ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

卒論制作中に視覚障害者に出会い、画像解析をつかったスタートアップを始めようと思った

2014年12月10日 01時15分38秒 | 障害者の自立

ジェノヴァの若者たちが、卒業論文の研究をもとに、視覚障害者に音声で視覚情報を伝えるデヴァイスを開発している。

視覚障害者たちに再び視覚を与える──。これは「奇跡」ではない。Horus Technologyの若者たちの毎日の挑戦だ。

Horus Technologyは伊ジェノヴァのスタートアップ企業で、ヴェリオ・ムルジャ、ルーカ・ナルデッリ、ベネデッタ・マグリによって設立された。

「大学から家に戻ろうとしていたとき、バス停にたどり着くことができずにいる視覚障害者と出会いました。そこから、アイデアが生まれました」と、サヴェリオは語る。

ルーカとサヴェリオはジェノヴァ大学でコンピューター・ヴィジョンについての論文を書き上げ卒業しようとしていたところで、これこそ自分たちのスタートアップを立ち上げるのに完璧なきっかけだと覚悟を決めた。

「まず、ヴィデオカメラで周囲の世界を撮影します。それからユーザーは音声を経由してイメージを受け取ります。例えば何ができるかって? このプロトタイプを使えば、視覚障害者たちも、皆が読んでいる文字を『読める』のです」。つまり、ヴィデオカメラが文字を認識し、音声で人に伝達するのだ。

2014.12.9 TUE      WIRED.jp


両陛下、都内の障害者就労支援センターを訪問

2014年12月10日 01時11分27秒 | 障害者の自立

 天皇、皇后両陛下は8日、障害者週間(3~9日)に合わせ、東京都世田谷区立障害者就労支援センターすきっぷを訪問された。

 知的障害者らが就労に必要な能力を身に付ける施設で、印刷やクリーニングの作業室がある。両陛下は、プレス用の機械でシーツのアイロンがけをする通所者に「だいぶ慣れてきましたか」「きれいになりますね」などと声をかけられていた。

2014年12月08日 14時51分     読売新聞

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クリーニング作業を視察される天皇、皇后両陛下(8日午前、東京都世田谷区で)=横山就平撮影

障害者福祉楽しんで学ぶ 「ふれあい人権フェスタ」

2014年12月10日 01時07分37秒 | 障害者の自立

「ふれあい人権フェスタ2014」(県など主催、佐賀新聞社など後援)が6日、白石町の福富ゆうあい館であった。障害の有無に関わらず楽しめるユニバーサルスポーツ体験や人権問題を啓発するパネル展示などを通じ、約400人の参加者が障害者福祉への理解を深めた。

 同フェスタは、人権週間(4~10日)に合わせて毎年開かれている。障害者授産施設で作られた農産物・加工食品の直売や折りたたみいすを作る木工体験コーナーは大盛況。ユニバーサルスポーツ体験では、西九州大学の学生の手ほどきでパラリンピック正式種目の球技「ボッチャ」や、ピンポン球遊びなどを家族みんなで楽しんでいた。

 ステージでは、「Le Couple」の藤田恵美さんのコンサートや講演会も。全国中学生人権作文コンテスト県大会の表彰式もあり、同最優秀で全国大会で内閣総理大臣賞を受賞した平木洵太君(武雄青陵中1年)らが表彰を受けた。

2014年12月09日 10時13分      佐賀新聞

障害者授産施設の職員の手ほどきで折りたたみいすを作る「木工体験」を楽しむ子どもたち=白石町の福富ゆうあい館
障害者授産施設の職員の手ほどきで折りたたみいすを作る「木工体験」を楽しむ子どもたち=白石町の福富ゆうあい館

手話勉強中の佳子さま、聴覚障害者団体の式典出席

2014年12月10日 01時02分41秒 | 障害者の自立

 秋篠宮妃紀子さまと次女佳子さまが8日、東京・永田町の憲政記念館で開かれた「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に出席した。

 佳子さまは紀子さまとそろって会場に入り、出席者の拍手に笑顔を見せた。その後、紀子さまが手話であいさつ。宮内庁関係者によると、佳子さまも手話を勉強しているという。

 佳子さまは12月29日に20歳の誕生日を迎える。来年1月2日の新年一般参賀には初めて出席し、両陛下や姉の眞子さまと宮殿・長和殿のベランダに立つ。

2014年12月8日19時20分      朝日新聞

写真・図版 

「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に出席した秋篠宮妃紀子さま(左)と佳子さま=8日午後、東京・永田町の憲政記念館、代表撮影


健常者お断り――Eテレ障害者ドラマ『悪夢』が描く、“普通”の生活

2014年12月10日 00時51分00秒 | 障害者の自立
Eテレ『悪夢』(※再放送は9日24:00~)

 そのラウンジ・バーでは、みんなが音楽に合わせて楽しそうに踊っている。ある者は義足で、ある者は脳性まひで動きにくい体躯を揺らし、ある者は通常の半分しかない腕を振り回し、ある者は全身のうち唯一動く口元と目線だけを動かしリズムを取っている。バーテンダーもダウン症。あえて言葉を選ばずに言えば、悪夢のような光景だ。

 そこは、入り口に「健常者お断り」と書かれた障害者たちが集うバー「悪夢」。ドラマ『悪夢』(Eテレ)の舞台である。

 『悪夢』は、毎週放送されている障害者バラエティ『バリバラ』から生まれたドラマだ。『バリバラ』とは「バリアフリー・バラエティー」の略称。これまで、テレビの中の「障害者」は「かわいそう」な存在でなければならなかった。「守るべき」存在であり、「感動する」対象だった。もし彼らを笑いのネタにしようものなら、すぐさま「不謹慎」の烙印を貼られる。しかし、『バリバラ』ではそんな見方を変えようと、障害者カップルのラブラブっぷりを競う「バリバカップルGP」や、日本一面白い障害者を決める「SHOW-1グランプリ」(たとえば、脳性まひの二人がコンビを組む脳性マヒブラザーズが披露する「医者コント」では、「手が動かない。体も震える。うまくしゃべれない」という症状で「風邪じゃないか」と診察を受けに来た患者に医者が「あなた風邪じゃなくて脳性まひですね」とツッコむ)など、「障害者×恋愛」「障害者×お笑い」といったテレビでは半ばタブー視された企画を次々と実現させてきた。

 そんな『バリバラ』が、「障害者週間」に合わせて作った特集ドラマが本作『悪夢』なのだ(※再放送は9日24:00から)。

 統合失調症の主人公・真を演じるのは、自身も統合失調症であるお笑いコンビ・松本ハウスのハウス加賀谷である。アルバイト先の店主をカンニング竹山、真の母を杉田かおるが演じたりしているが、登場人物の大半である障害者たちは、本当の障害者たちが演じている。真は加賀谷がそうであったように、幻覚や幻聴に悩まされている。やっと就いたアルバイト中も「お前は普通じゃない」「働けない」などという幻聴が聞こえ続け、全身白塗りの男たち=シロイヒトに常に追われているのだ。

 なお、このシロイヒトを演じているのは麿赤兒率いる舞踏集団・大駱駝艦のメンバーたち。画面から伝わってくるその異様さと恐怖は、圧巻だ。

 そんな状態だから、当然新聞配達のアルバイトも満足にできず、店主たちから「普通じゃない」「関わりたくない」と気持ち悪がられてクビが宣告されてしまう。新たなバイトを探して何度も面接を受けるが、ことごとく失敗。その帰り道でもやはり幻覚と幻聴に襲われ、シロイヒトに追われ、逃げこむように入ったのが、バー「悪夢」だった。

 バーの異様な光景に真が戸惑っていると、「一緒に飲みます?」「踊りましょ」と誘う二人の女性。ひとりは、よく見ると脳性まひで足が不自由。もうひとりは顔面動静脈奇形で、マスクを取ると鼻から下が歪んでいる。「いや、無理でしょ!」と、あからさまに他の障害者を見下し、拒否する真。そして、こうは叫ぶ。「普通な奴はいないのかよ?」と。そこでは障害者プロレスも行われていた。半ば強引にリングに上げられた真は、「障害者相手に本気になれるかよ!」などと言っているうちに技をかけられ、失神してしまう。

 障害者は健常者に差別される。その問題は何度となく、さまざまな場で取り上げられてきた。だが、もっと深刻なのは、障害者もまた障害者を差別するという現実だ。真は自分の障害を隠しつつ、相手の障害を見下しているのだ。

「健常者の定義って、心身に障害のない健康な人。そんな人、世の中にいるかしら?」

  両足義足のアーティスト・片山真理が演じるバーの女主人・紗江はそう言って、真に問いかける。

「自分を隠して楽しい?」

 そして、「このほうが楽なの」と義足を外し、真に「抱いて」と迫る。戸惑いながらも抱きかかえた真に、紗江は言うのだ。

「ね? 人間でしょ。私たち、普通の人間なのよ」

 物語は、盲目の謎の男(桂福点)から真が奇妙な果実を譲り受けたことから大きく動いていく。その果実を食べると障害がなくなるのだという。ただし、同時にこれまでの記憶もなくなってしまう。真はその究極の選択に思い悩み、バーにいる障害者たちに「あなたなら食べますか?」と相談していくのだ(このシーンだけ、ドキュメント形式に変わる)。

「今すぐ食べたい。やりたいことたくさんやりたい。新しい記憶を作っていけばいい」「障害のない世界を体験したい」という人から、「障害に慣れているので食べない」「自分の人生を否定するようなことをしたくない」という人まで、答えはさまざま。

 これまで障害者を扱ったドラマのほとんどは、「障害者も頑張っている」と世間を啓蒙するような、いわば「健常者のため」のドラマだった。だが、このドラマは、障害者自身が障害者のありふれた日常と苦悩を描いている。障害者による、障害者の、障害者のためのドラマだ。けれど、「今の自分を受け入れて生きる」か「今の自分を変えて違う自分になる」といった根源的な悩みは、健常者も障害者も変わらないだろう。誰しもが何らかの“障害”を抱えている。別に、どちらかの選択が「正解」なわけではない。本来「普通」とは大多数の人たちの共通した考えや状態を、それが正解だ、常識だと強制する圧力ではない。さまざまな障害があるように、人それぞれさまざまな答えや生き方がある。それこそが「普通」の状態だ。

 『悪夢』で描かれているように、いろいろな人が、普通に生きているのだ。

2014.12.09 火       テレビウォッチャー