サッカーのワールドカップ(W杯)が閉幕した翌月、ブラジルで4年に1度の知的障害者サッカー世界選手権があった。今大会で6回目で、8カ国が参加した。
大会に出場するには知能指数が70ないし75以下との規定がある。知的障害者は先を読むプレーが苦手な傾向があり、作戦や戦型を忘れないよう監督や選手同士が常に声を掛け合うことが大切だ。
「アダチー、ミギミギ!」「アダチー、もっと引いて、ヒダリヒダリ!」
攻守の要の中盤を任された最年少の安達寛人選手(15)には先輩たちからひっきりなしに指示が飛んだ。「ミーティングで言われることは理解できるんですが、特に世界大会だとパニクって(慌てて)周りが見えなくなることがあります」。準決勝で敗れた夜、悔しそうに語っていた安達選手。「将来はJリーグでプロになり、知的障害者でもやれるんだというところをお見せしたいです」
平均年齢20歳の代表の面々。素顔は庶民的で、運送会社やビル清掃会社などに勤める社会人、または養護学校の生徒だ。障害者代表は日本サッカー協会の公認ではないため、運営資金を募金や障害者団体からの補助金に頼るしかない。ブラジルへの渡航費30万円は選手各自が負担を強いられた。ユニホームは前回大会のものを使い回し、選手自ら手洗いしてホテルの部屋に干した。雨のブラジル戦の翌日は湿ったままのシューズを履いて練習した。
日本は2002年から出場。大会により参加国数は異なるが、これまで10位、11位、10位と下位に低迷していた。だが、そんな窮状を抱えて迎えた今大会、1勝3敗1引き分けで過去最高の4位の好成績を上げてみせた。地味でつましくても仕事はやり遂げる。「サムライブルー」の称号は彼らにこそふさわしい。
<写真・文 朴鐘珠>=ブラジル・サンパウロ州で8月13〜23日に撮影
毎日新聞 2014年09月20日 東京夕刊