん長崎外国語大に入学

2012年05月06日 01時59分46秒 | 障害者の自立
 この春、夢に向かって新生活をスタートさせた全盲の青年がいる。長崎外国語大(長崎市横尾3丁目)に入学した中尾清隆さん(18)=同市末石町=。県視覚障害者協会によると、県内の大学で全盲の学生を受け入れたのは「初めてではないか」という。中尾さんは「盲学校で英語を教えたい」という夢に向かって一歩を踏み出した。

 生まれた時から病気で視力が弱かった中尾さん。学校生活ではさまざまな場面で先生が助けてくれた。「おかげで今の自分がいる」。身近な大人だった教師が自然と夢になった。

 しかし、学年が上がるごとに視力は低下。県立盲学校(西彼時津町)から筑波大付属視覚特別支援学校(東京都)への進学が決まった中学3年の2月ごろから視力がさらに落ち始め、高校3年の春、失明。ショックは大きかったが、教師になりたいという気持ちは揺るがなかった。高校1年の時、外国人講師と英語で流ちょうに話す全盲の先生の姿をかっこいいと思ったことがきっかけで英語教師を目指した。

 進学先は県外を含めいくつかの大学を考えたが、白杖(はくじょう)を持っているというだけで敬遠しがちな大学もあった。そんな中、長崎外国語大は教職員が丁寧に対応してくれた。学校生活の中で周囲に協力してもらうことも出てくると考え、同大の受験を決意。面接と小論文のAO入試で受験した。

 入学するまで、さまざまな面で応対した同大入試広報課の山本哲哉課長は「中尾君は意欲的だった。彼ならやれると思ったので、夢を実現するのを応援したかった」と振り返る。

 同大が全盲の学生を受け入れるのは初めて。当初は教職員に不安もあったが、社会福祉主事の資格を持つ山本課長が、何かあったときにすぐに対応できるよう全職員に安全な誘導の仕方などを伝えた。

 「大学は社会への通過点」との理由で点字ブロック設置など構内の改修はしなかった。ただ、場所が分かるようにと、教室や階段など好きな場所に点字シールを貼ることは許可した。保護者を交え、授業の受け方や学生生活などについて何度も何度も話し合い、入学の日を迎えた。

 入学して約1カ月。白杖を手に、バスを乗り継いで通学する毎日にはまだ慣れない。だが、授業は、ボランティアに点訳してもらった教科書などを使い、視覚障害者用のパソコンをノート代わりにして普通に受けている。友人もできた。教室移動の際には「何とかして安全に連れて行ってくれようとするのがうれしい」。「音楽をやりたいし、留学もしたい」と話す。

 「目が見えなくても、内にこもらず、外国にも目を向けるきっかけをつくってやれるような先生になりたい」。将来、今の自分のように夢を持つことの素晴らしさを伝えていくつもりだ。


授業を受ける中尾さん。「外国に目を向けるきっかけをつくる先生になりたい」と夢を語る=長崎市、長崎外国語大

5月5日のながさきニュース 長崎新聞

全盲の中尾さん長崎外国語大に入学

2012年05月06日 01時59分46秒 | 障害者の自立
 この春、夢に向かって新生活をスタートさせた全盲の青年がいる。長崎外国語大(長崎市横尾3丁目)に入学した中尾清隆さん(18)=同市末石町=。県視覚障害者協会によると、県内の大学で全盲の学生を受け入れたのは「初めてではないか」という。中尾さんは「盲学校で英語を教えたい」という夢に向かって一歩を踏み出した。

 生まれた時から病気で視力が弱かった中尾さん。学校生活ではさまざまな場面で先生が助けてくれた。「おかげで今の自分がいる」。身近な大人だった教師が自然と夢になった。

 しかし、学年が上がるごとに視力は低下。県立盲学校(西彼時津町)から筑波大付属視覚特別支援学校(東京都)への進学が決まった中学3年の2月ごろから視力がさらに落ち始め、高校3年の春、失明。ショックは大きかったが、教師になりたいという気持ちは揺るがなかった。高校1年の時、外国人講師と英語で流ちょうに話す全盲の先生の姿をかっこいいと思ったことがきっかけで英語教師を目指した。

 進学先は県外を含めいくつかの大学を考えたが、白杖(はくじょう)を持っているというだけで敬遠しがちな大学もあった。そんな中、長崎外国語大は教職員が丁寧に対応してくれた。学校生活の中で周囲に協力してもらうことも出てくると考え、同大の受験を決意。面接と小論文のAO入試で受験した。

 入学するまで、さまざまな面で応対した同大入試広報課の山本哲哉課長は「中尾君は意欲的だった。彼ならやれると思ったので、夢を実現するのを応援したかった」と振り返る。

 同大が全盲の学生を受け入れるのは初めて。当初は教職員に不安もあったが、社会福祉主事の資格を持つ山本課長が、何かあったときにすぐに対応できるよう全職員に安全な誘導の仕方などを伝えた。

 「大学は社会への通過点」との理由で点字ブロック設置など構内の改修はしなかった。ただ、場所が分かるようにと、教室や階段など好きな場所に点字シールを貼ることは許可した。保護者を交え、授業の受け方や学生生活などについて何度も何度も話し合い、入学の日を迎えた。

 入学して約1カ月。白杖を手に、バスを乗り継いで通学する毎日にはまだ慣れない。だが、授業は、ボランティアに点訳してもらった教科書などを使い、視覚障害者用のパソコンをノート代わりにして普通に受けている。友人もできた。教室移動の際には「何とかして安全に連れて行ってくれようとするのがうれしい」。「音楽をやりたいし、留学もしたい」と話す。

 「目が見えなくても、内にこもらず、外国にも目を向けるきっかけをつくってやれるような先生になりたい」。将来、今の自分のように夢を持つことの素晴らしさを伝えていくつもりだ。


授業を受ける中尾さん。「外国に目を向けるきっかけをつくる先生になりたい」と夢を語る=長崎市、長崎外国語大

5月5日のながさきニュース 長崎新聞