「みんなで円陣をつくって」
全盲の久保博揮さん=名古屋市昭和区=が呼び掛けると、アイマスク姿の男女七人は「ここにいます」と言う互いの声を頼りに、手をつないだ。
昨年末、昭和区のカフェで開かれたイベント。目が見えない体験を通じ、知らない者同士がコミュニケーションを図るのが目的だ。男性会社員(38)は「初対面の人と話す方ではないが、目が見えないと素直に話しかけられる。手をつなぐのも抵抗がない」と話す。久保さんは「見えないからこそのメリットがある。障害と考えず、前向きに価値としてとらえたい」と言う。
久保さんは中学三年の時、同級生から何度も「気持ち悪い」などといじめられた。「ベーチェット病の症状があって顔色が悪く、人と違った」と振り返る。他人の視線が怖くなって自室に引きこもり、高校は一年で中退。十九歳の時、ベーチェット病に伴う眼病で入院中、症状が進行して失明した。
その入院中、阪神大震災が起き、いじめからかばってくれた友人が亡くなった。「身近な人が死に、自分は死ぬことはできないと分かった。生きているなら、自分の存在価値をつくりたい」。盲学校、京都外国語大に進み、英語教師を目指して米国へ留学した。
その米国で衝撃を受けた。道路で誘導してくれた男性に何度も礼を述べると、「君は目が見えないことを申し訳ないと思っているだろうが、そんなことはない。君は君にしかできないことをやればいい」と言われた。「今まで社会から“してもらう”立場だった。全盲なのにすごい、と言われることで普通になりたかったけど、自分で自分を差別していたんだと気付いた」
帰国後は進路を見失い、大学卒業後はニートに。生活は昼夜逆転し、ネットラジオで自分の演奏を流したり、友人とライブをしたり。二年後、結婚を機に通信会社の特例子会社に就職。三十一歳だった。
仕事は障害者、高齢者向けのウェブポータルサイトの運営で、リーダーになった。同僚は身体、精神、知的などの障害者ばかり。調子が悪い人が多かったため、二人担当制とし、一人が休んでも仕事が止まらないようにしたり、会話を増やしたりするなど、職場を改善した。「僕は資料が見えないので、『あれ』『これ』では通じない。あいまいな言葉は質問して確認することで、誤解を防ぐことができた」。多様な障害がある同僚をまとめた経験を、社外でも生かそうと思うようになった。
約一年前、障害者などの就労支援のため、日本ダイバーシティ推進協会を設立し、代表となる。ダイバーシティとは人材の多様性の意味。「障がいを違いに、違いを価値に」が目標だ。「障害者も健常者も、互いの違いを認め合い、分からないときは聞く」ことを伝えようと、一般や企業向けにイベントや研修会などを開く。今までのように支援される一方ではなく、障害者も健常者を支援する側に回ることを目指している。
久保さんが作詞作曲した歌が二〇一〇年、障害がある人のコンクール「わたぼうし音楽祭」で大賞を受賞。小学校やNPOのイベントで歌う。題は「半分ごっこ」。
♪誰もが完璧には生きられない 半分ずつ分け合って支えあう あなたがくれたあたたかさのように わたしも誰かに優しくなれたら
歌詞には、失明してから背中を押してくれた、周囲の人への感謝が込められている。
◆雇用率引き上げ 効果は
働く意欲がある障害者の増加に伴い、四月から障害者の法定雇用率が十五年ぶりに引き上げられる。民間企業は全従業員の1・8%から2・0%に。ただ、実際に企業で働く障害者の割合は二〇一二年で1・69%。
久保さんは「雇用率のための雇用なら、人員削減で切られてしまうのでは。個人の特性や価値が生かされていれば、外部環境の影響は受けにくい。制度に依存せず、障害者が働ける社会を」と望む。
少子高齢化が進む日本では、障害者に限らず、女性や高齢者、外国人などの活躍も欠かせない。復興庁上席政策調査官で、ダイバーシティ研究所(大阪)代表理事の田村太郎さん(41)は「昼間に起きた東日本大震災では、消防団で思い描くような力のある男性が、地域から離れていた」と指摘。「今後は高齢者でも運べる援助物資とか、発想を変えないと地域がだめになる。弱みを持つ当事者が一番、かゆいところに手が届く考え方をする。一緒にやることで、みんなが暮らしやすく働きやすい方向へ進む」と話している。
イベントで「半分ごっこ」を弾き語りする久保博揮さん=名古屋市千種区で
東京新聞-2013年1月6日