名古屋市熱田区の鍼灸(しんきゅう)師で、愛知視覚障害者協議会(愛視協)会長の梅尾朱美さん(64)が今月、半生をまとめた「権利の芽吹きは足もとに」(かもがわ出版)を刊行した。全盲の梅尾さんは、市による障害の認定区分を不服とし、認定取り消しを求めて点字の訴状を名古屋地裁に提出した「点字書面訴訟」の原告。幼少期や権利拡大を目指した活動を振り返り、視覚障害者の置かれた現状を訴えている。
梅尾さんは香川県生まれ。生後十カ月で高熱を伴う結核性髄膜炎にかかり、視力を失った。周囲の無理解などで学校へ通わせてもらえず、通常なら四年生になる九歳でようやく高松市内の盲学校の一年生に入学。「盲学校の存在さえ知らず、どうしてよいか分からなかった親を地元の民生委員が説得してくれたのだと思う」と振り返る。
盲学校が自宅から遠かったため入寮。十五畳ほどの部屋に七、八人で共同生活をするように。覚えたての点字で親きょうだいに会えない寂しさをつづり、寮母に文字に訳してもらって自宅へ出した。学校では弱視者が全盲者よりも強い立場にあったといい、差別によるいじめにも遭った。
入学数年後に父親が仕事を求めて名古屋市へ移り、母親と妹、弟も続いて転居した。最後まで香川県に残った梅尾さんも、十六歳で同市へ。名古屋盲学校高等部に入り、十九歳でライフワークとなる愛視協を知った。先輩の女性に「三カ月分の会費を払ってあげるから、入会して」と半ば強引に誘われたからだった。
全日本視覚障害者協議会(東京)の機関誌「点字民報」を読み、視覚障害者を取り巻く現状に疑問を持った。自ら声を上げ初めて取り組んだのが母子健康手帳の点訳化。長男を出産した三十四歳のときだった。
妊娠で手渡された手帳は、点字がないため内容が全く分からない。予防接種の必要事項や公費で受けられる健康診断など、健常者であれば簡単に入手できる情報さえ得られず、怒りが込み上げてきた。
愛視協として市や県に点訳を要望したが、当初は全く聞き入れてもらえず、「手帳は医師や看護師らが読むもので、親が読めなくても問題ない」とまで言われた。粘り強く要望を続けた結果、市は四年後に全国初の母子健康手帳の点字解説書を作成した。
そのほかにも、バスの音声案内の実施や、転落事故を防ぐため地下鉄ホームに可動柵設置の要請などに取り組んだ。二〇一〇年の「点字書面訴訟」では、名古屋地裁は全国で初めて点字の訴状を受理。判決文の点訳を渡す異例の対応をして注目された。梅尾さんは敗訴したが、障害者の司法参加への道を広げた。
著作は、訴訟で支援してくれた弁護士が「経験を伝えることで、障害者への理解が進むのでは」と背中を押してくれ、書きためた日記に加筆しまとめた。
六章構成で、梅尾さんが最も読んでほしいと思っているのは「見えない日常のなかで」と題した五章。技術が進んで電車のドアの開閉音が小さくなり、ドアが開いたのに気付かずに乗り遅れてしまったこと。トイレの水洗レバーは設置されている位置が種類によって異なるため、レバーを探し当てるのに苦労することなどを記した。「いろいろな立場の人の経験を多く積み上げることで、より良い社会を築けると思う」と話す。
四六判、百九十一ページ。税別千八百円。購入は書店で。
2014年9月6日 中日新聞