ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

日テレ24時間テレビ、上から目線で障害者を利用し、無理矢理つくられた“キセキ”に疑問

2014年09月03日 02時20分05秒 | 障害者の自立
 日本テレビ毎年恒例の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月30~31日放送)をこんなに真面目に観たのは初めてだ。もちろん24時間観たわけではない。途中チョイチョイ浮気して、うっかり面白かった番組もあるので触れておく。

『ワイドナショー』(フジテレビ系/31日)で、松本人志(ダウンタウン)や乙武洋匡の「チャリティーに対してモノ申す」は、戦略的であざとくてよかった。最近著名人の間で流行しているアイスバケツチャレンジや、裏番組の24時間テレビに対して「そこんとこ、どーよ?」と思っている人の溜飲を下げたような気もしている。乙武君でないと言えないこと、あるわな。

『となりの防災家族』(NHK/31日)は、猫好き・佐藤二朗好きにはたまらない内容だった。防災意識の低い佐藤一家と、備えと知識がある櫻井淳子一家の「防災意識格差」を飼い猫からの目線でとらえる、というドラマ仕立ての啓発企画だ。一瞬、心がザワつくエンディング(あらぬ妄想を掻き立てる)でなかなかに面白かった。

 で、本題ね。病気や障害をもった人、体を酷使してまでがんばる人を清く正しく美しく描きたがるシナリオが、正直苦手だ。彼らの本当の気持ちや生の声はあまり取り上げられることがない。そこがなんだか「24時間テレビ的」で疑問を感じる。私たちはそのあたりを確か学んだはず。佐村河内守という人物から。今回のテーマが「小さなキセキ、大きなキセキ」っつうことで、何が何でもキセキにつなげようとするところに無理もあった。

 例えば、生まれつき目が見えない12歳の佐藤翔(かける)君。耳で聴いた音をピアノで再現できる素晴らしい才能の持ち主だ。華原朋美と武道館でコラボする企画だったのだが、この翔君、ものすごく明るくて常に笑顔で、おしゃべりが好きな、面白い男の子なのである。目が見えないからすごい、のではなく、そもそもすごいのである。VTRで華原がだいぶ直球な質問(障害のない人間の上から目線で)をぶつけるも、翔君は「ハハハ~」と素直に笑い飛ばす。VTRは「障害の説明」で、極めて24時間テレビ的編集。

 武道館で演奏した後も「Bメロんとこ、間違えそうになったけどすぐに直してよかった~アハハハ~!」と朗らか。あ、この子、すごく素直で、観ていて気持ちがいいなと思ったのだった。もっと翔君の声を聴きたかった。

 ところが、司会者は翔君のコメントを途中で遮り、さっさと次の企画へと誘導する。企画がめじろ押し&生中継で大変なのだろうけれど、演奏したらサッサと終わらせて、みたいな部分は残念である。キセキではなくて、翔君の実力として称賛すべきである。こういうところが残念というか、苦手なのである。

 さらには、フィギュアスケーターの羽生結弦は「被災地のために」、レスリングの吉田沙保里は「亡くなった父のために」、元プロボクサーの具志堅用高は「沖縄県民のために」。そう、24時間テレビでは「自分のために」「お金のために」「生活のために」は禁句であり、すべては人のため、でなきゃいけないのだ。ただし、羽生はそこに自らの戸惑いをきちんと声にしていたのは救いだった。自分のために滑る、でいいと思う。その姿に皆感動するのだから、壮大な使命感を負わせるってのもねぇ。今後はどうか「自分のために」頑張っている人も取り上げてほしい。お仕着せのテレビ的なキセキや感動ではなく、日常を映し出してほしい。ま、今後も続くのなら、という話だが。
(文=吉田潮/ライター・イラストレーター)

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。

吉田潮「だからテレビはやめられない」(9月2日).Business Journal

乙武洋匡氏、24時間テレビでの障がい者のあつかいに苦言 「あまりに一面的すぎる」

2014年09月03日 02時14分00秒 | 障害者の自立
乙武洋匡氏

作家でタレントの乙武洋匡氏が、31日放送のバラエティ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)で、日本テレビ系「24時間テレビ」での障害者のあつかいについてコメントした。

この日の「ワイドナショー」では、前日から放送されたチャリティー番組「24時間テレビ37 愛は地球を救う」をとりあげ、その存在意義やチャリティー番組のあり方について出演者が議論を交わした。

乙武氏は、同番組について「実は一回、総合司会?MCを断ったことがあるんです」と告白。さらに「僕自身は、別に『24時間テレビ』は否定はしないんです」と前置きしつつ、「ただ、あまりに一面的だなとは思っているんです」と苦言を呈した。

乙武氏は「障がい者は『相手を感動させる意図』がなくても、何かを一生懸命に頑張っているだけで自然と誰かを感動させたり、勇気づけていたり、っていう結果になることはあると思う」と説明。続けて「やっぱり『24時間テレビ』は、あまりにそこばかりがクローズアップされて、障がい者にもだらしないヤツがいるだとか、飲んべえでどうしようもないヤツがいるとか、色んなヤツがいるんだよっていうのがあまり伝えられていないと思っていた」と語り、番組への疑問点を具体的に挙げた。

さらに、乙武氏は自身を「もっと何か違う表現の仕方、違う広がり方をしたら良いなという想いで、そういう手法を使って(障がい者への認識を)拡げていきたいと思ってた人間」と表現し、「そう思っている人間が、そこ(24時間テレビ)のMCをやってしまうのは、ちょっと僕の中ですっきりしない思いがあったので、お断りさせていただいた」と説明した。

ちなみに、乙武氏が辞退した24時間テレビには、元大相撲力士のKONISHIKI(コニシキ)がMCに抜擢されたという。乙武氏は「小さいのがダメだったから、大きいのに(オファーが)いった」と笑いながら話した。

2014年09月01日17時45分 トピックニュース

「24時間テレビ」でギャラをもらうことの是非について - 尾藤 克之

2014年09月03日 01時15分22秒 | 障害者の自立
夏恒例の「24時間テレビ」が終了しました。瞬間最高視聴率41.9%(平均視聴率17.3%)を記録して、改めて番組の認知度の高さが明らかになりました。 ところが、24時間テレビは出演者に高額なギャラを支払っているため、このギャラの扱いをめぐっては、肯定派と否定派に二分されることが少なくありません。

●ギャラ肯定派と否定派の意見

1)芸能人の認知度で募金も集まるなら良い

芸能人は、これまでの活動によって、フアンや支援者がいるためメディアへの影響力が強い。芸能人が声をあげることで多くの人に浸透して、多額の募金が集まるなら問題は無い。

2)芸能人が出演するわけだからギャラは当然

24時間テレビで集まる募金は、15億4522万6444円(2013年)です。今年も同程度の募金が見込まれています。募金が集まることで福祉に関する諸問題を解決できるわけですから、参加した芸能人にギャラを渡しても何ら問題は無い。

昨年、写真週刊誌のFLASH(8/13号)は、番組総製作費が4億2000万円で、CM収入の合計が22億2750万円だと報じています。これに募金を加算すれば、番組総収入は相当な額になります。

1回で約15億円を集められるチャリティー番組は稀有でしょう。瞬間最高視聴率41.9%は「家政婦のミタ」「半沢直樹」とほぼ同等の数値です。広告収入が減少するなか、TV関係者にとって魅力的な番組であることには間違いありません。

さらに年に1回とはいえ、社会福祉について考える機会が拡がりますから、高齢化社会を迎えている日本では、学習的な効果も期待できます。

ギャラ否定派の意見としては次のようなものがあるでしょう。

3)障害者に対する誤った理解

番組における、障害者の取り上げ方に問題があります。啓蒙する内容ではなく、気の毒、可哀想という、健常者視点に留まっているため、障害者教育の観点からすれば好ましくありません。むしろ差別感を助長させる危険性すらあります。

●ボランティアとは何なのか?

ここで、ボランティアの定義について考えてみましょう。ボランティア活動をする際に、ボランティア精神という言葉を耳にすることがあるでしょう。ボランティアに関しては参考になる定義があるため主要なものを紹介したいと思います。

アメリカ(米国労働省Department of Labor)
団体の活動を通じて、あるいは、団体のために無償で行った行動。交通費や材料費等の実費を受け取っても無償活動の範疇と考えられる。

イギリス(The National Centre for Volunteering)
無報酬で時間を割く活動、親しい人以外の誰かに役立つこと、あるいは環境に役立つこと目的とした活動。求職者手当規則のなかで利益以外を目的とした団体のために働くこと。

日本(文科省生涯学習審議会)
ボランティア活動とは、自発的意志に基づく、公共目的のために行われる無償の活動のことをいいます。そうした活動を進んで行う人のことをボランティアと呼んでいます。

各国ともに、ボランティアの定義は無報酬が原則になっています。本来は無報酬であるはずのボランティア活動が収益化されていることに違和感を感じている人が多いのでしょう。

私は、有償であることが問題なのではなく、同番組が社会福祉を広く認知させて、長きに渡り国民意識に根付いていることや、多額の募金によって各種福祉問題を解決する一翼を担っていることは、賞賛すべきであると考えます。

ですが、24時間テレビは、チャリティーやボランティア活動ではありません。正確に記載するなら、有償チャリティー、有償ボランティア活動にあたります。今後も、チャリティーやボランティア活動をうたうのであれば、先人から受け継がれてきた精神は遵守しなくてはいけないでしょう。

また、物語としてのストーリー性を追求しすぎないことです。必要なことは、頑張っている障害者を登場させて物語風にアレンジするのではなく、社会福祉全体を鳥瞰して、障害者を取り巻く課題を番組としてどのように取上げていくのか。そして、解決をする示唆ができるかだだと思います。

●読者への示唆

心身に障害をもつ人が社会参加を果たすためには、さまざまな「壁」があります。物理的な壁や制度上の壁は、政治や行政の努力で取り除くことができます。しかし偏見や差別など、社会に根付いている「心の壁」を取り除くためには、社会福祉の概念を根本的に見直す必要性があり、それは社会を変革するという時間のかかる課題です。

障害を持つ人たちでも社会構成員の一員として、社会の恩恵を等しく受けることができるノーマライゼーションを実現するには、社会福祉や社会のあり方の概念を変革する途方も無い作業が必要になります。そこに生きる人の心が貧しい社会であっては、ノーマライゼーションを創造することはできないからです。

尾藤克之 経営コンサルタント BLOGOS 2014年09月02日 02:35